
ブルガリア・ルーマニア
2010年5月3日~5月10日
今回は学生時代からの友人の尾関さんと一緒
二人だけの旅行ではなくJTBの旅物語「バルカン半島2カ国紀行! ブルガリア・ルーマニア8日間」というのにもぐりこむ。
総勢39人という大世帯。(うち単身参加10名、そのうち女性8名)
5月3日 ウィーン
飛行機は10:55発のオーストリア航空OS052。ほぼ満員。
シートはグリーン地に黄色と赤のヘッドカバー。スチュワーデスの制服は赤、靴も赤、おまけにストッキングも赤。すべて原色。
尾関さんいわくベネトンの世界だね。
でもストッキングの赤だけは変えたほうがいいような気がする。
ウィーン着15:55、ウィーン発20:10と結構な待ち時間あり。
添乗員は外へ出て(オーストリアに入国して)も構わないと言う。尾関さんと相談し、映画第三の男の舞台となった観覧車に乗ろう、ということになる。
タクシーで20分ほど、遊園地に到着。タクシーは目的の観覧車からは遠い入口に着けたので、見物しながら行く。目的の観覧車のほかにも近代的な観覧車もある。驚いたことにCASINOと書かれた建物が数箇所ある。
観覧車の料金は8.5ユーロ/人。ゆっくりと回り時々停止する。

第三の男の観覧車
カジノを覗いてみると、予想したとおりにスロットマシーン、ビデオゲームだけ。子供に着いてきた父親が飽きないようにあるようだ。
遊園地だから乗り物など遊具はたくさんあるが他はどうも乗る気がしない。タクシーが降ろしてくれたすぐそばにもカジノがある。遊園地外で建物は立派だ。期待を持って入る。でも同じ。カジノ内のバーに行きビールを頼む。時間はたっぷりとあるのだ。タクシーには1時間半後の6時に迎えに来るよう頼んである。
タクシーにシティーサークル(通称リングといって旧市街の外周道路。この内側、道路周辺に歴史的な建物、像がある)をゆっくりと回ってから空港へ戻るよう頼む。
JTBの日程表を見ると、今日の夕食はない。
ウィーン空港内のスーパーでサンドウィッチ、生ハム、ナッツとワインも買う。尾関さんは大丈夫かなと心配していたが、私は大して考えもせず大丈夫だよと言ってワインを籠に入れる。
でもと言うかやはりと言うか搭乗前のチェックで取り上げられてしまう。“But、I bought it in this airport.”と言ってもむなしいだけ。100ml以上の液体は持ち込み禁止なんてすっかり忘れていた。
5月4日 リラの僧院
8:00出発で、途中コウノトリの巣など見ながら進み、11:00前にリラの僧院到着。ものすごい山の中。ソフィアから徒歩で来るには何日もかかっただろうと思われる。
リラの僧院は、平面的には4角形の要塞の中に教会がある。要塞の外部は石造り、内側は木造でたぶん僧の宿舎と思われる。4階建て。
ブルガリアは14世紀頃から長い期間オスマン・トルコの支配下に入るが、リラの僧院では税をたくさん支払うから壊さないでくれと頼んで認められた、と現地ガイドの女性は言う。このガイドは日本語を話せず英語でしゃべる。それを添乗員が日本語に訳し我々に伝える。オスマン・トルコには破壊されなかったが1,833年に火事で焼けてしまい現在のものは再建された物だそうだ。
ツアー旅行なんて久しぶりだが、楽だよね。バスに乗っているときには寝ていればいいから。でもなかなか日程が合わない。

リラの僧院の入口

教会前にて
ボヤナ教会

壺焼き
ボヤナ教会は山の中の小さな教会。11世紀に建てられ13世紀と19世紀に増築されているというがそれでもやはり小さい。
39人も入れず10人ずつに分かれ内部を見学。ガイドブックには、内部壁面の1,259年に描かれたフレスコ画が世界遺産に登録されている、特に最後の晩餐は傑作だ、と書いてあるがそんなものあったかな。内部は撮影禁止。(リラの僧院の教会もそう)

ボヤナ教会の11世紀に作られた部分(人物はツアー仲間なれど姓名、年齢不明)
ソフィア市内観光
聖ペトカ地下教会。オスマン・トルコに遠慮して地上に出ているのは屋根だけ。部屋の部分は地下室形式を取っている。当然ながらここも小さい。
ここは街の真ん中。前の地下鉄の駅へ行くとローマ遺跡の壁が出てくる。
聖ゲオルギ教会。地下教会の南側にシェラトン・ホテルと役所の建物が一体化しているビルがある。ここの中庭の4世紀にローマ帝国によって建設された教会。
アレクサンダル・ネフスキー寺院。バルカン半島最大といわれる寺院。オスマン・トルコの支配下、ロシアが南の海が欲しかったため、ブルガリアの独立を助ける名目でトルコに戦争を仕掛ける。そのときに亡くなったロシア兵士20万人を慰霊する目的で建てられる。メノウ、大理石をふんだんに使った豪華なものというが、ステンドグラスがお粗末。ただのガラス窓にしか見えない。
添乗員いわく、他のソ連から独立した東欧諸国はロシアのことをぼろ糞に言いますが、ここブルガリアだけはロシアに対し非常に友好的です。
この露土戦争で恩義に感じているのかも知れない。
中で全体を眺めていると他の教会と少し違う。添乗員に教会は普通上から見ると十字架の形をしていますがここは違いますねと聞くと、
「十字架の形はカソリックです。正教会は+型で縦には長くありません。」

アレクサンダル・ネフスキー寺院
カジノ-1
市内レストランで夕食。夕食後添乗員に断って皆と別れる。
レストランのある路地を出て大通りとの角にブラックジャックと看板に書いたカジノがあるも、タクシーでシェラトンへ行く。
シェラトンのロビーに入りカジノの案内のところでリュックなどの荷物を預け進んでいく。レストランを横断しカジノの入口。
(レストランを横断しない専用出入口があるはずだ)カメラを預けパスポートを見せ、顔写真を撮られる。入場料はなし。
テーブルゲームはブラックジャック2台、ポーカー3台、ルーレット2台。
さっそくブラックジャックのテーブルに着く。ディーラーは美人ぞろいだ。名札を見てバイオレッタ、レイナなど読み当てていく。尾関さんも私も第二外国語はロシア語だったのだ。でも遠い昔ですんなりとはいかず読むのに結構時間がかかる。
女性ガイドの話。キリル文字(ロシア文字)は、最初にギリシャから文字がブルガリアに伝わり進化したものだ。そのときロシアなど国の状態ではなかった。文化なんてものはまだロシアにはなかった。ロシアに文字が伝わったのはもっとずっと後です。
私が、ソ連に入れられ強制的にキリル文字を使わされたのかと思っていたと言うと、きっぱりとブルガリアが先だと言う。添乗員いわく、どこの国でも自分の国の意識は高いですね。
結局カジノはルーレットなどで遊んだりもして200ドルの負け。尾関さんとビール2杯ずつ、ただ酒を飲む。
5月5日 プロヴディフ観光
8:00ホテル出発。プロヴディフでは旧市街を1時間ほど徒歩にて観光。
ローマ時代の円形劇場跡。ここはクロアチアのプーラの競技場から見ると半分以下の規模。石畳をゆっくりと歩く。民家は1階よりも2階を道路側にはねだしている。少しでも部屋を大きくするためだ。

プロヴディフ旧市街
カザンラク
カザンラクはバラで有名なところ。15:30頃到着。
バラの開花には大幅に早く、バラ博物館へと行くしかない。
やはり小さなところで中にはバラの香油を蒸留する釜が展示されている。また歴代のバラの女王の写真も飾ってある。
受付では各種バラ製品を売っている。ただ最高のものは全てフランスへ行ってしまうため、高くないものばかり置いてある。
ガイドの話ではバラの花の油を何回も何回も絞り、最後のかすでジャムを作るという。10回ほどは絞るそうだ。私も皆と一緒に購入。香水を奥さんと娘に。クリーム(顔と手用)を自分用に。
この冬にだんだん干乾びてくるような気がしてきた。生きたままミイラになっちゃうんじゃないかと心配になり、顔と手に赤ちゃん用の乾燥防止クリームを塗るようにしている。購入したバラクリームの顔用にはアンチエイジとも書いてある。しばらく塗ってみよう。
トラキア人の墓
原住民であるトラキア人の墓が1,944年に見つかり墓室内部の装飾の絵がすばらしいので世界遺産となる。紀元前3〜4世紀と考えられている。ただ見物できるのはレプリカ。狭いので4人ずつの入場となる。

トラキア人の墓の内部の絵(天井と壁)
ヴェリコ・タルノヴォ
ヴェリコ・タルノヴォには18:00頃着。
まずオスマン・トルコに破壊された宮殿が建っていたツァレヴェッツの丘の入口へ行く。料金所の手前で説明を聞く。料金を払って入っていけばいい散歩コースになるのに。

ツァレヴェッツの丘
丘に入っていかず反対方向へ行くと街。すぐ二股に分かれている。右側の職人通りを行く。木工の店、銅板加工の店、人形店、他皆製造販売している。私たちが行くと銅板加工の店主はあわててコップやらなにやらを中から引っ張り出し窓下の棚に並べる。通り過ぎるとしまいだす。

木工店店主
ヴェリコ・タルノヴォは崖の斜面にある街。モナコみたい。
あちらは公爵があそこしか貰えなかったから仕方ないが、ヴェリコ・タルノヴォには回りに平らなところがいっぱいあるのに何で斜面に作ったのだろう。
でも景観はなかなかなものだ。
夕食はホテル内レストラン。
相席になった女性二人に、次に行くところはどこですか、と聞く。
「ポーランドです。ショパン生誕200年祭で直行便が出るんです。それに乗っていきます。」
「チベットです。でも動乱が終わったのに外務省の安全情報には渡航の是非を検討してください、となっていてレベルが下っていないんです。」
ホテルのすぐそばにカジノの看板がある。
夕食後に入ってみる。思ったとおりスロットマシーン、ビデオゲームだけだ。マネージャーらしき男にテーブルゲームのあるカジノはあるかと聞くと、ヴェリコ・タルノヴォにはないという返事。

尾関さんとヴェリコ・タルノヴォの街
5月6日 アルバナシ村
ヴェリコ・タルノヴォの近郊のアルバナシ村に立ち寄る。
オスマン・トルコの庇護を受け、そのまま現在に至る古い村。私たちのバスが停まると、簡単なテーブルに布を被せその上にバラクリームなどの土産物を乗せ、何でも1個1ユーロとおじさんは日本語でしゃべりだす。皆わ〜っと行って、結構売れる。
私は失敗をしてしまった。出発前に添乗員から挨拶の電話があったときに、もって行く外貨はドルとユーロとどちらがいいか聞いた。添乗員はどちらでもいいでしょうと言う。
ギリシャ問題のさなかユーロに先安感を感じ成田空港でドルを購入。でもヨーロッパの田舎ではユーロなんだよね。特にEUに加入したばかりで通貨もユーロにしたい国なのだから。
皆が楽しんでいる何でも1個1ユーロの買い物には残念ながら参加できない。1ユーロでも現地通貨の2レバでもいいのだが、やはり添乗員の「明日はルーマニアに入ります。レバは今日中に使い切ってください。」という昨日の言

アルバナシ村 民家の塀 扉がなんとなく日本風
シナイア僧院
国境のドナウ川を渡りブカレストで昼食。現地ガイドはルーマニア人の男性に交代。バス、運転手はそのまま。昔は国境でバスを乗り換えたそうだ。今度の現地ガイドは日本語を喋る。ときどき聞き取れない。
17:00頃シナイアのホテルに到着。荷物だけ降ろしシナイア僧院へ向かう。塀の中に教会が2つ。古いほうは17世紀に建立、新しいほうは19世紀にルーマニア王国の皇帝のカルロス1世が建立とある。

古い教会の壁画
アイリッシュ・ハウス
夕食前にシナイアの街を散歩。ホテルの前は公園、というより公園の中にホテルがあって北側の玄関が道路につながっている。その公園の東はずれ、といってもホテルの隣にカジノがある。でも中国人が買い取って改装中とかで休み。
公園を西に向かい道路に出て街のメインストリートを西に向かう。賑やかなところは1kmあるかないか。
北側の山にロープウェイで登れるようになっている。乗ろうと思って行くが、5月1日から5月15日までは休みと貼り紙してある。残念。
アイリッシュ・ハウスというパブもある。カジノが営業していないので夕食後に出直してみる。アイルランドのドロモント・キャッスル・ホテルのアイリッシュコーヒーはおいしかったよ、など話しながら行く。
ギネス(ビール)はある。ジェイムソン(ウィスキー)もある。でもピザの釜もある。バーボンもある。アイルランドらしいのはギネス、ジェイムソンだけ。ギネスを1杯ずつ飲んでアイリッシュコーヒーは飲まずに帰る。
5月7日 シギショアラ
8:00にホテルを出発してワイナリー見物。試飲もする。
ブラショフのホテルには10:30着。1時間ほど市内観光。

黒の教会の時計台
シギショアラには13:30頃到着。ドラキュラレストランで昼食。ドラキュラレストランはドラキュラの父親のドラクルがハンガリー王によって4年間幽閉されていた家を改装してレストランにしたもの。店の前にドラキュラの絵の看板が置いてある。
シギショアラの旧市街全体が世界遺産。時計塔、山上教会を外から見るだけのよう。小雨の中山上教会へ歩いていくというので、団体を離脱して時計塔へ登る。

ドラキュラレストランの看板とツアー仲間
世界遺産サスギズ村の山の上の要塞教会を道路から眺めて、ブラショフへ戻る。
午前中の市内観光のときにケーブルカーがあるのを確認している。行ってみる。城壁の外側小高いところに乗り場がある。
ここもやはり動いていないようだ。休業中とかの貼り紙はなし。事務所の電灯は点いているが鍵がかかりひっそりとしている。
森の中、城壁沿いを散歩し戻る。
カジノ-2
夕食後カジノへ行く。世界のカジノを案内するサイト、Casino Cityにはブラショフのカジノは出ていない。ガイドに念のため聞くと、あるという返事。タクシーにカジノの名前を告げて送り出してくれる。
タクシーは郊外へ出てカルフールの隣の何とかモールの裏に行く。カジノの名前はVESUVIUS。
2階建て。1階がカジノで2階はレストラン。まだ出来立てのよう。新しい。
カジノのセキュリティーは厳しく空港のよう。パスポートを見せ、顔写真を撮り、ゲートを潜り、探知機を当てられる。
入場料はなし。
中はゆったりとしている。ポーカー3、ルーレット4、ブラックジャック3のテーブルがかなりの余裕を持って配置されている。壁際にスロットマシーン。また別室にルーレットが2台、VIP用か置かれている。ただ酒を飲み、ただでは悪いから300レイ(1万円ほど)置いてくる。

カジノ・ヴェスヴィウス
カジノでタクシーを呼んでもらう。運転手は話好き。日本人と知ると、日本のエンペラーの名前はなんというのか、とかいろいろ質問をしてくる。
降りるときにプレゼントだとハードカバーの本をくれる。ちょっと待てと言って、トランクを開けダンボールの箱からもう1冊取り出して尾関さんにも渡す。
ホテルの人に見せて、これは何かと聞くと、聖書だと言う。それもオーソドックスでない聖書だと言う。何を考えてそんなもの外国人に渡すのかね。
もっともルーマニア人に渡しても読まないと思うけど。
2冊とも部屋のくずかごの中に入れておく。
5月8日 ブラン城

ブラン城
ペレシュ城

ペレシュ城
ブカレスト
昼食のあとブカレスト市内に入りカルフールのトイレを借りながら休憩。
すごく広い。土曜日のせいかどうかは分からないが客はいっぱい。カルフールの隣にはイケア、他の量販店。その隣にはシネマ・コンプレックス。車に乗ったまま映画を見られるところもある。
クルーザーの展示場もある。もうトラバント(東ドイツ製の有名な車、一時期ボール紙でボディーが作られたという)は見られない。添乗員は、ついこの間までありましたけどね。
ガイドの話:
民主化革命で処刑されたチャウシェスクは、北朝鮮を訪れたときに金日成のその皇帝のような生活ぶりを見てまねしたいと思い、ピョンヤンを手本にしてブカレストの街づくりを始めたと言う。手始めに地上7階地下5階4,700室といわれる国民の館を作る。といっても国民は誰も入れない。
内部宮殿は天井、壁、窓枠にも純金が使われているという。
もともとルーマニアは豊かな国なのです。石油は取れるし、岩塩も取れる。天然ガスだって出る。そして土地は肥沃で何でも取れる。チャウシェスクがルーマニアを貧乏にしたのです。
社会主義とは何ぞや。マルクスの資本論を読んだことはない。マルクス・レーニン主義も勉強したことはない。読まなくても分かる、皇帝のような生活をしろとは書いてないと。
金日成も人民に肉の入ったスープを飲ませたい、白いお米を食べさせたいと言いながら皇帝のような生活をしていたわけだ。

国民の館
10年以上も前にブカレストの記事を読んだ。ブダペストは美しい街だ。名前は似ているがブカレストは汚くくすんでいる。狂犬病にかかっている野犬も多く注意が必要だ。
今はそこそこきれいだ、汚いなんてことはない。野犬も全く見ない。地方都市では数匹見たが皆のんびりと寝ている。ふんづけたりしなければなんともない。
大主教教会
ルーマニア正教の本山。坂を上っていくとなにやら聞こえる。
ミサの声がスピーカーを通して流されているのだ。

教会入口上部のモザイク。金色は本物の金と思われる。
ジェロヴィタル(GeroVital)
ホテルの横はカルフール。トイレ休憩したところとは異なる。
ガイドが話していたジェロヴィタルを買いに行く。
ガイドの話では、チャウシェスクの奥さんも愛用したシワ取りクリーム。今は元体操選手のコマネチ。
女性陣は皆もう購入済なんじゃないかと思う。
入ってすぐの薬局では扱っていないという。専門店とスーパーの境の通路を歩いていく。案内人だかガードマンだか分からないがジャケット姿のおじさんに聞くと、化粧品店を指差して教えてくれる。
いやーびっくりした。ジェロヴィタルは何種類もあるんだよね。店員の言葉を理解しないでいると、“May I help you.”と後ろで声がする。少し化粧が濃いがきれいな人だ。
商品の説明をしてくれる。アンチエイジ、モイスチャーにも分かれている。
夜目の周りに塗るもの、夜顔に塗るもの、朝顔に塗るものの3種を購入。1個20レイちょっと(700円程度)。
買い物終わってから、尾関さんも「あの人美人だったね。」と感心した模様。
帰ってきてから、奥さんにジェロヴィタルを出すと、心配だから1週間ほど使ってみて、肌が荒れたりすると困るから、と言う。現在私が実験中。
ついでにジェロヴィタルをインターネットで調べてみる。
宣伝文句:
ヘラクレスがよく訪れたヘルクラネ温泉はローマ時代から多くの人に健康回復に役立つと知られていた。老化予防の研究に生涯を捧げたアナ・アスラン博士の手によって温鉱泉のミネラルや薬草など使って開発された。ビタミンA、C、E、Kをバランスよく含くみ、シミやしわ、くすみなど肌の老化を進めるモノアミノオキシターゼ(老化促進酵素)を抑制し若々しい肌をもたらす。
ビタミンA | 表皮細胞の再生を助ける。 |
ビタミンC、E | 古い角質を取り去る作用がある。表皮細胞の膜組織を活性化し、肌の代謝を促す。 |
ビタミンK | 血液の凝固や骨の維持に必要なビタミン。骨粗鬆症を予防する働きがある。 |
ジェロヴィタルを買ってからスーパー部門に行く。生ハム、青かびチーズを購入。この青かびチーズがおいしいんだけど、帰ってきてから麻雀会で出しても誰も食べない。おいしいんだよと言うと、仕方なく少し食べるだけ。全く味の分からない人達だ。
カジノ-3
夕食後ガイドにお勧めのカジノを聞くと紙に書いてくれる。
VERNESCU CASINOと。タクシーで出かける。街なかにあり結構遠い。(ホテルが郊外なんだよね)
古い建物の中を改装したカジノ。ユーロの部屋、現地通貨レイを使う部屋。スロットの部屋と色々ある。中にはテーブルゲーム1台だけの部屋もある。壁、柱、天井を見ると建物は由緒ありそう。
でも客筋は大衆的。混んでいる。ブラックジャックのミニマムが10レイ(350円程)だからか。中国系の人も多く騒がしい。
1時間半ほど遊んで、よし次へ行ってみよう。
清算すると50レイの勝ち。
タクシーでインターコンチネンタル・ホテルへと行く。
カジノの受付はさっきの店と同じ、パスポートに顔写真。
受付の横に四角い顔をして四角いメガネを掛け、威厳のあるいかめしい顔をしたおばさんが立っている。手続きが終わるとおばさんは地下のカジノへと案内してくれる。レイで遊ぶブラックジャックのテーブルはこちらですと。隣はユーロで、ブラックジャックのテーブルはこの2台しかない。
他にはポーカー2台、ルーレット3台。
雰囲気はがらりと変わる。ミニマムが高い(それでも25レイ、900円ほど)せいか、客が少ないせいか静かで緊張感もある。ディーラーは年配の男性。手持ちは少し減る。
次に来たのは若い(二十歳そこそこか)男性。こちらが考えて考えてヒットして、21オーバーになると、くすくす笑っている。こら、この野郎笑うんじゃない。と言ってもくすくす笑う。
静かな中酔っ払って騒いでいるのは私だけ。
尾関さんはカジノ遊びはしない。ウィスキーをロックで飲み、なかなかいいウィスキーだなとつぶやきながらも、さっきの店のほうが美人がいたな、など不穏当なことを言っている。
そんなことはないよ、あのルーレットのディーラーの女の子は美人だよ、と客待ちをして後ろを向いている女の子を指差したのは私。シャッフルタイムのときに見に行く。
女の子はルーレットをオープンしますかと、聞く。
“No. Sorry, I'm seeing you because you are beautiful。”
やはり美人だった。酔っ払うと相変わらず大胆になってしまう。
もう11時半。そろそろ帰ろう。清算すると50レイの負け。今日は元だ。
いかめしいおばさんにタクシーを頼む。
必要ない、こちらで車を出します、と大きい車を手配してくれる。
こちらのタクシーは皆小さい。タクシーをカローラクラスとすれば手配してくれた車はマークツークラス。
尾関さんは、たいしたもんだ、さすがインターコンチ、と感心している。こっちのほうがいいねとも言う。

インターコンチのカジノ
今回のJTBのツアーの料金は…
219,000円+燃油サーチャージ22,000円。
料金の割にはホテルは良質だと思う。全箇所バスタブも付いていたし。ただソフィアとブカレストのホテルは場所が悪かった。
街の中心から大きく離れていた。ツアーなのでバス移動するからそれでもいいのだろうが。
今回の建物やその他の記述の説明部分は殆ど「地球の歩き方」に頼っています。
第49報終わり
日程表 | ||
5月3日(月) | 成田発 10:55 ウィーン着 15:55 | |
ウィーン発 20:10 ソフィア着 22:45 | ||
ベストウェスタン エクスポ ホテル 泊 | ||
5月4日(火) | リラの僧院 ボヤナ教会 | |
ソフィア観光(アレクサンドル・ネフスキー寺院聖ペトカ地下教会他) | ||
ベストウェスタン エクスポ 泊(ソフィア) | ||
5月5日(水) | プロブディフ観光(ローマ円形劇場跡、旧市街) | |
カザンラク観光(バラ博物館、トラキア人の墳墓) | ||
ヴェリコ・タルノヴォ観光(ツァレヴェッツの丘、旧市街) | ||
ボリャルスキ ホテル 泊(ヴェリコ・タルノヴォ) | ||
5月6日(木) | アルバナシ村立ち寄り | |
ブカレスト経由シナイア僧院観光 | ||
パレス ホテル 泊(シナイア) | ||
5月7日(金) | アズカ村ワイナリーで試飲 | |
ブラショフ市内観光(黒の教会他) | ||
シギショアラ歴史地区観光(時計塔他) | ||
キャピトル ホテル 泊(ブラショフ) | ||
5月8日(土) | ブラン城観光 | |
シナイア ペレシュ城観光 | ||
ブカレスト観光(国民の館、大主教教会、革命広場他) | ||
リン グランド ホテル 泊(ブカレスト) | ||
5月9日(日) | ブカレスト発 11:30 ウィーン着 12:15 | |
ウィーン発 13:55 | ||
5月10日(月) | 成田着 08:05 |

現地旅行社アトランティック・ツアーの冊子から拝借