
ベネルックス3国(スケフェニンゲン、ブリュッセル、アムステルダム)
2007年5月3日~5月11日
5月3日
久しぶりのツアー参加。最初はJTBグランドのホテルの立地にこだわったツアーというのに申し込んだが、5月3日出発は人数が集まらないため中止。日本旅行のツアーに申し込みなおした。
総勢30人。夫婦、姉妹、親娘、家族、同僚。一人参加は私だけ。
飛行機はアイルランド旅行以来のJAL。トイレから立ち戻るときに、同じツアーの女性が見ている機内誌のページに森伊蔵の広告あり。
“森伊蔵なんか売ってるんですか。”
“そうみたいです。友人が買いましたよ。”
“帰りに売っているかどうか分かりませんから、重いけど買いました。”
私も1本購入。もう1本旅行中に飲もうと頼んだが、1人1本までと断られてしまった。森伊蔵はなかなかなく、売り出しに申し込んでも抽選で当ったことはない。
以前福生に行ったときに酒の量販店で見かけたが1升瓶で¥36,000の値段が付いていた。店に並んでいるのを見たのはこのときだけ。まだ百年の孤独のほうが手に入りやすい。こちらは4合瓶で¥12,000程度だが結構店に並んでいる。
JALの機内販売では4合瓶で¥3,000。JALカードで買ったら1割引の¥2,700だった。
この美女たちは会社の同僚らしく4人で参加。私と仲良くしてくれて、4人組ではなく5人組と自称してくれる。
最初の宿があるデン・ハーグには20:00頃着。ゆっくりしていると眠くなりそうなので、とりあえず靴だけ運動靴から革靴に履き替え出動。スケフェニンゲンのホランド・カジノにはタクシーで15分ほど。料金も15ユーロほど。上着はオーストラリアのラグビーチームのブランビーズ・ジャンパーだったが脱いでくれと言われる。入場料3.5ユーロ。
今回の旅行はデン・ハーグ、ブルージュ、ブリュッセル、ルクセンブルグ、マーストリヒトに各1泊ずつして、アムステルダムに2泊という日程。このうちブルージュ、マーストリヒトにはカジノはない。ルクセンブルグにはあるが市内からはかなり遠い。
入ってみるとルーレット2台、目当てのブラックジャックも2台。あとはスロットが少々。テーブルゲームはまだ稼動していない。ずいぶん小さいカジノだなあ、テーブルゲームは21:00からかなあ、一風呂浴びたほうがよかったかなあ。など思っていたが端のほうに狭いエスカレーターがある。乗っていくと2階は広い。3階もある。もうテーブルゲームも始まっている。2階のミニマムが5ユーロのブラックジャックは人がいっぱいで手を伸ばす隙もない。3階のミニマムが10ユーロのテーブルも椅子は空いていないが参加は出来そう。後ろから手を伸ばし10ユーロずつ賭ける。しばらくすると椅子が空く。
若い女性ディーラーは結構勝たせてくれて少しずつ増えている。隣にアラブ系と思われる男性が来た。100ユーロずつ3回続けて勝っている。女性ディーラーは腰掛けていた椅子から立ち上がって気合を入れてきた。私は20ユーロ賭けていたのを10ユーロに減らすとディーラーはそれを見て苦笑い。しばらくたってディーラーが替って負けるほうが多くなった。手持ちが200ユーロになったところで終わりにする。1時間ほど遊んで100ユーロの勝ち。
100ユーロでは勝ったうちには入らないが負けるよりずっといい。
2階と3階の間には巾の広い階段があるが、2階から1階へ降りるのに、やはり分かりづらいところに狭いエスカレーターがある。昇りとはかなり離れている。非常口はあるのだが扉を押すとブザーが鳴る。エスカレーターを捜すのに2回も聞いてしまった。
5月4日

歩道と車道の間に自転車専用道がある。そして50ccのバイクもここを通る。共に結構飛ばしてくるので注意が必要だ。ついうっかり自転車専用道を歩いてしまったりもする。
ハーグは政治の中心地で国会議事堂や女王の執務室などがある。議事堂のそばにマウリッツハウス美術館がある。有名なのはフェルメールの真珠の耳飾りの少女。このほかルーベンス、レンブラントなどがある。
デルフト焼き工房見学。基調色は青。17世紀の中国の陶磁器を見習い、赤は日本の有田焼を見習ったとガイドブックにある。
陶器そのものはイギリスなんかと同じ、土に動物の骨の粉を混ぜたボーンチャイナ。
午後はアントワープ市内観光。国境は、道路わきにここからベルギーと示す看板が立っているだけ。その看板も注意していなければ見落としてしまう。
アントワープのマルクト広場からノートルダム大聖堂へ。目玉はルーベンスの宗教絵画。ルーベンスは弟子をたくさん持ち、組織的に絵を描き2,000〜2,500枚もの絵を残したと言われている。何ヶ国語かを喋り外交官にもなり、スペイン、フランスから貴族の称号を与えられ領地も持ったともいう。成功しすぎてかえって人気がないとガイドが言う。この大聖堂は左右対称ではない。向かって左側は塔が高くそびえているが、右側には塔がない。お金が集まらなかったそうだ。500年程前の話。
大聖堂横の路地のチョコレート屋さんで2粒購入。花とコガネムシの形をしたものと。共に上手に作ってあり合計で1.3ユーロ。チョコレート屋さんはいたるところにある。どうしても人通りの多いところが有利になる。
アントワープからブルージュへ移動。ブルージュのホテルは旧市街内にあるド・チュイルリーエン。貴族の館を改築したとかで、Small Luxury Hotel of The World の看板を掲げている。床やドアーの板に風格を感じる。
夕食は近所のレストラン。総勢30人のところ32席あったので美女4人組と合流し5人組となり夕食を共にする。夫婦1組他も同テーブル。夫婦のうち旦那さんはジャン・レノ風。4人組にジャン・レノに似ていますね、と言われると昔は鶴瓶と言われていたんですよと返事をしている。しかし無精ひげの具合はしっかりとジャン・レノを意識している。ワインを1本ご馳走するとジャンも1本出してくれた。
なかなか人数より多く席を準備してくれないので、これ以降は5人組になれず3人家族と同席するようになった。(レストランはどうしても偶数席のテーブルを用意している。)
5月5日
ド・チュイルリーエンの朝食にはシャンパンが置いてあった。姉妹で参加している人が1杯飲みましょうよと私の分も注いでくれた。後から来たジャンにいい顔色してますねと冷やかされてしまった。

チョコレート・フォンデュ
午前中ブルージュ市内観光。ベギン会修道院跡を見学の後ボートで運河クルーズ。聖母マリア教会でミケランジェロ作の聖母子像見学。マルクト広場で自由行動。マルクトとはマーケットの意味で、マーケットの周りに建物が出来てマーケットの跡が広場になり、全体でマルクト広場と言うそうだ。
鐘楼に登ってみる。300段ほどの狭い螺旋階段を行く。昇り、降りの交差が出来ない。昇ったり、待ったりして身体には丁度いい。鐘は全部で47個。15分毎に鳴らされる。人が鳴らすわけではなく、オルゴールと同じ方式。回転する大きなドラムに歯が付いていて曲を演奏する。
昼食のときにムール貝が出る。洗面器みたいなものに入っている。おかわり自由と言うことなので前の女性と一所懸命食べておかわりする。もう一回おかわりと言うと今度は半分だけ出てきてこれで終わりと言う。でもおなかはいっぱいになった。
ゲントへ移動。市内観光。聖バーフ大聖堂見学。自由行動ではフランドル伯の城へ昇る。ここで大失敗をしてしまった。トイレに行き開いているドアーにGentと書いた紙が貼ってあったので入る。小便器がないのでおかしいなとは思ったが誰もいないしそんなものかと思い小部屋に入り用を足す。女性の声がしだしたのでやはり女性用だったかなと思いながら外に出ると何人かが列を作っていた。Sorryと言いながら外へ出る。若い人はNo Problem。おばさんはあっちと指をさす。ドアーにはやはりGentの文字がある。あわてて出ながらも文字を良く見ると、GentはGentlemenの略ではなくゲントの地名で、ここGentで何か行われるポスターの文字であった。どうも旅行中は判断がおかしくなる。
ブリュッセルへ移動。ホテルはホリデー・イン。夕食はレストランで牛肉のビール煮込み。これはおいしかったのだが付け合せがフライド・ポテト。これがいけない。肥満の元で諸悪の根源だと私は思っている。このフライド・ポテトが頻繁に出てくる。
風呂に入ってネクタイを締めてカジノへ。名前はグランドカジノ・ブリュッセル。ブリュッセルにはここ1軒だけ。床の絨毯とテーブルゲームのラシャは赤。天井は黒。
最初からついていて100ユーロが400ユーロになった。ここからは一進一退。300ユーロになった時に終わりにする。200ユーロの勝ち。
ブリュッセルのタクシーは料金をごまかす。チェコやギリシャほど悪質ではないが、途中料金を見ながら推測するが、停まった時にすばやくメーターを0に戻し推測金額の2割り増し程度の金額を告げる。チップだと思い文句を言わずに支払う。添乗員に報告するとそんなことはないはずなんですがねえという返事。
ホリデー・インの部屋は2階の一番端っこ。でも壁の向こうは他の建物の部屋になっている。1:30頃音楽で目が覚めた。リズムを取るベースの音か、よく響く。さすがに添乗員の中村嬢(?)には電話をかけれなかった。レセプションへ電話すると、確認に行くと言う。すぐに来て隣でパーティーをやっているという。手に3階の部屋のカードキーを持っていて移ってくれと言う。最初から分かっていたんだよね。パジャマのまま時計だけ持って移動。反対方向の部屋だった。パジャマのままうろうろ出来ないので5:00頃前の部屋に戻る。パーティーは終わっていた。
5月6日
ブリュッセル市内観光。グラン・プラス観光。マルクト広場みたいなものだが回りにある建物は他とはちょっと異なる。重々しいものばかり。市庁舎、王の家(実際に王は住んだことはなく、今は市立博物館)、ブランパン公の館(これなどはキンキラ金)。この広場の一角にゴディバが店を出している。ゴディバのチョコは定番だがコーヒーを売っていたので購入。
少し歩いて小便小僧を見物。キンキラの衣装に同生地の羽飾りのついた帽子を被っている。衣装はしょっちゅう替わるそうだ。日本からは鎧兜が寄贈されているとのこと。
中村嬢が“おしっこ娘”というのもありますという。非常にリアルでショックを受けるかもしれないので希望者だけ案内しますと言う。ほとんどの人が参加。商店の間、細い道の奥鉄格子に守られながらおしっこをしている。

デジカメを鉄格子の中へ差し込んで撮影
凱旋門を見学の後アンデンヌ地方へ。水の庭園と呼ばれるアンヌボア城の庭を見学。泉、機械を使わない噴水が売り物。黒鳥も2羽泳いでいた。
ルクセンブルグへ移動。カジノサイトで調べるとルクセンブルグのカジノは市内よりかなり離れている。中村嬢に話すと、ホテルも結構市内から離れていますから近いかも知れませんよ、との返事。風呂に入ってから着替えてレセプションに行き、“タクシーをお願いします。カジノまで。”というと、40kmあると言う。片道1時間で100ユーロ以上だ。あきらめる。
5月7日
ルクセンブルグ市内観光。小さい国といっても神奈川県くらいはある。モナコほど小さくはないが、市内はモナコと同じように坂、崖がある。

ボック砲台
今日は雨が降って寒いくらい。昼食は中華料理。紹興酒を頼む。ボトルで熱燗を頼むと小さい徳利に入れてきた。すぐに注ぎ終わったので残りはどこかと捜すと、後ろにワインクーラーを置き、中にお湯を入れボトルを浸けてある。紹興酒で身体が温まり、中華料理で一息つけた。
マーストリヒトへ移動。ホテルには若い日本人女性2名が待っていた。マーストリヒト大学の学生のよう。ふたりでタッグを組んで案内すると言う。一人がマイクで説明するともう一人が名称を書いた看板を提示するという具合。旧市街門のところで、“ここは地獄の門と言われたところです。街にペスト患者が出るとこの門から城壁外へ出し、前の隔離棟へ収容します。生きて戻れないため地獄の門と呼ばれました。”と一人が説明するともう一人は地獄の門と書いた看板を見せる。

5月8日
キンデルダイクへ移動。以前ラジオかテレビでオランダでは粉を挽いたり、しみ出てくる水を排水したり、製材したりするのに風車を使った。これにより製材は飛躍的に生産性が上がった、と言っていた。製材とは知らなかった。これで風車を見たくなった。
水路の横牧草地に19基の風車が並ぶ。車で走っていてもたまに風車は見かけるがまとまって残っているのはここだけのよう。19基のうち2基が回っていた。

美女と老獣との5人組
そのうちの1基に入場。当然ながら階段は狭くて急勾配。風のエネルギーを伝える歯車も当然木製。軸受けなどはどうなっているのか見えない。上から下まで通っているメインの軸は30cm角の木。かなり回転が速い。粉挽きも排水も製材も今はしていない。居間もコンパクト。壁際に調理台。別の壁の中にベッドが置いてある。家族で暮らせる広さではない。
キューケンホフ公園へ移動。暖冬も世界的でオランダのチューリップもシーズンは終わり。キューケンホフ公園はずらして植えてあるので咲いているチューリップもあるが、周りの球根を取るチューリップ畑はもう花を全部落してある。このキューケンホフ公園は3月中旬から5月中旬までの2ヶ月しか営業しないという。なんとも贅沢な公園だ。(夏にも特別開園はある。)2時間半の自由行動とのこと。“新宿御苑より広いですかね。”“広いんじゃないですかね。”聞くほうも答えるほうも定かなことは何も知らない。帰ってきて調べてみるとキューケンホフ公園は32ha、新宿御苑は58.3haと新宿御苑の方がかなり広い。時々雨の中5人組のしんがりを勤め歩いていく。(というとカッコよさそうにみえるが実際は後にくっついて行っただけ。)
アムステルダムへ移動。ホテルはメルキュール・アムステルダム・アーン・デ・アムステルと長い。メルキュールはアムステルダムに3軒あるので最後まで覚えないといけない。

キューケンホフ公園(1)

キューケンホフ公園(2)
ホテル内で夕食。肉料理。付け合せの野菜がブロッコリー、さやえんどう、きゅうり、小さく切ったにんじん、コーンとたっぷりありよかった。
ブレザーにネクタイを締めて出向くとみんなびっくりした顔をしている。今までもこの格好はしているのだが誰とも会っていない。
“いやーガラッと変わりましたね。”ブランビーズジャンパーの今までの格好もそんなに悪いとは思わないんだけど。“食事が終わったらカジノへ行きますもんで。”
みんなの声援と拍手を背に受けていざ出陣。ホランドカジノ・アムステルダムはライツェ広場のそばシンゲル運河沿いにある。地図を眺めると、アムステルダム中央駅の南側に半円の弧を描いて何本もの運河が走っている。その一番外側がシンゲル運河。ホテルからタクシーで15分20ユーロ前後。1階はスロット。2階がスロットとテーブルゲーム。ブラックジャックは5ユーロから。絨毯は赤でテーブルゲームのラシャはグリーン。ハイローラー(高金額賭者)用のテーブルはラシャも赤。天井はドーム型で赤にグリーンや黄色模様の薄い布張り。屋根は半透明らしく光を感じられる。入場料3.5ユーロ。これは1回だけ。次回からは取られなかった。飽きてきた頃時計を見ると22:30。手元も元。帰ることにする。勝っていれば面白い。負けていれば熱くなる。行ったりきたりが続けば飽きてくる。
ホテルの場所は市街地よりかなり南にあり、アムステルダム市街地図の枠外。トラムの25番の終点から7〜8分歩きアムステル川を越えた先にある。
5月9日

国立博物館にも行く。目玉はレンブラントの“夜警”。中央の隊長の左側、スポットライトが当っている少女は奥さんを描いたもの、娘を描いたものとガイドによって意見が異なる。
次はガッサン・ダイヤモンド。研磨場見学の後展示即売会。100万円以上の石をピンセットで掴み皆に見せ、50万、10万程度の石も見せる。なぜそういう値段なのかCarat、Colour、Clarity、Cutの4Cを使って説明する。それからピアス、ネックレスをどんどん出してくる。画伯の奥さんがピアスを購入。画伯はヘナ(毛染めだそうだ。女性なら誰でも知っているという。私は知らなかった。)を輸入、販売している人。今回数箇所で写生をしていたので画伯と呼ぶようになった。年齢は私よりちょっと上か。
昼食後自由行動。みんなゴッホ美術館へ行くというので付いていく。ひまわり、帽子を被った自画像はじめこれでもかというくらいゴッホがある。油絵だけで200点。アムステルダム郊外のクレーラー・ミュラー美術館には300点近いゴッホの絵があるという。また気違いが描いた絵なんか燃やしてしまえと、価値がわからずに焼却された絵もかなりあるらしい。いったい何枚の絵を描いたのだろうか。弟が援助していたというが絵の具代だけでも大金だと思う。弟がちょっと愚痴を言ったらゴッホは自殺をしてしまい、それを知った弟は後悔からやはり自殺をしてしまったという。弟の奥さんがゴッホの絵を整理したそうだ。
タビトという古いガイドブックが地元の図書館にある。アムステルダム版のお勧め散歩コースのコピーを持ってきた。まずヨルダーン地区界隈とウェスタン・アイランド地区散歩。4.5km1時間半のコース。西教会を基点にアンネ・フランクの家の横を通り運河沿いに歩く。アンネ・フランクの家はガイドが言うように長い行列があった。入るのはパス。運河に船を浮かべ、そこに住んでいる人がいる。NHKの世界街角何とかを見ると、電気も水道も引いている。電話は携帯だが、日もあたるし、少し大きな音を出しても苦情も来ないし快適だという。街中では隣とくっついて建っているから日当たりも良くないし、音も出せないよね。大昔から狭いマンションに住んでいるようなものだ。
4〜50分も歩くとくたびれちゃって散歩は中止。一人旅の時には午前中2時間、午後2時間歩いてたいしたものだと自分でほめていたがとんでもない。ツアーのほうが歩く。70歳超える人が何人かいるが皆元気だ。
ホテルに戻り一風呂浴びてから夕食。中村嬢が勧めてくれたシーフードレストランへ行こうと思いトラムに乗るが、最寄の駅ムント塔でトラムは停まらなかった。次で降りる。ここだとガイドブックに出ているオランダ料理屋ハーシュ・クラースのほうが近い。間口は2間ほどだが中は広い。中にどんどん入っていき“アローン”と言って人差し指を立てるとすぐに座らせてくれた。日本語メニューがあるので日本人が多いかなと思ったが私の前に1組、あとから1組入ってきただけだった。トイレの看板の前にいつも人がいっぱい並んでいる。しばらく観察していると、私が入った入り口とは別に、反対側の道路から入る入り口があるのだった。その人たちが案内されるのを待っているのだ。でもどんどん客が来る。みんな現地人に見える。たちまちいっぱいで私の隣には男女6人のグループが着いた。
私の頼んだのは魚の煮込み料理。白身の魚と、鮭のクリームソース煮。焼きトマトとレモンが乗っている。付け合せポテトはフライドではなくボイルドにしてもらう。ワインは白の1/4L。グラス、1/4、1/2、1Lと4種類の大きさがある。特別おいしいわけではないが、やはりおいしい部類には入ると思う。20ユーロ。帰ってきてから友人が写真を見て言う。フライドポテトが多いね。アメリカではフレンチ・フライというんだけどフランスではなくベルギーが発祥の地だと思ったよ。だからこっちには多いんだよ。

隣のグループが気持ちよく撮らせてくれた
夕食の後カジノへ。トラムで行く。もう気分はすっかりトラムの達人。カジノは全然付かず駄目。他の人が勝っても私だけが負ける状態。面白くなくて止め200ユーロの負け。まだ22:00だけどホテルに帰る。中央駅前ダムラック通りにもカジノの看板を出した店があるがスロットとビデオゲームだけだった。私は覗いただけ。
5月10日
今日は帰国日。16:30まで自由行動。タビトのウォーターフロント史跡散策2時間コースに挑戦。中央駅前の涙の塔が出発点。倉庫跡地(今はアパート)やレンブラントの家、蚤の市、ガッサン・ダイヤモンドの前を通り無事完歩。途中アンネ・フランク通りや胡椒通りがあった。

窓に扉が付いているものは倉庫跡。今は現役のアパート。
昼食は今回初めてとなる焼きそば。中華街を目指すが飾り窓地区と隣り合わせ。混在しているところもある。大きなガラス窓から下着姿の女性がこちらを見ているのに気づくと一瞬ギョっとする。何しろ真昼間だから。夜ならそれなりの覚悟を持てただろうけど。大好きな海老焼きそばは麺が細くビーフンぽくいまいちの味であった。
確かカジノのテーブルゲームは14:00から。少し昼寝がしたいけどどこもない。カジノに行きスロットの前に座りうとうとしたがカジノの人に起されてしまった。またブラックジャックに挑戦するもずるずる下りっぱなし。300ユーロ目をつぎ込みようやくつきが戻ってきた。タイムリミットまで遊んで250ユーロ取り戻し50ユーロの負けですんだ。
荷物をバスに積み込むのにこのホテルにはポーターがいない。各自バスの荷物置場まで運ぶように中村嬢から指示があった。荷物置場に持ち上げればあとは運転手がやる。荷物置場の手前5mほどスーツケースのキャスターが動きづらい舗装があった。私の後70歳過ぎのおばあさんが来たので持ってあげた。たった5mなのに非常に感謝してくれた。ついでに数人分運んであげる。
アムステルダムのスキポール空港は数少ないカジノ付の空港。ブラックジャックだけ客がいた。椅子は満席。外から手を伸ばし賭けていたがすぐに座れる。100ユーロ交換しミニマムの10ユーロでちょろちょろ。一番最後は中国人風。5〜6枚ずつ2箇所に賭けている。手持ちが全部なくなり500ユーロ札をポーカーチップに両替。また同じように賭けている。500ユーロ札を見るのはカジノだけで他ではまず見ない。なんてたって8万円札だ。この賭け方ではすぐになくなるなと思っていたらその通りになった。みんな損して去り、残ったのは私だけ。手持ちは100ユーロで元。10ユーロずつ2箇所にかけてしばらく遊ぶ。ディーラーがあと3番で終わりにすると言い出した。2枚ずつ2箇所に賭けて勝ち。次は4枚ずつ2箇所に賭けて1箇所はダブルになってそれも勝ち。最後も4枚ずつ2箇所で勝った。300ユーロとなり200ユーロの勝ち。少しの勝ちだが空港カジノで勝って帰るのは私くらいじゃないかと思う。
帰りの飛行機でまた森伊蔵を購入。4人組の一人にも1本買ってくれるように頼んだ。食事前のドリンク配布のときにスチュワーデスに“JALは久しぶりだけど、一番いいね。”と言ったらものすごく喜んでくれた。“そう言っていただけるのが一番うれしいんです。”機内販売が一回りしてからさっきのスチュワーデスに“森伊蔵をもう1本お願いします。”と頼んだら、“特別ですよ。”と言って分けてくれた。さっきの一言が効いたかなと思ったが、ジャンも2本買っていた。

ジャンとハンス(バスの運転手)
第42報終わり

ベルテルスマン世界地図帳より拝借