インド

2019年2月18日~3月2日  

2月18日
 今回は、ユーラシア旅行社主催の“インド悠久文明の旅13日間 15の世界遺産を巡る旅”というツアーに個人参加。総勢17名。夫婦3組、姉妹1組の他は個人参加。男8名、女9名。
 成田発11:40のエアーインディアでデリーに向かう。飛行時間9時間半。デリーから国内線でムンバイへ。ムンバイのホテルには24:15に到着。時差も3時間半あるので非常に長い旅となる。
2月19日 ムンバイ
 ホテルを7:40に出発して港に向かう。途中スラム街の横などを通るが、ムンバイは他の街に比べて裕福に感じられる。タクシーが小さいながらも四輪が多いのだ。他の街では圧倒的にバイクを改造した三輪が多い。
スラム街
四輪タクシー タクシーは全て黄色と黒に塗られている
 自動車メーカーのスズキはインドでは圧倒的なシェアーを持つというが、ヒュンダイの方が多く見られる。トラックは殆どタタ。
エレファンタ島
 ボートで1時間ほどでエレファンタ島。船着き場から7〜8分で登りとなる。1000段近い階段を登って行く。椅子の両脇に棒を取り付け、4人で運ぶ商売もある。
 石の山の側面から掘り進みシバ神を祭ってある。最初から最後まで付いているガイドの名前もシバ。シバさん曰く「掘るのは前から後ろ、上から下へと掘っていきます。」至極もっともな話だ。
お釈迦様のようだがこれもシバ神
 17:00出発の飛行機でオーランガバードへ。18:20にホテルに到着。夕食時にアルコールなし。何かの記念日でアルコールは出せないと言う。また州によってはアルコールが全面禁止のところもあるそうだ。
2月20日 エローラ石窟寺院群
 エローラはオーランガバードから車で1時間ほどで、全部で34の石窟寺院がある。石窟には番号が振ってあり1〜12窟が仏教(5〜7世紀)、13〜29窟がヒンズー教(6〜10世紀)、30〜34窟がジャイナ教(9〜12世紀)。全部で500年以上かかっていると言われている。
 よくヒンズー教徒が仏教の石窟を壊さず、ジャイナ教徒が仏教やヒンズー教の石窟を壊さなかったもんだと感心する。大体宗教は排他的であるから、十字軍が出来たり、いまではイスラム教徒が中央アジアで仏像を壊したりしている。
エローラ石窟寺院群の入り口
第10窟 お釈迦様
第16窟 カイラサナータ寺院(ヒンズー教)
 カイラサナータ寺院は天井がない。上から下へと掘り下げたもの。ただただすごいなと思うが、材料はそこにある石だけ。特別な材料は必要ない。鑿とハンマーの道具だけあれば良い。もちろんめちゃくちゃな時間と美的センスは必要だ。
オーランガバード石窟寺院に寄る。仏教遺跡との事だがエローラよりも規模も出来具合も落ちる。
ビービー・カ・マクバラー
 ムガール帝国の皇帝オーラングセーブの第一妃の廟。息子のアーザムが建てた。タージマハルをモデルに1/3の大きさで建設。大理石はお墓の周りとドームのみ。他は漆喰。Wikipediaで調べてみると“貧乏人のタージ”との愛称があるという。この記述には思わず笑ってしまった。
貧乏人のタージ
 ちなみにオーランガバードとはイスラムのオーランガセーブが建てた街と言う意味だそうだ。バードが付くのは皆イスラムが造った街。ヒンズーではなんとかプールとなるそうだ。たとえばジャイプールはジャイが建てた街と言うことになる。
ワインショップ
 昨晩はアルコールがなしだったので、ホテルのそばのワインショップにシバさんに連れて行ってもらう。店は小さく間口4m奥行き10m程。ワインの他にビールやウィスキーも置いてある。
インド産白ワイン950ルピー、インド産赤ワイン1100ルピーと高い。 私設両替商のシバさんのレートは5000円で2970ルピー。 このレートで計算すると白ワインは1,600円、赤は1,850円となり高い。 後日購入したオーストラリア産のJacob’s creekの白ワインは1700ルピー。 2850円となる。日本では1000円しない、3倍だ。この前行ったチェコのスーパーでは5ユーロで売っていた。
アルコールの税金が高いんですよとシバさんは言う。インド産白ワインはめちゃくちゃ甘く、参った。飲んだら血糖値がグンと上がりそう。でも捨てるのはもったいないので少しずつ飲むようにした。
2月21日 アジャンタ石窟寺院
 5:00モーニングコール、6:00出発。アジャンタ石窟寺院には9時の到着。駐車場で小型のバスに乗り換え入口へと向かう。
 渓谷の馬蹄型をした岩壁に掘ったもので仏教遺跡。第1窟から第30窟まである。
 第1窟は5世紀ごろの制作。壁画が残っている。第10窟は紀元前2世紀の制作だが壁画は5世紀に書かれたという。番号は年代順とかでなく入口に近い方から順番に付けられている。
石窟内壁画
第26窟 涅槃仏
石窟がずらりと並んでいる
13:15にブサヴァル駅到着。今もガンジーさんは敬愛されていて駅の壁画に書かれている。1869年生まれだから生誕150年だ。
いつ来るとも分からない列車は14:40にやっと到着。15:30に出発。2等席は寝台車。上段が指定であったが、下段が空いていたので腰掛けたり寝そべったりして過ごす。21:30にボパール駅到着。22:15ホテル着。
2月22日 ビンベトカ
 ホテルを8:00に出発。小高い丘の上にある遺跡ビンベトカには10:45に到着。巨石の肌に動物の絵や狩りの様子などを描いたもの。白い絵は5000年前、赤い絵は3000年前に描かれたとされている。
ビンベトカ遺跡入口
5000年前の絵
3000年前の絵
サーンチー
 14:10にサーンチー遺跡に到着。Wikipediaによると、インドを初めて統一したアショーカ王はお釈迦様の遺骨を8400か所の卒塔婆に安置した。紀元前3世紀ごろ。そのうちの8か所がサーンチーにあり、3か所が現存している。今残っているのは紀元前後に改修された卒塔婆。直径36.6m、高さ16.5m。
 今日の宿はボパールのコートヤード・バイ・マリオット。添乗員の松浦さんは素麺を茹でて出してくれる。最後にミネラルウォーターで洗ったから大丈夫ですと言っている。
 マリオットではビールの小瓶が520ルピー。900円近い。ワインもそれなりに高い。人を馬鹿にしているからいらないと言って、アルコールは飲まなかった。 料理もノービーフ、ノーポーク。肉は鳥だけ。生野菜、皮をむいた果物も危ないというので食べられるものは少ない。
サーンチー遺跡 卒塔婆
2月23日 カジュラホ・ダンスフェスティバル
 7:45ボパール駅出発。また鉄道の旅だ。前回と同じく2等寝台車。 こちらのポーターさんは力持ちだ。20㎏程のスーツケースを2個頭の上に乗せて、1個を手に持って階段を登って行く。
力持ちのポーターさん
12時頃ジャンシー駅到着。ここからはバス移動。
 17:30にラリット・テンプルビュー・ホテル着。このラリットは元王宮でこの地域最高のホテルというがたいしたものじゃない。バスタブはないし、シャワーの上に90Lほどのタンクがありここに湯が入っていると言う。このタンクが空になったら湯は出ませんとも言う。私は1人部屋だからいいがカップルは足りないんじゃないかと思う。
19:30からダンスフェスティバル。カジュラホの世界遺産の寺院をバックにしてのダンスだ。
 ダンス会場の横には夜店が並んでいる。年を取ると派手な物を身に付けたくなり、オレンジ色のマフラーを購入。絹とカシミヤの混紡と言っていた。15ドル。パシミヤの物が30ドル。今まで何回かパシミヤのマフラーを買ったが5ユーロとかそういうものばかり。30ドルは高いなと思い買わなかった。
あとでガイドのシバさんに“ところでパシミヤとは何ですか”と聞いてみた。カシミヤはカシミール地方の山羊の毛ですが、パシミヤはその山羊のノドの毛のことです。繊維が細くとても柔らかく暖かいのです。ですからとても高く何万円も何十万円もします、と言う。
今まで買っていたパシミヤは全て偽物だったのだ。オレンジ色のマフラーをして家に帰ると、奥さんが“何その派手なマフラーは、売れないフォークシンガーみたい”と大笑いをする。
夜店
売れないフォークシンガー?
2月24日 カジュラホ寺院群
 モーニングコールが5:30。ホテル出発が6:40と早い。7時過ぎにはカジュラホの西寺院群入り口に着いてしまう。
カジュラホの寺院群が世界遺産に登録されている。東寺院群、西寺院群と別れている。何といっても有名なのが西寺院群の寺院の壁の彫刻だ。かなりの数のセックス場面が彫られている。中には獣姦としか言えないものもある。
カジュラホ寺院群
寺院群も見てから9時に出発してベナレスへ向かう。当初カジュラホ-ベナレス間は飛行機の予定だった。その飛行機がキャンセルになりバスで移動することになった。10時間で着くだろうと言っていたのが、結局12時間かかりベナレスのホテルには21時の到着となる。今朝早かったのは飛行機のキャンセルのせいなのだ。
2月25日 体調
 生野菜は食べない、果物も自分で皮をむいたもの以外食べない、と気を付けているので腸の調子は悪くない。ただ胃が痛くなってきた。ツアー仲間のおばさんは“それは香辛料のせいですよ”と言う。
かかりつけの医者に行った時に“先生、外国に行くので睡眠導入剤を出してください”とお願いをする。どこへ行くのか尋ねるからインドと答える。“インドはお皿から汚染されているからこの薬を持って行きなさい”と整腸剤と抗生物質をくれた。
腸の調子はいいけれど、胃薬はないから医者のくれた薬を飲んでみた。すると胃の痛みは消えた。人には言えないけれど、痔の調子が悪くなったのも香辛料のせいかもしれない。
ベナレス
 今日のモーニングコールは4:45、ホテル出発は5:30。ガンジス川の沐浴風景を水上より見物。どう見ても沐浴している人よりも観光客の方が多い。川沿いにある火葬場の横にも船は行くが、シバさんは火葬場の写真は撮らないでくださいと言う。
沐浴場への道が階段状になっている。1段1段は幅広い。階段中ほどに素っ裸の男性が座っている。体中に灰をまぶしている。ジャイナ教徒という。面と向かって見るわけにもいかないが包茎だ。ドイツ人も包茎ばかりであったがインド人もそうか。こればかりはシバさんにも聞くわけにはいかない。
Wikipediaでジャイナ教を調べてみると、教義は次の5つだ。
1 生き物を傷つけない。
2 虚偽の言葉を口にしない。
3 他人の物を取らない。
4 性行為を一切行わない。
5 何物も所有しない。
4の性行為を一切行わないのが包茎の原因か。またこの行為を行わないと子供が出来ないから、ジャイナ教信者はすぐに途絶えてしまうと思うが、何世紀も経った今にも信者がいるということは行っているのだろう。
ガンジス川沐浴風景
サルナート
バスでサルナートへ移動。サルナートは仏教の聖地のひとつ。ムルガンダクティー寺院の内部には日本人画家野生司香雪(のうすこうせつ)のお釈迦様の壁画がある。遺跡公園には紀元前3世紀のダメークストゥーパがある。高さ34mだが上半分は13世紀にイスラム教徒によって壊されたので修復したという。
寺院内部壁画
ダメークストゥーパ
ベナレス空港よりアグラヘ向かう。飛行場には我々の他3組の日本人団体がいた。
アグラ城
 16時にアグラ城到着。ここはムガール帝国時代の要塞。外部は赤い砂岩で出来ているが、内部には大理石なども豊富に使用されている。
アグラ城入り口付近
城内からタージマハルが良く見える。
 その後黒いタージが出来る予定だったマターブ・バーグへ行き、タージマハルを裏側から見る。
 ホテルでの夕食時に、ワインを頼んで余ったら持って帰ってもいいかと聞くとOK。赤ワインを頼む。3200ルピー、5400円程だ。やはり甘い。アルコール好きには適していない国だ。
アグラ城から見たタージマハル
裏側からのタージマハル
2月26日 タージマハル
 ホテルより大型バスで駐車場に入り、ここで小型の電動バスに乗り換えてタージマハルの門へと行く。
Wikipediaを見ると、タージマハルはムガール帝国の第5代皇帝が亡くなった奥さんの霊廟を白い大理石で建てたもの。 また第5代皇帝は自分の霊廟をタージマハルのすぐ際を流れているヤムナ川の対岸に黒大理石で作ろうと思ったが実現しなかった。その場所が昨日行ったマターブ・バーグ。第5代皇帝は息子の第6代皇帝にアグラ城に幽閉されてしまった。これが黒大理石の霊廟が出来なかった理由だろう。
タージマハル入口
タージマハル 正面から
ファテープル・シークリー
 ファテープル・シークリーはアグラの40㎞程西にある。ムガール帝国第3代皇帝がアグラからここに遷都する。暑く、そして非常に水の便が悪いので14年間だけの都に終わる。
ファテープル・シークリー
階段井戸
 夕方にチャンド・バオリに到着。ここには8〜9世紀に造られた井戸がある。階段状になっていて、階段数は3500。深さ20m。上部は36m×36m。インドの乾燥地帯では地中深く掘らないと水は出ないという。また下の方は涼しいので王の部屋、妃の部屋もあるという。
 誰でも水を汲めたというが迷路のようで間違うと上がってこられない。ここだけでなくインドのあちこちに階段井戸はあるもよう。ここは世界遺産ではないが“女王の階段井戸(Rani Ki Vav)”は世界遺産に指定されているという。
階段井戸 アーチ状の空間の奥当たりが王の部屋?
 ここから95㎞、2時間かけてジャイプールへ。ジャイプールのホテルラディソンBLUには19:50の到着。毎日長時間の移動だ。でもバスが大きく一人で2座席使えるのでそれだけ楽だ。
2月27日 ジャンタル・マンタル
 ホテルを8:30に出発して、1,799年に建てられたという“風の宮殿”を外観のみ眺める。王妃や後宮の女性たちが顔を見られずに街の様子を窓から眺めるためという。
 ジャンタルは機械、マンタルは計測という意味でジャンタル・マンタルは計測する機械という意味になり、実際には天文台。ムガール帝国の18世紀前半にジャイプール藩王国のジャイ・シング2世は王様であると同時に科学者でもあった。首都をアンベールからジャイプールへ移しそこに巨大な日時計をはじめ天文台を設けた。
風の宮殿の窓
ジャンタル・マンタル
シティーパレス
 シティーパレスはジャンタル・マンタルを造ったジャイ・シング2世が造った宮殿。今でも藩の王様は住んでいるらしいが多くは博物館となっている。 宮殿入口に対でおかれている銀の壺は、藩王がイギリスに行くときにガンジス川の水を入れ沐浴に使ったという。壺の重さは345kg、容量4,091Lという。 世界最大の銀製品としてギネスブックに載っているという。
通路の左右に銀の壺が置かれている
 王族の衣装などを飾ってあるテキスタイル博物館、武器の博物館などは撮影禁止だった。中庭に入るのに4つの扉がある。どれもきれいな装飾が施されている。
中庭から見た孔雀門
 バスまでは3輪タクシーで移動。外国人とみて値段を高く吹っ掛けられたらしく、シバさんと運転手との交渉がなかなかまとまらない。3分ほどかかってから“もういい、皆さん歩きましょう”と言って歩き始めるとようやくまとまる。
3輪タクシー ムンバイの4輪タクシーは珍しいほう
アンベール城
 3輪タクシーからバスに乗り換えてアンベール城の駐車場へ。駐車場で4輪駆動車に乗り換えてアンベール城へと行く。城は山の上にある。周りにある山には城壁が延々と続いている。行ったことはないが万里の長城みたいだ。望遠レンズを使って沢山の写真を撮るので、中国へ行くとスパイと間違えられて拘束されてしまうのではないかと思い、中国へは行かないにしている。
インド人は色が黒いが彫りが深く美人が多いと聞いていた。でもそんなに多くはない、日本並みだ。アンベール城内で美人を見かけたので写真に撮ってみる。
アンベール城 月の門 門の入り口から向こうの山の頂上に城壁が見える
同じくアンベール城
アンベール城内で見かけた美人(まだ若い、高校生か)
 水の宮殿を車窓から見ながらホテルへ。
水の宮殿
 水の宮殿は実際には5階建てだそうだ。湖は人造湖で乾季の時には水位下がり藻で汚れた姿も見せるらしい。
 ホテルを18:30に出発してジャイ・マハール・パレスという宮殿ホテルで夕食。夕食の前に民族舞踊を見る。頭の上に壺を乗せ踊る。最大6個まで壺を乗せる。
民族舞踊 壺ダンス
2月28日 クトゥブ・ミナール
 7:15にホテルを出て昼頃デリーに到着。
クトゥブ・ミナールはインドにある世界最高の尖塔。1200年頃に北インドを支配したトルコ系イスラム王朝が建設。以前は尖塔の頂上まで登れたようだが、1981年12月に内部の照明が切れ、パニックになった修学旅行中の女生徒が階段で折り重なり十数名が死傷する惨事となった。この事故以来内部への立ち入りは禁止となる。
フマユーン廟
 ムガール帝国第2代皇帝のフマユーンの霊廟。インドにおけるイスラム建築の傑作といわれている。
クトゥブ・ミナール
フマユーン廟
インド門
インド門を車窓から眺める。要するにそばの道を通りすがっただけ。例によってWikipediaを見てみる。第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士、8万5千人を追悼するために造られた。高さ42mのアーチには戦死したインド人兵士の名前が刻まれている、とある。
すごい人だかりだけど何か特別な記念日とかではないようだ。天気の良い日にはこのくらいの人出があるそうだ。
インド門
 ホテルには18:00に到着。
夕食は定番のバイキングではなくレストランでタンドリー料理。タンドリーチキンはチキンをヨーグルトに漬けこんで香辛料をまぶして、タンドゥールという窯で焼いたもの。焼いてあるから水分が少なくぱさぱさしていて、私は好きではない。
3月1日 インド鉄道
 2回鉄道に乗った。2等寝台であったがすいていたのでまあまあ快適に近く乗っていられた。インドの鉄道は、イギリスの植民地であったので運行距離は長い。総延長64,000㎞(アメリカ、ロシア、カナダ、中国に次ぐ4位)。綿花、紅茶、石炭を運ぶためムンバイ-ターネー間に1853年に敷設されたのが最初。日本よりも19年早い開業だった。
デリーの高架鉄道
ラクシュミー・ナラヤン寺院
 8:30ホテル出発で1時間ほどでラクシュミー・ナラヤン寺院に着く。インドの大財閥の建立のヒンドゥー教寺院。内部は撮影禁止。
ラクシュミー・ナラヤン寺院外観
赤い城(Red Fort、Delhi)
 赤い城には11時頃の到着。赤い城というとアグラ城を指す場合もあるらしい。デリーの赤い城はムガール帝国第5代皇帝がアグラから遷都し築いたもの。アグラ城と同じ赤い砂岩で出来ている。
面積は広大で敷地内にはイスラム様式だけでなくイギリス様式の建物もある。(1857年のインド大反乱の時にイギリス軍が駐屯地として接収した、とWikipediaに記されている)
 ラホール門内には通路の両側に土産物屋が並んでいる。城として使われていた時には宮廷の女官たちのショッピング街であったともいう。城内に店屋が並んでいたなんて他にはあまり聞かないね。
赤い城
美人 その2
赤い城内のイスラム建築 貴賓謁見殿
国立博物館
 4時半頃国立博物館に到着。日本語オーディオガイドで館内を廻る。16時までの自由行動であった。オーディオガイド通りに廻ると1時間半では少し足りない。
 ヒンドゥー教関連の物が当然多いが、イスラム教、仏教の展示物も多い。
黄金のお釈迦様
帰国
 17時近くにデリー空港到着。21:15のフライト予定が6時間遅れているという。インド-パキスタン紛争のためという。軍の都合だそうだ。それでは誰も何も言えないね。
食べ物は辛いし、空気は汚いし、アルコールについては後進国もいいところだし、もう来ることはないだろう。
第72報 終わり
日程
 2月18日(月)  成田発  11:30    デリー着  18:00  AI307
デリー発  20:00   ムンバイ着  22:15  AI805
THE LALIT MUMBAI 泊
2月19日(火)エレファンタ島石窟寺院観光
ムンバイ発 17:00 オーランガバード着 18:10  AI442
LEMON TREE 泊
2月20日(水)エローラ、オーランガバード石窟寺院観光
ビービー・カ・マクバラー観光
LEMOM TREE 泊
2月21日(木)アジャンタ石窟寺院観光
列車にて移動 ブサバル発 15:30  ボパール着 21:30
CORTYARD BY MARRIOTT 泊
2月22日(金)ビンベトカ、サーンチー観光
CORTYARD BY MARRIOTT 泊
2月23日(土)列車にて移動 ボパール発 7:45 ジャンシー着 12:00
カジュラホ・ダンスフェスティバル観光
THE LALIT TEMPLE IEW 泊
2月24日(日)カジュラホ観光
バスにてベナレスへ12時間(飛行機がキャンセル)
CLARKS VARANASI 泊
2月25日(月)ガンジス川沐浴風景観光、ムルガンダクティー寺院観光、ダメークストゥーパ観光
ベナレス発 12:10 アグラ着 13:20    AI406
アグラ城観光 タージマハル裏側観光
JAYPEE PALACE 泊
2月26日(火)タージマハル観光、ファテープル・シークリー観光、階段井戸観光
バスにてジャイプールへ移動
RADISSON BLU 泊
2月27日(水)ジャンタル・マンタル観光、シティーパレス観光、アンベール城観光、
民族舞踊観光、車窓から風の宮殿、水の宮殿観光
RADISSON BLU 泊
2月28日(木)バスでデリーへ移動
クトゥブ・ミナール観光、フマユーン廟観光、車窓からインド門観光
VIVANTA BY TAJ DWARKA 泊
3月1日(金)赤い城観光、国立博物館観光
3月2日(土)デリー発 03:00  成田着 13:30   AI306

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