スペイン アンダルシア地方

2019年5月13日~5月28日  

5月13日
今回は進藤さんとの二人旅。
 奥さんから「飲みすぎないでね」と言われてきたが、出発前から酔っぱらってしまう。カタール航空の出発は22:20なのだが、東京駅発成田空港行きの高速バスの最終は18:10なのだ。(逆は遅くまである)19時過ぎには着いてしまう。時間がありすぎてカタール航空のラウンジでついつい飲みすぎてしまうのだ。
5月14日
 ドーハ、マドリードで乗り換えてアルメリアに着いたのは19時過ぎ。レンタカーのヨーロッパカーでVWのポロを借り宿へと行く。
5月15日
 宿のバルセロ・カボ・デ・ガタはなかなかいいホテルだ。海岸沿いに建ち複数のプールも持つリゾートホテルだ。今はまだ客も少ないがもう少したったら満員だろう。
カボ・デ・ガタ(ガタ岬)
 アルメリアの街の東にあるカボ・デ・ガタを目指す。途中原野の中にカボ・デ・ガタ案内所があるので寄ってみる。おばさんが一人でいる。話は進藤さんに任せて、私は外を見る。この案内所を出発点、終点にした散歩コースが2,3出ているが道らしきものは見えない。誰も行かないので草に隠れてしまったのか。
 カボ・デ・ガタに行く途中にフラミンゴが生息している湖もあるってよ、と進藤さんは戻ってくる。
カボ・デ・ガタへ行く途中の風景。とがった建物は灯台かと思ったが教会だった
 灯台まで来ると結構観光客もいる。大型バスも停まったりしている。灯台内に立ち入ることはできない。周りの散策だけ。
湖(汽水湖?)にいるフラミンゴ
カボ・デ・ガタの灯台
灯台からの風景
 サン・ホセという街にも行ってみる。やはり海沿いの街だが、海沿いに道路はなく少し戻ってから東方向へ進んでいく。
こんな色調の家もある
どの家の壁も白い。
アルカサバ
 アルメリアの街の西側にあるアルカサバを目指す。車のGPSにアルカサバを入力し進んでいく。高速に入るとなんかおかしい。GPSの指示がとんでもないように思える。画面をよく見ると端っこに目的地までの距離が400㎞と出ている。アルメリアの街に戻り、GPSを頼らずに、道を聞くことにする。進藤さんが聞きに行ってくれる。私は車で待機、駐車違反などで捕まっても困るから。
 誰も英語をしゃべらないんだよね、でも何とか分かった。そこから高速に乗り3番目の出口で降りる。港が右側にあるからそのまま進む。そのうちに左側に見えてくる。
 実際その通りに行くとアルカサバへの標識が現れる。何とかたどり着きそう。アルカサバは要塞跡で入場無料だった。
アルカサバ入り口 門が3つ続いている
アルカサバ(木のある部分)とアルメリアの街
 ホテルに戻る途中空港によりヨーロッパカーへと行く。アルカサバを入力すると400㎞も先を示すと大文句を垂れると、New oneと言って新しいGPSを寄越す。
5月16日 グアディックス
 移動日。グラナダへ行く途中グアディックスの街による。ここには洞窟に住んでいる人がいる、とのこと。
グアディックスの街に入るも洞窟住居がどこにあるのかわからない。偶然警察署がある。例により進藤さんが聞きに行ってくれる。警察署の前、警察車両が停まる場所に私は待機する。進藤さんが戻ってくるより先にパトカーが出先より戻ってくる。予想したとおりに警官が私にところに来る。
「Hello my friend is in your office」と言うと、OKと言ってオフィスに入っていく。
 ものを聞くには警察が一番だね。入って挨拶すると英語を喋れる人が出て来て、懇切丁寧に教えてくれたよ。
洞窟住居
 洞窟住居は小山の横側に入り口を作り(今はモルタルでしっかりと固めてある)住居部は土の下にある。夏は涼しく冬は暖かいだろう。2,000戸があり3,000人が暮らしているという。こんなに狭いところでも汽車を模した観光案内の乗り物が走っている。それだけ観光客がいるということだ。
上部写真左側は店舗で普通の屋根がある。縄カーテンをくぐると土の下の住居部になる。人に見せることを考えてかきれいにしてある。
ホテル・サンタ・イザベル・ラ・リアル
 グラナダの宿のサンタ・イザベル・ラ・リアルにもスムーズには着かない。ホテル名と住所名が一緒なのだがGPSには登録されていない。
進藤さんが今度は大学の事務所に行きそこからホテルに電話をしてもらう。迎えに来てくれるという。Don’t move there.と言われたからここで待っていよう。
おじさんがオートバイで迎えに来てくれる。狭い道を何回も曲がり、坂を上ってたどり着く。こんな狭い道をバスも走っている。当然ながらバスも小さい。東京のあちこちで見かけるコミュニティーバスみたいに。
 客室数は11部屋と小さい。ほかの客すべてがすんなりと来たわけではない。ある夫婦はタクシーに先導してもらってきたという。当然タクシー代がかかっている。ホテルの前の道を下へ下へと降って行くとヌエバ広場に出る。10分もかからない。隣は教会。教会の向こうにはバルが4軒ある。その先にはラ・ロナ展望台。展望台と言ってもただの道の一部。夕日がきれいという。ホテルのお姉さんはユンケというバルを進めてくれる。
 ユンケで進藤さんはサングリア。私はビールから白ワイン。料理はイワシの唐揚げと、エビと野菜のサラダ。
ラ・ロナ展望台からのサンセット
ホテルの部屋からの月とアルハンブラ宮殿
5月17日 アルハンブラ宮殿
 今日は1日アルハンブラ宮殿。チケットはホテルが事前に取ってくれている。出発1か月前ほどにホテルからメールが届き、アルハンブラ宮殿のチケットをどうするかの問い合わせがあったので、2人分のチケットを取るようにお願いをした。
 外部は赤土色で何の装飾もないが内部は細かい細工でいっぱい。キリスト教徒がレコンキスタで奪い返しても、装飾がきれいだったので改装しなかったのだろう。
透かし彫りなど非常に芸が細かい
天井 杉板が多く使われているという
 宮殿の西側にはアルカサバがある。またアルカサバが出てきた。
アルハンブラ宮殿のアルカサバ
 宮殿の東側にはへネラリフェ(夏の別荘)がある。水、花、木を上手に使ってきれいにしてある。
 今日の夕食もまたユンケ。私もサングリアを頼んでみるが、甘い。
1口飲んで進藤さんに譲る。料理はしし唐の唐揚げ、豚肉とポテト。長さ15㎝くらいの大きなしし唐の種を取り、ただ揚げたもの。これが意外といける。
5月18日 クアルト・リアル・デ・サントドミンゴ、大聖堂
 アルハンブラより古いムーアの遺跡と言われるクアルト・リアル・デ・サントドミンゴへ行く。狭い場所だが遺跡が残っている。やはり狭いながらも庭もついている。アルハンブラより古いといっても私から見ればほとんど同じ。
復元したものかもしれない
 大聖堂にも行く。
豪華絢爛な大聖堂 パイプオルガンもすごい
大聖堂には誰が書いたか分からないが最後の晩餐もある。
 今日の夕食はまたまたユンケ。魚の盛り合わせに生ビールに白ワイン。しし唐の唐揚げがよほど気に入ったらしく、進藤さんはまた頼んでいる。
 隣の教会で結婚式が行われている。大聖堂でも軍人さんの結婚式が行われていたから今日は日がいいのかもしれない。
新婚さん
5月19日 移動日 ランジャロン
 山の中腹にあるミネラルウォーターで有名な街。街のいたるところに水くみ場がある。当然各家にも蛇口はあると思うが、街じゅうで一年中出ているようだ。
ネルハ
 ネルハはヨーロッパのバルコニーと言われ、地中海に張り出した岩場の上に作られた展望台からの眺めがすごいと言われている。
フリヒリアナ
 ミハスと並んで白い街として有名。でも坂だらけで観光するのに大変。
ランジャロンの街中の水くみ場の1つ
ランジャロン 家の入口回りもきれい
ネルハ
フリヒリアナの街
マラガ到着
マラガの街に到着。GPSはホテルの名前Eze Malaga Museosにも住所にも反応しない。そばでタクシーが客を降ろしたところだったので運転手に聞く。運転手が案内してくれるので後に付いていく。グラナダのお父さんと同じだ。運転手は停まって、この先に車は入っていけない、あそこの角を左に曲がって、次の交差点を右に曲がってすぐ右側にある、と教えてくれる。案内賃は5ユーロと安かった。もっともメーターは倒していない。
 私は車で待機、進藤さんがホテルへ行き駐車場など聞いてくる。駐車場からホテルまで150mくらい。少しだが階段もある。重いスーツケースを押しながらホテルへと入る。
 ホテルの周りを散歩。道路にまでテーブルを出しているバルには結構客が入っている。生ハム、チーズ、パエリアにワインがボトルで1本ついて34,9ユーロと宣伝しているレストランがある。まだ客は一人もいない。私はそれを食べたいのだが、進藤さんは客が一人もいないのはおかしい、と納得しない。そのあたりを一周してまた戻ってくる。ここらはシェスタがあるから晩飯はみんな遅いというよ、まだ6時と早いから誰もいないんだよ。と言って何とかその店に入る。
 進藤さんは広告には赤ワインが写っているけど白ワインでもいいか、飲みきれなかったら持って帰ってもいいか、聞いている。OK。
生ハム、チーズもおいしいし白ワインもおいしい。こちらのワインは安くてもおいしいから安心して頼める。パエリアもおいしいが量が多くて食べきれない。パエリアだけ包んでもらう。これで34,9ユーロなら安いと思う。一人当たり17,5ユーロだから。
生ハム、チーズにパエリア。あと白ワインが1本ついている。
5月20日 マラガ大聖堂
キリストらしき人の足にキスしている女性。ほか大勢の人。最後の晩餐というには無理があるか。最後の晩餐はいろいろな人がそれぞれの解釈で描いている。
はねられた首が飛んでいる処刑の図。激しいよね。
大聖堂内 礼拝所の一つ
ピカソの生家
 ピカソの生家が公開されている。集合住宅の一部。ピカソが孫などに残した絵などが飾られている。
書斎?でガイディングレシーバーを聞いている進藤さん。
ピカソ美術館
 生家から10分ほど歩いてピカソ美術館に着く。ここは残念ながら撮影禁止。
いまはジャカランダが真っ盛り。ピカソ生家前の公園で。
マラガの市場で軽い昼食
アルカサバ
 ここマラガにもアルカサバがある。他と一緒で丘の上。そりゃそうだ、低いところでは見張りにならないものね。
アルカサバのジオラマ
5月21日 王の小道(Caminito del Rey)
 マラガのホテルに着いてすぐに、王の小道に行きたいと受付嬢に頼む。もう満員ですよ、2週間以上前に予約を入れないとだめですよ。と言うが、パソコンで調べてくれると21日の10時半出発、11時出発に少しの空きがある。11時出発で予約を入れてもらう。断崖絶壁に小さい歩道を貼り付けたようなものだから、世界一危険な遊歩道と呼ばれている。進藤さんはパス。私一人だけの参加。
 1901年に、ダム工事のために職人が通う道を断崖絶壁に取り付けた。この時に王様がこの歩道を歩いたので王の小道と名付けられたという。工事完了後はほおっておかれて危険な状態であったため、世界で一番危険な遊歩道と言われたが、いまでは整備され危険もなくなり、大人気な遊歩道になっている。
 受付嬢が早く出たほうがいい、と言うので8:30頃出発する。9時半過ぎにはエル・チョロの駅に着く。10時出発組もいるはずだが、誰も何も言わない。
私としては「10時出発の人はこちらに集まってください」という声を期待していたのだが。
 駅の入口そばのテーブルに座っている人に聞くと、この裏からバスが出るから乗りなさい、と言いながら80mほど先のバス乗り場を指さす。バスは10時発。運転手にパソコンでの申込書のプリントを見せると、バス代の部分をハサミで切り取る。
 10:25に出発地近くの街に着く。道路までも駐車の車でいっぱい。カミニート・デル・レイまで2.7㎞との標識がある。多くの人がそちらに行くので私も従う。
エル・チョロ手前の風景
歩き始めて30分ほどは岩壁に貼り付けた遊歩道を歩く。
次の30分は普通の山道。こんなところもある。
出発地に着いたのは11時に2分ほど前。係員に申込書を見せると、こちらに来なさいと、並んでいる人の後ろに着くように指示する。すぐにヘルメットを手渡され出発。ここが11時の出発地だったのだ。
その次の15分はやはり絶壁沿い、最後の15分は山道。遊歩道は一方通行。基本的に降りで1時間半ほどの歩行だから、身体がきついということはない。
遊歩道の下は昔の道。絶壁左側は鉄道の線路。
吊り橋もある。一時に渡れる人の制限がある。
 終点でヘルメットを返す。ここはもうエル・チョロの駅のそば。どちらに車を置いてもバスの世話になる。やはり車の少ないエル・チョロ駅に駐車してよかったのだ。
ロンダ
まだ時間は早い。ロンダにも行ってみよう。マラガとは反対方向に1時間ほど。駐車場を見つけ係員に駐車料金2ユーロを払い、トイレはどこか、iはどこか聞くと、あっちだと同じ方向を指さす。大きな公園がある。公園の外れまで行くとそこからはもう絶壁。そうロンダは崖で有名なのだ。
公園の端
 帰って進藤さんに、ロンダにも行ってきたよ、と言うと、橋を見てきたの、と言う。そうだ街の中の峡谷に橋が架かっていて有名だったのだ。一人で行動すると何かが抜ける。
 帰り道駐車場まであと80m程のところでGPSは右折を指示した。でもこれは一方通行の出口側で逆走になる。何というGPSだ。信じられない。
5月22日 移動日 アンテケラ
 旅行前にネットでマラガの記事を読んでいると、アンテケラという街があって、そこの郊外のサンタマリア・ラ・マショール教会には赤い大理石で出来た階段があるという。珍しいらしい。またもうちょっと奥には幾重にも重なった奇石群があるという。
 アンテケラに入って驚いたのは、こんな小さな町にもHop-ON Hop-Offのバスが走っていることだった。人口は4万ちょっとというのに。
アルカサバからの街の風景
まずiを探し地図を入手する。ここにも町はずれの丘にアルカサバがある。とにかく登ってみよう。
 どこかのお嬢さんにシャッターを押すように頼まれる。押してあげたついでに私のカメラでも撮らせて貰う。このお嬢さんは大変に身軽で手すりに後ろ向きでひょいっと座ってもう一枚撮らされる。ひょいっと腰かけた時にはびっくりしたね。10m以上高いところにいるのだから。落ちたら命はない。
サンタマリア・ラ・マショール教会はアルカサバの隣にあった。
祭壇への階段が赤大理石
奇石群
コルドバ
コルドバのホテルはホテル・コルドバ・センター。スペインに来て中華料理を食べていない。中国人は昔から世界中に散らばっていて、小さな町にも必ず中華料理屋がある、というのが私の持論であるがこのアンダルシア地方ではまだ中華料理屋を見かけていない。
レセプションの男性にさっそく近所に中華料理屋はないか聞く。ホテルの前の細長い公園の反対の端にフードコートがありその中にあるだろう。
公園にはオレンジの木がたくさん植えられている。実もたくさん生っているが誰も取らないという。甘くないのだ。ただ落ちるに任せている。
たわわに実っているオレンジ
フードコート内の店は中華料理屋というよりも多国籍料理屋。海苔巻きや握りも置いてある。注文しお金を払ってから調理に取り掛かる。2,3品購入してホテルへ戻ってから食す。
帰り道に本格的な中華料理屋を見つける。中国人団体旅行客がたくさん入っている。
多国籍料理
5月23日 メスキータ
 ウィキペディアによると、メスキータとはスペイン語でモスクのことを言う。しかし今では固有名詞として、ここコルドバの聖マリア大聖堂を指す。ここには8世紀頃まで聖ビセンテ教会があった。8世紀後半にはイスラム教徒が入ってきてモスクとして利用し、増築し10世紀末には数万人が礼拝できる規模にまでなる。13世紀にレコンキスタ(キリスト教徒の奪回運動)が始まり、モスクは教会となる。その後増築されイスラム様式が多く残る大聖堂となる。
 柱の数は800本と言われている。柱上部の装飾なども見事だ。
ここにも最後の晩餐がある
小道ほどきれいに飾られ観光客の通り道になっている
Museo Vivo
 メスキータの川向うに小さな博物館「Museo Vivo」がある。入って見る。メスキータのミニチュア、イスラム教徒の生活ぶりのミニチュアなどが飾ってある。
イスラム教徒の生活
アルカサル
 メスキータの隣にアルカサルがある。今まではアルカサバと言っていたがここではアルカサル。ここには王が住んでいたらしい。要塞がアルカサバで王宮がアルカサルか。ウィキペディアで調べてもはっきりしない。グーグルで検索すると私と同意見人がいる。
アルカサルからの風景
サン・フランシスコ教会
 メスキータの入場券には、近所の教会7か所か9か所の無料入場券がついている。
一番近いサン・フランシスコ教会に行ってみる。そんなに小さい教会ではなくそれなりに立派。観光客は誰もいないが神父さんが愛想よくしてくれる。
さあ次はサン・ペドロ教会。地図を片手に探していく。正門は閉じている。ぐるっと回るがどこも開いていない。教会もシェスタかな。
3番目以降は行く気が失せホテルへと戻る。
 コルドバは2泊に設定する。3泊に設定していればもっと教会を回ることもできただろうが。
サン・フランシスコ教会祭壇
 夕食はようやく中華。昨日目をつけた中華料理屋に行く。セット物を頼む。
生野菜、春巻き、チャーハン、酢豚、鶏肉と野菜の炒め物、デザート。2人分がセットになっていて20ユーロしなかったように思う。当然ビール、ワインは別料金。
5月24日 移動日 カルモナ
 何とか駐車場を見つけ、それからiを探す。iは城壁門の1階にある。地図を貰うと、城壁の塔に登りませんかという。1ユーロ。
事務所の2階には記念撮影用のひまわりの絵がある。
 カルモナにもアルカサバがある。そしてローマ時代の遺跡として円形競技場跡もある。
アルカサバからのカルモナの風景
カルモナ郊外のひまわり畑
セビリヤ
 ホテルは街の中心地から離れている。周りを散歩してみる。大きな集合住宅が結構ある。戸建てはない。
集合住宅の中に入っていくと、オープンエアーの店で高校生らしき数人がお話をしている。おませな娘(一人だけ化粧をしている)が手を振って、こちらへ来いと手招きをする。どこから来たなど少し話をする。
集合住宅と高校生
5月25日 アルカサル
 セビリヤにもアルカサルがある。ここで今旅行中初めてタペストリーを見る。大きく立派なものが何枚も飾られている。石造りの建物には欠かせないと聞くが今まではなかった。
タペストリー
中庭から
天井
次はすぐ隣にある大聖堂。どの街もアルカサバ(アルカサル)に大聖堂。
世界中どこへ行っても教会(これはモスクでもお寺でも同じ)は街の中で一番大きく立派な建物になっている。大聖堂ともなれば建物としても見る価値はあるし、内部の美術的、芸術的価値はとてつもなく大きいものだ。美術、芸術に縁のない私でもふらふらと入ってしまう。
大聖堂 パイプオルガン
大聖堂 王冠 宗教にこんなもの必要なのかね
大聖堂横 ヒラルダの塔からの眺め
今日はサッカーのスペイン国王杯の決勝戦だそうだ。試合は夕方からだそうだが、街中はサッカーのサポーターがうろうろしている。バルセロナ×バレンシアがここセビリヤで行われるそうだ。あちこちで爆竹が鳴る騒ぎ。
街中はサポーターでいっぱい
スペイン広場
 スペイン広場は1928年に翌年のイベロ・アメリカ博覧会の中央会場として建てられた。スターウォーズなどの映画ロケにも何回か使われている。ウィキペディアに載っている。
 建物は細長く半円形を描いている。とにかく長く、何メートルあるかネットで調べるが出ていない。カラフルな陶器がいたるところに使われていて見ていて飽きない。
これで半分
橋に使われている陶器を見てください。とにかく陶器だらけ。
5月26日 闘牛場
 川沿いを散歩しようとバスに乗り出かける。闘牛場の前を通りかかると何人もの人が入っていく。何だろうかと後に付いていくと、闘牛場の見学ツアーだという。5ユーロ/人。闘牛はやっていない。
 あら珍しいですね、日本の方はほとんど来られませんが。と日本女性が言う。
どうぞ見ていってください、次は私が案内する番です。
今日の夜には闘牛があります。セミプロの試合ですから値段も安いです。夜といってもまだ日が高いですから日陰の席を予約すればいいですよ。
 案内の後チケット売り場に連れて行ってくれて屋根付きの日陰の席を予約してくれる。16ユーロ/人。
闘牛場にお勤め、鎌倉出身という。名前は忘れた。
闘牛場内のポスター
もう1度スペイン広場
 私が頼んでもう1度スペイン広場に行く。2階通路の下の壁にはスペイン48県の名入り陶板が飾られている。結構な人がこの陶板の前で記念撮影をしている。その県の出身者なのだろう。
マドリード 戦いの図柄だ。
 建物中央の入り口前では何人かの女性がフラメンコを踊っている。姿からしてプロではない。
これを見てついカスタネットを購入してしまう。1組10ユーロ。
フラメンコ
スペイン広場は大きな公園の一部。左上半円がスペイン広場。
闘牛
 セビリヤの闘牛場は王立。ほかの闘牛場は州立でセビリヤは格が高いという。王様の席はいつも用意されている。今日は当然いないがオープニングのセレモニーは王様がいるかの如く行われる。
 牛が出てくると4,5人の闘牛士が交代に牛を刺激する。牛を刺激しては塀の内側に隠れる。
次に馬に乗り槍を持った大きな男が出てくる。馬には、牛に攻撃されても大丈夫なように、覆いがかけられている。また馬は、暴れる牛を見て、びっくりしないように目隠しされている。
馬と牛を見比べると牛が小さく見える。大きい馬を使っているのか、セミプロだから小さい牛を出しているのかわからない。両方かもしれない。
馬に乗った大男が槍で牛を刺す。かなりの傷を負うまで刺す。これは予想していなかったことだ。
次に両手に飾りの房の付いた剣を持った闘牛士の衣装を着た男が出てくる。ある程度弱った牛が向かってくるのに対し、正面から牛の肩あたりを狙って剣を刺す。刺した後は一目散に逃げていく。弱っているとはいえ正面に対峙するわけだから怖いだろうね。
これは都合3人が行う。牛は肩から背中に6本の剣を刺されたままで闘牛士に向かうことになる。
あとは闘牛としてよく見る場面だ。ひらりひらりとかかってくる牛を躱している。
闘牛士が剣を刺さないまでも、力が尽きて牛は倒れる。すぐさま別の闘牛士の衣装を着た男が出て来て短剣でとどめを刺す。
とどめを刺すと3頭立ての馬が出て来て、牛の首にチェーンを巻いて引っ張て行く。牛の後ろには箒を持った男が付いて、血の跡が目立たないように「と思う」地面を掃いていく。
 何回やったら終わりになるか分からないが、2頭が殺される場面を見て、もう帰ろう、と帰ってくる。
 人間が食べるものは、動物であれ植物であれ殺してから食べる。とはいえこれはなぶり殺しみたいなものだ。馬に乗って槍で刺すなんて思わなかった。
5月27日 帰国
 進藤さんは心配性だ。当初イベリア航空とカタール航空の乗り継ぎのための時間は2時間40分あった。
それがイべリヤが20分遅れ、カタールが20分早まり、マドリードでの乗り継ぎのための時間は2時間になってしまった。2時間あれば大丈夫だと思うのだが、イべリヤが遅れたり、預けた荷物がなかなか出てこなかったりすれば、間に合わなくなってしまうと心配している。
飛行機をキャンセルして列車で行くことにする。1等車で92.2ユーロ/人。
マドリード空港にはカタール航空の出発3時間目に到着。
第73報終わり
2019年5月 スペイン旅行日程表
  5月13日(月)  成田発  22:20   ドーハ着  04:10   QR0807
5月14日(火)ドーハ発 09:00   マドリード着 15:30  QR0149
マドリード発 18:05 アルメリア着 19:15  IB8588
アルメリア 2泊  Barcelo Cabo de Gata Hotel
5月16日(木)グラナダ 3泊  Hotel Santa Isabel la Real
5月19日(日)マラガ 3泊  Exe Malaga Museos
5月22日(水)コルドバ 2泊  Hotel Cordoba Center
5月24日(金)セビリヤ 3泊  Sevilla Congresos Hotel
5月27日(月)セビリヤ‐マドリード 列車に変更
5月27日(月)マドリード発 16:45  ドーハ着 00:45   QR0150
5月28日(火)ドーハ発  02:10   成田着  18:40   QR0806

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