韓国 仁川(オリンポスホテル)

1996年9月21日~23日  

また仁川になってしまった
 日本旅行への申し込みは東海(日本名は日本海)側の束草市の雪岳山の雪岳パークホテルにしたのだが、ソウルから束草までの飛行機が取れず陸路バスで5時間かかるというので、同行者から大ブーイングが出てしまい、5日前に仁川オリンポスホテルに変更した。
 “束草には日本人がたくさん行くの。”と日本旅行の担当者に聞くと、“日本人はそんなところに行かないですよ。全部韓国の人ですよ。”との返事。
雪岳山は北朝鮮からつながっている太白山脈の一部で韓国の人たちの大好きなところだそうだ。そういえば南大門市場には登山専門店がいくらでもある。もともと山登りが好きな国民なのだ。
 雪岳パークホテルに行けば韓国のカジノ全部まわった事になるのに残念だ。また北朝鮮の潜水艦が座礁した江陵は車で1時間位のところだ。潜水艦を見て、ひょっとしたら銃撃戦も見れたかもしれない。
“でも仁川に変更したのは正解だよ。雪岳山だったら外出禁止だったり、流れ弾に当ったりするかもしれない。”とうちの奥さんみたいなことを言うのは前回と引き続き参加の中村さん。金物問屋の宇恵野さん、金物屋の高橋さん、板金屋の齋藤さん他3名で、計8人の大グループだ。
オドウ山統一展望台へ行く
 2泊3日なので中1日の観光しかない。オドウ山統一展望台へ行く。タクシーをチャーターし中村さんと2人。板門店が土日のため予約できずここにした。板門店とは地図を見る限りそんなに離れていない。他の展望台と違って民営ということだがやはり軍人が警備している。
 統一展望台とは北朝鮮を見ながら統一を願って欲しいということらしい。仁川より車で2時間。展望台は当然山の上にあるが、タクシー、自家用車は山の麓の駐車場止まり。駐車場より無料の専用バスに乗って展望台まで行く。展望台の料金はW1,200(¥150)。
 建物の中には北朝鮮の衣類、日用品の展示場がある。屋内展望室もあるが、屋外の双眼鏡にて北朝鮮を覗いてみる。展望台の下は川でその向こうが北朝鮮。3階建て、4階建てのしゃれたアパート風の建物がたくさん建っている。日本人は私たちだけかと思っていたが4~5人のグループが来ていた。そのガイドが言うには、見せ掛けだけで誰も住んでいない。そういえば人影は見えず、天気もいいのに洗濯物も干してない。
 帰りは来た道と違って川沿いを走る。この川の向こうは韓国の金浦郡だが、川に沿って有刺鉄線つきのフェンスが続き500m置きに軍の監視所がある。
 ベルリンの壁が壊されたとき私は娘に予言した。北朝鮮も金日成から息子の代には行かないんじゃないか。その前に崩壊するだろうと。でも北朝鮮の金王朝はまだ続いている。私の予言はみごとに外れた。
タクシー運転手にピビンパップを食べたいと言うと、理解したらしく何軒か捜してくれたがいい店がないらしく、しばらくたってあと30分でオリンポスホテルに着くと時計を指す。運転手は日本語が出来ず、私たちは韓国語が出来ないので、運転手は早くホテルに帰りたかったらしい。タクシー代W80,000とチップにW10,000払う。
オドウ山統一展望台
展望台にて 後ろは北朝鮮
第1回夕食
 第1回夕食。前回行った何十軒もの刺身屋が集まっている刺身センターへと思っていたが、ホテルの入り口で前回市内観光をしてくれた鄭さんとばったり会う。鄭さんは刺身センターより月尾島の方が良いと譲らず、月尾島へ連れて行かれる。お店は大きいが刺身がなかなか出てこず不満であった。ヒラメ、メバル、蛸の刺身を頼む。蛸の刺身はいつまでも動いていて皿に吸盤でくっついてなかなか取れない。口の中でも頬の内側にくっついたりする。前回は醤油、わさびがなかったので日本から持ってきた。みんなに好評であった。約W40,000/人。
第1回昼食
 第1回昼食。オドウ山統一展望台から昼食抜きで14:15頃ホテルに戻った。中村さんがラーメンが食べたいというので、ピビンパップはあきらめる。駅のそばならラーメンがあるだろうと思い歩く。ホテルから仁川駅まで5分もかからない。鹿児島駅より西鹿児島駅のほうが賑やかなように仁川駅よりも東仁川駅のほうが賑やかなようだ。
 路地の中に中華料理の看板を見つけ入っていく。“ラーメン出来ますか?”と聞くと黙って手を振られた。2軒先にも中華料理屋があったので聞くと、“ラーメンありますよ。”と日本語で返ってきた。ラーメン、ギョーザ、キムチ、ビールを頼む。2人でW16,000。
仁川駅
第2回夕食
 第2回夕食。韓国に来て骨付きカルビを食べないで帰るわけには行かない。やはりタクシーで焼肉料理屋に連れて行ってもらう。カルビとニンニク、キムチをサンチュ(サニーレタスみたいな物)に包んで食べるのはおいしい。皆良く食べる。肉は倍頼んでいるのに、ご飯、レーメン、カルビタンなども頼んでいる。ご飯、レーメンはパスしてカルビタンだけ少し分けてもらった。日本語は全く通じない店で、お茶、チャ、チャイ、ティーとお茶らしき言葉をならべるがお茶は出てこなかった。
 ある本によると、お茶はチャ、チャイ、ティーの3つで全世界に通じると出ていたがここでは駄目であった。もっとも韓国のお茶はトウモロコシを焼いてお湯をかけたような味がして私は好きではない。ビール、真露共で、みんなでたらふく食べてW200,000。
カジノ
 さて本題のカジノだがようやく勝ちました。このオリンポスホテルはこじんまりしていて客もそんなに多くなく静かで雰囲気のいいカジノだ。ディーラーは美人ぞろいで無口。“ウォーカーヒルのディーラーはチップ、チップとうるさいし、マカオはおばさんばかりでうわっぱりを着ていて、掃除婦がカードを配っているみたいだ。“と言ったら皆大笑いをしていた。“いい雰囲気のカジノでもお客さんに少しは勝たせないと誰も来なくなるよ。”とも言っておいた。
 ルーレットは2日挑戦して惨敗。ブラックジャックも初日は駄目だった。2日目もパットせず、手持ちのポーカーチップがなくなったら寝ようと思っていたがなくならず続行。このとき24:00。
 ここから少しずつついてきた。W250,000を置くと駄目だと言う。マキシマムはW200,000だと言う。そんな馬鹿な、W500,000がマキシマムじゃないかと言ったら、今替わったと言う。ずるいよね。これは負けてなるものかと気合をいれ眠気を飛ばし、2箇所に賭けていった。共にマキシマムのW200,000ずつ置いてある。1箇所目のカード合計は10、2箇所目のカード合計は9、ディーラーの表札はと見ると6。これはチャンスだ、ダブルを宣言する。ダブルにすると賭け金は倍に出来るがカードは1枚しか引けない。
 でも手持ちのポーカーチップはW400,000もなく、財布の中を見ても足りるだけはない。まだ隣にいた中村さんに1万円を借り何とかポーカーチップを揃える。ゲーム再開したが狙い通り私の勝ちだった。
 これ以降少しずつ増えていって6時5分前に両替すると38万円になった。あっちのポケット、こっちのポケットから今までウォンに両替した伝票を引っ張り出し集計すると37万円だった。1万円稼ぐのは大変だ。たった1万円でも勝ちは勝ち。マレーシアのゲンティンハイランド以来の勝ちだ。部屋に戻るとモーニングコールが鳴っている。徹夜だなんて、我ながら呆れている。
日本に帰ってきてからが大変だった
 韓国ではいい天気だったのに日本では台風が通過していた。台風の影響で建物の修理依頼が100件近く入っている。私の仕事は屋根工事業だ。でも住宅は少なく工場、倉庫、店舗がメイン。もう2週間近くたったがまだ増えていて100件は軽く超えてしまった。
“おい儲かっていいな。”と人は言うがとんでもない。
1年以内に完成した物件ではお金を支払ってくれない人もいる。災害で困っている人につけ込む訳にもいかない。新築の工程もめちゃくちゃになるし、本当に台風には困ったものだ。

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