アルゼンチン(イグアス、マルデルプラタ) ウルグアイ(モンテビデオ、プンタデルエステ)

2007年1月1日~12日  

1月1日 アメリカン航空
 前回のアルゼンチン旅行はノースウエストでニューヨークへ行き、そこからアルゼンチン航空でブエノスアイレスまで行ったが、ニューヨーク発のアルゼンチン航空が8時間も遅れて、イグアス行きに乗れずにブエノスで1泊する羽目になったので、今回はブエノスまでアメリカン航空(AA)にした。これだとアルゼンチン国内の飛行機はアルゼンチン航空の周遊パスの対象にならず、飛行機代が多少割高になった。
 AAはダラスで乗り換え。飛行は順調であったが食事はまずかった。ご飯類はべちゃべちゃ。量も少ない。朝食はジュース、フルーツのそれぞれのカップに小さいクロワッサンが一つだけ。誰も頼まないが私はクロワッサンをもう一つ貰う。またアルコール飲料はすべて1杯US$5。ワインを飲んだが味もいまいち。白も赤も。帰りの便でジントニックにしたらずっとましにはなったが。世界中の航空会社がAAのまねをしてアルコール飲料を有料にしないことを祈るしかない。
 飛行時間は成田-ダラス、ダラス-ブエノス共に11時間程。
 ブエノスの国際線専用空港は前回よりきれいになった感あり。ATMを捜してペソを入手しようと努力するも3箇所とも不成功。どうも機械の中にお金が入っていないようだ。タクシーで国内線発着空港へ移動。US$28。こちらの空港でペソ入手成功。イグアス行きは2時間遅れで出発。ホテルへ向かう途中雨がぱらついてきた。タクシー運転手にフルムーンツアーの話をすると、雨ではねー、という返事。
1月2日 ホテル
 イグアスのホテルは滝そのままのカタラタス。部屋はそんなに広くないがプール、ジャグジーあり。US$100/泊。朝食付き。
 前回泊まったカジノ付きホテル、イグアス・グランド・ホテルはUS$300/泊。300ドルではもったいなくて一人では泊まれない。二人ならなんとか泊まれる気がするが。
 19:00頃ホテル着。明日が満月。満月の前後5日間フルムーンツアーをやっている。月の光でイグアスの滝に虹がかかるときがあるという。光の強い満月に合わせて夜滝を見るナイトツアーである。テレビでインタビュウーに応じていた人は、9回来たが虹を見れたのは1回だけだったと言っていた。
 雨ではどうしようもないのであきらめてカジノへ行く。前回来たときとまったく同じ。当たり前か。夕食もこのホテルのレストランで摂る。
1月3日 曇り、雨、曇り イグアスの滝-1
 8:00頃までベッドの中でごろごろ。朝食後タクシーでイグアスの滝へ。片道だと40ペソ。往復だと70ペソ。帰りの時間がはっきりしないので片道だけにする。入場料は30ペソ。ペソでも表記は$。US$と間違いやすい。US$1=$3。間違えたら大損してしまう。
 入場門を入り土産物屋の前など通り、フルムーンツアーの申し込みをして観光列車の始発の中央駅(Central Station)へ行く。駅の手前右側にMacuco Trailの看板あり。こちらへ行ってみる。片道3kmの散歩道。
 道巾は狭いところで1m、広いところで2m。ジャングルの中をひたすら歩く。誰もいないなあ、と思いながらも歩く。蛇とか猛獣とか出てきたらやばいなあと考えなかったわけではないけどそのまま進む。結局往きは3組8人とすれ違う。
 着いた先は小さい滝の落ち口。滝つぼへの狭い道らしきものもある。降りていき写真を一枚。 帰り道雨が降り始める。大きな木の下で雨宿りをしたり歩いたりして、白人のアベックと前になったり後ろになったりしながら戻る
トレイル終点の滝
 中央駅前の売店でサンドウィッチ、水を購入し昼食。ビニール合羽も購入。カウボーイハットがあると合羽のフードを被れないのでハットを預ってもらう。フエルトが水を吸って重くなっている。
 観光列車で悪魔ののど笛駅(Garganta del Diablo Station)まで行き、一本道の遊歩道を歩く。悪魔ののど笛では雨と水しぶきで写真を撮るどころではなかった。
 戻りの列車を待っていると日本語が聞こえてきた。30前後の男性二人。ガイド付きで来ている。日本のどちらから来たのですかと聞くと、神奈川との返事。私は相模原の生まれですよと言うが、反応なし。途中駅の滝駅(Cataratas Station)で降りると彼らも降りたので、行動を共にする。ガイドの案内で軽いトレイル。
今回唯一の私の写真
 二人のうち一人が、明日ブラジル側へ行きますけど一緒にどうですか、と誘ってくれた。ありがとうございます。ブラジル側は前回も行ってヘリコプターにも乗っているんですよ。今回はパラグアイにあるモンダウの滝へ行こうかと思っているんです。と返事する。
 モンダウの滝はパラグアイとブラジルを結ぶ友情の橋から20kmのところにあり、落差40mの滝。イグアスの滝のすぐそばだから目立たないがまあまあの滝とのこと。去年の世界旅行博のとき貰ったメルコスール(アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ4カ国の自由貿易協定。最近ベネズエラも加入した模様。)の案内に出ていた。滝に凝っている私は行ってみようと思っていた。
ガイドにパラグアイのモンダウの滝を知っているかと聞く。パラグアイ生まれで今ブラジルに住みガイドをしている彼の返事は“非常に危険だ。やめたほうがいい。お金やカメラは皆奪われてしまう。10人に聞いたら9人はやめろと言うだろう。”
 最初はイグアス空港でレンタカーを借り、イグアスの滝や、モンダウの滝に行くことも考えた。でも前回パラグアイに入ったときは、小さな店でも銃を持ったガードマンを雇っているし、金融機関は複数雇っている。日が落ちると商店は皆シャッターを下ろしてしまうので道路は真っ暗という有様を見ている。
またブラジル入国にはどんな理由があろうとも必ずビザを必要とすると書いてある。(イグアスからパラグアイに入るにはブラジルを通らなければならない。)前回はタクシーに乗って行ったので、ブラジル入国手続きは運転手がやってくれた。もちろんノービザだった。一人でレンタカーで入って、途中で停められノービザだった場合には高額の罰金を請求されるおそれがあるとガイドブックに書いてあった。それでレンタカーで一人で行くのはあきらめた。
 タクシーの運転手に話を持ちかけてもいい返事は返ってこない。理由はやはりブラジルのビザ、パラグアイの治安の悪さ共にあるようだ。前回は難なくブラジルに入り、昼間は友好の橋の前にタクシーを置き運転手と共に徒歩でパラグアイに入りショッピング、カジノを楽しんだ。
 夜はまたタクシー運転手が迎えに来て、夜オープンするホテルのカジノへ行こうというので出かけた。友情の橋をタクシーで渡るとパラグアイの国境警備員に呼ばれるも(車のナンバーですぐにアルゼンチンから来たとわかる。)運転手がこれからカジノへ行くと言うと難なく通してくれた。前回とは様子が変わったようだ。
イグアスの滝-2 フルムーンツアー
 昼間20:00からのフルムーンツアー(ディナーつき$80)に申し込んでおいたので空模様が良くはないが19:30にホテル出発。フルムーンツアーはこの他20:45、21:30発がある。19:45に到着するも20:00出発のツアーは中止。今日催行されるかどうかは不明とのこと。レストランで食事をしながら待っていてほしいとのこと。タクシー運転手がいろいろ聞いてくれた。レストランはバフェ式、公園内の立地にもかかわらずおいしかった。ウエイターももっと食べろと直火焼きのステーキを持ってきてくれたりする。
 20:45になっても音沙汰なし。入場門に戻ると結構な人が集まっている。午前中に会った白人のアベックも来ている。
21:15催行決定。今日はこの一回のみだそうだ。列車で終点まで行き悪魔ののど笛に行く。列車は満員。雨はやんでいるものの曇り。ブラジル側のホテルの灯りが邪魔。アルゼンチン側のホテルは木の影になっている。23:00頃散会となるが、皮肉にもようやく月が顔を出した。残念。待ってくれていたタクシーでホテルに戻るつもりだったが、ホテルを通り越してカジノに行ってもらう。1時間ほど遊んでUS$150の勝ち。久しぶり。少しでも勝つと気分がいいもんだ。
1月4日 イグアスの滝-3 サン・マルチン島
 朝から雨。ホテルにいても仕方ないので合羽を着て滝へ向かう。滝駅から下段遊歩道(Lower Circuit)を進み、さらに下ってフェリー乗り場からサン・マルチン島(San Martin Island)へ渡る。フェリーを降りてから今度は昇り。平らなところではどうということはないが、上り坂ではやはり若い人にはかなわない。どんどん抜かれてしまう。2箇所の展望台へ行く。
 雨でも観光客は多い。列車は満員だ。昼頃には雨は上がる。こんな天気でもフルムーンツアーの売り子は販売に精を出している。天気の予想を聞くとクラウディーとのこと。
 昼すぎにはホテルに戻る。前回来たときに麺を食べたハルディンに行こうと思いタクシーに告げるが、ハルディンはもう廃業したと言う。パスタに変更。プエルト・イグアスのイタリアンに連れて行ってもらう。スパゲッティーに白ワイン。ウェイターは最初にコーラを出すから首を横に振る。次がビール、これも横に振る。やっと白ワインのハーフボトルを出したので首を立てに振る。
 ホテルに戻り昼寝後ジャグジーに行く。ジャグジーに入ったり、出ては新宿鮫�を読んだりして過ごす。大沢在昌の新宿鮫は時々設定がおかしかったりするがまあ楽しめる。
 19:00頃にはカジノへ行く。20:00外へ出て月が出ていたら滝へタクシーを飛ばすつもりでいた。でも雨。満月に合わせて1月1日に出発してきたのに残念。また来る機会があるかは分からない。何せ遠いから。カジノの隣のレストランで夕食。ビーフ。honeyと言う字が出ていたからどんな料理かと思ったが普通のステーキで、付け合せのポテトの上のマンゴーのスライスに蜂蜜が塗ってあった。
1月5日 マルデル・プラタ-1
 イグアス-ブエノスは予定通り。ブエノス-マルデルは2時間半遅れの16:00の出発になった。到着すると寒い。タクシーの運転手はカーディガンを羽織っている。アルゼンチンNo1のビーチリゾートなのに。散歩をすると若い人もだいたい長袖を着ている。
 一等地の海沿い、大きなビルの2階にカジノはある。スロットとテーブルゲーム。1階にももう少し狭いがスロットが置いてある。ここのポーカーチップは正12角形。丸でないのは初めて。1ペソ、5ペソ、10ペソというように金額を書いていない。T1,T2,T3のように書いてある。ブラックジャックのミニマムは$20(約800円)と高額だが雰囲気は庶民的。
 バスの運転席の上の行き先表示の片側は殆どCasino。もう一方側にそれぞれの行き先が書いてある。Casinoはバスの始発点になっている。
11月6日 マルデル・プラタ-2 市街散歩
 昨夜繁華街など歩いてみたが、日本食はおろか中華も見当たらなかった。ホテルレセプションで聞くと一軒中華があるといい地図に印を付けてくれた。歩いて15分程で、大通りの3本裏側にある。中国人らしき人が出てきてニーハオと言う。チャー麺という項目があるのでヌードルかと聞くとワンタンと言う。チャーメンミクスドを頼むと予想通り五目焼きそばが出てきた。モヤシ、にんじん、玉葱、豚肉、鶏肉。ビールはビアーではなく日本と同じビールと発音。970ccと特大びん。
 道路は碁盤の目状に整備されていて、全てに名前が付けられているので非常に分かりやすい。どこにいるかわからなくなったら十字路に立ち交差する通りの名前を見て、地図上で探せばよい。サン・マルチン広場には白装束の動かない芸をする人がいる。全体的にこの動かない芸をする人が多い。露天が軒を連ねている。間口、奥行き共に1.5m程の店が何十軒もある。どこでも同じだがたいしたものは売っていない。
 結構はやっているのがバフェ式テイクアウトの店。惣菜、サラダなど100g当りいくらと表示して、同じ価格のものでブロックを形成し3ブロックほどある。好きなものを好きなだけパックに入れ、計量場所へ行くと包装して計量シールを貼ってくれる。その次に料金所がある。バフェ式レストランもやはり多い。
郊外バスツアー
 カジノ前の公園の一角に市内バスツアーの看板を置き客引きをしている。料金を払って15:30出発のバスに乗ると市街を出てどんどん遠くへ行く。1時間もバスに乗ったか。着いたところは先住民の住居跡。住居二つに教会一つ。
 奇岩がたくさん転がっているところにも行く。岩に登ったりするだけで他には何もすることはない。テーブルの上に土産物を並べている人が何人かいるが、買うようなものはない。
 先住民跡地でもここでもそうだが、車で来て、テーブル、椅子を出しお茶を飲んだりしている人が結構いる。テントを張ってキャンプというわけではなく日帰りだ。遊園地とかお金がかかるところばかりでなくこういうレジャーもいいものだと思う。19:30の戻り。
スパゲッティーと白ワイン
 日本食レストランはないがイタリアンは多い。ピザ、パスタの看板が氾濫している。ある店に入り、スパゲッティー・ナポリターナ&ホワイトワインを頼むと、トマトソースに白玉みたいなもの数個入った皿に、赤ワインが来た。こんなに英語が通じなかったことは今までなかった。私の英語が悪いせいだけではなさそう。これは次のウルグアイでもそう。スペイン語圏は皆そうなのだろうか。
ショー
 劇場も多い。マルデルに4,5軒ある模様。人が並んでいるので見てみると、ショーの前売りだったりする。私も派手な看板につられて1枚購入。21:30からの早いほう。裸体に近い衣装、頭には大きな羽飾り。このままリオのカーニバルにも出られそう。この衣装を実際に見れたのはオープニングの数十秒だけ。構成は男性のトークショー、やはり男性の楽器&トーク、おばさん&若者のダンス。このおばさんが主役のよう。3組が入れ替わり立ち代り繰り返していく。客席は満員。私の右隣は若い夫婦。子供連れ。奥さんは子供を抱っこしながら腕を上げ左右に揺らしリズムを取っている。大音響の中よく子供が泣かないなと不思議だった。
 ショー終了後、エルミタージュ・ホテルのカジノに行く。セントラル・カジノより300m程先になる。規模が小さいだけでほぼ同じ。このエルミタージュ・ホテルに泊まりたかったがホテルのホームページには予約サイトがない上、ホテル予約専門の業者にも登録されていなかった。
1月7日 マルデル・プラタ-3 市内観光
 10:30から市内観光。やはりバスはカジノ前の公園から出発。約¥600。高級住宅街を抜けキリスト教ゆかりの地へ。その後港へ行く。数軒の魚屋が並んでいる。皆観光客相手。イカ、海老、切り身、鯛もあった。皆kgいくらの表示。瓶詰めがたくさん積み上げてあった。牡蠣とイカのオイル漬けを購入。いくらか忘れたが思ったより高価だった。牡蠣とイカの輪切りを瓶の側壁(見えるところ)に並べ、イカの足の先っぽを真ん中に詰めてある。ツアーは12:00過ぎに終了。
 バフェ式テイクアウトでパエリア、ポテトサラダを購入。海岸で食べようかとも思ったが風が強くあきらめ、ホテルに戻り食べる。ホテルはグランド・イルナ。名前とは違って小さいホテル。エレベーターは3人も乗ったら満員。US$67/泊。値段で推測できるようにプールなどはない。小さいジムがありウォーキングマシーンなどが置いてある。カジノから東に歩いて5,6分の海岸道路沿いにある。
 午後は海岸道路をカジノとは反対側に歩いていく。今日は暖かいせいか海にもたくさんの人が出ている。道路沿いにはマンション風の建物もちらほら見える。カジノ方面の道路には店とホテルと事務所でマンションはなかった。のんびりと30分ほど歩いてスペイン広場で左折。Independencia通りを歩いてP.Luro通りを通ってサン・マルチン広場の前を通ってホテルそばの繁華街へと戻ってくる。
夕食もバフェ(バイキング)
 ピザ屋の次くらいにバフェが多い。朝食はいつもバフェだから夕食までも、と思うのだがあまりに店も多く客もたくさん入っているので、ついふらふらと入ってしまった。アサード(焼肉)、ヌードル、スクランブルエッグ、野菜サラダを摂る。$16(¥640)。ビールも一本。日本の大瓶クラスで$6.5。安くおいしかった。英語は全然駄目で、通じたのは“ビール”だけ。
マルデルプラタの海岸
1月8日 マルデルプラタからモンテビデオへ
 マルデル発8:10は予定通り。ブエノス発が11:00から12:20に変更。とにかく乗り継ぎに時間がかかる。ブエノス-モンテ間の飛行時間は40分ほど。でも時差がありウルグアイのほうが1時間早い。
 モンテビデオの空港でレンタカーを借りる。VWの古いディーゼル。市街に入ってから1回道を尋ねただけで何とかホテル・ラディソンに到着。ラディソンは旧市街と新市街の境目にあり、独立広場のまん前。駐車場はどこかと聞くと、ないと言う。ホテルの周りのあいているところに置けという。ぐるっと回って裏のほうの駐車可らしい道路に置く。
カジノ ビクトリア・プラザ
 ホテルロビーは2階、カジノは1階。ホテルの名前はラディソンだがカジノはビクトリア・プラザ。ブラックジャックのテーブルは3台あるが、常時稼動しているのは2台。3人のディーラーが順番に回っている。1の台、2の台、休憩と。ディーラーは全員男で花がない。あとはポーカー1、プントバンコ3、ルーレット6台、スロット沢山という構成。
 テーブルの上に現金を抛ると、ディーラーが名前を叫んで誰かを呼んでいる。ポーカーチップが入った箱を抱えた人が来た。この人が現金をポーカーチップに替えてくれる。テーブルでまた小額のチップに替えてもらいようやくゲームに参加できる。多分壁際のキャッシャーの業務なのだろうが、出張サービスでやってくれているのだろう。マルデルプラタでは壁際のキャッシャーに行かなければならなかった。テーブルでは現金を扱わない、という原則があるのだろう。
大中国飯店
夕食は地球の歩き方に載っている大中国飯店。大通り(7月18日通り)の一本南側の通り。ビルの1階。間口は3mない。奥行きは10mほどか。夫婦に中学生くらいの女の子が手伝っている。私を見てか地球の歩き方を見てか、日本語メニューを持ってきた。カツ丼なんかもある。固焼きそば、中華風サラダ、白ワイン。味はまあまあだが客は少ない。名前の通り“大”になれるといいが。
1月9日 プンタ・デル・エステ
 9:00出発でプンタ・デル・エステに向かう。ウルグアイ唯一の世界遺産コロニア・デル・サクラメントに行こうかとも思ったが、ただただ小さい古い町だけのようなので方向転換した。モンテビデオから140km程東。片道2時間半。
 コンラッド・ホテルの2階にカジノがある。カジノサイトで調べると、テーブルゲームは74、スロットは640ある。天井を高くして照明を少し落し、テーブルをスポットライトで照らし高級感を出している。ディーラーは愛想よく雰囲気は良い。ウェイトレスも美人ぞろいだ。ここはUS$建て。イグアスもそうであった。他は現地通貨建て。1時間ほど遊ぶ。
帰り道モンテビデオに入ってから、海岸道路沿いに2箇所のカジノを見つける。行きには見落としていた。町外れの1箇所は、道路からカジノに入るのに階段を登り2階通路を少し通って行くが、この階段、通路に錆が目立っている。もしかしたら儲かるかも知れない、という夢を売るわけだからきれいにしていなければいけない。
 もう1軒も汚くはないけど古くきれいではない。規模も大きくはない。この2軒は覗いただけでプレーに参加はしなかった。今回はプンタ・デル・エステのコンラッドのカジノがNo1だ。ただ儲けさしてくれるかどうかは別問題だが。
プンタ・デル・エステへの途中の海岸とモーテル
 夕食は大中国飯店の前のエル・フォゴン。正面入り口には大きな火の看板。店に入ると突き当りが厨房で火が燃えている。鉄で組んだ籠(目はかなり大きい)みたいなものに木をくべて、燠になったものを籠をゆすって落し、その燠の火で肉や野菜などを焼く。アサードを頼むとアバラのいい肉だと言っているのか、自分のアバラ部分をさすっている。野菜サラダとビール1L瓶で$275。$300(¥1,500位か)を渡す。
1月10日 旧市街散歩
 帰国日だが夜便なので17:00頃まで時間がある。旧市街を散歩する。旧市街だから古い建物が多いのだが、皆手入れされておらず、見るべきものはない。ガイドブックには、夜は危険だから立ち入らないほうが良い、と書いてある。
 7月18日通りも歩いてみる。これがメインストリート。2箇所ある公園にはミュージシャンも出ている。お店もいっぱいあるが適当なお土産はない。
市場
 旧市街の一角、港の前に市場(Mercado del Puerto)があり、たくさんの焼肉のレストランがあるとガイドブックに書いてある。車で行ってみる。魚などの市場があり、その廻りにレストランがあるのかと思ったが、建物の中全部が焼肉レストラン。火のやり方はエル・フォゴンと同じ。ただこちらはモツが主体のよう。ソーセージも普通のものと血の混ざったものとがある。メニューを見せてもらうと、シーフードミックスなんていうのもある。しばらく魚を食べていないのでそれを注文するとないと言う。何か言うから適当にうんうんと言っておいたら、平目のような白身の魚の切り身3枚に薄く衣をつけ焼いてくれた。付け合せはボイルド・ポテト。味はまあまあ。ビールは1Lか聞くから、車だから小さいものをと言うと日本の大瓶程度が出てきた。
 80歳は過ぎているような背中の曲がったおじいさんがギターを抱えて歩いている。ちょっと歩いてはお店の椅子に腰掛ける。ガイドブックに出ている流しの歌い手とはこのおじいさんのことか。時間が早い(12:00丁度頃)のか客もそんなに多くなく、流しには声がかからない。
焼肉店
セーロ要塞
 1時間ほど休憩した後市街地よりかなり西にあるセーロ要塞(Fortaleza del Cerro)に行く。海抜137mだが周りは平坦なので眺めは良い。四方に向かって大砲が置いてある。てっぺんにある軍事博物館に入ると、軍人が出てきて何かを言う。首をかしげていたら、別の軍人が出てきて、ワンダラーと言う。1ペソ(5円)ではなさそうなので米ドルで1ドル渡す。軍服やら古い銃などが飾ってある。
モンテビデオ空港
 ラディソンのカジノで時間をつぶした後、空港へ向かう。2時間前に着き早すぎたかなと思ったが、アメリカン航空の受付の前は大混雑。
ようやく番が回ってきたがアメリカンのお姉さんがいろいろと聞く。
“一人ですか。” “そう一人です。”
“何しに来たのですか。” “ホリデイ。”
“何泊したのですか。” “2泊。”
“どこに泊まったのですか。” “ラディソン。”
“ホリデイでもいろいろあるでしょ。何をしていたのですか。”
こんな質問は初めてだ。想定外の質問だったため最初は何を言っているのか分からず、理解するのに時間がかかってしまった。
“サイトシーイング&カッシーノ。プンタデル・エステのカジノにも行ったよ。”
“荷物は自分で詰めましたか。” “もちろんそうです。”
ようやく搭乗券の発券となった。最初はモンテビデオ、ブエノスアイレス間にアメリカンが飛んでいるとは知らなかったので、ブエノス-ダラス、ダラス-成田とは別の日の発注になってしまった。そのせいか搭乗券はブエノスまで。ブエノスで荷物を受け取らなければならない。
飛行機に乗る前にまた手荷物の検査。さっきのお姉さんだ。
“あの後誰かから物を貰ったり、預ったりしましたか。” “ノー。”
ようやく機内に入れる。
ブエノスアイレスではみんなどんどんまっすぐに進んでいく。バッグ受け取りの表示は右の階段を降りていくようになっている。ちょっと薄暗い。誰も行かない。おかしいな、と思いながらもみんなと一緒にまっすぐ進んで行った。手荷物の検査がある。ここを過ぎると、あらま、乗り換えロビーだ。間違えたから戻ると言っても、検査官は戻してくれない。誰も行かなくても表示どおりに行かなければいけなかった。
どうもみんなにくっついて行く癖があるようだ。昔も首都高速に乗っていて、前の車にくっついて降りなくていい降り口で降りてしまい、また首都高速に乗りなおしたことがある。
 検査助手のおばさんが若いアベックをつかまえて、これからアメリカン航空に乗るか確認し事情を説明してから、この人はあまり英語が上手でないからアメリカン航空の人に事情を話してやってくれと頼んでくれた。
 アメリカンの出発ロビーの係員がいるところに着き、アベックの男性のほうが話をしようとすると、男性の係員は忙しいからちょっと待っててくれと言う。何回かこの繰り返し。アベックにどこへ行くのか聞くと、カナダという返事。何時の出発か聞くと、30分後を言う。時間がないなと言うと、Soonと言う。でもあと10分待っていようと言ってくれた。10分たっても事態は進展せず。私も落ち着いてきて、“I think I can go back to Japan with my bag.”アベックにはお礼を言いカナダ行きのロビーへ向かってもらった。
 見ていると出発カウンターにはいろいろな人がいろいろなことを聞きに来る。アメリカンの対応に不満があって他の客に向かって演説している人もいる。待っていろと言った太り気味のお兄さんは人気がなくなると、小さいビニール袋を破いては中身を口に放り込んでいる。飴だ。たぶんストレス解消のつもりでなめているんだろう。どんどん太っちゃうよ、お兄さん。
 そのうち私の乗る飛行機の番が来た。このお兄さん相手ではしょうがないので違う人に電子チケットを見せ、間違えてここに来て搭乗券は持っていないと言うと、すぐにブエノス-ダラス、ダラス-成田の搭乗券を発券してくれた。スーツケースも問題ないと言う。でもダラスでは出てこなかった。ここでも心配ない、成田には行くと言う。成田でも出てこなかった。アメリカンの担当者に聞くと、(ようやく日本人)パソコンのキーをたたいて、まだブエノスアイレスにありますね、と言う。3日後くらいには宅配できるでしょうとも。
第41報終わり
地球の歩き方より拝借

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