パリ、クロアチア

2015年11月17日~12月3日  

12月17日
 パリでイスラム過激派(IS)の同時多発テロが13日に起き、120人以上が殺害される。今はそのニュースでもちきりだ。家族は全員反対だけど、パリの後のクロアチアがメインだから行かないと、と理由をつけ予定通りに出発。
エールフランスの座席は半分ほど埋まっている。定刻通りにシャルルドゴール空港に到着。第2ターミナルのほぼ中央にあるホテル・シェラトンまで結構歩く。ロビーで無事進藤さんと合流。
 今回の旅行の日程、宿泊先は私が決めたが、1日の細かい行先などのアレンジは進藤さんにしてもらう。
 パリでの宿、ベストウェスタン・サンルイはシェラトンからタクシーで77ユーロ。道路は混んでいて法定速度では走れず19時頃の到着。建物は4階建てで2~4階が客室。全部で12部屋程度、そして各部屋も狭い。ツインベッドにトイレ、シャワー室。スーツケースを広げてしまうと足の踏み場がなくなる。周りには寿司バーはじめ食いもの屋が多い。
12月18日 ヴェルサイユ宮殿
ホテルから歩いて5分もかからないメトロ1号線の始発(終着)駅シャトー・ド・ヴァンセンヌからメトロに乗る。5号線、サブウェイと乗り継いでヴェルサイユへ。宮殿には10時前に着く。
 並ぶこともなく入場できる。内部は絢爛豪華。特に柱、壁の上部の装飾が素晴らしい。
途中HISのツアーで来たという若い女性2名と言葉を交わす。テロのためツアーの参加者は半分になったという。HISでは今回はキャンセルしてもキャンセル料は取らず、参加希望者だけで予定通りツアーを催行したという。
ヴェルサイユ宮殿 国旗が半旗になっている
宮殿内喫茶室で休憩。喫茶室に日本人女性のマネージャーがいる。ここで7年働いているがこんなに暇なのは初めてという。
 ヴェルサイユ宮殿の裏がまた広い。左右に池があり、池の終わったところ(宮殿から100m程か)に巨大な凹面鏡がある。凹面鏡の収束地点は不明。
この凹面鏡から1段下がったところに噴水がある(この時に水は出ていなかった)。噴水の先5~600mのところからやはり巨大な十字架の形をした人造湖(Grand Canal)がはじまる。道はまっすぐ行く道、そしてそれと45°傾いた道、またそれと直角に交わる道など、幾何学的に作られている。
 噴水から斜め右方向の道をたどって行く(30分くらいか)とマリーアントワネットの住まいに出る。2階建てだが意外とこじんまりしている。内装も、壁のレリーフなどは素晴らしいが、絢爛豪華という雰囲気はない。
建物裏側の庭は広く綺麗だ。
 マリーアントワネットの姑の住まいもそばにある。こちらは大きく豪華でヴェルサイユの小型版だ。
庭からのマリーアントワネットの住居
ちょっと遅くなったがGrand Canalそばのレストランで食事。比較的安い(それでも9ユーロ)スパゲッティを頼む。なんか麺が柔らかすぎるし、全体にベチャベチャという感じでおいしくない。進藤さんが作った方がずっとおいしい。(以前麻雀のメンバーが足りない時に進藤さんが助っ人に来てくれて、スパゲッティを作ってくれた)
セーヌ川ボートクルーズ
 16:15発のセーヌ川クルーズに乗船。エッフェル塔近くから出発するクルーズ船。ヴェルサイユで会ったHISツアーの女性も乗船してくる。一緒に一番前に陣取る。会話は進藤さんにお任せ。
 進藤さんは以前に1度パリに来ているので、あれがノートルダム寺院とか張り切って説明している。船はセーヌ川をさかのぼりノートルダム寺院のある中州を廻って戻ってくる、1時間ほどのクルーズ。
鍵が沢山着けられている橋
 18:00過ぎにホテルに戻る。その前にスーパーに寄る。白ワインのソービニョンブラン750ccが3.25フラン。500円しない。フランスではワインが水より安いというのはあながち嘘ではなさそうだ。
 今晩はインターネットが繋がらない。昨晩、今朝と繋がったのに。レセプションに行くと、当ホテルだけでなくパリ全体で繋がらないとのこと。
11月19日 ルーブル美術館
ルーブル美術館の入り口前に8:30頃到着してしまう。列の1番前だ。9時開門でモナリザに一番乗りだと思ったが、もう先客がいる。若い日本女性2人組。
モナリザに近い入り口で待っていましたと言う。1番前で眺めるも、モナリザはガラスケースに入れられ、3m程離れたところに柵がありそれより前には進めない。
 日本女性2人組の言う3大展示物(モナリザ、サモトラケのニケ、ミロのビーナス)は見落とさない。
ここルーブルだけでなくどこでも写真撮影は可、フラッシュをたかなければいい。ミロのビーナス像前にはたくさんの人。モナリザより人気があるという意味ではなく、そういう時間になっていたということ。
 ここは像の回りをぐるっと廻れる。ビーナスの後姿をどうぞ。
オランジュリー美術館
 ルーブルに昼過ぎまでいて隣のオランジュリー美術館に移る。隣といっても歩いて15~20分はかかる。
 オランジュリーはモネの睡蓮8部作がメイン。この8点は皆大きい。高さ2m程、長さが6m~8m程、壁にピタッとはまっている。この睡蓮8部作に合わせてオランジュリー美術館は建てられたのだろう。
睡蓮 とにかくみんな睡蓮
地下にはルノワール、マチス、セザンヌ、ピカソ(初期の物)が多数ある。
凱旋門
オランジュリー美術館を出ると目の前はコンコルド広場。まっすぐなシャンゼリゼ通りを歩くと凱旋門にぶつかる。シャンゼリゼ通りの手前半分は簡単な木造の店舗。屋台といっても差し支えない程度の店。
後半はルイヴィトン本店はじめしっかりした建物のブティックなどが軒を連ねる。この辺りから小雨がぱらつく。
 凱旋門上から見ると、道路は放射線状にまっすぐ伸びている。その数12本。
まっすぐ放射線状に伸びている道路
今日もまたスーパーで買い物。ジャパニーズ寿司なるものを見つける。握り寿司風。
いやーひどいものだった。シャリが炊けてない。芯があるのだ。これで押し寿司風に固めてあるので食べられたものではない。かといって捨てるわけにもいかない。胃の中に無理やり押し込むしかない。こういうときにもワインは必要だ。
11月20日 雨 メトロ
今日もメトロで出発。ヴァンサンヌ始発は1号線。一番前の車両に乗る。
あれっ、運転手がいない。反対方向の電車もすれ違う時に目をこらすがやはり運転手はいない。東京のゆりかもめ、舎人ライナーと同じだ。全メトロがそうかというとそうではない。8号線など運転手がいるし、ドアは客の手動で開ける。電車は頻繁に来る、2分間隔で運転している模様。
 サブウェイは、私が乗った限りでは2階建て車両。こちらの人はメトロとサブウェイを明確に分けているようだが、切符は共通している。
オルセー美術館
  駅舎を改装してできた美術館。側壁に大きな時計がかかっている。0階には落穂拾いで有名なミレー、ロートレックが、2階にはゴッホの自画像、5階にはモネ、マネ、セザンヌ、ルノワールがまた沢山ある。モネの睡蓮以外の作品も沢山あるが進藤さんいわく、モネはやはり睡蓮だね。
2階のレストランが洒落ている。プラスチック製の椅子がカラフルなのだ。ここで食事を摂る。13時近くになると満員。
ノートルダム大聖堂
 オルセー美術館からサブウェイで1駅。雨の中歩いて行く。大聖堂入場は無料だが塔に上るのは有料。最近は高いところへはなるべく行くことにしている。狭い廻り階段を後ろの人の圧力を受けながら登って行く。登り切って隣の塔まで移動。移動場所が展望台。隣の塔は下り専用。登り下りともに一方通行なのだ。
エッフェル塔上部は雲に隠れている
リヨン駅にも行く。広い。23番線まである。平面的にあるわけだから広大だ。
列車車両は新幹線に比べて幅が狭いように感じられる。2階建て車両なので高さがあるからそう見えるのか。車両の中に入ってみようかとも思ったが、出発されてはまずいのでただ外から見るだけ。
 雨で暗くなるのが早いので17:30にはホテルに戻る。
11月21日 モンマントルの丘
  まずはサクレ・クール寺院。ノートルダム大聖堂と同じで寺院内は無料だが塔に登るのは有料。10時になっても切符売りの人が来ない。皆でどうしたんだろうと話をしながら数分待つ。1番前の人が列を離れ、しばらくして戻ってくる。手にチケットを持ち、向こうの自動販売機で買えるという。
 今は、雨は降っておらずエッフェル塔も先端まで見える。丘の広場は絵描きでいっぱい。散歩をしていると、似顔絵はどうですかと、スケッチブックを持った日本人のおじさんが声を掛けてくる。
寺院内のサクレ・クール寺院模型
屋台村
  シャンゼリゼ通りにはファーストフードの店ばかり固まっている屋台村がある。ジャガイモにカマンベールを乗せ焼いたものと玉葱、マッシュルームを炒めた物を買い、シャンパンの店に行く。
一昨日このシャンパン屋に美人がいるのを見ているのだ。でもこの美人は計算が得意でないらしくデポジットで取ったシャンパングラスの返金を間違える。
シャンパンを注ぐ美人 瓶を器用に持つ
エッフェル塔
  エッフェル塔への順番待ちの時に雨が降ってくる。気温も下がり寒い。今までで1番の混雑。エレベーターは古くオペレーターが座って操作するが、オペレーターは最近はやりの人で、上昇し始めるとすぐにスマホをいじくりだす。
途中の乗り換え場所までは斜めに上がって行く。展望台はオープンエアーで10cm角程度の金網で囲われている。赤線の丸の中に鍵の絵があり、鍵の真ん中を斜めに赤線が引かれている。金網に鍵を着けるなということだ。思わず笑ってしまった。
エッフェル塔から見た凱旋門
ヴァンセンヌ城
 メトロ1号線の始発駅シャトー・ヴァンセンヌはこのお城の名前をそのまま付けた。私たちの宿のすぐそばだ。
 日本語の説明書がある。それによると12世紀に狩猟のための館がおおもとで14世紀には要塞として整備される。16,17世紀の混乱期には君主が避難のため住居としている。フランス革命後は大兵器庫となる。
 城内の教会は改修中。だいたいどこの城にも、君主は皆神頼みが好きなようで、教会がある。
 パリでは良く歩き良く登った。毎日2万歩ほど歩いたのではないかと思うくらい良く歩いた。おかげで夜は良く眠れている。
11月22日 移動日
 パリ発ザグレブ経由でスプリットに着く。クロアチアは2回目。前回はプリトビチェまでは来たが、そのあと北上しプーラ周辺を回る。
 スプリットの空港でレンタカーを借りる。ベンツ。こちらの車はクラッチ付きが多い。オートマチックはベンツなどの高級車に限られる。左ハンドルの右側通行なので運転するときの負担を減らすためだし、また私の所有する車もオートマチックで慣れているので高くても仕方がない。
 レンタカー屋の係員にGPSに宿の住所を入れてもらう。Makarska 9 Split だがGPS にはこの番地は登録されておらず、Makarska 7を入力する。近所だからいいだろうと。Makarska 7に着くが、周りをうろうろしても宿のLuxury Apertments Matkoは分からない。
 これは困った、と周りを見回すとスポーツバーがあり電気が点いて人がいる。進藤さんが聞きに行ってくれる。“親切な人で電話をしてくれたよ、迎えに来るって。”
着いた先はマンションの1室。これを日貸ししているのだ。Matkoはマンション名ではなくマンションのオーナーで日貸ししている人の名前だ。Matkoという文字はマンション内外どこにもない。これでは住所が合っていても分からなかっただろう。
部屋は広い。2LDKで1部屋が広く全体では90平方メートルはあるのではないか。バスルームにはバスタブ、トイレ、洗濯機がある。シャワールームにはシャワー、トイレがある。電化製品はBoschで統一されている。鍋、皿などの食器類は6人分ずつある。洗濯機に乾燥機能が着いていればいうことないのだが。
日本でも今話題になっている民泊だ。私の住んでいるマンションでもそういう部屋があるらしく、違反だなどと大騒ぎをしている。借りる立場で言うと、なかなか住み心地はいい。
 値段は5泊で500ユーロ。現金で欲しいと言う。こちらのATMでユーロが下せるかどうかわからないのでクーナで明日支払うと返事する。領収書は持ってこない。オーナーは税金逃れで日貸しをしているようだ。
 スーパーは4~500m離れたところにある。早速仕入れに行く。白ワインのリースリングが2L入りで24.99クーナ。500円だ。これまた安い。安すぎて心配だが買ってみる。まずくない。一般の人が晩酌のように飲むのならこれで十分。お祝いの時には奮発して高いワインを飲めばいいのだから。
海のそば ベランダが長いマンションの1室
11月23日 シベニク
 スプリットから北西方向にあるシベニクへ。1時間ほど。聖ヤコブ大聖堂が世界遺産になっている。工事中ではあるが入場できる。天井のレリーフや主祭壇に飾ってある“神の母”なる絵は素晴らしいとは思う。
 丘には要塞がある。とにかく登る。30分程度か。要塞内には座席数百のホールがある。オープンエアーだが立派なものだ。
道の狭い旧市街のちょっとした隙間に増築し宿泊所を経営する者もいるようだ。入り口そばの壁にはベッドのマークが付いている。
食事が付いているかは分からない。
11月23日 クルカ
 シベニクの北にナショナルパーク・クルカがある。当初予定していなかったが行ってみる。これが良かった。行ったのはナショナルパークの南側の滝。
大きな滝は1か所なのだが小さい滝はいたる所にあり、水量は豊富でただ素晴らしいの一言。遊歩道も整備されている。プリトビチェが素晴らしすぎてクルカの名前は聞こえてこないが、シベニクに行くならここにも行った方が良い。ナショナルパークの北側もいいですよと言うが、車でさらに1時間と聞くと二の足を踏む。
遊歩道途中で雨が落ちてきて最後の方は駆け足になってしまう。
ナショナルパーク・クルカの滝
トロギール
トロギールはシベニク、スプリットの中間にある。小さな島で昔ながらの街並みを維持していることで世界遺産。中心はやはり大聖堂であるが、午前中だけのオープンで午後は入れない。
 30分も歩けば一周できそうな小さな島だが、案内図を見ると大聖堂を含めて教会が8か所もある。街並みは他と同じで石造り、狭い道。所々に渡り廊下みたいなものがある。
道の上は渡り廊下か?
進藤さん
 進藤さんは、私が仕事をしている時にお客さんの見積もり係をしていた人。英語が堪能で若い時から世界各地に行っている。今は親戚づきあいをしているアメリカ人のタンパの家に2か月/年は行っている。多い時は4か月も。
お互い旅行好きのせいか気が合う。ともに仕事は引退して年金暮らし。引退してからカリブ海クルーズ、冬の北海道格安ツアーを一緒に行っている。
 非常に豆で料理、洗濯を上手にしてくれる。今日の夕食にはパリでおいしくなかったスパゲッティを作ってくれる。
洗濯では私のズボンを干してくれたのだが、いつの間にか裏返しにしてある。ポケットが裏側にあるから途中で裏返しにした方が良いんだよ、とのこと。どの洗濯物もピッと引っ張って、たたみやすいように物干しに並べていく。
進藤さんと私
11月24日 スプリット旧市街
 何と言ってもローマ皇帝ディオクレティアヌスが隠居所として建てた宮殿。西暦295年から10年かけて建設された。大雑把200m角で周囲を城壁で囲まれていた。
 城壁の高さは18~20mというが、厚さはそれほどでもない。幅60cm程の石の単純積み。当時は大砲など無かったからそれで十分だったのだろう。門は各辺の真ん中にあり合計4か所。
現在は西側の城壁はそんなに残ってなく、西側の旧市街と境界が分からなくなっている。城壁内も当然変わっていて小さいお店、レストラン、住居などが混然としている。アッこのレストラン良いな、あとで食事に来よう、と思っても道が迷路のようで素直にはたどり着けない。
北側の門 左端の窓(2F,4F)には鉢植えが置いてあり、人が住んでいるのが分かる。
 地下は1Fと同じ間取りで作ってあったといい、有料で公開している。当時の宮殿外観想像図や石で出来た下水管、芸術品(絵他)を展示してある。
 ディオクレティアヌス帝は自分から退位した初めての皇帝だそうだ。キリスト教徒を徹底的に迫害したことでも有名なようだ。
外観想像図 南側は当時すぐ海だった
展示されている絵の1枚
サロナ遺跡
旧市街から山の方へ6km程行ったところにある。当時はこちらがこの地方の都で、スプリットの宮殿は何もないところに建てたようだ。ローマ帝国の崩壊で圧迫を受けた住民はスプリットの宮殿に逃げ込んだという。
サロナ遺跡は現在部分的に修復中。いずれ有料の施設になるだろう。ただここに行くまでの道路が狭い。私たちが通った道(GPSの指示)は乗用車がすれ違い出来ないほどに狭い。
11月25日 フバール島
フェリーはスタリグラード(古い街と言う意味)に着く。1~2kmで旧市街。i で街の地図を貰う。その時にiの位置、駐車場、行った方が良い所をボールペンで印をしてくれる。行った方が良い所はみんな教会。それからスタリグラードは街の東側が平原になっていて、ギリシャ時代の平原の区画が90m×180m程度で仕切られているということで世界遺産に登録されていると言う。上空から見れば良く分かるとも言って、線引きされた航空写真をくれるが、地上からでは全く分からない。
 街の北側にある丘にも登る。標高110m、往復1時間。旧市街広場の一角にあるレストランで昼食。客のおばさんが話しかけてくる。相手をするのは進藤さん。誰もが口にする、どこから来たに始まり何か喋っている。おばさんはどこから来たのか聞くと、オランダからだと言う。そして今はここに住んでいる、ここの方が過ごしやすい、と言う。まあオランダより暖かいだろうから。
ここのオクトパスサラダはおいしかった。
70クーナ。1400円程だから安いわけじゃない
フバール島
フバールの街のiには2時5分前に着く。係のおばさんは帰り支度をしている。2時までの営業なのだ。とりあえず街の地図は貰える。こちらも見どころとして印してあるのは要塞と教会。要塞へと登って行く。サボテンが自生している。やはり暖かいのだろう。
要塞とフバールの街
要塞内部には入れない。11月~4月までは休業とのこと。この後もいたる所で11月~4月の休業、時短には悩まされる。
坂の途中のベンチには黒人の女の子が2人座っている。何をしているのと聞くと、読書と言ってデジタル・ブックを眺めている。ロンドンから来たそうだ。このあと彼女とはドブロブニクの旧市街、ドブロブニク空港でも顔を会わせる。
 帰りのフェリーまで時間があるので見どころと印してある教会をすべて廻る、と言っても外観を見るだけ。開いていないのだ。いい散歩になった。
11月26日 オシミュ
 スプリットから車で1時間ほど南にあるオミシュに行く。土産物屋を兼ねている i に入り地図を貰う。ついでにすぐ目に入る要塞への行き方を聞くが、今はシーズンオフで閉鎖中ただし団体が予約をすれば開ける、とのこと。
オミシュの要塞
ダルマチア地方(アドリア海沿岸のザダールからドブロブニク)は海と山が接していて平らなところは少ない。そして山は岩、石で出来ていて生えている木も少ない。当然石は豊富だ。
オミシュ渓谷へ足を延ばす。道は舗装から砂利道へ、そしてだんだん細くなり他の車は見当たらない。急流までは行けそうにない。
こんなところにレストランがあるよ。コーヒー9.5クーナ。街でトイレを借りれば5クーナ取られる。それなら喫茶店でコーヒーを頼んでトイレも借りた方が良い。
 レストランのパンフレットにはWeddings,Pirate Night Eventsなど出ている。そういえば座席数は多い、結婚式の披露宴も出来るだろう。川ではあるが海にも数キロなので川幅も広く、昔海賊が川伝いに逃げてきたのかもしれない。
マカルスカ
オミシュからさらにドブロブニク方面へ1時間も行くとマカルスカに着く。海岸沿いを歩いてシーフードレストランの広告看板を見て行くが休み。さてどうしようかと思案していると、“May I help you”と声がかかる。このお姉さんの言うレストランに行ってみる。
 メニューはないと言う、ミートかシーフードどちらかだと言う。シーフードはシュリンプと言う。シーフードを頼む。しばらくたってから出てきたのはシャコの空揚げだ。殻を剥いて食べろと言う。指にとげが刺さって痛いし、エビ程には肉がない。
 冷たい雨が降ってくる。宿には16時頃の到着。フバール島へ行ったときにはフェリーの都合で遅くなったが、それ以外は暗くなる前(17:00頃)には宿に戻るようにしている。やはり外国での運転だから慎重を期している。
 夜は長いがパソコンなどいじって時間をつぶしている。
マカルスカの街並み やはり石山がすぐそばにある
11月27日 移動日
 係員が民泊の鍵を取りに来ないのでスタートが遅れる。そのうえ車のGPSがおかしい。国道をドブロクニクへ向かわなければならないのに山の細い道に入って行く。最初山の方に新しい高速道路でもできたのかと思っていたが違っていた。でもこの症状には思い当たりがある。
安いGPSはメモリーが一杯になるとでたらめの指示を出す。空きを作らなければならない。Historyをクリアーすると正常に動き出す。比較的高いGPSはメモリーが一杯になると自動的に古い履歴から消去して誤作動を防止している。
 途中ボスニアヘルツェゴビナの手前に珍しく平野がある。ここで柑橘類を栽培しているらしく、道路にはたくさんの売店がある。停まって店を眺めていると味見をしろとみかんを剥いてくれる。日本のミカンと同じだから少し買いたいが大きな袋単位だ。買わなかったら売店のおばさんは不機嫌になって、そっぽを向いている。
ストン
 ストンの手前のマリストンには13時過ぎに到着。ペリェシャツ半島の入り口にマリストンはあり、山(標高100m~150mか)を越えた西側にストンがある。この2つは要塞の東西の出入り口の関係にある。
 ストンの街で進藤さんが手紙を出しに郵便局へと行く。ついでにおいしいレストランを聞いてくる。街にはほとんど人がいない。土産物屋もレストランも閉まっている。教えてもらったレストランの扉をおそるおそる開けると、そこは地元民らしい人でいっぱいだった。
 生ガキ、ムール貝、海老のリゾットを貰う。生ガキは普通、ムール貝は、味はいいのだけれど身が小さい。殻は7~8cmあるのに身は1~2cmと小さい。そういう種類なのか季節的なものなのかは分からない。リゾットがおいしかった。フィッシュプレート(尾頭付きの魚など魚料理満載の大きな楕円形のお皿)を頼んでいるグループ客が多いように見受ける。
 満腹になったら15時を過ぎている。要塞に登りたかったが閉まっている。11月~4月はやはり閉鎖のようだ。
ストン側から見た要塞 左右の壁がマリストンまで続いている 約5km(片側)
 ドブロブニクのヒルトンには17時近くの到着。ドブロブニクの街に入ってからGPSの指示通りに一方通行を入って行くと工事中で通行禁止。繁華街へ入って行くもGPSはそこからの指示を出せない。結局街の人に聞きながらヒルトンに到着。今回はGPSについてはgoodではなかった。
11月28日 ドブロブニク旧市街
ヒルトンは、強固な壁で囲まれたドブロブニク旧市街の正門とも言うべきピレ門まで1~2分ほどの位置にある。その間にはバスストップ、i などがある。部屋は30平方メートルほどのツイン、当然バスタブもある。料金は朝食付きの5泊で53,080円。ちなみにパリのベストウェスタン・サンルイは5泊で朝食なしで93,783円、部屋の大きさは16平方メートルだ。物価の恐ろしさを感じる。
 ただ駐車料金は3,000円/日と高い。5泊で15,000円もするのだから。でも宿代と合計すれば68,000円程だからまだ安いと言う考え方もある。
 フロントのお姉さんはドブロブニクに3泊以上する人を対象に、ボランティアの無料ガイドがあると言ってiに予約を入れてくれる。
 10時前にiに集まったのは、アメリカ人男性1人、オーストラリア人夫婦2人、クロアチア人とおぼしき婆、母、娘と思われる3人、我々日本人2人。
 ガイドのおばさんは英語で喋っている。英語が分からないらしく、まずクロアチア人とおぼしき娘が脱落。しばらくして婆、母も脱落。私も脱落したかったが、進藤さんが熱心に聴いているので、仕方なしに付いて行く。
オーストラリア人夫婦は5ヵ月かけて、ヨーロッパをキャンピングカーで廻るんだと言っている。今まではルーマニアやブルガリアなど東方面を廻っていて、これからはフランスやドイツの西側を廻るそうだ。
 大通りの突き当り一角に1990~91年の独立戦争の記念室がある。犠牲になった人たちの写真もある。ガイドはこの人とこの人は私のいとこです、と言って涙を流している。ヒルトンが燃えている写真もある。
展望台
丘の上に展望台がある。ロープウェイが旧市街のそばから出ている。でも運休、やはり11月~4月。戦争で壊されずっと運転していなかったが2012年に復旧したそうだ。
 車で細い道を走って行く。所々にすれ違い場所が設けられている。たまに徒歩で登ってくる人もいる。ホテルの部屋から見えるのだ、ほら赤い服を着ている人が降りてくる。
ドブロブニク旧市街
城壁散歩
 城壁散歩にも挑戦。約2km、100クーナ(約2,000円)。反時計回りの一方通行。旧市街内には高校もある。女子生徒がバスケットボールをしている。私たちを見ると“コリア!コリア!”と叫んでいる。“No, Japanese!”と言いかえす。
 建物の屋根は新しいものと古いものがある。新しい屋根は戦争時に爆撃に遭ったものを修理したものだ。半分新しく、半分古い屋根もある。1時間15分かかる。城壁散歩の営業時間は10時~15時。15時以降は入れない、出るだけ。
夜散歩
夕食はホテルの受付係に聞いたクラリッサ。数百人入りそうな大箱だが、早い(18時過ぎ)せいもあるのだろうが客はいない。私たちが帰る頃に1組来る。夏はもう入りきれないほど客が来るんですよ、と言う。シーズンオン、オフではこんなにも違うんだ。
 旧市街はもうクリスマス、新年ムードでいっぱい。19時半頃でも子供が遊んでいる。まだ子供連れの人がどんどんやって来る。こちらの夜は長いんだね。カジノはあるけどやはりclosedしているという。やることのない私たちは9時過ぎには寝てしまう。
クリスマス、新年ムードいっぱい
11月29日 コトル
8時頃の出発でモンテネグロのコトルを目指す。1時間ほどで国境。さらに1時間ほどでコトル。後の1時間は殆どコトル湾の縁を走っている感じ。コトルはコトル湾の最深部にある。
 街全体が世界遺産。街は海と川と山に囲まれた三角形。他の街と同じように石造りの建物に石畳の狭い道。
 やはり要塞を登って行く。行き45分帰り30分。登りきったところで進藤さんと写真を取り合っていると、青年が一緒の写真を撮ってあげますよと声を掛けてくれる。日本人だ。ロンドンで働いていて休暇旅行中とのこと。
コトル旧市街
イワシが食べたい。以前尾関さんとのクロアチア旅行の時、ザグレブで食べたイワシの唐揚がおいしかった。シーフードレストランで進藤さんに聞いてもらうが、そんな安い魚は扱っていないと言われた。たしか看板で見たよね。ようやくBaked Sardineが乗っている看板を見つける。
イワシがあるか聞くとあると言う。でもFriedだと言う。それでOKだよ。出てきたのは4~5cmの小さいイワシを揚げて山盛りにしてある。どうも時期が外れているようだ。
11月30日 モスタル
8時前出発。ドブロブニクは飛び地になっている。スプリットから来るときもボスニアヘルツェゴビナに入りまたクロアチアへと入ってドブロブニクだ。モスタルへ行くのにはクロアチアからボスニアヘルツェゴビナに入り、またクロアチアへ入ってそしてまたボスニアヘルツェゴビナへと入って行く。帰りも同じルートを戻るからパスポートにはクロアチアのハンコだらけ。
 野生動物注意の標識は、日本では鹿が良く使われているが、こちらでは猪の絵柄だ。スピード違反で捕まるわけにはいかないので制限速度+10kmでゆっくりと走る。
 11時前モスタル着。ヒルトンの受付が言っていたように3時間かかっている。旧市街は狭いがモスタルの街は大きい。いたる所工事中でヒルトンも建設中だ。旧市街の通りは土産物屋だらけで、そこの人たちにはオスマントルコの影響が色濃く出ている。
 以前はクロアチア人のクリスチャン、ボスニアヘルツェゴビナ人のセルビア正教徒、オスマントルコ系のイスラム教徒が、たいした問題もなく共存していたという。
 1993年にクリスチャンとセルビア正教徒が手を組んで、少数派のイスラム教徒を追い出した。そのあとクリスチャンとセルビア正教徒が戦い、クリスチャンが境界となっていたスタリモスト(古い橋)を破壊する。
 2004年にはスタリモストは復旧され、2005年にはスタリモストと周辺が世界遺産に指定された。と何かの記事で読んだ。
スタリモスト
 他の小さい橋も同じ方式(オスマントルコのアーチ式)で架かっている。他と違うのは石畳だ。他の都市は殆どが大きい石を適当な大きさに切って12~15cmの厚さにして道に並べているが、ここでは丸い石を並べている。
 土産物も安い気がする。進藤さんがマグネットを買ったのだが1個1ユーロ。ドブロブニクでは1個2.7ユーロだ。
通貨はボスニアヘルツェゴビナ独自の通貨があるが、ユーロやクロアチア・クーナも使える。お釣りもユーロで貰える。
 ホテルには16時半頃到着。
モスタルの石畳
12月1日 フィッシュプレート
 午前中はドブロブニク旧市街再散歩。午後にはサンセットを見に行こうとまた旧市街に出かける。城壁の穴を抜けると岩場の一角に喫茶店がある。ただしコールドドリンクしか出さない。11月28日にきれいなお姉さんがいるのを見たのだ。でも残念今日はいない。
 旧市街を歩いていると声を掛けてきたおじさんがいる。進藤さんのジャンパーにはサントリーのBossが大きく書かれている。サントリーのロゴを見てサントリービール、サントリーオールドなどと言う。話をしてみると船の機関長をしていて日本には何回も行ったことがあると言う。
これからボートに乗って釣りに行くのだと言う。行く前にどこかに良いシーフードレストランはないか聞くと教えてくれる。あそこの城壁をくぐってすぐ右側にあると。
サンセット
フィッシュプレート、白ワイン2杯ともで320クーナ。クーナをそんなに持っていないのでユーロではと聞くと42ユーロ(この店はキャッシュオンリー)。目立たない場所にあるから安いのか。地元民らしき人が料理だけテイクアウトして行った。他のレストランではフィッシュプレートだけで450クーナはする。旧市街を歩いているとレストランの客引きがいてメニューなど見せてくれるから。
フィッシュプレート 海老、魚の下にご飯がある
12月2日 帰国
 4時前に起床。5時過ぎにはドブロブニクの空港に着く。レンタカーを駐車場に置き、キーをヨーロッパカーの事務所にドロップ。
 ザグレブ、パリ経由で成田へ。パリ-成田間がエールフランスなのでちょっとテロの心配が頭をよぎったが無事に成田到着。
 進藤さんはザグレブからチューリヒ経由で帰国。彼と私は貯めているマイルが違うグループなのだ。
第62報終わり
2015年11月 クロアチア旅行日程表
  11月17日(火)  成田発 12:10     シャルルドゴール着 16:55(AF275)
パリ5泊
BEST WESTERN Saint Louis +33 143741678
2 Bis Rue Robert Giraudineau Vincennes 94300,France
11月22日(日)パリ発 12:35    ザグレブ着 14:25(OU471)
ザグレブ発 15:05    スプリット着 15:50(OU654)
スプリット5泊
Luxury Apertments Matko +38 5992963889
Makarska 9 Split,2100,Croatia
空港にてレンタカー借入
11月27日(金)ドブロブニク5泊
Hilton Imperial Dubrovnik Hotel +38 520320320
Maijana Blazica 2,Dubrovnik City Center,Dubrovnik,Croatia
12月2日(水)ドブロブニク空港でレンタカー返却
ドブロブニク発 6:40 ザグレブ着 7:35(OU661)
ザグレブ発 9:00 シャルルドゴール着 11:05(OU470)
シャルルドゴール発 13:40
12月3日(木)成田着 9:40(AF276)

PAGE TOP