イタリア(シチリア島)

2016年3月5日~3月14日  

3月5日
 ユーラシア旅行社の“シチリアを極める10日間”に参加。添乗員を除いて総勢13名。夫婦2組の他男性3名、女性6名。夫婦以外は全員一人参加。
 成田発14:10、ローマ着18:45。ローマで乗り換えてシチリア島のパレルモのホテルには23:45の到着。
バスは大型で13人が2座席ずつ使ってもまだ空きがある状態で非常に楽だ。
3月6日 ノルマン王宮
 ノルマン王宮はアラブ人の城塞であったがノルマン人により宮殿に改装される。スペイン時代に増改築され今はシチリア州議会が使用している。
初代ノルマン王が作った王宮内礼拝堂の装飾は凄い。ガイドによるとビザンチン式金地ガラスモザイク画で旧約聖書の物語などを描いている。モザイクは素晴らしいの一言だ。
天井、壁、アーチ状の側壁、アーチ部すべてモザイク
 大聖堂を見学の後クアトロ・カンティへ。クアトロ・カンティは2本の大きな通りの十字路。十字路だから道路ではない土地は直角に4か所残るが、建物は4か所とも切落とし、面を作っている。その面にスペイン王や守護聖女の像を飾ってある。
クアトロ・カンティの1面
 天候は時々小雨で寒い。平年では10℃〜17℃というので日本より若干薄着で用意してある。失敗だった。日本と同じ真冬の装いで良かった。
マルトラーナ教会
 プレトリア広場へと歩き、すぐ横のサンジュゼッペ教会、サンタカタリーナ教会、市庁舎へと入場。そのあと入ったマルトラーナ教会にはシチリア最古のモザイクといわれる“イエスによる戴冠するルジェーロ二世”がある。
 しかし教会はたくさんあり、どれも立派だ。信徒の寄付だけではこんなに立派なものがたくさん建つわけがない。やはり略奪してきた富、奴隷によって建てられたのだろう。以前も言ったかもしれないが高校時代の日本史の教師の言ったことが忘れられない。
 “宣教師なんてろくなもんじゃない。見知らぬ土地へ行って強そうだと聖書を出し布教に来たと言い、弱そうだと武器を出し植民地にしていく。”
とはいえ美術品としての価値は物凄いものがある。
イエスによる戴冠するルジェーロ二世
マッシモ劇場
 狭い道路の両側にシートで庇を作り、商品を並べるカーポ市場を見る。肉、魚、野菜、香辛料とさまざまな食品を売っている。びっくりしたのは茄子の巨大なこと。日本の普通品の4倍はある。
 イタリア最大の歌劇場のマッシモ劇場はパリ、ウィーンのオペラ座に次ぎヨーロッパ3番目の規模を誇る。1875年にパレルモ出身のジョバンニ・バティスタ・フィリッポ・バジーレの設計により着工。彼の死後は息子が引き継ぎ1897年に完成。照明はすべてヴェネチアムラーノグラスとのこと。中も覗くがリハーサル中であった。
ギリシャ神殿風のファサードを持つ正面階段は“ゴッドファーザーIII”の舞台にもなる。
マッシモ劇場模型
チェファルー
 パスタ、マグロのグリル、レモンケーキの昼食の後、岬の小さな街チェファルーへ行く。大きな岩と海に挟まれたような街。漁業、農業が盛んとある。
山からの湧水の河口付近の洗濯場跡、大聖堂が見どころ。
大聖堂では何か大きな行事があるらしく、大扉まえは信徒でいっぱい。出身地別に色分けされたポンチョをまとい、大扉が開くのを待っている。我々観光客は横の扉より16時過ぎに入場。16時半頃大きな十字架を捧げ持った人を先頭に信者が入場。
 この大聖堂は1131年ルジェーロ二世により建設が始まるが、1154年にルジェーロ二世が亡くなると工事は中断。未完成という。キリストの金地ガラスモザイクや銀製の祭壇は美術品として価値がある。また20世紀に作り替えられたステンドグラスも抽象的でいいものだと思う。
チェファルーの街
 パレルモへの道は大渋滞。17:30にホテル着の予定が18:15となる。
19:30よりマッシモ劇場のそばのレストランで夕食。行き帰りとも徒歩であったが人の出は多い。
3月7日
 8:30ホテル出発。添乗員の話では今日の目的地のエリチェの最高気温は7℃とのこと。おおいやだ。
モンレアーレ
モンレアーレはパレルモのすぐ南側。見どころはやはり大聖堂(サンタマリア・ノベッラ大聖堂)。ノルマン王朝グリエルモ二世がパレルモ大司教に対抗して12世紀後半に建てたという。パイプオルガンとモザイクが売り物。周囲の土産物屋の中にモザイクの製造販売の店がある。おじさんがハンマーとノミで色ガラスを小さく砕いている。飾ってあるモザイク画はいい値段がする。A5程度の大きさで100ユーロ程。
パイプオルガンとグリエルモ二世の戴冠のモザイク
エリチェ
 エリチェはパレルモから70kmほど西側。標高751mのサンジュリアーノ山の頂上にある。山の下もエリチェだが山頂の旧市街には500人ほどが住む。当然教会もあるが今までのものと比較すると見劣りがする。石造りの家、特徴のある石畳が見どころか。切り立った崖の上にはノルマン城があるが、冬季のためか入場できない。さすが眺めは良い。
14:30にはホテル着。旧市街にホテルがあるので大型バスは入って行けず、荷物はトラパニ門の外でホテルのマイクロバスに積み替える。当然ながら部屋は狭くバスタブはなし。暖房は入っている。部屋ではできなかったがレセプション横ではWi-Fiが無料で使え、退屈することはない。
ノルマン城
3月8日 モツィア
 8:30出発。トラパニの塩田を見てから、塩田横からボートに乗りサン・パンタレーオ島へ行く。周囲2.5kmの小さい島だが、ここに紀元前8世紀にフェニキア人がモツィアの街を建設。1,913年にイギリス人ジョセフ・ホイタッカーが発掘開始。今もホイタッカー財団の管轄の元、暖かくなると学生らが発掘をしているという。
マルサラ
 塩田から15分程度でマルサラの街。ここで昼食。ムール貝、シーフードリゾット、野菜サラダ、アイスクリーム。大聖堂など開いておらずただ散歩するだけ。
セリヌンテ
 東神殿群とアクロポリスとに分けられる。
東神殿群-1 ヘラ神殿は列柱の数6×15(角の柱は重複して数える)
2 アテナ神殿は3つのうちで最も小さく残された石も少ない。
3 ゼウス神殿 セリヌンテ遺跡で最大。列柱8×17。
 2km程離れてアクロポリス。5か所の神殿跡がある。そばにはギリシャ人の後に来たカルタゴ人の住居跡、石をくり抜いた浴槽なども見受けられる。神殿は全部カルタゴ人により破壊されたが近世になって復旧される。周りを発掘すればまだまだ遺跡が出てくるようだ。
神殿石の横で
アグリジェントのホテル・ディオスクリ・ベイ・パレスには18:00到着。
3月9日 アグリジェント
 ホテルから15分で神殿の谷に到着。現地ガイドは初めての日本人中野ヨウコさん。こちらに住んで30年というベテランだ。
神殿の谷というけれど神殿は皆小高い所にある。5か所の神殿のうちコンコルド神殿はほぼ原形に近い状態を保っているとのこと。ギリシャのものを含めてもNo1だそうだ。
ガイドの中野さん
カザーレ荘
 昼食の後ローマ皇帝マクシミリアンの別荘であるカザーレ荘へ。
ここの売り物はいろいろな部屋の床に描かれたモザイク。食堂、寝室、子供部屋、客室、大廊下などほとんどの部屋の床にモザイクがある。
狩り?のモザイク
カルタジローネ
 三つの丘の斜面に民家が建つ。標高は600m程。アラブ人によりマヨルカ焼きの技術が入った陶器の街。表札も陶板を使っている。カザーレ荘がモザイクならこちらは陶板画。
1606年に丘の上の街と下の街を結ぶ大階段が設置された。142段。1954年に改築されるが階段の蹴上げ部分を陶板で飾る。階段上の壁画、階段下の広場の前の建物内の上部壁画も素晴らしい。
 ラグーサのメディラネオ・パレス・ホテルには18:15着。
大階段蹴上げ部分は陶板貼り
陶板壁画
3月10日 ラグーサ
 9:00ホテル出発。新市街にあるホテルを少し北上するとイタリア大通りに出る。イタリア大通りの手前右側に大聖堂。祭壇の前にはキリスト磔の絵柄の巨大なタペストリーがかかっていて祭壇そのものは見えない。
 イタリア大通りを右に曲がりイブラ地区(旧市街)へと階段を降りて行く。途中見どころになっているのは教会ばかり。建物はだいたいバロックでベランダ下の支え部分に彫刻を施しているのが特徴。
 旧市街にもサン・ジョルジュ大聖堂があるが今日は入場出来なかった。時間の問題もある。イタリア人は12時から16時まで昼寝休憩時間なので、教会もご多分に漏れずその時間は休んでいる。
坂途中からのイブラ(旧市街)地区
ノート
 シチリア島東海岸南部の街。1693年の大地震で壊滅し、新しい場所に一から作り直したバロックの街。大聖堂、何とか教会の鐘楼は入場不可であった。
ベランダの下はどこも装飾してある
シラクーサのホテルには16時過ぎの到着。
3月11日 シラクーサ
 8:50ホテル出発。考古学地区へ行く。BC3世紀に造られたヒエロン二世の祭壇。ゼウス神に捧げる牛を一度に450頭も焼ける長大(198m×23m)なもの。天国の石切り場、ギリシャ劇場(BC5世紀に天然の岩盤を切り掘って作った)、ローマ円形闘技場(3世紀)。旧市街に入りアポロ神殿から大聖堂までの古代ギリシャ道では大雨。石畳の道が川のようになる始末。
ギリシャ劇場
ローマ円形闘技場
サンタルチア教会にはカラバッジョの“聖女ルチアの埋葬”の絵が掛かっているが撮影は禁止。日本のテレビ局が撮影していた。
カターニャ
カターニャには15:45の到着。シチリア第二の都市。旧市街は1669年のエトナ山の大噴火、1693年の大地震の災害後黒い溶岩と白い石灰石を基調としたバロック様式で復興する。シチリアで生まれた音楽家ベッリーニの名前を付けたベッリーニ劇場、そしてどういうわけかマリア・カラス通りもある。
黒、白を基調としたカターニャ大聖堂
 17:30にタオルミナに着くが、大型バスが入って行けないのでホテルのマイクロバスに分乗する。17:45にエクセルシオール・パレス・ホテルに着く。
3月12日
 ホテル9:00出発。英国王室ゆかりの女性フローレンス・トレヴェリアンの個人庭園だった市民公園、ベルベデーレ展望台へ行く。
ベルベデーレ展望台からの眺め
 標高600m人口800人の“イタリアの最も美しい村”に選ばれたカステルモーラにも行く。小雨の中歩く。
 岩の聖母教会(最後の晩餐のレリーフあり)を廻って、タオルミナの街へ戻る。カターニャ門から旧市街へ入り、サン・ニコラ大聖堂、4月9日広場を通りギリシャ劇場へ。シラクーサのギリシャ劇場と同じように海の景色を借景としている。保存状態はこちらの方が良い。ローマ時代はやはり闘技場として使用していたとある。
 今日の夕食はツアー代金には含まれず各自摂ることになっていたが、添乗員の、希望者は一緒にどうですか、の呼びかけに夫婦一組を除いて参加。当然イタリアレストラン。参加者のうちイタリアに詳しい人と添乗員にチョイスを任せる。前菜のうちのカルパッチョがおいしかった。家に帰って来てからオリーブオイルとレモン汁で挑戦してみたがうまくいかなかった。初めて食べるイカスミのスパゲッティやリゾットもおいしかった。やはりツアーに含まれている料理とは一味違っていた。
最後の晩餐のレリーフ
タオルミナのギリシャ劇場
カルパッチョの前菜
3月13日 第63報終わり
 カターニャ空港からローマ空港を経て成田には14日の11:15に到着。お疲れ様でした。
 今回のツアーは、夕方は結構速くホテルに入り翌朝はゆっくりした時間に出発であったので、連泊が少ないにもかかわらず楽であった。

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