
フィリピン・セブ
1996年11月16日~19日
今回は社内旅行だ
社員、外注さん総勢17名。今まで行ったところは香港、サイパン、韓国、ハワイ、台湾、ラスベガスで7回目となる。日本はアジアの一員なのだからアジアも見ておいた方が良い、というのが私の考えで1年置きにアジアへ行っている。たった3泊で何が分かると言われればそのとおりなのだが、行かないよりはずっと良い。
Sightseeing
17日の第1回観光はオプショナルツアーのうちの島巡りを選んだ。昼食つきUS$40で全員参加。マクタン島から40分ほどかけて船で無人島へ行く。船着場はなく船は水深50cm程のところに停泊。そこから歩いて上陸。無人島ではあるが現地スタッフ、物売りが10人以上待機している。
島に着いてすぐに営業のオーちゃんがフィッシングをやりたいと言い出した。2人乗り(船頭除く)のボートの相方がいないので私が参加。釣り道具の借り賃P200/人、ボート代P500/人。(P1≒¥5)1時間ほど釣り糸をたらすが全く釣れない。船頭が気の毒がって潜ってウニを取ってきてくれる。中身は5mm×20mm位の小さいもの。食べたらウニに間違いなかった。
オーちゃんが“これは何だ”と海の中を覗こうと身を乗り出すとボートが大きく傾く。船頭が態勢を立て直すべく反対側を強く押すと、反対側に大きく傾きそのままひっくり返った。水深4m。何とか足から海に落ちたが額まで水に浸かった。もう死ぬかと思ったと言うと皆大笑いする。でも現実に頭に浮かんだのは、グランドキャニオンで買ったカウボーイハットが駄目になるということだった。
濡れたがハットも眼鏡も大丈夫だった。目が塩で痛い。ボートの端をかろうじて掴み溺れないですんだ。船頭はこちらを見て“リラックス、リラックス”と叫んでいる。近くを島まで来たのと同型のボートが通ったので“おーい助けてー”と手を振ると、“ハーイ”という感じで手を振ってあっさり行ってしまった。
ボートの両側にはバランスを取るための腕木が付いているので、簡単にはひっくり返らないだろうと思っていたがそうではなかった。子供のころから中耳炎を患っていて泳ぎは得意ではない。どんな場合でもライフジャケットは必需品だ。ひっくり返した張本人はボートの船底に馬乗りになり、大喜びしながら櫂をかいている。船頭も泳ぎながらボートを引っ張っている。私も腕木につかまりキックしながら島に向う。

ひっくり返ったボート
第2回観光は市内観光。やはり昼食つきで$55。回ったところはビバリーヒルズの道教寺院、マゼランクロス、サン・アグスチン教会、サンペドロ要塞、カルボン市場。市場は野菜、果物、魚などの食料品主体でかなり活気がある。鶏は足を縛られ生きたまま置かれている。
Souvenirs
島巡りの無人島では4人の物売りが待っていた。すべて貝細工。小さい貝をつなぎ合わせて籠にしたり、コースターにしたりして売っている。口が波打った黄色いきれいな貝は洗っただけで売っている。私も旅行に来なかった人への土産に何個か買う。値切ってP300にしてもらいP500札を出すと、釣りがないと言って貝をもっと寄こす。物売りはかなりしつこい。
帰りの船の中で船頭が、“黄色いきれいな貝は持ち出し禁止だ”と言い出した。おいおい持ち出し禁止の物を売るなよな。
帰りの出国手続きのあと何人かが荷物検査のために呼ばれた。バッグの中を全部調べられ黄色い貝は没収されてしまった。貝の種類によるようだ。でもきっと没収した貝は物売りに回すよね。
マゼランクロスの所に地図を売っている少年がいた。ちょっと覗いていらないと言ってもしつこく教会まで追いかけてくる。また断りバスに乗り要塞へ向う。要塞見物の跡バスに戻ると少年が待っていた。思わず“ここまで駆けてきたのか”と言い、地図を買ってしまった。1kmはあったはずだ。フィリピン全図、セブ島全図、セブ市内図3枚組でP100。
市内観光の昼食後ショッピングモールへ行く。モールの一角にパウンショップ(質流れ店)があったので入る。ラスベガスのパウンショップには電気製品やアーミーナイフなどもあったがここは貴金属のみ。円、カードは使えずペソのキャッシュオンリーだと言う。ペソが足りないのでモールの周りにある銀行4箇所回るがどこも円からペソに両替してくれない。
幸いグループの1人がペソをたくさん持っていたので円と両替してもらい、20Kのネックレス、ブレスレットのペアーともうひとつブレスレットを買う。娘への土産は困ったときに米代に変わる金製品。プラチナではちょっと地味だ。
モールのあとは免税店。土産物屋にも連れて行かれたが面白い物はなかった。免税店でドライマンゴーの試食品を求めるが無いと言う。1箱買って食べてみると砂糖の甘さが強いがきちんとマンゴーの味はする。皆さんへのお土産はマンゴーになってしまいました。
Foods
第1回夕食。11月16日の成田―マニラは予定通りだったが、マニラ―セブが1時間遅れホテルに着いたのは21:00頃。セブ・プラザ・ホテルの別館に海鮮料理屋があり、ヤシガニがあるとパンフレットに出ていたので全員で行く。5年前やはり社員旅行でサイパンにいったとき食べたかったのだが$40と高く手が出なかった。今度は食べようと思ったが品切れだった。バイキングの他に伊勢海老3匹、ちょっと大きめの魚3匹、車海老17匹、ビールを頼む。それなりにおいしかったが値段が高かった。一人頭P1,500(≒¥7,500)についてしまった。
ホテルの部屋は2間続きのいわゆるスイート。バス2箇所、冷蔵庫2箇所、ソファー2つ、ベッドはダブルで1つ。バナナ、マンゴーのフルーツも置いてあった。生のマンゴーはおいしかった。これは私だけで後の人は普通のツイン。日本旅行が常連の私にサービスしてくれたのだろう。

セブ・プラザ・ホテル 派手な車はホテルのジープニー
3年前ラグビーツアーでニュージーランドに行ったときに、栃木の高校のラグビー部顧問の先生と同部屋になった。ワイカトのモーテルは1階にソファーが置いてあって中2階にベッドがある作りだった。夜中に目が覚めふと隣のベッドに目をやると空だった。翌朝先生に“夜中にベッドにいませんでしたね。どこに行ってたんですか。”と聞くと、非常に言いづらそうな顔をして“いびきがうるさくて寝れなかったんですよ。下のソファーで寝ていました。明け方には静かになったのでまたベッドに戻りましたが。”と言った。このあとはどのツアーに申し込んでも必ず1人部屋にしている。(家族以外)
第1回昼食。無人島でのバーベキュー。マグロ、チキン、海老、焼き鳥、ちまき、フルーツ。ちまきは米が硬く食べれる代物ではなかった。他はどうということなし。フルーツではパイナップルが芯まで柔らかくおいしかった。誰かが野生の唐辛子を見つけてきた。青く小さいが非常に辛い。寒いところの唐辛子は真っ赤で辛そうだが全然辛くない、というけれどその反対か。
第2回夕食。日本食レストランMIKADOへ行く。ホテルのそばにもFUJIYAMAがあるのだが、看板の一部が落ちたりしていて入る気になれなかった。MIKADOは街中だ。13名参加。
第2回昼食。市内観光の付録の中華料理。もともと好きなせいか中華はやはりおいしい。7品目出てきたが水準はクリアーしている。店の名はグランド・マジェスティック。
島巡り、市内観光の料金$95を支払うのにガイドと一悶着あった。ペソで支払うのだがガイドの言う値段はどう換算しても高すぎる。日本人がフィリピンに旅行に来ているのにUS$でいくらと言われてもUS$は用意していない。円かペソで価格表示すべきだ。オプショナルツアーのチラシは全て日本語で書かれているのだから。結局$95×115=10,925となるが¥11,000支払うことで決着。
第3回夕食。フィリピン料理屋のライトハウスへ行く。希望者は18:30集合にしたが来たのは私を含め3人だけ。ガイドがジープニーを用意してくれたが気の毒なことをした。ジープニーを帰し4人でタクシーに乗る。
大きなロブスターを皿に乗せて持ってきたので値段を聞くとP2,000と言う。1万円もするのでパス。普段この年で食べ物にけちけちしてもしょうがない、と大口をたたいている割には私もだらしない。海での帽子の心配といい貧乏性が直らない。
スープ、大きい蟹、小さい海老、イカ、チャーハン、ビール、フルーツで計P2,200。イカと一緒に炒めてあった野菜を何とはなしに食べると青唐辛子だった。しばらく口がおかしい。味はまあまあだった。

高くて手が出なかったロブスター
第3回昼食。帰りの飛行機もマニラ経由。マニラの空港で搭乗ゲートに向う途中の通路でボディーチェックがある。ポケットを上からさわり中のものを出せと言う。残っていたペソを出すと、“お金たくさん持っている。チップにいくらかくれ。”と言う。“荷物を置いてからまだ買い物するから駄目。”と断るとそれ以上しつこくは言わない。でも普通こういうところでチップくれなんて言わないよね。
待合室に荷物を置き仲間に番を頼んで免税店の方へ向う。ふと見るとラーメン、ギョーザとカタカナで看板を出している店がある。昼食はここにしよう。椅子に座るとウェイターが“ラーメン、ギョーザ、ビール?”と日本語で聞く。日本人の定番になっているようだ。ラーメンのつゆにはだしが無い感じ。ギョーザも当然いまいち。でもまあこういうところで味を期待するほうが間違いか。
Casino
セブ・プラザ・ホテルから歩いて5分のところにカジノ・フィリピーノがある。旅行先をセブに決めたときに、日本旅行はマクタン島のビーチにあるシャングリラ・ホテルを取ってくれたが、カジノからは遠い。負けた順にタクシーに乗って帰って、身ぐるみ剥がされてほっぽり出されても困るので、カジノに近いセブ・プラザに代えてもらった。
出発1週間前、日本旅行から日程表とフィリピン政府観光省のパンフレットが送られてきた。それによると青函連絡船で活躍した十和田丸がフィリピン・ドリームと名前を変えてマクタン島に係留されそっくり娯楽施設になっている。その中にカジノがあると書いてある。またマクタン島のセブ国際空港のまん前に建設中のウォーターフロント・ホテル&カジノが今年中に営業するとも書いてある。でも行ったのはカジノ・フィリピーノだけ。
カジノのテーブルゲームは4~50台。大小、ルーレット、ブラックジャックもあるが圧倒的に多いのはバカラ。他スロットマシーンが100台程。そんなに大きくはない。
京都から来たという母娘に会った。年齢は母娘共にうちと同じくらいか。マクタン島のビーチホテルに泊まっているが、カジノに通うタクシー代が馬鹿にならないのでセブ・プラザに移ってきたと言う。
ブラックジャックのテーブルで張り切っている母の隣に立っている娘に“お母さんのお守りで大変ですね。”と声をかけると“私も賭けて楽しんでますよ。”という返事。9泊10日でフィリピンに来てこのあとマニラで4泊してから帰るとのこと。9泊10日で¥106,000/人とのこと。私たちは3泊4日で¥105,000/人だ。日本旅行さん勉強してください。
フィリピンではUS$がはばを効かせている事は先ほど書いたが、カジノでも同じでミニマム、マキシマムの金額はペソとドルの2本立てで書いてある。ポーカーチップも2本立てだ。
フィリピンの人達は皆陽気で歌が好きなようだ。カジノでも空港のボディーチェックでも鼻歌まじりで仕事をしている人がいる。でもこういう人は人なつっこくフレンドリーでもある。
ブラックジャックをやる人は少なく一時ひとりになってしまった。このときのディーラーも非常に陽気で歌を歌いながら、ついてきたからもっとたくさん賭けてとか、ちょっとつきが落ちてきたから少しにしてとかアドバイスをする。
私はただポーカーチップを置いているだけ。いつもディーラーの言うようにうまくいくわけではないがP3~4,000は稼がしてくれた。このときスリー7にもなった。ここではスリー7は3倍の配当だった。“Itユs my first time.”と言ったら“Your first time? Very good.”と言い喜んでくれた。
このカジノでしょうがないのは何か頼んだときにお釣りを持ってこないことだ。飲み食い有料なのはもちろん構わない。例えばビールを頼むと、ビールとP35の勘定書きを持ってくる。そこでP100渡すと待てど暮らせどお釣りのP65が届かない。何回か後にはこちらも考えて、P15はチップにしてP50バックと言ってお釣りを持ってこさせた。
最終日は出だしでつまずいてしまった。それまでは行ったり来たりでちょぼちょぼだった。何とか頑張って元になったのは午前2時のこと。もう少しとも思ったが、ディーラーが相性の悪いボブに代わったので終わりにする。
今までどおり歩いて帰ろうとすると、出入り口のガードマンが時間を見て、車を出すから乗っていけと言う。只ですとも言う。ありがたく乗せてもらうが、只とはいってもチップの国、P20運転手に渡す。ガードマンは銀行はもちろんのこと貴金属店など高級品を扱っている店には必ずいる。全員拳銃を所持している。最初ポリスかと思ったが皆ガードマンだ。
食事は全体としては日本人に合う。なんといっても暖かいのが良い。また行こう。
第8報終わり

ベルテルスマン世界地図帳より拝借