イスタンブール・北キプロス

2010年8月11日~8月20日  

キプロスと言っても…
 トルコで、または北キプロスでキプロスと言っても誰も分からない。英語ではCyprus(サイプラス)、トルコ語ではKibris(クブルス)、どちらかで通じる。そうするとキプロスとは何語なのだろうか。ウィキペディアで調べてみると、現代ギリシャ語ではあるが正式名だと長いので通称がキプロスということだそうだ。
 現在キプロスは南北に分断されている。南西側60数パーセントがキプロス共和国。北東側約37パーセントが北キプロス・トルコ共和国。北キプロス・トルコ共和国を承認しているのはトルコだけ。共和国側2箇所にイギリスが軍事基地を持っている。
1箇所は国連緩衝地帯に接しているからイギリス軍が国連軍の代わりを務めているのかもしれない。
 キプロスは地中海第3位の大きさの島。古来より色々な国の支配下に入るが、1571年オスマン帝国の支配下に入って以来ギリシャ系、トルコ系住民が多くなる。1914年にはイギリスの植民地となる。このときにイギリスは住民の不満が自分たちに降りかからないように、ギリシャ系住民とトルコ系住民を仲たがいさせるような政策を採る。これがいつまでも響いている。
 1960年に独立。1974年にギリシャ系住民のうちのギリシャとの合併派がクーデターを起こす。トルコが軍事介入して島を分断、今に至る。
 イギリスはキプロスでは国連軍の代わりかもしれないが、世界中あちこちに紛争の種になりそうな領土を持っている。スペインも領有権を主張しているジブラルタル、アルゼンチンが領有権を主張しているフォークランド諸島。ここは現に1982年に戦争になっている。他にもかなりある。イギリス領とはしていないがクェートもたしか、イギリスがイラクから無理やり独立させた国と聞いたことがある。湾岸戦争はまだ記憶に残っている。
8月12日
 ベストウェスタン・アクロポール・ホテルには深夜の0:45に到着。ブルーモスク、アヤソフィア、トプカピ宮殿のそばのホテル・飲食店街にある。この地域にはベストウェスタンに所属しているホテルが、私が見かけただけでも3つある。アクロポールの宣伝文句の1つに空港への送迎というのがあったのでここに決める。
ブルーモスク
 9:00頃の出発でホテルから1番近いブルーモスクへ行く。入場無料。靴は脱ぐ。絨毯が敷き詰められているので足が冷えることはない。内壁にブルーのタイルを多用しているのでブルーモスクと言われているらしい。正式名はスルタンアメフット・ジャーミィ。
ブルーモスクのステンドグラス
モザイク博物館
 地球の歩き方の地図を眺めていると、ブルーモスクの裏側(南東)すぐにモザイク博物館というのがある。行ってみよう。
 でも入り口が分からない。木陰で休んでいるおじさんに聞いてみよう。親切に教えてくれるが、その前に店に寄ってお茶を飲んでいけ、と言う。道路を挟んで木陰の反対側の土産物屋がおじさんの店だと言う。しまった。色鮮やかや茶碗を2個購入。
おじさんとその店
ブルーモスクの裏側にアラスタバザールという土産物屋街がある。その裏庭にモザイク博物館の入り口はある。ビザンチン帝国時代のモザイク。案内の指示に従って進んでいくと地下の展示室を通りまた上階へと出る。出口を出て周りを見渡すと、アラスタバザールの下に展示室がありバザールの反対側に出たことがわかる。
復元されたモザイク
アヤソフィア
 地球の歩き方によると西暦325年に建築が始まり360年に完成したビザンチン建築の最高傑作だそうだ。先ほど行ったブルーモスクはスルタンアメフット1世の命により1616年に立てられたモスク。最初からモスクだったわけだ。
 アヤソフィアは最初は教会だった。ビザンチン帝国時代はギリシャ正教の大本山。1453年コンスタンチノープルが陥落すると、
地名はイスタンブールになり教会はモスクとなる。イエスなどのモザイク画は全て漆喰で塗りつぶされる。
 1931年アメリカ人の調査隊により漆喰の中のモザイク画が発見されてからはアヤソフィア博物館となる。
入場料20トルコ・リラ(1,200円程度)靴は脱がなくて良い。
ギリシャ正教時代のモザイク画
トプカピ宮殿
アヤソフィアのすぐ北隣がトプカピ宮殿。入場料はやはり20。
宝物殿にはそれなりのものがあるが、全体の印象としては地味。
ヨーロッパのほとんどの宮殿はもっとキンキラキン。それに対してここは光物が少ない。内装のほとんどがタイル。それはそれなりに見事。下絵を描いて1枚1枚が手作りだから価値はかなり高いと思う。
民族的な価値観の相違としか思えない。
 宮殿敷地内のハーレムに入るのにまた入場料を支払う。15。ほとんどというより全てがタイル。見事にブルー系のタイルで統一されている。
ハーレム
オールドバザール
 ホテルに戻り昼食、昼寝。昼食は煮込み料理をチーズで閉じてあるような物。トルコ料理だろうが結構おいしい。ただスプーンですくって食べるだけでなく、パンにも乗せ食べる。当然ビールも1杯。
 トラム沿いを、1駅なので歩いていく。入り口にはポリスが立っていて中に入っていく人に金属探知機を当てている。一目で観光客と分かる人には当てない。
 高級品を扱っているらしい店は通路とガラスで仕切り、やはりガラス製のドアを開けて入るようになっている。でもほとんどの店は狭く商品は通路にまで進出している。貴金属、カーペット、土産物、革製品、衣類と色々あるが食料品は見かけない。
オールドバザール
ガラタ塔
 オールドバザールでは結局何も買わずガラタ塔を目指す。最近は高いところにはなるべく上るようにしている。
トラムに乗り、来た方向へ戻るように、ブルーモスクの最寄りのスルタンアメフット駅を通り越し、金角湾を渡ったところにあるカラキョイ駅で降りる。坂を昇っていくと小高いところに塔はある。エレベーター付きで入場料は、忘れた。
 展望フロアーの下階は、昼はカフェテリアにレストラン、夜はナイトクラブと入場券に書いてある。入場券の裏には、この塔はビザンチン時代の528年に建てられた等歴史も書いてある。
またナイトクラブではトルコの民族舞踊やベリーダンスも行われるとある。67mの塔だが周りには高い建物がなく眺めは良い。
 夕食はホテルの数件先のフィッシュレストランへ行く。まずビールとオクトパスサラダを頼む。オクトパスサラダは蛸のぶつ切りに酢とオリーブオイルをかけ小さい皿に盛ったもの。これで15リラもするの!というような代物。あまりにも少ないのでポテトサラダも頼むが似たようなものだった。
8月13日 キプロスへ
 6:00起床の7:20頃の出発の予定であったが、クブルス・トルコ航空がどちらの飛行場から出るのか分からず、ホテルのレセプションで調べてもらうのに20分ほどかかる。(アタチュルク国際空港のほかにもう1つ空港がアジア側にある)
結局昨日降りたアタチュルクでよく、タクシーに乗り8:00頃に到着。
 出発棟入り口の案内図でクブルス・トルコ航空の場所を探すが、どこにもない。空港職員らしい制服を着てタバコを吸っている2人組に聞くが、しばらく考えてからAカウンターへ行けと言う。
 Aカウンターはフラッグシップのトルコ航空だ。いいのかなと思いながらも列に並ぶ。案の定、しばらく考えてからうちではないからインフォメーションへ行けと言う。インフォメーションではアトラスジェットのチケット売り場へ行けと言う。場所は一番左奥のHカウンターのその先だ。アトラスジェットでは、紙を寄越しクブルス・トルコ航空へ行けと言う。場所は?と聞くと、Aカウンターの奥だと言う。
また端まで歩く。あったあった、KIBRIS TURKISH AIRLINESと書かれた狭い部屋におばさんが1人座っている。
アトラスジェットの紙を差し出すと、通り一遍目を通してゴム印をぽんと押し、アトラスジェットへ行けと言う。また端まで歩く。
アトラスジェットの人はそのゴム印を見て、Hカウンターのアトラスジェットへ行けと言う。ようやく搭乗券の発券だ。
 思うにクブルス・トルコ航空は倒産してしまい、予約客はアトラスジェットで運ぶことになった。その後始末の手続きにおばさん1人がAカウンターの後ろの狭いところにいるのだろう。
でも日本だったら、ご迷惑をかけて申し訳ありません、くらい言うのだろうがそんなそぶりはまったくない。
 パスポートコントロールに並んで飛行機に乗ったのが9:15。
飛行機は15分後に予定通り離陸。ああ疲れた。
なぜ北キプロスかって
 キプロスへ行こうと考えたときに当然ながら調べる。(少しだったけれど)
南北に分かれているのはすぐに理解できた。南は国際的にも承認されアムステルダムやフランクフルトなど色々なところからのフライトがある。また世界遺産も文化遺産が3箇所登録されている。キプロス共和国の日本事務所に連絡してみる。
 北キプロス・トルコ共和国を完全に認めていない。が少し緩和されキプロス共和国の観光客は北へ行ってもいい、だが17:00までには戻らなければいけない。また北キプロスへ入った観光客のキプロス共和国への入場は認めない。
 また別の関係者は北キプロスのエルジャン国際空港の存在そのものを認めていない。キプロスにはラルナカとパフォスの2箇所しか空港はないと言い張っている。
 北キプロス・トルコ共和国はそんなうるさいことは何も言わない。インターネットのある書き込みに寄ればこの人は、パスポートに北のスタンプがあるとキプロス共和国、ギリシャでは入国を拒否されるから別の紙にスタンプを押す。この紙はなくさないで帰国時に提出するように、と入国管理官に言われたと感激している。
でも私の場合には、しっかりとパスポートにスタンプを押された。
まあギリシャ人はずるくて怠け者だからもう行かないと思うけどね。
 あとやはりカジノがあることだね。以前にはトルコ本土にもカジノはあったそうだ。今はなし。思うに北キプロス・トルコ共和国を活性化するために(お金を落してもらいたくて)、本土では禁止にして、カジノ&リゾートを奨励しているのだろう。
オスカーホテル
 エルジャン空港には期待していなかったがオスカーホテルの車が待っていてくれた。北へ向かい山脈を越えると海岸沿いのリゾート地。メインストリートを西に向かい2〜300m北側に入ったところにオスカーホテルはある。ホテルの裏側(北側)はプールにプライベートビーチ。あっそうだ、迎えの車の運転手にチップを渡すのを忘れた。最近はもうすぐに忘れてしまう。ここ何年ってベッドにチップを置いたことがない。チップなんか払わないぞと意識して置いていないわけじゃない。ただ忘れるだけ。
部屋はアクロポールより広い。塗装もやり直してある。
でも床と幅木の間に隙間が開いていたりする。風呂場のコーキングは下手で見るに忍びない。風呂の栓が合わない。この栓は洗面台にも合わない。何でこんなものをおいてあるのか理解に苦しむ。靴下を丸め風呂の穴に突っ込んで湯をためる。おかげで靴下は毎日洗濯する。気にしないにしよう、なんてたって安いのだから。4泊で36,000円。
私の部屋は4階建ての3階だが、プールの横には2階建てのファミリー向けの棟もある。
プライベートビーチに入ってみる。地中海だ。今までスペインにも行った、フランスにも行った、モナコにもイタリアにも行った。でも地中海での海水浴は初めてだ。
 足のすねを何かがかじっている。小魚が足をつついているのだ。何箇所もあるプールのひとつにジャグジーがある。ここでも数十分を過ごす。
オスカーのプール。椰子の木の向うがプライベートビーチ。
カジノ・ギャラクシー
 オスカーホテルの地下にカジノ・ギャラクシーはある。でもホテルとは繋がっていない。一度外へ出なければならない。
ハローと言って入場。パスポートのチェックもボディーのチェックも何にもなし。入ってすぐ左側、全体の1/4ほど工事中。黒い細かいメッシュの布を垂らし溶接などしている。
テーブルゲームはルーレット、ポーカー、ブラックジャック。
バカラはなし。
ブラックジャックのミニマム10のテーブルを開けてもらう。1人だと2箇所に賭けてくれと言う。目がまったく出ず200負け。
 オスカーの東側、歩いて5分ほどのところにパレスホテルがありここにはカジノ・ビバがある。
敷地内入り口に門番がいる。カジノへ行くと断り入っていく。左手奥がホテル。
カジノはすぐ右側で別棟。ここも工事中というか、1階の屋根から鉄筋が何本も突き出ている。でもやる気はなさそう。
 私の定番ブラックジャックは1台だけ。ミニマムはUS$15。誰もいない。ポーカーは何台もあり客も着いている。テキサス・ポーカー、カビリアン・ポーカー、ロシア・ポーカーとポーカーだけでも3種類ある。
 ルーレットはミニマムUS$1。4点掛け(4個の数字の真ん中にチップを置く。4個の数字どれが来てもあたりで、9倍になって戻ってくる)4箇所でしばらく遊ぶ。
 ビバには食事コーナーがある。そちらに行くと黒服が寄ってきて何か飲みますかと聞く。ビールを頼み、おなかがすいたので食べ物のメニューはあるか聞くと、メニューはないがバーガーでどうかと言う。バーガーって何だっけ。とにかくそれを頼むと、ハンバーガーにフライドポテトが山盛りの皿が来る。そうかバーガーとはハンバーガーのことなのか。簡単に分かりそうなものだが旅行中はやはりぼけている。
 フライドポテトには手をつけず、ボーイを呼んでベジタブルサラダを頼みなおす。ボーイはイエスと言ったが黒服が確認に来る。レタス少々、きゅうり、トマト、パプリカ、地野菜にオリーブオイル。
 ギャラクシーに戻る。ATMはないのでクレジットカードで1,000リラ都合してもらう。
 ブラックジャックに先客がいる。今度は1箇所賭けで大丈夫だ。最初から調子良い。チップはどんどん増える。ケツの人が調子に乗って10、10をスプリットしてから流れが変わる。
21時、早いけど終わりにしよう。さっき損した200を取り戻す。
8月14日(土)ギルネ城
 予約したつもりのレンタカーは来ない。インターネット予約の控えを見ると最終予約までいっていない。予約の手前で止まっている。
なぜだか分からない。飛行機もホテルもちゃんと予約されているのに。半年も前だからなぜ予約手前で止まっているのか思い出せない。
 ホテルの汽車型バスでギルネ城へ行く。ホテルの西側2kmほどの海辺に建っている。ぐるっと1周するが入り口が分からない。
2周目に城址と連絡橋で繋がっている切符売り場を、城址とは反対側の階段の上に見つけ無事入場。
 城はビザンチン時代に建造。アラブの海賊から島を守るための砦だったという。その後ヴェネチア、オスマン、イギリスと持ち主は変わって、使われ方も城砦だったり居城だったり牢獄だったりしたそうだ。地中海で3番目に大きい島だからその時代の覇者によって都合よく使われただろう。
ギルネ城と地中海
 ホテルの汽車型バスは1時間後に来ると言っていたが来ない。 ホテルまで歩く。20分。
グゼリュート
 昼寝後タクシーでグゼリュート、レフケへ行く。共にギルネから南西方向。1時間以上かかってグゼリュートに到着。
途中タクシーから外を見ていると緑は少ない。山は岩だらけ、平らなところも耕作している様子はない。たまに木が十本ほど植わっているので何かと聞けば、オレンジだと言う。山は石灰岩のように見えるがセメント工場みたいなものはない。
 車は左側通行。建物の1階はグランドフロアーとイギリスの植民地の時代そのままにしてある。トルコでは車は右側通行。
 海岸沿いでは見かけなかったがレフコシャからグゼリュートへ行く道には何もないところにポツンとナイトクラブが建っている。ポツンポツンと何軒も。これも活性化の一部だろうか。
 グゼリュートの博物館に入る。石ころから魚、蛇、鳥いろんなものを飾ってある。多いのはBC1世紀時代の壷などの製作物。
600-475BCとある
聖ママス修道院
 聖ママス修道院の場所を運転手が博物館の館長に聞いている。隣だと言う。管理も一緒にしていると言う。助手が鍵を開けるから着いて来いと手招きする。
 修道院の中の教会の鍵を開け、ライトを点け、扇風機も回してくれる。ママスは12世紀のこの地域のキリスト教の聖人だそうだ。中に入るとおおっという感じ。そんなにきらびやかではないが、モスクが地味なせいかきらびやかに感じる。イスラム教の中にあってよくぞ残してくれたと感じる。
聖ママス教会内部正面
再度南西へ。30分ほどかけてレフケのローマ時代のソリ王国の遺跡。バジリカの床のモザイクが残っている。辞書で見るとバジリカ(Basilica)とは長方形の会堂で法廷、集会場に用いられたとある。その長方形をもっと大きな長方形の屋根で覆ってある。
床のモザイク
レフケにはブニ宮殿の遺跡もあるのだがもう5時前。今から行っても閉まっているという。そういえばこのソリ王国の遺跡の営業時間は9:00〜16:45となっている。残念。今日のタクシー代は200リラ。 夜のカジノは思い出したくない。
8月15日(日)港
 9時頃の出発でギルネ城の横の港の周りを散歩。とにかく暑い。冷たい水、冷たいビールの飲みすぎで胃の調子がよくない。
港にはレストランがいっぱい。その奥には観光用ボートがぎっしり。話を聞くと昼食付で10:00時から17:00時までのクルーズで40リラ。乗りたかったがまた14:00時からタクシーを予約してある。
 裏通りの路地には石造りの2階屋がある。石の色はギルネ城なんかと同じ茶色。まだ人が住んでいるよう。
観光用ボートとギルネ城
ホテルまで歩くが新しいアパートメントにはプールが付いている。どういう人が住んでいるのだろうか。友人いわく、リゾートマンションみたいなもので海外のお金持ちが時々来るんじゃないの。
 植民地にしていた関係か、どんよりした国から休暇を過ごしに来るイギリス人は多いと本に書いてある。
遺跡めぐり
 14:00出発。昨日と同じ運転手。
まずギルネの南側の山の上にあるThe St. Hilarion Castle。急峻な山の上の、やはりビザンチン時代にアラブの襲撃に備えて建てられた城。名前のいわれは8世紀に聖ヒラリオンが山の洞窟で修行をし、その後10世紀になって跡地に城が作られたからという。
運転手は入り口で30分待ってるよ、と言うが30分では帰ってこられなかった。1時間近くかかっただろう。
 入り口近くにも売店はあるが山の上にもある。水500ccペットボトルは2リラ。ちなみにイスタンブールでは0.5リラ。ギルネの町では1リラ。オスカーホテルのミニバーのは4リラ。
ヒラリオンキャッスル
 次はThe Bellapais Abbey。山ではないが丘の上。フランス・ゴシック建築の傑作と言われているようだ。
キプロスで初めてフランスが出てきた。澁澤幸子氏のキプロス島歴史散歩によれば、第7次十字軍を率いたフランスのルイ9世はキプロス島に上陸したが、島を引き上げるときに建築家、画家、石工を残していった。彼らがキプロス島のフランス・ゴシックの製作者だとのこと。
ベラパイス修道院
 教会内部は聖ママス教会と同じくキリスト教の飾りがそっくり残っている。イスラム原理主義者がアフガニスタンのバーミヤーン遺跡の石仏など破壊してこわもての印象が強いが、本来のイスラムというのは結構寛容なのではないかと思われる。
 ベラパイス修道院の屋上から周りを見渡すと、丘のちょっと下にプール付の豪邸が点在している。やはりイギリスあたりの金持ちの別荘なのか。
 次はThe Hz.Omer Tomb。ここはギルネからメイン道路を東に数キロ走ったところの海岸にある。非常に小さい建物で中を覗くと、30代の男性がガラス戸を開けてくれる。靴を脱いであがる。礼拝所が2箇所ある。女性2人がコーランか何か分からないが本を読んでいる。長居するところではなさそうなので、すぐに辞去する。
インターネットのガイドにはお墓と小さいモスクと書いてある。お墓は7世紀に亡くなったオスマンの指揮者オマーの物とある。
The Hz.Omer Tomb
 今回廻った遺跡はインターネットの北キプロス観光の見所のページを印刷し、タクシーの運転手に半日で廻れるところを選んでもらい、訪れた。
チャイニーズガーデン
 夕食はタクシーで中華料理。運転手は4箇所あると言う。
Tombの帰り道海側に大きな新しいカジノ付きホテル、左側に赤い中国風の門を確認している。そこへ行ってもらう。
名前はチャイニーズガーデン。名前のとおり庭での食事。もちろん室内にもテーブルはある。
 ビール大2杯。その時のつまみに海老のローストを1つ。青いレモンの半割が付いている。周りを見るとレモンの木にたくさんの実がなっている。
マスターは、レモンは自家製ですと笑っている。ゴマがたくさん付いていたがおいしい。付け合せの野菜がもっと多ければ言うことなし。
あとはビーフ入り焼きそば、白ワイン1杯。35リラ。
チャイナガーデン食事風景
 新しいホテルに入ってみる。地下のカジノはゴージャスな感じ。初めてパスポートの提示を求められる。構成はどこも同じ。スロット、ルーレット、ポーカー、ブラックジャック。バカラ系はなし。ブラックジャックのミニマムがUS$25と高いのでぐるっと廻っただけで帰る。
ポーカー
 ギャラクシーのブラックジャックで200負け。別のブラックジャックへ移るもあっという間に100負け。今日気づいたのだがここもUS$立てであった。今までトルコリラ立てだとばかり思っていた。まったくドジなことだ。
顔なじみになったスーパーバイザーがポーカーをやってみろと言う。
ポーカーにはチップを置く円い輪が3つある。1番上にはUS$1のチップを置く。これはディーラーのシャッフル代みたいなもので1回終わると勝ち負けにこだわらず必ず取られる。
 次の輪には賭け金を置く。ミニマム10。これで準備OK、スタート。ディーラーに教わりながら始める。
何の役も出来ないときにはカードをディーラーの方へ押しやり置いた11は取られる。ワンペアーでもツーペアーでも出来きて勝負するときには、3番目の輪に10の倍の20を置く。勝った場合には出来ている役によって配当は異なる。
 5枚のカードのうち何枚かを交換するときには2番目の輪に置いたのと同じ金額を支払って交換してもらう。
 何だかついてきたようなので2番目の輪の掛け金を倍の20にする。手の内はハートが4枚、クラブが1枚。20支払って1枚交換。来たカードはハート。フラッシュの完成だ。3番目の輪に40置いて勝負。
 ディーラーは5枚ばらばらで何の役もなし。この場合は勝負にならず、2番目の輪に置いた20に対する配当だけで20くれる。カードの交換手数料を考えれば、フラッシュなのに元。
Only twenty?と聞くとYes。バカバカしくなってFinished。
でもポーカーで結構稼いでブラックジャックの負けは取り返して少しお釣りがあった。
 まだ22:00。隣のVIVAへ行ってみる。思ったとおりブラックジャックには誰もいない。2箇所に賭けて始める。若い女性ディーラーの時に増えていく。人が来る。お互いに増えていく。
その人が8,8でスプリット。4と5を引く。ディーラーは5なのだからステイしろと思っても口には出せない。ついているときはセオリーどおりでいいのだ。ああ馬鹿やめろ、といってるのにヒットする。2箇所とも絵札を引いてドボン。
これで流れがガラッと変わる。2箇所賭けたり、3箇所賭けたり、賭け金を変えたりするがもう流れは戻らない。今日は終わり。600になる。元は200。
 でも今日ほどソーメンや冷麦を食べたいと思ったことはない。次回からは麺、鍋、ヒーター、麺つゆ持参で旅行へ行くか。
8月16日(月)バスツアー
 テレビの天気予報は晴れ、気温はレフコシャ36℃、東京36℃、ロンドン19℃。ここも暑いけど東京も暑いのね。ロンドンは寒いくらいね。
 昨日オスカーのロビーでバスツアーを募集していたのでレフコシャ(ギリシャ名はニコシア)、マグサ(ギリシャ名はファマグスタ)のツアーに応募した。
トルコ人ばかりでトルコ語しかしゃべりませんがいいですか、と何回も念を押されるがOK、No problemと返事してある。
 指定の9:00にロビーに行くと、人が集まらないので中止と言う。
 オスカーの汽車型バスに乗る。隣のおばさんもミニバスでレフコシャに行くと言うので付いていく。おばさんはオスカーの客ではなく近所に住んでいる。ミニバスの出発点まで歩くと20分ほどかかるので汽車型バスを利用しているとのこと。もちろんただで乗っている。
 ギルネ城そばで汽車型バスを降り、5分ほど歩いてミニバス乗り場へ。料金は4。途中の停留所で係員がバスに乗り込んできて徴収する。おばさんは手前で降りるが私は終点まで。
 レフコシャは城壁に囲まれた街。ミニバスは城壁の北の外側に停まる。感で南方向を目指し歩いていく。
レフコシャの街
道路沿いに商店が増えてくる。ほとんどが衣類。飲食店も増えてくる。
国境らしいところに出る。一番右側のブースでは南キプロスツアーのチケットを売っている。
国境
南側に入ってみようかと思ったが、北側もまだそんなに歩いていない。北側をもっと歩いてみようと思うが暑くて暑くて、もう帰ろう。
 夕食はまたチャイニーズガーデン。今日はチャーハン。
  店主が言うには、キプロスは5月がいいですよ、暑くはないし花がとてもきれいですよ。
 カジノは、昨日の儲けがみんなパー。あ〜あ。
8月17日(火)ボスポラスクルーズ
 4:00起床、5:00ホテル出発、7:00飛行機出発。アクロポールホテルには10:00着。
ボスポラスクルーズは10:30からとガイドブックに書いてある。レセプションに問い合わせると、午前の部は間に合わない、午後の部をこちらで手配しますと言う。
 13:15に迎えのバスに乗ると、アメリカ人女性、オーストラリア人女性、男性ガイドがもう乗っている。
クルーズの前にガラタ橋近くのエジプトバザールへ行く。その昔エジプトからの貢物を集めて運営していたのでそういう名前が付いたと書いてある。
 この中の1軒でドライフルーツの詰め合わせを土産に5パック買う。
帰ってきてからよく見ると虫がパックの中に入っている。羽蟻みたいなのが動いている。結局全部捨てる羽目になる。買い物は相変わらず下手だと自分でも思う。中継地のロンドンでチョコでも買えば無難なのは分かっているが、それでは面白くないしね。
虫入りドライフルーツの店
 ボートには出航15分前に乗る。適当な場所に座り、写真を撮るときには移動すればいいと考えていたが、出航間際には満員となりベンチの移動は難しくなる。
私たちのボートと同じような観光用ボートがたくさん海峡を走っている。
クルーズは1時間20分。
 その後アジア側にあるイスタンブール最高峰のチャムルジュの丘に行く。頂上の公園で一服。
ヨーロッパ側とアジア側とを結んでいるボスポラス大橋は大混雑。北にはもう1本ファーティフ・スルタン・メフメット大橋がある。こちらは日本の協力で建てられたそうだ。やはり混雑していることだろう。
 公園での少しの散歩のときにオーストラリア女性にワラビーズを知っているか聞くと、かなり詳しい。ジョン・イールズがキャプテンのときにワールドカップで優勝した、その決勝戦をウェールズのカーディフで見ていたなど話す。
オーストラリアのどこへ行ったのか聞かれケアンズ、タウンズビル、ブリスベーン、シドニー、キャンベラ、メルボルン、ちょっと下ってタスマニア、アデレードそしてパースと答える。
ダーウィンは?
この次。
Very hot.冬に行ったほうがよい、と言う。
でもダーウィンはもう赤道に近く、夏冬あるのかなあ。
左からオーストラリア女性、アメリカ女性、私、ガイド
ガイドが私に言う。
先ほどボートから、あれがイスタンブール最高のレストランです、と案内したら彼女たちが今晩あそこで食事がしたいというんですよ。玉庭さんもどうですか?
No problem.いいですよ、行きましょう。
20:30の出発と言う。
もっと早いほうがいいんだけど。家でも18:00頃、旅行に来てもその頃には食べ始めている。
ビールでも飲んで時間をつぶすか。
レイナ
 イスタンブール最高といわれるレストランの名はレイナ(Reina)。彼女たちはウォッカが好きとカクテルを頼んでいる。料理も前菜、サラダ、メイン、デザートとすべて頼んでいる。
私はワインと前菜と付け合せのパンで充分なのだけど、アメリカ人女性がサラダくらい食べろと言うので、スモークサーモンのサラダも頼む。
彼女たちはよく食べるなと思い見ていると、1人前のフルコースを取り2人で食べているようだ。今以上太ったらまずいよね。
どういう関係かは分からないが2人で一緒に旅行しているようだ。
アメリカ女性が2杯目のカクテルを頼んで口をつけると、ウェイターを呼び何かが足りないと言っている。バーテンは作り直す羽目になった。ここらははっきりしている。
また時間の使い方がうまいというか、やはりうまいんだろうね。食事の後川沿いに降りていってコーヒーを頼む。1杯のコーヒーで1時間つぶせるんだから。
このコーヒーのウェイターの話で分かったのだが、ここはレイナを含め4つのレストラン、喫茶店の複合体だそうだ。場所によってうちでは飲み物しか出さないとか不思議なことを言っているなと思ってはいたのだ。
結局ホテルに戻ったのは24:00頃。タクシー運転手は道が分からず、このあたりかとブルーモスクのそばで降りる。夜中にもかかわらず周囲は大混雑。こちらも道が分からなくなり3回聞いてようやくホテルに到着。
ディナー風景
8月18日(水)グランドバザール
 再度グランドバザールへ行く。以前NHKで絹のパジャマの効用を放映していた。インターネットの通販では9,000円前後が多い。
昨日ガイドが、僕は結婚するときに絹のパジャマを買いました、グランドバザールにあるでしょう、と。
衣類店の多いブロックをきょろきょろしながら歩いていると、おはようございます、と訛りのない日本語で声がかかる。
 彼女は熊本出身で13年前にトルコ人と結婚して、旦那と舅と3人でバザール内の小店舗で衣類を売っている。彼女いわく、バザール内では見たことがないですね。デパートならあるかもしれませんが高いでしょうね。なにしろ絹のスカーフが2万円もするんですから。
帰ることにする。
テオドシウスの城壁
 ホテルのそばには日本料理屋がないのでまた中華。白ワインとマーボ豆腐とご飯半分。辛いのは食欲を増すね。おお辛い、おお暑いと言いながら全部食べる。
行く途中、初日に茶碗を買った土産物屋の前を通るが、予想通り親父が道路のベンチに座っている。私を見て、Oh my friend!と大声を出すから知らん顔も出来ないのでLaterと言って手を挙げて通り過ぎる。帰りは違う道を行こう。
 昼寝後ホテルから4〜5分のジャンクルタラン駅から電車に乗りイェディクレ駅で下車。さあ右左(東西)どちらに行こうか。大雑把な地図を見て、右(東)に行ってから北上すればよさそう。でも行けども行けども城壁らしきものは見えない。そのうち1つ手前の駅の名前らしきものが出てくる。タクシーに乗ろう。
城壁の北側の大通りに出て適当なところで降ろしてくれる。
 かなりがっしりした城壁だ。地球の歩き方に寄ればコンスタンチノープル旧市街を覆う城壁でローマ・ビザンチン時代は鉄壁の防御を誇ったとある。
オスマンのメフメット2世がここを攻めたときにも崩しきれず、ビザンチン側の兵士の鍵のかけ忘れで中に入ることが出来た、と信じられないようなことが書いてある。
城壁と道路の間は畑。父親、娘2人が道路際に直売所をこしらえている。上の娘(といっても10歳位か)に水を頼む。水の売り物はなし、でも大きなペットボトルに入っている水をこちらのペットボトルに移してくれる。いくらか聞くといらないと言う。言葉に甘える。
テオドシウスの城壁
 城壁の南端にはイェディクレといって7つの塔を持つ要塞がある。私が入っていったときには時代劇のロケをやっていた。
要塞に上り1周する。階段も7箇所にあるが手摺の付いたのは2箇所だけ。そこを恐る恐る上っていく。海はもうすぐそば。
要塞からの眺め
 切符売りのおじさんに駅の方向を教えてもらう。坂を下ってちょっと行ったら駅に出る。こんなに感が悪いのではカジノでも勝てるわけないよね。
電車内
電車の料金はトラムと同じ1.5。同じ料金ということなのでトラムのジェトンを見せ、OKか尋ねる。それはトラムのジェトンで電車のはこれだと小さいジェトンを見せる。同じ料金なら同じジェトンにすれば客は助かるのに。
アクロポール・ホテル
 ホテルのそばに韓国料理屋がある。行ってみると水曜日は休み。駅のそばの魚料理の店に行く。ちょっと高級と書いてある。サラダ、Sole(ヒラメのよう)の焼き物、白ワイン2杯で75。
 まだ明るい。アクロポール・ホテルの最上階は海の見えるバーになっているというので昇ってみる。誰もいない。
景色は確かによい。他のホテルも皆屋上をバーやレストランにしている。
 海と反対側にはブルーモスクが見える。日が沈むまで見ていよう。夕日はブルーモスクにはかからず少しずれている。
バーテンが来る。こんなに眺めがいいのに何で誰もいないんだ、と聞くと、どこも同じにしているからと言う。
1階の道路際のレストランもそうだが客は他と比べて少ない。食事はしたが味が悪いということはない。何かが足りないのだろう。
アクロポール・ホテル
明日は早朝の出発で帰国だ。
第50報終わり
2010年8月 トルコ旅行日程
キプロス地図
イスタンブール・キプロス写真集
ブルーモスク
モザイク博物館
アヤソフィア
トプカプ宮殿内装タイル
聖ママス修道院教会
ヒラリオンキャッスル
ベラパイス修道院
ボスポラスクルーズから
日本の援助で架けた橋
テオドシウスの城壁とイェディクレ

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