チェコ、スロバキア、ウィーン

2017年11月14日~12月6日  

今回は進藤さんとの…
二人旅。JALのマイルが貯まったので、さあどこへ行こうかと考えたときに、しばらくチェコに行っていないなと思い、進藤さんを誘いチェコに行くことにする。
 飛行機は英国航空。本当はJALのファーストがいいのだけれども、これはなかなか取れない。英国航空なら希望の日に取れるし、プラハまで同じマイルで行ける。ただ往きにロンドンで6時間の待ち時間がある。これが唯一の欠点。
 進藤さんはアライアンスアが違い、全日空系のスターアライアンス。今回はスイスエアーに乗るそうだ。プラハのホテルのディプロマットには私より3時間早く着いている。私のディプロマット到着は22:30。タクシーではなくホテルに車を手配してもらう。550コルナ(3,000円ほど)。
11月15日 ストラホフ修道院
 8:30の出発。ホテルの1階でトイレに行き多少時間を取ってしまう。進藤さんを待たせてしまって申し訳ないと小走りに走る。肩に片側掛けにしていたカメラのストラップが滑り、カメラがロビーの床に落ちてしまった。
カメラはニコンの一眼レフD800。レンズは大丈夫だったが、右上の液晶部のガラスが割れ液晶表示が出来なくなってしまった。またそのそばのストラップの留金具がついている当たりのカメラ本体部にヒビが入ってしまった。でも写真は何とか撮れそう。ただ液晶部が壊れてしまったので細かい調整はできない。
 ホテルから地図を片手にストラホフ修道院を目指す。途中にある家々では軒下にびっしりの薪を蓄えている。道を尋ねるのは、英語が堪能な進藤さんの役目。修道院には9時半頃に到着。
さっそく直営のビヤホールへと行く。早いせいか他の客は誰もいない。もう営業しているかと聞くとOK。私は3種飲み比べを頼み、進藤さんは1種だけに挑戦する。
すぐ横のペトシーン公園にあるタワーにも昇る。2005年にはなかったエレベーターが付いており楽に昇れるようになる。
軒下に蓄えられた薪
ビール3種飲み比べ
ストラホフ修道院の庭からの眺め
ペトシーン公園タワーからの帰り道から撮ったカレル橋
旧市街から王宮へ
カレル橋を渡って旧市街に。相変わらずの人出。屋台のプラハハム、ジャガイモで昼食。プラハハムは豚肉の塊を棒に刺し、火の上で回転させ焼いたもの。屋台のそばに小さなテーブルがありそこで食べる。プラハハム、ジャガイモ共に量り売り。少なくていいよ、と言っても大きく切る。
時計台の13時の時報を見てから、またカレル橋を渡り坂道を登って王宮へと行く。今日は無料のところだけ見物。
 ホテルには16時ころの到着。今日は、ペトシーン公園のエレベーター以外は、何も乗らずにすべて歩き。相当な歩数を歩いたはずだ。ああくたびれた。
王宮内 聖ヴィート教会
カジノ・アドミラルボヘミヤ
 18時前の出発でカジノ・アドミラルボヘミヤへ行く。今まで何回も通ったカジノだ。ホテルの前の地下鉄A線に乗り、途中C線に乗り換えて行く。地下鉄の券売機はチェコ語、ドイツ語、英語を選べる。英語を選択して切符を買おうとすると、シニア割引がある。60歳〜70歳は半額だ。まてよ70歳以上はどうなるんだと思うと、なんと只なのだ。
 切符は30分、60分、24時間の3種類ある。以前売っていた3日券などはない。その時間以内なら地下鉄、トラム(路面電車)、バス(トロリーを含む)すべてに有効だ。だから私はプラハ市内のすべての公共の乗り物が只というわけだ。
 C線のヴィシュフラトで降り、コングレスセンター内のカジノ・アドミラルボヘミヤへと行く。中に入ると何かが違う。テーブルゲームがないのだ。スロットばかりになっている。
ここは飲み食い只なのだ。実をいうと、夕食はここで食べるつもりだった。何もしないで只食いするわけにはいかない。そうそうに引き上げる。
ディプロマットの隣にスーパーが出来ている。ビール(500cc、350ccは見かけない)3本、白ワイン1本、サラダ100g2パックを購入。これが今日の夕食となる。ビールは100円程度、ワインは300円くらいからあるが500円も出せば上等なものが買える。ちなみに日本では1,100円ほどで売っているオーストラリアのジェイコブスクリークのシャルドネが500円ほどで売っていた。
11月16日 ジュジャール・ナド・サーザヴォウ
 ディプロマットの1Fにハーツレンタカーが入っている。ここでベンツのBタイプを借りる。ベンツでなくてもいいのだが、オートマチックを借りると必然的にそうなる。
 8:30頃の出発でチェコ中央部にあるジュジャール・ナド・サーザヴォウを目指す。ここには、上から見ると五つの鋭角の角を持つ(星形)の教会がある。以前東京駅前の切手ビルの地下で、チェコ祭をやっていた時に貰ったパンフレットに出ていたのだ。それを見て行きたくなった。
 カーナビを頼りに行くのだが、これが当てにならない。細かい住所を入れないとたどり着かない。でも教会だの、古城だのの住所はどこにも載っていない。村まではたどり着けるのだが、その先は進藤さんに頼るしかない。進藤さんがあちこちで聞いてきてくれる。11:30頃の到着。
 カーナビメーカーも、皆スマホのナビを使うので、カーナビを作ることに力を入れない。スマホのナビは、グーグルとかがどんどん更新してくれて、常に最新情報が入っている。カーナビはそうはいかない、やはりすたれてくるだろう。
パンフレット上の教会
ドローンかヘリコプターでないとパンフレットのようにはならない
 階段を登って正面入り口に行くが、塀の門は締まっている。11月からはオフシーズンになり閉鎖しているところが多い。とりあえず一周してみようということで歩き始めると、反対側の門が開いている。でもやはり教会の扉は締まっている。人のいる様子はない。  
 途中丘陵ばかりで、霧が出たり晴れたり多少不安定であった。気温は3℃まで下がることもあった。
クトナー・ホラ
 クトナー・ホラの街に寄る。大聖堂・聖バルボラ教会が有名。他にもペストで亡くなった人たちの骨を使って祭壇やシャンデリア、ピラミッドなどを作ってある教会もあるが、そんなとこ行きたくない、という進藤さんの一言で取りやめになる。
聖バルボラ教会
ディプロマットには19時過ぎに戻る。
11月17日 チェスキーラーイ
今日もレンタカーでチェスキーラーイへ行く。プラハの北東部にある地域でチェコの楽園と言う意味だそうだ。
ここのトロスキー城、フルバスカーラ城が目的地。やはりこの観光地2点ともカーナビは反応しない。ハーツの係員に住所を調べてインプットしてもらう。近所までは順調にいくのだが、それからが大変。とにかく人口の少ない地域なので聞く人を探すだけでも往生する。でも何とかフルバスカーラ城に到着。
ここには駐車場の管理人がいて料金を徴収している。ビッグロックを聞くと、ここのすぐ下。階段を降りていくともう大きな岩だらけ。岩の間が散歩道になっている。
岩の間の散歩道
進藤さんと比較して、岩の大きさが分かる
 駐車場の管理人に聞いてトロスキー城を目指す。駐車場には数台の車が停まっている。城の入口扉は締まっている。扉付近で、チェコで働いている日本人家族と行き合い、少しの時間話をする。
 今日は一日中小雨。一眼レフの液晶部分のレンズが壊れているため、水の侵入を心配して一眼レフは持ってこなかった。コンパクトデジカメで撮影。トロスキー城は霧雨で煙っていて写真に写らない。
 ディプロマットには15時過ぎには戻ってしまう。
11月18日 アンディーズ・ランドロマット
 今日は朝から洗濯。プラハに唯一つ(?)しかないコインランドリーに行く。ランドロマットとは世界で初めてコインランドリーを営業したアメリカ人が名付けたもの。世界的にこの名前が使われている。
 地下鉄A線のナメスティー・ミル駅そばのアンディーズでは、小型の洗濯機、乾燥機はトークンを買ってそれをコイン投入口に入れ稼働させる。大型の機械はオーナーのおばさんに現金を渡し稼働してもらう。それほど高い金額ではない。
はやっている。昨日タイから着いたという3人グループもいるし、待ち時間に観察していると地元民も結構来ている。オーナーのおばさんはかなりいい商売だと言っている。待ち時間に自由に使えるパソコンも3台設置してある。こういう費用をかけてもまだ儲かっているわけだ。
 70歳以上は交通費もタダだし、ビールなどを含めた食料品も安いし、私もランドロマットを開業してみたい気分になった。失敗もした。洗濯機の湯の温度の設定は90℃となっていた。そこへウールのシャツを入れてしまったのだ。最後に取り出した時にはすっかり縮んでいた。
雨上がりで道路が濡れている
バーツラフ広場他
 午後にはA線(B線も通っている)のマステックで降りバーツラフ広場を往復する。バーツラフ広場はチェコの英雄バーツラフの名を取った大通り。この大通りの北の端がマステック駅。南の端がムゼウム駅(ただ地下鉄内の放送では、私にはムゼオにしか聞こえない)。
 進藤さんの希望でヤン・パラフの記念碑を見る。ヤン・パラフはプラハの春の時に、ソ連軍が侵攻してきたのに抗議してバーツラフ広場の南端、バーツラフ像の裏側、国民劇場の前で焼身自殺を遂げた。まだ20歳の学生だった。
ヤン・パラフ メモリアル
バーツラフ広場を北上する。ムゼウムとマステックのほぼ中間に、バーツラフ広場を横断するトラム(路面電車)が走る大通りがある。その大通りの右側奥に黒い塔が見える。あれが火薬塔です、行きましょうと進藤さんを促す。入場料を支払い塔に登っていく。どうも様子がおかしい。火薬塔ではなくStヘンリータワーというそうだ。
 本物の火薬塔へ行く。ここは市民会館とつながっている。市民会館のすぐそばのビルの1Fの喫茶店で休憩。カプチーノを頼む。ケーキもどうかと言われ、チョコレートケーキを頼むが、これは巨大であった。
Stヘンリータワー
火薬塔と市民会館
11月19日 コシツェへ移動
 ディプロマットの朝食にはご飯、みそ汁、各種のおしんこが出ている。ご飯は長粒米で硬くおいしくない。でもみそ汁は結構おいしい。ご飯にみそ汁をかけて食べている。火を通せればおじやになるのだが。
 飛行機はチェコ航空のプロペラ機。プラハ発12:15、コシツェ着13:35。コシツェはスロバキア第2の都市でスロバキアの東部に位置する。南に20kmも行くとハンガリーとの国境、東に80kmも行くとウクライナとの国境になる。コシツェ空港のヨーロッパカーでレンタカーを借り、係員に行先を全てカーナビにインプットして貰う。
 ホテルのダブルトリー・バイ・ヒルトンには15時半頃到着。雨。このホテルにはカジノがあるがスロットのみ。向かいのショッピングモールの3Fにオリンピアカジノがあるのを発見。少しの時間遊んで15ユーロの負け。
このモール内にフードコートがあり、テイクアウトも出来るという。チャーハン1.9ユーロ、野菜付き焼きそば3.4ユーロ。また1Fにはスーパーも入っていてアルコール類を購入できる。ビール500cc2本、ワイン1本、水も買って4ユーロでお釣りがある。
 ホテルの前の道路は広い。コシツェ一の大通りかもしれない。夜になり雨も降ったりやんだりの状態なので、少し歩いてみる。道路の真ん中に教会がある。当然道路はそこで左右に膨らんで分かれ、また一本の道路となっている。
道路の真ん中にある聖エリザベス教会
翌朝起きると外は雪景色
11月20日 バルデヨフ
バルデヨフは中世時代のヨーロッパの要塞都市の姿を今に伝えるとして2000年に世界遺産に登録されている。コシツェから北に70km程のところにありポーランドとの国境も近い。
 ホテルを8時前に出てバルデヨフには10時前に着く。約2時間のドライブだった。
バルデヨフが要塞都市だなんて今初めて知った。行った時には城壁みたいなものは目につかなかったけど。改めて写真を見ていると、教会の塔から撮った写真の一部にそれらしきものが写っている。でも背は低いし厚みもそれほどない。
バルデヨフ 旧市街広場 奥の塔のある建物が教会
 ここの教会の料金は3本建てになっている。入場料2ユーロ、写真撮影2ユーロ、塔に登るのに2ユーロ。6ユーロ払って入場する。
宿はコシツェとバルデヨフの中間にあるプレショフのアンシャンテ。13時頃にはアンシャンテに到着。アンシャンテは木造2F建てのさほど大きくないホテルだが内装はしゃれている。またオーナーも親切だった。
 プレショフはスロバキア第3の街。人口は10万人弱。旧市街を歩いてみる。どこも同じで町の中心に教会がある。教会前の広場にはクリスマスマーケット用の小さな小屋が並んでいる。ただ営業は24日の金曜日からだそうだ。
 夕食のための買い出しをしなければとスーパーを探すが、テスコは廃業している。コンビニに毛の生えたような小さいスーパーを見つけ、ビール、ワインを購入。ビールにはアルコール11%と書いてあるがそれほど強いようには感じない。料理はホテルのレストランからリゾットとパスタを部屋に持ってきてもらう。共においしかった。
 街で目についたのはトロリーバスが多いこと。ディーゼルエンジンのバスも走っているがトロリーのほうが圧倒的に多い。
プレショフの教会
ホテル・アンシャンテ正面とバスルーム
11月21日 スピシュスキー城
プレショフのそばにウッドゥンチャーチ(古い木造建築の教会)がある。オーナーがナビにインプットしてくれる。7:30出発でその教会を目指すがうまくナビが作動せずホテルに戻る。オーナーが何度インプットしてくれてもうまくいかない。諦めてスピシュスキー城を目指す。プレショフからE50を東に行くだけ。スピシュスキー城は丘の上にありすごく目立つ。
Wikipediaによると、12世紀に建てられ300年ほどハンガリー王の持ち物だった。その後何家かの持ち物となるが1780年に火災にあい廃墟となる。1945年にはチェコスロバキア政府が接収し1993年以降はスロバキア政府のものとなる。
9時半頃に城門に到着。11月の営業時間は10:00〜16:00と書いてあるが、その横に大きくCLOSEDと書いた紙が貼ってある。雪が降ってくる。
門の隙間から中を覗くと中年の男性がいる。Helloと叫ぶとそばに来て、もう寒いからClosedしたという。でも1時間ぐらいなら下の方を見て回ってもいいよと言って門を開けてくれる。上の方は滑りやすいから駄目だよとも言う。
 30分ほどで戻ると、おじさんも暇らしく上の方を案内すると言う。一人で留守番しているから誰かと話したかったのかもしれない。
王様の居室やトイレも案内してくれる。トイレは城壁からはみ出していて、排泄物が100m以上下に落ちていく方式になっている。
おじさんと進藤さん
木造教会-1
 今日の宿はルゾンベロク(RUZOMBEROK)。その手前に木造教会があると地図に出ている。実はバルデヨフのそばには沢山の木造教会がある。気づいたのはバルデヨフを出た後だった。
 11時頃にスピシュスキー場を出て、高速道路のパーキングで昼食を摂って木造教会には13時頃の到着。
誰もいないでひっそりとしている。当然ながら扉には鍵がかかっていて中は見られなかった。ぐるりと外を回っただけ。案内板には11月の拝観は10:00〜14:30と書いてはある。でも雪が降って誰も来ないからやはりClosedしているのだろう。
土台に石を使っているが、その上の水切り部分も木でできている。(水切り部分は鉄板(またはステンレス板)が世に存在してからはずっと鉄板(またはステンレス板)が使われている)
 ハラボボ・アパートメント(Apartmany Hrabovo)には14時ころの到着。ここはスキーリゾート用の施設。一部屋で5人まで泊まれる。食器などや炊事用具はあるが食事は出さない。バスタブはあるが、シャワーの使用を想定しているらしく湯の量が少ない。ある程度バスタブに湯が貯まったら、あとは水しか出てこない。
 15時前に近所にあるヴルコリニェツ(Vlkolinec)へ行く。ヴルコリニェツは山の中腹にあり、昔からのスラブ民族の木造住宅が世界遺産になっている村。45軒がその対象。
 雪の中、もっと大雪になる前に改修しなければと屋根工事をしている家もある。
隣の家は屋根改修中
壁は板を貼るのではなく、角材を積み上げて壁にしているよう。窓は二重で外窓と内窓の間に飾りを置いている家が多い。
雨樋も木製
中には写真撮影禁止のマークを掲げている家もある。ルゾンベロクの街のテスコで買い物をしてホテルに戻る。16時頃だが外はもう真っ暗。
木造教会-2
 8時頃の出発で少し北方向にある木造教会を目指す。Lestinyという村だ。
木造教会のそばにある村のiみたいなところに駐車させてもらい木造教会の写真を撮る。外観を撮り終わりiのお姉さんにお礼を言うと、お姉さんは中を見たいですかと聞く。もちろん。
お姉さんは何か所かに電話をしてくれるが、応答はなかった。
すみません、連絡が取れません。
No problem。
Lestiny村の木造教会
木造教会-3
 次はルゾンベロクの街を通り越しE77を南下してHronsekの村へ。木造教会の外観を撮影していると、隣の家からお婆さんが出てくる。
中を見るかと聞いているようだから、Yes。
扉の鍵を開け、セキュリティーのスイッチを切り、手招きをする。撮影禁止のマークがあるが、お婆さんは手で目隠しをして、見ないふりをするから写真を撮れと言う。
 真ん中に祭壇があり、その後ろにパイプオルガン。祭壇の前方及び左右に信者の席があり、すべて祭壇の方に向いている。当たり前ではあるが立派な教会の祭壇は奥にあり、信者の席は全て一方向を向いているから、ちょっと意表を突かれた感じがする。
祭壇の奥にパイプオルガン 祭壇の絵は、同じ形の絵が6枚あり、時々交換するそうだ。
 お婆さんに入場料2ユーロ、マグネットを持っていたのでそれも2ユーロで購入する。今日の売り上げは8ユーロ?
 今日の宿ズボレン(ZVOLEN)のホテル・フランコには昼過ぎに到着。街で昼食にピザを食べてからバンスカ・スティアフニッツァ(BANSKA STIAVNICA)へ行く。ここは銀の採掘で繁栄した街。大きな町だが道路は全て坂。歩いて回るのに骨が折れる。
坂だらけのバンスカ・スティアフニッツァ
11月23日 トレチーン城
 当初の予定では、今日はバンスカ・スティアフニッツァに寄ってからブラチスラバに向かうはずだった。バンスカ・スティアフニッツァには昨日行ってしまったので、トレチーン城へ寄ってからブラチスラバに向かうこととする。8時出発でトレチーンには10時半の到着。
 トレチーンに着いたらすごい霧。iに行って地図を貰い話をすると、今の時期の午前中は霧がすごいんです、午後には晴れますから、と言う。
霧に包まれたトレチーン城
トレチーン城ジオラマ
 トレチーン城の入場料は6ユーロ。Pensionersは4ユーロ。Pensionersとは、私のメールアドレスにも使っているが、年金受給者のこと。シニア割引は何度も見ているが、ペンショナー割引は初めて見る。
 昼食には旧市街のグランド・ホテルでスパゲッティとトマトスープを摂る。
ブラチスラバ到着
 ブラチスラバには16時ころの到着。ナビに今日の宿ホテル・スカーリッツは表示されているが、車両進入禁止の場所。大通りの端に車を停め、進藤さんに探しに行ってもらう。駐車禁止地域なので私は車にいなければならない。10分ほどたって進藤さんが戻って来て、ホテルへの行き方を教えてくれる。
 ホテルは旧市街の中にある。車は入って行けない(配達用の車はOK)。裏の方に駐車場があるからそこに車を停めて、歩いてホテルまで行く。
 ヨーロッパカーに車を返さなければいけない。これがまた変なところにある。ブラチスラバの営業所は2か所ある。1か所は空港、もう1か所はダウンタウン。グーグルマップで見るとダウンタウンと言っても旧市街からは結構離れている。でも空港よりは近いと思いダウンタウンの営業所を選んでおいた。ホテルで聞くとタクシーで20ユーロかかるほどの距離だという。
 ナビを頼りに行く。そばまで来ているのだが見つからない。左側の助手席に座っている進藤さんがヨーロッパカーの看板を見つける。
左側の、道路の脇は駐車場でその奥に色んなメーカーの看板がかかっていて(ベンツやポルシェなど)、その下に小さくヨーロッパカーの看板がある。
 道路の右側に停車している私の車はどうやって入っていけばいいのか分からない。また進藤さんが下りて様子を見に行ってくれる。
 大きな車の修理工場が片手間でレンタカーを手掛けているようだ。レンタカーのチェックを終わり、OKですよと言う。
 帰り方を聞く。すぐ前は電車の駅。電車がいいかと聞くと、電車に乗るならバスの方がいい。でも送ってやるよ、と言ってくれた。運転してくれた人にはチップとして20ユーロ渡す。
スカーリッツ・ホテル
 旧市街の中にあるスカーリッツ・ホテルはいいホテルだ。簡単な流しにクッキングヒーターもある。広いリビングにベッドルーム。全体で80平方mくらいあるんじゃないか。ただ残念なことにバスタブがない。バスタブ付きの部屋を頼んであるのだがと言うと、仲介者のアゴダからは何の連絡もないと言う。
今までのホテルは全部バスタブ付きだった。今日はどうしようもないが、明日にはバスタブ付きの部屋に交代する約束を貰う。
 歩いて7、8分のところにあるバンコ・カジノへ行く。クラウンホテルの1Fだ。100ユーロを両替する。ミニマムは2ユーロ。
ツキがなくだんだんと減っていく。頼んだビールは只。空のコップが邪魔なので持って行くように頼むが、勘違いしてどんどんビールを持ってくる。ビールのせいかツキが戻って来る。21時なったので終わりにすると110ユーロあった。
11月24日 市内散歩
 朝昨日の約束通りにバスタブ付きの部屋に移動。9時頃の出発で、昨日貰った市内観光地図の散歩コースを歩く。
 出発地点は旧市街の端にある国立劇場。スロバキア・フィルハーモニー、トリニティー教会、ブルメンタル教会、ナショナル銀行、逆さピラミッド、国会議事堂、大統領官邸、ブラチスラバ城、UFOタワーと歩いて行く。地図には60分と書いてあるが、とてもそれでは回れない。
 ブラチスラバ城には入場券を買って入場する。65歳以上は半額、70歳以上は無料。
ブラチスラバ城内に飾ってある昔の城の絵
UFOタワー 足の片方にエレベーターがある
旧市街のそんなに広くない広場にはクリスマスマーケットが開かれ沢山の小店が出ている。土産物屋や雑貨屋、食べ物屋が出ているが、食べ物屋の方が客が付いている。一番売れているのはホットワイン。
 目立ったのが乳母車を押している若い女性。人ごみの中赤ん坊を連れてきている。この広場に面したところに日本大使館がある。偶然見つけたのだ。旗が棒に絡まっていて分かりづらい。
クリスマスマーケット
11月25日 ウィーンへ移動
 朝ブラチスラバ旧市街を散歩した後、11:38発のローカル線でウィーンに移動。ウィーンには12:40の到着。タクシーでヒルトン・ドナウ・ウォーターフロントへ。チェックインの時に朝食は付いていないがどうするか聞かれる。付いているはずだからよく見てくれ、と言うと、こんな安いのに付いているはずないでしょ、と言われる。宿代は11,500円/泊。部屋は広く、ベッドも大きい。確かに安いが、安いからこんな辺鄙なところでも泊ってやってんだ。ちなみに朝食は24ユーロ/人。
 地下鉄でシュテファン大聖堂へ行く。地下鉄のチケットは72時間券を購入。13ユーロ/人でシニア割引きはない。
 私たちは塔に登っただけだが、地下のカタコンベへ行く人もいる。ペストが大流行して15万人の人が亡くなったという。そのうちの2000体の骨が保管されているそうだ。
 屋根瓦はモザイク調に仕上げられている。壁の装飾の彫刻もすごい。
 ヒルトン・ドナウ・ウォーターフロントはドナウ川の川べりに建っている。地下鉄駅まで5分。その間にスーパーがあり、地下鉄駅のそばにはショッピングモールがある。ショッピングモールにはフードコートもあってテイクアウトができる。紙の箱に詰め込むだけ詰め込んで4.9ユーロ。
 今日は土曜日、明日の日曜日はスーパーも休み。2日分の朝食とワイン、ビールを買い込む。水、ヨーグルト4個、パン4個、チーズに生ハム、インスタントヌードル4個、ビール500cc4本、白ワイン750cc1本。これだけ買って20ユーロでお釣りがくる。
11月26日
 王宮へ行く。王宮、家具展示ミュージアム、シェーンブルン宮殿の3か所共通チケットを購入。
 王宮には晩さん会で使われた銀食器、磁器がこれでもかというほど飾ってある。あとは王妃エリザベート(愛称シシ)に関する展示が多い。エリザベートは身長172cm、体重47kg、ウェスト51cmを死守するのにものすごい情熱を傾けたそうだ。
銀のナイフ、フォーク、スプーンのセット。この類のものがたくさんある
王妃エリザベート肖像画(家具ミュージアムにて)
 昼食はカフェで郷土料理のグラーシュ(牛肉の煮込み)を食す。午後に家具ミュージアムへ行くが、王宮を見てしまうと、なんだこんなものか、となってしまう。
 トラムNo1が来たので乗る。1番だからリンクを廻るのかと思ったら違っていた。せっかく乗ったのだからと終点まで行きまた戻って来る。国会議事堂、市庁舎前など歩く。市庁舎前広場ではもうクリスマス一色。小さいお店がたくさん出ていて、ここでも人気はホットワイン。
市庁舎前広場
11月27日 シェーンブルン宮殿
 8時の出発で地下鉄にてシェーンブルン宮殿へと行く。宮殿内部は撮影禁止。展示品はやはりマリア・テレジア、エリザベートゆかりの品が多い。
 宮殿裏側のはるか遠くに建物だか門だかが見える。行ってみると内部は喫茶店になっていて結構流行っている。建設当時は何に使っていたのかは分からない。メニューにウィンナコーヒーがあるのでそれを頼む。
 Wikipediaで調べてみると、建物はグロリエッテという対プロイセンの戦勝記念と戦没者の慰霊のために建てたとある。未完成のままだそうだ。
喫茶店のあるグロリエッテ
シェーンブルン宮殿裏側
ベートーベンハウス
ベートーベンハウス
 このハイリゲンシュタットは葡萄酒の産地でも有名だそうだ。近くのレストランで昼食を摂りながら地元のワインを飲む。
レストラン内のバー
11月28日
 ウィーン発9:00の列車でプラハへ向かう。1等車に乗るが大した席ではない。シーズンオフだから空いているだろうと思ったが、一等車両は満席。13:10到着。
ホテル・ドン・ジョバンニへ。本来ならディプロマットに泊まるのだが、計画段階でネットに11月14日からの5泊は一泊1万円以下であったのに、今日からの7泊は13,000円近い価格が出た。それでドン・ジョバンニを検索してみると1万円以下であったので、ドン・ジョバンニに決めたのだ。
スロバキア、ウィーンと洗濯をしていなかったので、大量の洗濯物を抱えてランドロマットへと行く。たっぷりと16時までかかる。
11月29日 ユダヤ人街
 小雨の中10時頃の出発でユダヤ人街を目指す。ユダヤゆかりの家のそばには警官が目立たぬように立っている。
 戦前のプラハにはチェコ人地区の隣にユダヤ人地区、そしてその隣にドイツ人地区があったという。戦争が始まった時には大変だっただろうと思う。
観光客も結構いる
 ユダヤ人地区のそばにインターコンチネンタル・ホテルがある。その1Fにロールスロイスの販売展示場がある。チェコにもロールスロイスを買う人がいるんだ。そんなに豊かになったんだ。
 チェコは共産圏のころから工業を担当していた。車のメーカーのスコダもその当時からの会社だ。地下鉄もきれいになっていて、車両をふと見ると目立たないようにスコダのマークが付いていた。キューバなどはフルチショフから砂糖を作っていればいいとしか言われなかった。
 インターコンチの隣にはプレジデント・ホテルがある。ここの地下には以前カジノがあり、遊んだことがある。受付に行き、以前ここのカジノに来たことがあるんですが、と言うと、今はもうありませんという返事。カジノで遊ぶ人は減ってきているんだ。暇な人が減ってきている証拠でいい兆候だ。
ウ・フレク
 地下鉄でチェコ最古のビヤホールのウ・フレクを目指す。ビールは黒ビール1種類だけ。だから座るとすぐに黒ビールのジョッキが置かれる。料理はビールを飲みながら考える。そんなにおなかがすいていないのでパン入りスープを頼む。名前を知らないがパンはサイコロ状でちょっと揚げてある。黒ビール3杯、スープ2杯で400クローナ弱。2,200円ほどか。アコーディオンと大きな金管楽器を持った2人組が入ってくる。進藤さんを見ると、上を向いて歩こうを演奏しだす。進藤さんは少しのチップを渡す。
ウ・フレクの入っている建物
11月30日 チェスキークルムロフ
 地下鉄アンデル駅のそばのバスターミナルから9:00発のバスでチェスキークルムロフへ行く。バスは1時間ごとに出ている。所要時間は2時間ちょっと。途中2か所に停車する。片道1,000円程度。
 バスにはトイレが付いていて、新聞もあるしコーヒーのサービスもある。また座席の前にはモニターがあって飛行機並みだ。60人ほどの座席はほぼ満席。
 雪が降っている。雪のクルムロフもいいんじゃないかと思う。
昼食は地球の歩き方に出ている店。スモークド・ポーク、ポテト・ダンプリング、キャベツ。キャベツは酢漬け。ダンプリングはポテトと小麦粉を練ったような物。ポークは3枚もあって結構おなかがいっぱいになる。赤ワイン3杯、料理2人前で2,000円程。観光地の割には安い。地元らしいお婆さんも来ている。
昼食を摂ったレストラン
雪のチェスキークルムロフ
帰りはチェスキークルムロフ発15:00、アンデル着18:00であった。
12月1日 王宮
 8時半頃ホテルを出て王宮に向かう。今日はチケットを購入。聖ヴィート教会、旧王宮、小さい教会、何とかの小道に入れる。
 聖ヴィート教会は貸し切り状態で一般客は入場禁止。午後2時からなら入れるという。旧王宮、小さい教会、何とかの小道を観光。何とかの小道は、城壁の北側部分の物見部分を武器庫などに使っている細長い場所。
物見 丸太をくりぬいてある。回るので結構広範囲を見ることが出来る
 王宮内にはいろんな売店がある。そのうちの1つにガラス屋がある。ボヘミアングラスだ。江戸切子風にカットを入れたものや、着けた色を削って模様を付けたものなどいろいろある。ここの職人は日本橋の三越で加工、展示即売をしたことがある、と言っている。
槍、甲冑、盾などが所狭しと置いてある
グラス加工
ネソ・マソ(Neso Maso)
 肉屋だが店内や店外(所定の通路)で商品を食べさせる。地図を眺めながら行き、最後は人に聞いて連れて行ってもらう。昼前に着くがものすごい人。肉だけを買う人を受け付けるのと、食べ物の注文を受け付ける人は別の人。何号札を渡され、呼ばれたら取りに行く。狭い店内はごちゃごちゃ。ようやく座る席を確保する。
 ビールを注文すると紙コップをよこす。自分でサーバーから注ぐのだ。日本でもコンビニでコーヒーを買うとこの方式だよね。つい最近知った。人気は牛のタルタル。パンに生にんにくをこすりつけ、その上に牛の生ミンチを分厚く乗せ、食べる。
 我々は生はやめ無難なハンバーガーにする。1個900円程。隣のお兄ちゃんがタルタルを食べているので端っこを少し貰う。少しのせいか余りインパクトはなかった。
A とSの間にいるお兄ちゃんの隣に座っていた。タルタルもこのお兄ちゃんに貰う
スリ
 午後2時過ぎに王宮に戻るが聖ヴィート教会はものすごい行列。諦めて明日にする。(チケットは明日も有効)
 孫への土産に操り人形のおもちゃを購入。午前中に買ったボヘミアングラスも持ち1駅だけだがトラムに乗る。おもちゃの支払いをした後に、ちょっと暑かったせいもあり、めんどくさかったせいもありダウンジャケットのファスナーをしなかった。
 停留所に着き、さあ降りようとステップを1段降りる。なんか変だなと思いウェストポーチを見るとファスナーが開いていて財布がない。パスポートはある。
降りるちょっと前に女が左側から私にすり寄って来て押している。右側には男がいる。女は何かぶつぶつ言いながら押してきている。何だ、このバカ女は?と思っていたが停留所に着いたので降り始めたのだ。
 あの2人だなと思った私は降りるのをやめ、何すんだこの野郎、と日本語で叫んで2人に歩み寄った。すると女の方が足をどかして、ここにある、言うように指をさす。財布を拾い上げて中を確認すると、日本円、クレジットカード、運転免許証などすべてある。
 にらみつけてから降りる。でもトラムが動き出してから、先に降りていた進藤さんも呼んで、こいつらスリだ、ポリスを頼む、と大騒ぎしたほうが良かったんじゃないかと思う。
 ファスナーを開けられるのも、財布はポシェットにぴったりで入れるのにも苦労するのに、気づかずに抜いて行くなど大したもんだ。また気づいて騒がれても言い逃れできるようにすぐに床に落としたのだと思う。私がトラムを降りて、トラムが動き出せば、してやったりだったのだろう。
12月2日 聖ヴィート教会
 9時半頃王宮に着く。王宮入り口は混んではいたが、聖ヴィート教会にはスムーズに入れる。
ムハが描いたステンドグラス 下部
ウ・シリニ
 昼食は地球の歩き方に出ていた、どこかの料理長が独立して開店したウ・シリニ(U CIRINY)。伝統的なチェコ料理の店だそうだ。私はグラーシュ、進藤さんはダック。ビールは私が2杯、進藤さんは1杯。アイスクリームを2つ。アイスクリームには苺系ソースがかかっていたが熱かった。それがおいしんだよね。グラーシュは3度目と思うが、ここが一番おいしかった。他よりちょっと高くて6,400円程。
暖かいソースのアイスクリーム
カジノ-1
 市民会館前のショッピングモールの3Fか4Fにカジノがある。数年前に出来たばかりの時に、ショッピングモールにカジノが入っていてびっくりしたことを覚えていたのだ。
 16時過ぎに入ってみる。客はいない。ブラックジャックのテーブルがあるが稼働しないと言う。このビルの向かい側にあるカジノにはブラックジャックがあって稼働していると言う。
 市民会館の隣のビルの1Fにカジノはあった。ブラックジャックのテーブルには一人先客がいる。ビール1杯、ジントニック2杯飲み100ユーロ負ける。アルコールは無料だった。
ホテルには19時前に帰る。
12月3日 ヴィシュフラト
 ヴィシュフラトは王宮の3km程南のブルタバ川沿いの高台にある。地下鉄の駅の名もヴィシュフラト。城址で城は王宮のプラハ城より古いという説もあったが、今ではプラハ城の方が古いということになっている。Wikipediaを見るとヤン・フスがヴィシュフラト城を徹底的に壊し、そのあと教会だけが再建されたという。
 この教会の横に墓地がある。結構有名人が埋葬されている。作曲家のドボジャーク(学校ではドボルザークと習ったような気がする)、スメタナの墓がある。
ヴィシュフラトの教会
ドボジャークの墓
スメタナの墓 これは新しい
ほかにもムハやカフカの墓もあるそうだ。これは後で知った。
ウ・フレク-2
 ヴィシュフラトから降りブルタバ川沿いに出るとトラムNo17が走っている。これに乗りウ・フレクへと行く。今日は満員状態。ウェイターが何とか2人分の席を作ってくれる。とにかく座ったら黒ビール。飲みながらメニューを見て、ローストポークを頼む。隣の団体さんの1人に撮影を頼む。
カジノ-2
 午後4時過ぎにヒルトンのカジノへ行く。ここはチェココルナ建て。100ユーロを両替。客はやはり少ない。私のほかは若いカップルが座っている。賭けているのは男性だけ。金額が大きい。ミニマムが50コルナ。マキシマムが5,000コルナ。
常にマキシマムの5,000コルナを賭けている。かなり儲けてテーブルを離れるが、しばらくたってから戻って来る。お札を出してチップに替えるのを見ていると5,000コルナ札が出てくる。こんな高額なお札があるんだ。日本円にすると28,000円程になる。今度はさっきとは違って彼のポケットからはお札がどんどん出ていく。私は100ユーロ分のチップがなくなったので引き上げる。アルコールは有料だった。
12月4日
 もうやることは何もない。旧市街でブラブラするだけ。カフェ・スラビアでウィンナコーヒーを飲んだり、バーツラフ広場で焼き鳥を買って食べたり。
カジノ-3
 16時過ぎに市民会館の隣のカジノへ行く。今日はブラックジャックのテーブルには誰もいない。一人で始める。最後の1枚だった100ユーロ札はすぐに消えてしまった。2万円両替する。行ったり来たりでパッとしない。もう駄目そうなので、散々ただで飲ませてくれたバーのお姉さんに10ユーロのチップを渡す。喜んでくれて、もういい、と言うのにジントニックをどんどん持ってくる。やっぱりチップはなくなって、帰る。
 チェコは好きな国で、もう5回目だと思う。でもつらつら考えるに、カジノで勝ったことはないんじゃないかな。
12月5日
 帰国。出国検査の時に係員はパスポートを見て、こんなに長く何をしていたんだ、と聞く。
まずプラハに5泊、次にスロバキアに6泊、その次にウィーンに3泊、そしてまたプラハに7泊、と説明すると、それ以上細かくは聞かずにスタンプを押してくれる。無事出国。

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