
北欧
2016年8月17日~8月26日
本当に参った
今回はクラブツーリズムの“4か国をゆったりめぐる北欧の休日10日間”というツアーに夫婦で参加する。
今回は身体のことでまいった。
持病の糖尿病の薬にフォシーガ錠が追加された。尿と共に血液中の糖分を排出する薬とのこと。特に水分を補給せず通常の生活をしていると、体重が急激に減り(66kgが63kgに)、おしっこが近くなり、またするときに痛みを伴うようになってきた。8月16日が診察日なのでそれまで我慢をし診察時に医師に報告すると、痛みは薬に関係ない泌尿器科に行けと言われる。
調剤薬局に行き薬を貰うときに、この近くに泌尿器科はないか聞くとすぐに調べてくれる。豊洲にあるが盆休み中です、昭和医大と聖路加があるが紹介状が必要ですという。どうせ紹介状を書いてもらうなら、今行った慈恵医大にしよう。いつも行っているのは慈恵医大晴海トリトンクリニックなのだ。ここには泌尿器科がないので西新橋の本局へ行くことになる。もう3時を過ぎているので通常の受付はしてくれない、緊急へ行ってくれといわれる。
何とか診察を受け膀胱炎と診断される。医師がスマフォの画面を見せ、フォシーガは膀胱炎にかかることがあると説明してくれる。3日分の薬を出してくれる。
旅行後半には薬が効いてきて症状は改善されるが、前半は大変だった。バスが目的地に着くとダッシュしてトイレに駆け込む始末。有料トイレではコインを入れるのかクレジットカードを入れるのか戸惑うし、またスムーズにいかない。
本当に参った。
旅行3日目あたりから背中の右半分に痛みが出てくる。上から下まで筋肉痛だ。思い当たるのはバスの座席に座り、外の風景の写真を撮るためにしょっちゅう右に身体をひねっていたことだ。右側の座席に座っていたのだ。そういえば数年前、何十年ぶりかにプールに入り水泳の真似事をしたり、水中ウォーキングをしたりして体中が痛くなったことがあった。体中が筋肉痛で寝返りも打てなかった。それと似ている。奥さんに聞くと膏薬を持っているという。背中右半分に貼ってもらう。帰国近くになって楽になってきたがそれまでは身体を動かすたびに痛かった。
本当に参った。
8月17日 コペンハーゲンへ
成田からフィンランドのヘルシンキへ。すぐ乗り換えてコペンハーゲンへと行く。18:30ころコペンハーゲンのホテルThe Squareに着く。デラックスホテルということだが、2ベッドにシャワー、トイレでバスタブはなし。ベッドの幅も80cm程度と狭い。
添乗員の上野さんにホテルに掛け合ってもらうが今日はどうしようもないとのこと。はたして明日はどうなるか。
近所のスーパーで水を買うが500cc 2本で23クローネ(400円弱)。
8月18日 クロンボー城
コペンハーゲンの北にはデンマークの基礎を築いた城が点在する。
クロンボー城は15世紀に当時の王様が経済立て直しのために、海峡を通る船舶から通行税を取るために作った砦が基になっている。船を脅すための大砲が所狭しと並んでいる。
内部は殺風景でがらんとした感じ、ガイドの話ではスウェーデンとの戦争に負けた時に根こそぎ持って行かれたという。
またシェークスピアのハムレットの舞台となった城で有名。夏には毎年仮設舞台でハムレットが演じられているそうだ。今年はあと2日で終了とのこと。また城の中では常時ハムレットの一場面が寸劇で演じられている。ただシェークスピアはここには来たことがないという。

ジュリエットと父親との会話場面

海峡を通る船をにらんでいる大砲
フレーデンスボー城
王室の春秋の別荘。近々女王が来るので準備中、内部はおろか裏庭にも入れない。近所にバスから見ていて気になっていた、伝統とみられる藁葺き屋根の家がある。庭先から失礼して1枚。

フレデリクスボー城
みんなボーが付くが、ボーとは城の意味。16世紀にフレゼリク2世により建設される。名前は彼に由来する。17世紀にクリスチャン4世が居城として大々的に増築し巨大な城となっている。現在は国立歴史博物館。入場せずに横を通るだけ。
今日の最高気温は20℃(バスの表示)。最低は17℃という。夕食時に飲んだビールは400ccで50クローネまたは8ユーロ。
ホテルの部屋は2ベッド、バスタブ付きに替わっている。上野さんご苦労様でした。

巨大なフレデリクスボー城
8月19日 散歩
今日の出発は10時。出発前に近所を散歩する。エアステッズ公園、植物園、ローゼンボー宮殿あたりを廻って9:40頃戻り。
自転車が多い。通勤に自転車で30分以上かける人はザラだそうだ。歩道と車道の間に自転車専用道がある。一番注意しなければならないのはバスを降りるときで、歩道の手前に自転車道があるので、道路に足を着く前に左右を見て自転車が来ないのを確認しなければいけない。
人魚姫

人魚姫

アンデルセンの銅像(アンデルセンはコペンハーゲンの街中にある)
アマリエンボー宮殿
アマリエンボー宮殿の衛兵の交代式を見ると言っていたが、ガイドが1時間間違えてみることは出来なかった。
こちらが女王の住まい、こちらが皇太子の住まいと説明されたが、ただデカイだけで塔もなく外観は宮殿らしくない。
川沿いにカラフルな木造らしき4〜5階建ての建物が並ぶニューハウン地区を歩き、衛兵の行進を見る。近くのアマリエンボー宮殿の交代に向かう衛兵たちだ。前後を警官が歩き通る車をみな停めてしまう。

衛兵の行進 夏でも熊毛の帽子を被っている
この後オスロに行くべくDFDS・シーウェイズのフェリーに乗船。スーツケースは預けっぱなしになるので、歯ブラシ、着替えのみエコバッグなどに入れて乗船する。

アルコール類が充実している船内免税店
8月20日 オスロ
10時頃下船。17時間ほどの船旅であった。
市庁舎内のノーベル平和賞の授与式会場へ入場。ノーベルの遺言で平和賞のみオスロで授与される。他はスウェーデンのストックホルムが会場となる。会場の壁はほぼ全面壁画が描かれている。現地ガイドが壁画の説明をしてくれるが、どういう内容だったか忘れている。ただノルエーの歴史をなぞって描かれているそうだ。
国立美術館へ行きムンクの部屋へと入る。飾ってあるものは全部ムンク。代表作の叫びはリレハンメルオリンピック開催時に盗まれたという。イギリスのスコットランドヤードに協力してもらいおとり捜査で奪還したという。

市庁舎壁画の一部

御存じムンクの叫び 盗難防止に厚いアクリル板でカバーしている
別の部屋にはピカソ、ルノアールが数点ずつある。
中国が最初の核実験をしたのも昭和39年の東京オリンピックの時。世界が沸き立っている時にこっそりと目立たないようにやる。
ロフトフースへ
今日の宿はロフトフースのウーレンスバング。オスロから380km、7時間だ。車窓から景色を眺めていると植生が変わる。木がなく苔ばかり目立つようになる。向こうの山には氷河が残っている。

ヴォーリングの滝に寄る。トイレ休憩も兼ねている。駐車場から歩いて行くと細い滝が1本見えてくる。なんだこれはと思いながら近づき振り向くようにすると水量の多い滝が見える。駐車場に戻り滝の落下口を見たいと思い細い道をたどって行くが、着く前に時間切れとなる。残念。
やはり車窓から見ていて思うのは、キャンピングカー専用の駐車場が多いこと。日本でも増えてきているようだが及びもつかない。ホテルには20時頃の到着。

ヴォーリングの滝
8月21日 ホテル・ウーレンスバング
ロフトフースのホテル・ウーレンスバングは王室御用達の老舗だ。
目の前はハルダンゲルフィヨルド。庭にはグリーグが作曲するのに使っていた小さい小屋が残っている。中のピアノもやはり小さい。屋外プールもあり泳いでいる人もいる。水を触ったが冷たくはない、ぬるま湯だ。
レストランには日本人のウェイトレスもいる。紙ナプキンをもう1枚いただきたいと頼むが、忙しいらしく持ってきてくれなかった。
道路反対側の斜面はリンゴ畑。ロフトフースはノルエーでも指折りの果樹の産地だそうだ。当然リンゴなどの寒い地方の果樹となる。

ホテル・ウーレンスバングの建物

前のフィヨルドの風景
ベルゲン鉄道
9:30の出発でベルゲン鉄道のヴォス駅へ。ヴォス駅の売店ではミネラルウォーター500ccを30クローネで売っている。400円近い。水は豊富にあるのにバカ高い。(ノルエークローネとスウェーデンクローネはデンマーククローネより少し安い)
ヴォスからベルゲンまでは106.7km、ヴォスからオスロまでは385.5km。ヴォスからミュルダールまで乗り、ミュルダールからはフロム線に乗り換え終点のフロムまで行く。このフロム線は山岳列車で全長は202kmあるがミュルダールの標高は866m、フロムはソグネフィヨルドの沿岸で標高は2m。全長202kmの間にトンネルは20か所あり、そのうち18か所は手掘りだそうだ。
途中にショース滝がありプラットホームが設置されている。トンネルとトンネルの間にプラットホームが設置されていて5分間滝見物のため停車する。たしか6両編成と思ったが、プラットホームにかかるのは真ん中の2両だけ。前後2両ずつはトンネルの中だ。

ソグネフィヨルド
フロムからはフェリーに乗りソグネフィヨルドを航行する。我々は2時間半かけてのグドバンゲンまでの観光だが、途中各村へ物資の配達や人の乗り降りがあるのでフェリーになっている。ただの観光船ではないのだ。
ソグネフィヨルドの最深部から北上(西方向)し、分岐してネーロイフィヨルドを南下(西方向)して別の最深部のグドバンゲンへと行く。人の字の右下から左上に上がって行き、交差部から左下へ下がっていく感じだ。

フロムのレストランの庭先で
グドバンゲンにはヴォスまで送ってくれたバスが待っていてロフトフースのホテル・ウーレンスバングへと戻る。
トンネルの中のラウンドアバウト
ノルエーは山の国。至る所にトンネルがある。世界最長の全長24kmのトンネルもある。
びっくりしたのはトンネルの中にラウンドアバウトがあること。ラウンドアバウトとは昔日本にもあったロータリーのこと。交差点に信号を設けずに円を設け、車両は円周に沿って進み目的地の方向で円周より離れる。十字路の場合で右側通行の時はラウンドアバウトには円周を反時計回りに回り90度回って円周を離脱すれば右折となる。180度回って離脱すれば直進となる。
このラウンドアバウトがトンネルの中にあったのだ。やはり山岳国のスイスにもないと思う。平地のラウンドアバウトは道路より少し盛り上がった円だが、トンネル内のラウンドアバウトは巨大な円柱だ。この円柱は上に行くほど広がって大きくなっている。ぶつかったらえらいことになる。

トンネル内のラウンドアバウト
ツヴィンネの滝
途中養老の滝と呼ばれるツヴィンネの滝に寄る。この水を飲むと若返ると言われているそうだ。でも以前に誰かが汲むときに水の中に落ちて、それからロープを張られ、水を簡単に汲める場所はない。右のはずれにようやく汲める場所を探してペットボトル2本に入れる。

ツヴィンネの滝
ホテルには20:00過ぎにようやく到着。
8月22日 スタインダールの滝
ホテル・ウーレンスバングを9:00出発。ハダンゲルフィヨルドを走りベルゲンへ向かう途中スタインダールの滝に寄る。ここは裏見の滝。

スタインダールの滝 横から

スタインダールの滝 裏側から
グリーグ
ベルゲンの郊外、フィヨルドの丘の上に作曲家グリーグの別荘がある。ここには別荘の他に作曲のための小屋、グリーグ博物館、コンサートホールがある。庭からの眺めは素晴らしい。
コンサートホールでは30分間女性ピアニストが民族衣装を着て演奏してくれる。観客席から見てピアノの後ろはガラス窓になっていて作曲小屋、フィヨルドが見える。

グリーグ別荘の庭からの眺め

グリーグ コンサートホール
ベルゲン
市内観光の後ケーブルカーでフロイエン山に登る。ケーブルカーは麓と山頂との直行ではなく、途中に数か所の駅がある。山の中腹の住民も利用しているのだ。ブリッゲン地区の世界遺産の倉庫街(今は商店、レストラン等)、魚市場を廻る。世界遺産の倉庫街は木造で奥行きが深く60件以上の店がある。一番正面のカラフルな、写真によく出てくる建物群はもう歪んでいる。
ガイドの話
ベルゲンは外洋から100kmの内側に入っていて、途中のたくさんの島おかげでいつも穏やかで自然の良港として栄えてきた。おもな取扱品目は鱈で干し鱈の輸出で栄えてきた。それに目を付けたハンザ同盟が大金を提示して倉庫群を譲るように迫ったが断り続けた。でもペストの流行にはあがらいきれず、人口は半分ほどに減り商売も急減した。ついにハンザ同盟に屈したが、売るのではなく貸すことにした。ハンザ同盟はこのベルゲンに事務所を設けたが、ベルゲンはハンザ同盟に加入したわけではない。

フロイエン山から 大型客船が2隻停泊している

世界遺産の倉庫群 かなり傾いている
ホテルのレストランでの夕食であったが、ビールは500ccで90クローネ。1,000円を軽く超えてしまう。
8月23日 ストックホルム
ベルゲンから空路でストックホルムへ。昼過ぎに到着。市内観光の後ノーベル賞の晩餐会の会場である市庁舎へ。運河クルーズでは、移民を含め人口は増えているので集合住宅の建設現場なども散見される。
ノーベル財団の椅子には、ノーベル賞を受賞した人が裏側にサインをするという。椅子の裏側だから通常は見えない。たまたまか山中教授のサインした椅子が天井からぶら下がっている。サインを撮らせてもらう。

椅子の裏側です

授与式の模様
カジノ-1
宿のラディソンから歩いて5分もしないでカジノ・ストックホルムに着く。ホテルに着いてから着替えてすぐに出かけたのだが、ホテル着が21:30だったので10時近くの入場となる。
スウェーデンクローネ以外は一切使えない。両替所もなし。私は円、ユーロ以外は持っていない、若干のクローネは奥さんが持っている。入場料の60クローネもないというとクレジットカードで払えと言う。カジノ内で遊ぶクローネは、あそこにATMがあるからそれを使えと言う。ATMはヴィザ、マスター、アメックス、ダイナースの4種のカードが使用できるだけ。シティバンクのカード(いま日本では三井住友信託が引き受けている)は使えない。1,000クローネをキャッシングする。キャッシングなんて洒落た言葉だけれど要は借金。後から聞くとこのカジノは国営とのこと。道理で愛想が悪いわけだ。
調べるとブラックジャックやルーレットなどのテーブルゲームは61台。スロットは403台となっていて規模はかなり大きい。
ミニマム50クローネのブラックジャックに参加する。ディーラーは若い男性でイケメンだ。なかなか勝たせてくれない。じっと我慢だ。10枚以上無くなって残りはあと4枚。ディーラーがイケメン男子より若干年上の女性に替わる。この人は良かった。少しずつ増えて行って、1枚だけ賭けていたのが2枚になり4枚になり、そして8枚も賭けるようになった。配られたカードが4と7。10札が来れば21となる。
ディーラーの手札は10。セオリーだとここはダブルにしないが、強気でダブルにする。もう8枚賭け勝負する。思い通りに10札が来て21。ディーラーは絵札(絵札は全て10)を引いて20。やった、16枚の勝ちだ。
しばらくするとまたダブルのチャンスが来る。ディーラーも10札を持っている。よしまた挑戦だ。狙い通りに10札が来る。でもディーラーはAを引いてブラックジャック。16枚取られてしまう。
ディーラーがまた交代する。若い女性だ。この時の手持ちは50クローネチップを60枚。4枚賭けるが2回続けて取られてしまう。時計を見ると23時。もう帰ろう。手持ちは2,600クローネ、1,600クローネの勝ちだ。2万円程。
8月24日 ドロットニングホルム宮殿
まずヴァーサ号博物館へ行く。ヴァーサ号は17世紀に国王の命により建造された木造船。全長70m、最大幅9.7m、大砲を64門設置。当時の海軍大国のイギリス、オランダ、フランスに対抗すべくスウェーデンが作った秘密兵器。
処女航海すべくストックホルム港を出港し入り江を出てすぐに突風を受けて沈没。ずっと30mの海底に沈んでいた。途中貴重品などは引き揚げられたが、船本体は沈没後300年以上たってから引き揚げられ博物館に展示されている。
ドロットニングホルム宮殿はフランスのベルサイユ宮殿を見本にして建てられ代々女王が住み、女王の宮殿として有名。ただ少しお金が足りなかったのか、柱に貼ってあるあずき色に白い模様が入った石は塗装だそうだ。言われなければ分からない。たいした技術だ。
現在は部分的に王室が使用し、残り部分を一般に開放している。裏側にある庭も立派だ。

塗装の柱
カジノー2
空路でヘルシンキへ移動。ホテルでの夕食が終わったのは21:30頃。カジノはホテルとは道路を挟んだ反対側。歩いて1分。入場料はなし。メンバーズカードを作るか聞くから、Sorry only tonightと言って遠慮する。1階はスロットだけでテーブルゲームは地下。
5ユーロと看板の出ているテーブルに座り100ユーロ札を出すと20ユーロチップを5枚くれる。5ユーロチップが欲しいと言うとここはミニマムが20ユーロだと言う。5ユーロの看板は隣のルーレットの表示だった。せっかく座ったから20ユーロチップを置くとブラックジャックで30ユーロの配当。次の20ユーロは取られてしまい、お礼を言ってこのテーブルを離れる。
ミニマムが5ユーロのテーブルはなく10ユーロのテーブルに着く。ブラックジャックの賭け金を置く円とは別に2つの円がある。左側はパーフェクトペアー(配られる2枚の札が同じ数の場合には配当がある)、右にはポーカーと書いてある。
パーフェクトペアーはオーストラリアで経験済みだ。ポーカーは未経験、どうもストレート(2枚のカードの連続数)、フラッシュ(2枚のカードが同じ形)の場合に配当をくれるみたいだ。
ブラックジャックに10ユーロを置き、パーフェクトペアーに5ユーロを置く。ブラックジャックの方は行ったり来たり。今度はいいかなと思い2枚置くと必ず取られる。全然盛り上がらない。
パーフェクトペアーで色違いの同数が来る。5倍だ。25ユーロゲット。辛抱強く1枚ずつ賭けている。パーフェクトペアーで同じ形の同数が来る。30倍だ。150ユーロゲット。そのうち100ユーロを別の山にする(少しずらして重ねて置いておく)。
ブラックジャックの方は相変わらず2枚賭けると取られる。パーフェクトペアーでまた30倍が来る。さっきと同じように100ユーロを脇に置く。
ディーラーがおばさんから若い女性に替わるが進歩はない。行ったり来たり。もう23時近い。脇に寄せてある200ユーロの他に手持ちは25ユーロ。これを取られたら終わりにしよう。
ブラックジャックに15ユーロ、パーフェクトペアーに10ユーロ置く。するとディーラーがブラックジャックは10の倍数でなければ駄目と言う。ブラックジャックの15を10にし、パーフェクトペアーを15にする。これだとOK。
スペードの6が来る。ディーラーの1枚目は絵札。これは負けるなと思ったが次のカードもスペードの6。また30倍だ。450ユーロをゲット。やったね。ブラックジャックのゲームは12となるので、ヒット(もう1枚貰う)するとまたスペードの6。30倍アゲイン、と声に出すもこういうルールはなく駄目。ただの18だ。ディーラーは絵札を引いて20。10ユーロは取られてしまう。
パーフェクトペアーの元の15ユーロを10と5とに分けて置くも取られて今日はおしまい。100ユーロの元が650ユーロになり550ユーロの勝ちだ。
8月25日
フィンランドはスウェーデンに650年ほど、ロシアに100年ちょっと支配されていて、ロシア革命の時1917年に独立する。そのため他の北欧諸国と違い王室を持たない。来年は独立100年祭だ。
ウスペンスキー寺院
帰りの飛行機の時間まで市内観光。ウスペンスキー寺院は北欧最大のロシア正教会。赤レンガ造り。内部はイコンだらけ。


真ん中のキリストと12使徒の絵は有名だそうだ。
ヘルシンキ大聖堂はプロテスタント・ルーテル派の教会。ヘルシンキのほぼ中央にあり小高い所に建っている立派な建築物だ。ただ内部はカトリックと違い非常にあっさりしたもの。正面に絵画が、後ろ側2階にはパイプオルガンのパイプが飾ってあるだけ。
テンペリアウキオ教会

祭壇も十字架の両脇に花と蝋燭でやはりあっさりしている
市場にも行く。ちょっと変わったところではザリガニ、熊の肉の缶詰など売っている。
17:15発のフィンエアーで帰国。9時間40分のフライトで日本-ヨーロッパで最短のフライトだと思う。夕食を食べ、朝食前に起こされたが、時間が足りず少し睡眠不足だ。
第64報終わり
日程表 | ||
8月17日 | 成田発 11:00 ヘルシンキ着 15:20 AY0074 | |
ヘルシンキ発 17:45 コペンハーゲン着 18:25 AY0667 | ||
コペンハーゲン泊 | ||
8月18日 | コペンハーゲン古城めぐり | |
コペンハーゲン泊 | ||
8月19日 | コペンハーゲン市内観光 | |
DFDSシーウェイズ乗船 16:30 | ||
船中泊 | ||
8月20日 | オスロ着 9:45 | |
オスロ市内観光 ムンク鑑賞、フィヨルド沿いを走りロフトフースへ | ||
ホテル着20:00頃 | ||
ロフトフース泊 | ||
8月21日 | ベルゲン鉄道、フロム鉄道乗車 | |
ソグネフィヨルド遊覧観光 | ||
ホテル着20:00頃 | ||
ロフトフース泊 | ||
8月22日 | フィヨルド沿いを走りベルゲンへ | |
ベルゲン着14:00頃 | ||
ベルゲン市内観光 グリーグのピアノコンサート鑑賞 | ||
フロイエン山 | ||
ベルゲン泊 | ||
8月23日 | ベルゲン発 10:45 ストックホルム着 12:05 SK0898 | |
ストックホルム市内観光 ノーベル賞晩餐会会場、ノーベル財団 | ||
ストックホルム泊 | ||
8月24日 | ストックホルム市内観光 ヴァーサ号博物館、ドロットニングホルム宮殿 | |
ストックホルム発 16:30 ヘルシンキ着 18:25 AY0638 | ||
ヘルシンキ泊 | ||
8月25日 | ヘルシンキ市内観光 ウスペンスキー寺院、ヘルシンキ大聖堂、 | |
テンペリアウキオ教会、シベリウス公園 | ||
ヘルシンキ発 17:15 | ||
8月26日 | 成田着 8:55 AY0073 |

地図はベルテルスマン世界地図帳より拝借