
天草
2022年4月
4月11日
羽田発11:30、熊本着13:20のJALを申し込んだのだが、この便がキャンセルとなり1本早い10:15発、12:05着の便に乗る。熊本は雨。天草への便の受付へ行くと、14:50発だから1時間前にまた来てくれと言う。なんとか時間をつぶし14時前に行くと、雨だから飛行機が飛ぶかどうかわからない、また飛んでも着陸しないで戻ってくるかもしれない、15時の天気次第だ、と言う。14:50発なのに15時の天気次第というのもおかしな話だ。
これはまずい。熊本-天草間はキャンセルして熊本からレンタカーで行こう。天草空港のレンタカーはトヨタしかなかった。ここにはたくさんのレンタカー屋があるが、やはりトヨタに義理立てをしよう。雨が降っているが、間欠ワイパーでちょうどいいくらい。こんな雨でも飛ばないんだ。1時間半ほどで今日の宿“大江戸温泉物語 天草ホテル亀屋”に到着。夕、朝食が付いて2泊で税込み21,656円。
4月12日
ホテル亀屋は大矢野島にある。小さな島を数個通り抜けて上島へと行く。滝は上島、下島にある。小さい島にはない。一番手前と思われる御手水(おちょうず)の滝を目指す。どなたか分からないが天草の滝の案内をNetに乗せてくれている。これをコピーして今回の手引書として持ってきている。
手引書によれば合津港のそばの知十というバス停のそば。でもこの知十と言うバス停が分からない。しばらく探すが諦めて不動の滝へ行くことにする。所在地は上天草市姫戸町。国道266号線で姫戸町に入る。数少ないガソリンスタンドがあったので聞いてみる。もうちょっと行くと白獄自然公園の案内板が出てくるからそれに従って右折し山を登って行く。あとは白獄山頂方向への案内に従って行くと途中に不動の滝の案内板が出てくる、と教えてくれる。


不動の滝 落差は10mというがそんなにない。
山を登っているときに、遠くの山に霧がかかっているのがきれいだった。

次は祝口観音の滝を目指す。上天草市松島に入ってから地元の人に聞く。(田舎だから尋ねる人を探すのも結構大変なのだ)教良木ダムがあるから向こう側に渡ってダム湖に沿って行けば滝に着くよ、と教えてくれる。ここは直瀑ではなく傾斜面を流れ落ちている。傾斜面は300m程と長い。上流部の脇に小さい洞があり観音様が祀ってあるようだ。


祝口観音の滝
ここで写真撮影の時に岩盤を移動して滑って転んでしまった。前に倒れカメラのフードで指を傷つけてしまった。痛かったな。武漢ウィルス予防のために持ち運んでいるウェットティッシュを巻いて押さえつけても血は止まらない。
次は小ケ倉観音の滝。手引書に従って走っていると、左折で小ケ倉観音の標識がある。でも左折するような道はない。少し行き過ぎると郵便局がある。といってもおばさん一人の特定郵便局。そのおばさんに聞く。向こうからくると左折は鋭角的だから見えないかもしれないね。こちらから行くと斜め右に入る道があるから、そこを入って行けば観音様に行くよ。

ここの観音様は立派。

小ケ倉観音の滝 落差10m以下
写真を撮るために進入禁止のロープを無視して入ったら、また滑ってしまった。今度は横倒し。怪我はなかったが、その内滑落して滝に落ちるのではないかと心配になってきた。
ホテルに帰ろうとナビに従って走っていると、有料道路のICの名前が知十になっている。御手水の滝はこのそばだ。有料道路に入ってしまったからホテルのそばまで行って、コンビニでバンドエイドを買おう。ドラッグストアーは見かけないのでコンビニでバンドエイドを調達。指に巻き再度有料に乗り知十ICで降り国道を走る。でも知十橋というバス停はあっても知十というバス停はない。老人ホームの片づけをしているおじさんに聞くと、スマホで現在地を出し、画を拡大してくれる。そうすると御手水の滝が画の中に出てきた。有料の下をくぐって最初の道を右に行けばよさそうだ。お礼を言って覚えた通りに行ってみる。やはりうまくいかない。今度は庭いじりをしているおばさんに聞く。御手水の滝は、あそこの壁が茶色い家の角を曲がって行けばいいんだよ。でも途中から道が狭く車は入って行けないよ。手前で停めて歩いていけば10分ほどだよ。
祝口観音の滝と同じく傾斜面を流れ落ちている。いい水らしく取水している。

御手水の水は取水されている。
沢山かかっている橋から見る眺めは良い。道路からでは建物や木に邪魔されてこういう景色は見られない。

遠い山は島原の雲仙岳か。
4月13日
ホテル亀屋を8時半頃に出発して下島へと向かう。下島への入り口の橋で渋滞している。事故か何かで片側通行になっていて渋滞しているのかと思ったが、自然渋滞だった。新らしい橋も工事中だ。一番近い不動の滝を目指す。上島にも不動の滝はあったが、これは日本全国どこにでもある。全体では100近くなるんじゃないかと思う。手引書にある通りに県道44号線を進んでいく。平床の集落に入ると道路わきに不動の滝の案内板があった。そこに路駐して藪の中に入って行く。竹林が、台風か何かの影響で、ばらばらになっている。手入れするほどの余裕がないのだろう。

不動の滝 水はチョロチョロで落差は5m程か。
次は同じ平床地区にある百貫様の滝を探す。手引書に従い県道を2㎞ほど進むと百貫様の案内板が出てくる。車1台ほどの空き地があったのでそこに駐車。5分ほど遊歩道を歩く。


百貫様の滝
手引書には3本の滝があると書いてあるが、写真の滝から先には道がない。手引書のNet記事は2006年2月。もう16年たっている。遊歩道はなくなってしまったのだろう。
次は行者の滝。平床の集落から苓北町方向へ進み中尾の集落に入る。農作業をしているおじさんに、仕事中済みませんと声を掛け、行者の滝を知りませんかと聞く。この川の100mくらい先だよ。100mくらい行くと下がる階段があるから降りて行けば目の前にあるよ、と教えてくれた。案内板は何もなし。

行者の滝 落差は5mか。
次は妙見が滝。ここは分かりやすい。下島の西海岸沿いに南北に走っている国道389号線に面している妙見社の後ろにある滝だ。

妙見社 無人の神社

妙見が滝 ほとんど水が流れていない。
その次は轟の滝。やはり下島の西海岸にある下田温泉から県道24号線に入って行く。下田温泉の道には細かく、轟公園(巨大水車と轟の滝)の案内板が立っている。ところが県道24号線に出るとこの案内板がぱたりとなくなってしまう。まあ巨大水車と大きな公園だから分かるだろうと進んで行くがさっぱり分からない。ナビの道路図にはちょっと先に郵便局のマークが出ている。そこで聞いてみよう。郵便局の手前に自動車修理工場があり数人の人がいる。経営者らしき人に聞くと、だいぶ来過ぎたよ、ずっと戻ってトンネルを過ぎた左側あたりだよ、と教えてくれた。
行くともう公園は閉鎖、巨大水車もない。細々とキャンプ場を営業している。轟公園というから公営の大きなものを想像していたが、民営の小さなものだったようだ。県道沿いにあるから路駐して階段を下がってすぐのところにある。手引書には2001年5月と記してある。


轟の滝 落差10m 水量は一番多い。
次は半平が滝。楠浦ダム沿いの道からダムの反対岸に見える滝。ダム湖に直接落ちる滝という。とにかく分からない。ダムの岸辺には木が生い茂っていて反対側を見ることは難しい。ダムを通り過ぎると民家が出てくる。おじさん二人が喋っていたので聞いてみる。そういえばそんな滝があって昔は見えたよな。今は木が生い茂っていて見ることはないよ。
残っているのは神掛の滝。手引書には、案内も何もなく行きづらく30分ほどの山登り、と記してある。どうしようか考えながら運転していると、神掛の滝はこちら、と道路に案内板が立っている。これはもう行くしかない。案内板に従って進んで行く。地主さんの好意で駐車場が整備され(3台停められる)、必要なら使ってほしいと竹製の杖も置いてある。
早速登って行く。第3の滝、第2の滝がありすぐ上には第1の神掛の滝がある。25分ほどかかる。滝の前にはしめ縄が飾ってある。説明書きには、天草最大の滝で落差は15m、とある。


神掛の滝
これで予定していた滝はみんな回ったことになる。今日の宿の愛夢里(アムリ)へと向かう。途中亀が淵という案内板があったので寄ってみる。案内板には、この一帯は地域の子どもたちが冒険心と自然に親しむ心を育んだところです、と記してある。


亀が淵
今日の宿“愛夢里”には16時頃の到着。愛夢里は正式名を天草市総合交流施設愛夢里といい天草市の経営。宿泊施設、日帰り温泉、研修施設などを備えている。別館として洋上コッテ-ジなどもある。私の場合夕朝食付きの2泊で18,800円。
4月14日
滝はもう廻った。さて今日は何をするか、と天草ロードマップを見る。下島の南端に近いところに遠見山展望台というのがある。牛深港の手前のはずだが案内板などは見当たらない。牛深支所の案内板を見つける。役場の支所に行けば教えてくれるだろう、と思い支所を探すが分からない。警察署は分かったが、交番ならともかく、警察署で道を聞くのも気が引ける。諦める。
崎津教会を目指す。途中に天草コレジョ館というのがある。寄ってみるが本日休館。崎津教会はすぐにわかる。中に入りたかったが葬式の最中なので遠慮する。

崎津教会
すぐそばの丘の急斜面にお墓がある。墓石には十字架を模ったものもある。

十字架を模った墓石が見受けられる。
大江教会にも行ってみる。中に入れたが撮影は禁止。門前には無人の販売所(テーブルが置いてあるだけ)があり、甘夏3個,4個が100円で売っている。3個100円の物を購入してみる。帰宅後食するが結構おいしかった。

大江教会
下島最北端の苓北町にある富岡城址へと行く。関ヶ原の戦いの後、唐津城主の寺沢広高が天草領4万2千石を与えられ富岡城を築く。島原・天草一揆の後、紆余曲折はあるが天草は天領となる。初代代官鈴木重成は、天草4万2千石は過分すぎ半減すべきと幕府と掛け合い認めさせる。農民の租税負担も半減され鈴木重成は天草の恩人とされている。


富岡城址

富岡城からの眺め
天草は山ばかり。もっとも山があるから滝があるわけだけど。山と山の間、そして海辺に集落がある。

海と山に囲まれた集落
4月15日
宿を8時前に出て熊本空港へ。そして帰宅。