チェコ

2006年8月12日~21日  

夏のチェコへ
 過去2回チェコに行っているがともに5月。夏のチェコはどのようなものだろうかと思い盆休みに設定する。数箇所の世界遺産を廻るつもり。飛行機はルフトハンザでフランクフルト経由。例により一人旅。
8月12日
 直前のロンドンでのテロ未遂事件で成田空港は大混雑かと思い、いつもより30分早く6:30に家を出発。(フライトは9:55の予定)道路もすいているし、空港の動きもスムーズで8:00には出国してしまった。
 プラハ空港からはタクシー。女性ドライバーでメーター制。メーター制のタクシーではえらい目にあっている。最初にプラハに来たとき(1998年)に、乗る前にだいたいいくらかかるか聞くと、5〜600と言うから乗ったのに、メーターがチョコチョコ動き1,300になってしまい、メーターどおり1,300払えと言ってきた。メーターに細工がしてあるのは明白だが、1,000コルナ支払ったことを覚えている。心配したがホテルに着くとメーターは630と表示されている。まあ妥当な線か。去年の5月には隣のホテルまで700であったから。去年のタクシーはメーター制ではなく、空港からどこのホテルまではいくらと書いた一覧表を持っていて私に見せてくれた。
 今回のプラハでのホテルはホリデイ・イン・コンベンションセンター(1泊)。前回泊まったコリンシア・タワーとは地下鉄C線のヴィシェフラト(Vysehrad)駅をはさんだ反対側。コンベンションセンターにはカジノ・ボヘミヤ・アドミラルがあり、レンタカーの営業所もある。
 さっそくカジノ・ボヘミヤに行き少し遊ぶ。ここのレストランのアスパラ料理がおいしかったので楽しみにしていたのだが、今は営業していないと言う。また前回仲良くなった赤ら顔のウェイトレスもやめたらしくいなかった。残念。
 ホリデイ・インのレストランは1箇所だけ。朝食に利用するレストランでの夕食はなんとなく寂しい。
コリンシア・タワーのイタリアレストランへ行く。スパゲッティーがK230、ミネラルウオーターがK84。(K1=¥5.5)8年前に比べチェコ国内の物価上昇と為替のコルナ高(当時はK1=¥4)を合わせると、日本人にとっては物価が倍になった印象を受ける。
8月13日
 6:00起床。すぐ隣のヴィシェフラト城址公園を散歩。朝早くから墓参りに来ているおじいさんがいる。この公園内の墓地には作曲家のスメタナやドヴォジャーク(ドボルザークと習った気がする。)の墓があるというが見てはいない。
 9:00少し前にコンベンションセンター1Fにあるレンタカーのチェコ・カーに行く。予約しておいたオートマチック・カーはないと言う。明日ならあくと言う。明日あいたって何の役にも立たない。マニュアル・カーを練習してみるとスムーズに動く。左ハンドルで右手でのシフト、初めての経験だがそれほど心配したものではなかった。車はオペルのベクトラ。
 今日の宿泊はチェスケーブデヨヴィツェ(Ceske Budejovice)だがまず途中にあるターボル(Tabor)に寄る。非常に分かりにくい入り口を入り(分かりにくいため2回目でようやく入る。)コトノフ(Kotnov)城の塔に登る。以前はくたびれるため高いところには登らなかったが、最近は運動になると思いなるべく登るようにしている。
 次に寄ったのはフルボカー(Hluboka)。13:00頃。茶色い壁の多い古城の中にあって、フルボカー城は白(に近い灰色)。なかなかきれい。ここで昼食。朝ハムやソーセージを食べているのでなかなか食欲が出ず、サンドウィッチとミネラルウォーター。K69。ここまで来ると物価も安くなるようだ。
フルボカー城
 ホテル・ゴメル(2泊)は16階建て。チェスケーブデヨヴィツェ最高層のよう。旧市街からは少し外れるがすぐに見つけられた。一風呂浴びてからホラショヴィツェ(Holasovice)へ。小さい池を挟んで道路が2本。それぞれ外側に十数軒の家が並んでいる。その道路側の妻壁が独特で田舎バロック様式と呼ぶそうだ。これが世界遺産。観光客も結構いた。
ホラショヴィツェ
荷物を整理しているときに目の前をプーンと飛ぶものを発見。さっそく蚊取り線香を出し、火をつけようとするが火がない。タバコをやめてしまったのでライターを持たないから。レセプションでK4でマッチを購入。虫除けスプレーも持ってきたが気温が低いので半ズボンにならないので不要であった。今日の最高気温は21.5C。(車に着いている温度計で)
 蚊取り線香に火をつけてから出陣。カジノ・ゴメルはブラックジャック1台、ポーカー1台、ルーレット2台のこじんまりしたカジノ(いままでで最小)。他にスロット少々。床は赤が基調の絨毯。壁はクリーム色。天井はクリームに紫で絵が描いてある。ディーラーには特に制服といったものはないようで、白いブラウスに黒いスカートまたはズボンなら構わないようだ。男のディーラーにプラハ、チェスケーブデヨヴィツェ、ブルノと廻りカジノにも行くと話したら、カジノ・ツアーだねと言われてしまった。明日はボーダー・カジノ(国境カジノ)に行くつもりと言ったら、あそこは大きいよという返事。
8月14日
 7:00過ぎの出発でチェスキークルムロフ(Cesky Krumlov)へ行く。8:00には到着。
 国道39号線沿いの駐車場にはもう結構な数の車が停まっている。門をくぐり旧市街のお店の前に駐車。ここには2台駐車可と理解できるマークがあった。お店はまだ閉まっている。近くのレストランへ生ビールを運びこんでいる人に地球の歩き方の地図のページを見せ現在地を確認する。旧市街を抜け、川を挟んで南側にあるムニェストスケー(Mestske)公園を通り、西側にある城の庭園へと行く。この庭園は高台にあり城のあるところより高く、ムニェストスケー公園からはかなりの登りとなる。庭は柘植玉のような低い木で幾何学模様的に縁取られ(どこの庭もこの形式が多い)、中には芝が植えられその中に色とりどりの花が咲いている。大きい木は公園の外周に沿って植えられていたり、芝の中にも適当(か計算ずくか)に植えられている。
 庭園側からチェスキークルムロフ城へと入る。絵を描いている人が目に付く。若い女性二人は石畳に座り込み、塀に開いている穴から街を見下ろし絵にしている。城の塔にも登る。
チェスキークルムロフで
国道39号線をチェスケーブデヨヴィツェの方に戻り国道3号線に出てからチェスケーブデヨヴィツェとは反対方向へと南下する。国道3号線は別名E55号線でオーストリアのリンツを通りイタリアへと通じている。オーストリアとの国境の村ドルニ・ドヴォリステ?(Dolni Dvoriste)が目的地。ここにはアメリカン・チャンス・カジノというのがあって12:00から営業しているはず。
一本道だから村には簡単に到着。国道突き当たって左側が村。右折するとチェコ側の出入国管理事務所。左折して村へ行く。戸数2〜30の小さい村だがナイトクラブは5,6軒ある。さすが国境の村。だが肝心のカジノがない。個人住宅と思われる家の壁にCASINOと書いてある物や、やはり小さい平屋の半分にナイトクラブ、半分にはCASINOと書いてある営業していない建物はあったが、目指すアメリカン・チャンス・カジノは見当たらない。端から端まで1分もかからない村を何回も行き来したが分からなかった。あきらめてE55を戻るがバス停の小屋の側壁にはアメリカン・チャンス・カジノの真新しい大きな看板が書かれている。続けて2箇所にある。ないわけないなと思い、Uターンして国道突き当りの左側で営業しているガソリンスタンドで聞くと、入管を通り越して左側にあると言う。入管の建物の影で全く見えなかった。パスポートを見せカジノへ行くと言って出国。
 ボーダーカジノは隣の裕福な国の人を呼んでお金を落してもらうために作ったのだから、入管手前にあると勝手に思い込んでいた。入管は自国側と相手国側と2箇所にあるわけだから、緩衝地帯の真ん中より手前にあればいいわけだ。(相手国の了解もいるだろうね)
 アメリカン・チャンス・カジノは世界的なカジノ紹介サイト、カジノシティーによるとルーレット8台、ポーカー4台、ブラックジャック4台、エレクトリック・ルーレット2台、スロット94台という構成になっている。使用通貨は勿論ユーロ。でも私は持っていないのでキャッシャーで日本円から交換と思ったが、クレジットカード使用可なのでカードで_300用立ててもらう。チェコのカジノはどこでもそうだが椅子に座ると飲み物は何がいいか聞きに来る。ワインでもビールでもソフトドリンクでもだいたい只。酔わせて沢山お金を使わせようという高等戦術だろう。1軒だけジントニックを頼んでK65請求されたところがあった。
何か食べるものはないかと聞くと、2階がレストランになっているという。たぶん2時は過ぎていたと思う。照明を少し落してうす暗くなっていたが、ホテルの朝食と同じにバフェ式になっている。サラダや茹でたジャガイモなど適当に皿に取り食べる。これもやはり只。再入国もパスポートを見せ、カジノに行ってきたと言ってそのまま入国。
 次はもうちょっと西のドイツ国境の村ストラズニイ?(Strazny)にあるインゴ・カジノ(15:00オープン)。地図を眺めて1時間で着くと思ったが甘く1時間半かかってしまった。3号線を北上し39号線へ出てチェスキークルムロフを通り越し道なりに行くとストラズニイに出る。ここはチェコ入管より手前で、看板が出ていたのですぐにわかった。建物はやはり新しくきれい。雰囲気もいい。ルーレット9、ポーカー2、ブラックジャック2、スロット14。
 昔(といっても東ドイツ時代ではないと思う)雑誌にボーダーカジノの記事が出ていた。ドイツからチェコに入るとカジノと売春宿がありそれなりに繁盛していると。何か隠避な印象を受けるが今ではカジノはきれいになっているし、売春宿みたいなものは見受けられない。ナイトクラブがその役目を果たしているかは分からないが。でもストラズニイの村を離れると道路わきに女の人がたっているんだよね。小雨が降っていても傘もささないで。2人でいる人や、1人で立っている人も。全部で5,6人。ポツン、ポツンとただ立っている。2人組みは行きも見たし、帰りにも見た。でもそういう商売の人だったら相手はチェコ人だろう。カジノより国内側に立っているから。(でもカジノよりドイツ側は行かなかったから分からない。)女の人が立っていたのは此処だけ。
 カジノシティーにはカジノ名と住所が出ているが、Dolni DvoristeやStraznyなど日本にあるどの地図を見ても出ていない。どこにあるんだろうかと悩んでいた。暇なときにインターネットでチェコの地図を出し、端から端まで眺めていたら国境の印と一緒に小さく出ていた。なんとなくうれしくなりこれは何が何でも行かねばなるまい、と思った次第。
 チェスケーブデヨヴィツェに戻り旧市街のプジェミスル・オタカル2世広場に面したレストランのオープンテラスで夕食。アメリカ・バドワイザーの本家とされるブデヨヴィッキー・ブドヴァルのマークの日傘があったから入ってみた。バドワイザー本家はおいしかった。(チェコでビールというとだいたいピルスナーが出てくる。)料理は蒸した鱒にマッシュルームや小エビの入ったホワイトソースかけ、茹でたジャガイモに生野菜の付け合せ。K207。
8月15日
 7:30頃出発するも道を間違えてしまいテルチ(Telc)には9:45頃到着。小雨で気温12℃。下はパンツにジーンズ、上は丸首シャツに半袖のラグビージャージ、その上にビニール製の薄いジャンパー。これだと寒くて寒くてどうしようもない。ラグビージャージを長袖の物に着替える。テルチは池に囲まれた小さな町だが旧市街が世界遺産。
旧市街とテルチ城
小一時間いてトシェビーチ(Trebic)へ向かう。途中道路工事中のため迂回。迂回後のフォローがなくうろうろしながら11:30に到着。ユダヤ人街と聖プロコプ教会が世界遺産。教会のあと世界遺産のマークに従って坂道を登っていくとユダヤ教の墓地に出た。こんなとこ来たくないのに。帰りの近道の途中斜面にごちゃごちゃしたところがあって、家の表札には名前と共に三角2つのユダヤのマークがある。ここがユダヤ人街。
 簡単に昼食を取れるところがないか旧市街を往復するが適当な所はない。町としては結構大きい。バスターミナルもある。そのバスターミナルの裏に停めてある車に戻ってくると、前輪左側に車を動かせないように大きな金具が取り付けられていて、同方向運転席側の窓に駐車違反のステッカーが貼ってあり電話番号が書いてある。ステッカーを剥がし、道路に停車しているおじさんに見せ電話をしてくれるように頼む。おじさんは携帯を取り出し電話をかけてくれて、すぐポリスが来るからと言ってくれた。(チェコ語で喋っているけど多分そう言っていると思う。)
ポリスが2人やってきた。年配者が何か言うから国際免許証を見せる。パス何とかと言うからパスポートを見せる。そしてここは駐車違反だと言うから、パーキングの表示の内側に停めてあるからいいのではないかとつたない英語で答える。
"向こうは流暢なチェコ語で喋っている(当たり前だけど)。ここまではお互い何を言っているのか想像が付いた。パーキングのマークの中のメーターの絵みたいなものを指差し何か喋っている。理解できないでいると、隣の車に連れて行き中に置いてある紙を指差している。先払いの駐車料金の伝票だ。""Oh,sorry。I didn't know that。"" 年配のポリスは肩にかけてある無線で本署と連絡を取っている。""OK。Nothing。""と言って両手をベルトの下辺りで交差させぱっと横に開いた。若いポリスにタイヤの金具をはずすように指示してくれた。大変な10分程であった。"
 ここから23号線を東に行けば1時間ほどで今夜の宿のあるブルノに到着すると思うが、南下してズノイモ(Znojmo)の先の英語読みならヘイト(Hate)を目指す。オーストリアとの国境の町。入管の手前にパラダイス・カジノがあり車が十数台停まっている。写真だけ撮り先へ進む。入管を過ぎるとすごいすごい、ラスベガスみたいだ。屋根の上に大きな地球儀を乗せ、それにはWORLD IS YOURSと書き、店の名前にはEXCALIBUR CITYと書いてある。お城風の建物にはKINDER WELTという名前が付いている。羽根の付いた恐竜を何匹も屋根に乗せているのはTRAVEL FREE SHOP。英語とドイツ語が混在しているがすごい世界だ。駐車場はいっぱい。歩いている人は圧倒的に子供連れ。
Hateで(1)
Hateで(2)
裏のほうに回るとカジノ・コロセウムがあった。さっきの建物はカジノと遊園地の複合体ではなく、遊園地やショッピングセンターなのだ。ショッピングセンターはともかく遊園地が緩衝地帯にある必然性はないのではないかと思うが繁盛していればそれでよし。
 カジノ・コロセウムに入る。一回り歩く。テーブルゲームはまだオープンしていない。15:00からであと15分ほどある。おなかがすいてレストランを捜すも照明は消えていてステンレスの容器は空っぽ。バーへ行きビールを頼みポッキー、ポテトチップスを食べる。1時間ほど滞在。またここでもクレジットカードでユーロを用立ててもらう。
 1時間ちょっとでブルノに到着。トラムが走っているし、一方通行が多いのでなかなか目的地に着かない。町に入ってから30分ほどかかってようやく宿のホテル・スラビア(2泊)に到着。休憩、洗濯。事前の調査ではスラビアの隣のインターナショナル・ホテルにカジノがあるはずだがない。レセプションにカジノの広告チラシがあり町のはずれに印がある。カジノだけ移転したようだ。
 地球の歩き方のブルノの地図のページを破り、見ながら進むも迷ってしまう。若いアベックに道を聞くと、同方向へ行くらしく付いて来いと言う。何とかグランドホテルに到着。時間が早いせいかカジノには誰もいない。ヨーロッパはどこも夕食が遅く、それに伴い夜遊びも遅い時間からとなるようだ。21:30には寝てしまう私とはリズムが合わない。
グランドホテルの2,3軒先に客の出入りの激しいレストランらしきものがあったので入る。アジア系の人が調理しているテイクアウト、立ち食いの店。ソース焼きそばに細切りチャーシューを乗せたものを貰う。K50でお釣りがきた。安いから3m×5mほどの店は客でいっぱい。帰り道アイスクリームも食べてみる。コーンに乗ったものがK10。プラハ以外はまだ物価が安いようだ。
8月16日
 7:00過ぎの出発でレドニツェ(Lednice)、ヴァルチツェ(Valtice)へ行く。レドニツェはネオゴシックの城館と自然公園が世界遺産。ヴァルチツェはバロックの城館が世界遺産。車で10分程度の距離なのと、両方の城館がリヒテンシュテイン家の持ち物だった時期があるのでレドニツェ、ヴァルチツェ自然公園と一体化して呼ばれている。
 まずレドニツェに着く。(ブルノからはこちらが手前)道路脇のインフォメーション・ボードを見ると、道路の西側は建物などない自然公園。自転車で回るのがいいらしい。東側に城館があり付属の庭園が館の南東部にある。やはり幾何学模様が取り入れられている。城館の北側は湖と林。はるかかなたには塔が立っている。湖にはボートもあるが営業時間には少し早いよう。
レドニツェ城
ヴァルチツェへ行く。城館の回りを一周し庭園を歩くもそんなに広い庭ではない。裏の壁などは剥離しているのに補修をしていない。ヴァルチツェはモラビアワインの有名な産地ということで、ワインショップに入る。店のおばさんの勧める赤、白を1本ずつ購入。確か2本で2000円しなかったと思う。帰ってきて早速飲んだが共においしかった。
 城そのものはレドニツェの方が華美。ヴァルチツェの方がシンプル。“君の美しさはバロックだ。”と言って黒川記章が若尾文子を口説いたというから、バロックのほうが派手かと思っていたが違うようだ。バロックだのゴシックだのロココだのもっと年代や様式を勉強する必要がある。
ヴァルチツェ城
レドニツェに戻りボートに乗る。行き先は塔ともっと先の中世砦跡と2箇所ある。もう結構散歩したので塔まで乗ることにする。帰りは歩いて15分とのこと。アルミ製のボートは4人掛け3列の12人で満席。ゆっくりゆっくり進む。船頭が舵を取りながら何か喋っているが分からない。
塔の高さは50m位か。中の螺旋階段を登っていく。第一展望台、第二展望台は塔と同じ石造りの手摺壁だが、最上階の第三展望台は鉄の丸棒を格子に組んであるだけの手摺。こわごわ一周する。
 クロムニェジーシュ(Kromeriz)に行こうかと思ったが、バロックの城館が世界遺産ということでヴァルチツェと大して変わらないと思いパス。ブルノに戻ることにする。途中高速のガソリンスタンドで水、サンドウィッチを購入。チェコは街中にコンビニがない。いずれ出来ると思うが今はガソリンスタンドがその役目を負っている。私の前にアジア人夫婦がいてやはりサンドウィッチを注文。“This one.”その喋り方は日本人ですねと言うと当り。ウィーンからプラハへ向かう途中とのこと。スロバキアはどうですかねと聞くので、あそこは何もない田舎ですよと返事しておく。
 ブルノ城や旧市街を散歩。地球の歩き方の地図からは外れるがトウゲンハート邸という世界遺産がある。その地図でいけるところまで行くがやはり標識など出ていなく分からない。今見れば外観は屋根がフラットでたいした家には見えない。70年以上も前に、お金に糸目をつけず機能美を追求した建物とある。ホテルのレセプションでブルノの地図を買いトウゲンハート邸に印をつけてもらう。今度は全く迷わず到着するが、予約制だから駄目、今予約を入れて明日来い、と言う。入場はあきらめる。 
 夕食はステーキハウスというところでステーキ。サイドディッシュで失敗してしまいフライドポテトが付いてきた。ボイルドの方がいい。ビール共でK235。
8月17日
 7:15出発。リトミッシェルには8:45着。ここはルネッサンス様式の城が世界遺産。外壁は石積の上に漆喰を塗り引っかいて溝を掘り、色を塗って模様を付けている。旧市街はテルチと同じだがもう少し規模は大きい。1時間ほど滞在。
 次に寄ったのはクトナーホラ。聖バルボラ教会や旧市街が世界遺産。教会が開いていたので入場する。切符売りがどこから来たのか聞くので、Japanと答えると日本語のガイド紙(ブックではなく紙)を貸してくれた。銀の生産が佳境の頃の建造だけあって塔がたくさんありお金がかかっている感じ。やはり1時間ほど滞在。
 いやー困った。世界遺産2箇所も行って書けるのはたったこれだけ。ただ行ったという記述だけになってしまった。
リトミッシェル旧市街
天気のことでも書こう。テルチで雨が降った以外はおおむね晴れ。旅行中の最高気温は23.5℃。最低は朝の出発時やテルチでの12℃。快適だ。暑くて歩くのもいや、ということはない。水筒を腰にぶら下げ毎日4時間ほどは歩いている。
リトミッシェル城 外壁の模様は描いたもの
 14:00頃プラハのホリデーイン(3泊)に着く。休憩後公共交通機関の共通乗車券の3日券を買い、地下鉄でまずテレビ塔へ行く。東京タワーやエッフェル塔みたいな末広がりタイプではなく3本の柱がまっすぐに伸びている。上方ところどころに赤ん坊をかたどった人形が張り付いている。展望台から下を眺めると、赤い瓦屋根に黄土色の壁、中庭付きの5,6階建ての建物が多い。
テレビ塔からの風景
次に行ったのはスーパーのテスコ。モーツアルト生誕250年ということで日本でも大々的にセールを行っている。柄にもなく5枚組を買い聞いている。チェコに行ったらスメタナとドボジャークのレコードを買おうと思っていたので、テスコの4階のレコード売り場へ行った。やはり圧倒的に多いのはモーツアルト。スメタナ、ドボジャークともに1種類ずつ売っていた。でもチェコ人だから探しやすい場所に置いてあった。
 地下の食品売り場もぶらついてみる。米が1kg袋に入って売っている。それもタイ米みたいな長粒種だけでなく、日本米みたいな短粒種が。うどんは見なかったがパスタはたくさんの種類が置いてある。チェコは内陸国だから魚は少ないだろうなと思っていたが、やはり少なく燻製品が何種か、そして隣には生魚の切り身もあることはあった。白身と鮭と。
 旧市街をぶらぶら。野菜や果物の市が立っている大通りに入っていくと、日本食“田村”というレストランがあった。場所だけ覚えておく。そばにシアター・リトル・ブロードウェイという劇場があり演目はブラックライト・ミュージカル・キャッツ。チケットを購入。19:30開演。K500。
 着替えて出直してくる。まず田村。さっきまで賑わっていた市は18:00で終わりらしくもう誰もいない。板さん、店員はチェコ人。サラダうどん(K260)にビール(K60)。サラダうどんは日本でも人気でコンビニ、スーパーで売っている。400円程度。店主もたまには日本に帰り売れ筋メニューなど研究するんでしょうね。ガラスのボールにうどん、その上にレタス、きゅうり、たまねぎ、にんじん、わかめなどが乗っている。湯飲みにタレを入れてある。ざる蕎麦みたいにうどんを取って湯飲みに少し入れタレをつけて食べていると店員が来て、うどんの上にかけるのだと手振りで教えてくれた。
 シアター・リトル・ブロードウェイは1列8席で15列ほどか。19:00過ぎに入り4列目の真ん中に座る。開演前までには結構客が入り80人位にはなったか。
 ブラックライトとは何か調べたら、紫外線を出す照明のことらしい。蛍光塗料が良く反応するとのこと。青白い色だけでなく赤や黄色やいろんな色が鮮やかに出る。黒子はまったく見えなくなる。でも毎日紫外線を浴びていたら健康に良くないと思うがどうなんだろう。
 キャッツはミュージカルでまず猫の衣装を身に着けた人たちの歌で始まる。昔からのマリオネットではない。右手に手袋をはめ猫の4本の足と尻尾をあらわし、左手に猫の頭を持ち右手の上に置き一匹の猫を形作り音楽に合わせて上手に踊る。猫が何匹いても右、左の役割は同じ。たまに頭と足が離れても黒子はまったく見えずそれなりに楽しめる。男2人、女6人の総勢8人。所要時間は55分。
 劇場は地下鉄マステック駅(Mustek)のすぐそば、北西側にある。駅の南東側はヴァーツラフ広場という大通り。プラハ一の繁華街。ここのアンバサダー・ホテルのカジノへ行く。21:00近いので客はそこそこ入っている。アラブ系に見える4人組がいる。皆30歳前後か。常連のようだ。その中の1人がついていて7,7の後もう1枚引くとまた7が来た。シャンペンをゲット。しばらくしてまた同じことが起きた。スリー7が2回も来るくらいだからついていて結構稼いでいた。アジアでは中国人、ヨーロッパではアラブ人がはばをきかせている。
8月18日
 7:30出発でチェコ北部の国立公園チェスケー・シュビーツァルスコ(Ceske Svycarsko)へ行く。片道2時間ちょっと。チェコはだいたいが平野なのだが北部のドイツ国境辺りは山が多い。名前のチェスケー・シュビーツァルスコはチェコのスイスという意味だそうだ。100mほどの川幅の両側は岩山。チェコ人にはこの風景がいいらしい。船着場に船が来たので遊覧船かと思ったが、渡し舟だった。客は皆サイクリング客。
 川沿いの道をどんどん行くと入管。係官がこの先はドイツだよと言うがちょっと行ってみる。5分ほど車を走らせるが何もない。Uターン。チェコ、ドイツ共に出国するときはフリーだが、入国するときはパスポートを見てなにやらパソコンに打ち込んでからパスポートに押印した。残りページが少ないのに。チェコ側には土産物屋がたくさんあるがたいしたものは置いてない。ハイキングの人もたくさんいる。ここらはサイクリングかハイキングがいいようだ。
 15:00ホテル着。レンタカーの契約は明日まであるが、もう使う予定はないので返却する。休憩後市街へ。ヴァーツラフ広場の南側にたくさん客の入っている店があったので入ってみる。基本的には酒屋。棚にはたくさんのアルコール飲料が並んでいる。
手前のショーケースにはチーズ、ハム、ソーセージ類、デリカテッセンというのかサラダなど惣菜物。ショーケース内のものは皆100gいくらというもの。パックはされていない。背の高いテーブルも4脚ある。立ち飲み用だ。チーズを2種類購入。カマンベールと名前は分からないがハーブ入りのもの。共に塩が利いていたがおいしかった。生ハムも買いたかったがパックされていないのであきらめる。
 ホテルでくれたPRAGUE GUIDEでCHINA CUISINEの項目から中華料理屋を捜して行くも、2軒とも麺類はなし。ぶらぶらしているうちにスーパー・テスコのそばに小さい店を見つける。えび入焼きそば、ビールでK105。安かった。
 カジノは昨日行ったアンバサダーとコンベンションセンター内のボヘミヤ。
8月19日
 6:00に目覚めたが8:00過ぎまでベッドにもぐっている。いい散歩コースはないかと捜していると、PRAGUE GUIDEのWALKの項にトロヤ城(Troja Chateau)があった。17世紀に建てられたバロック建築。城と言っても貴族の館。隣には動物園、植物園がある。地下鉄C線のNadrazi Holesoviceで降りバス112番で終点の動物園まで行く。バスは子供連れで満員。動物園の反対側がトロヤ城。屋根は海老茶で壁は白。柱型、窓枠は屋根と同じ海老茶。真ん中部は3階建て、両脇は2階建ての左右対称。
トロヤ城 はるかかなたに王宮
隣接する庭は低木で6周の円を描き、8方向に平行な2本の線が放射線として伸びている。2本の線の間が通路。放射線で8つに分けられた区画には芝に低木が植えられている。北側一部にはぶどう園。
 トロヤ城北側高いところに植物園がある。日本庭園もある。北京から持ってきた甕など置いてあるがまあいいか。
GUIDEにはボートで市街まで戻れるとあったがボート乗り場が分からずバス、地下鉄で戻る。 
旧市街散歩。カレル橋は満員。橋のたもと黒人の客引きがいる。黒人の客引き、アラブ人のカジノ客。共に以前は見かけなかった。世の中どんどん動いている。邱永漢さんの言うようにいずれ国境はなくなっていくんだろうか。邱さんも80歳を過ぎるがまだまだ元気。半年に1度だが、邱さんの話を聞いてフランス料理を食べる会に参加している。
昨日の酒屋の生ハムが心に引っかかっている。よし食べに行こう。ビール1本と生ハム1枚貰い立ち飲み、立ち食いする。生ハムは思ったとおりおいしかった。持って帰れないけど満足。
 着替えて夕食はムハ(Mucha)。地球の歩き方に出ているせいか、8組の客のうち4組は日本人(だと思う)。ステーキにサイドディッシュはやめてサラダ。赤ワイン2杯。最後にアイスクリームを貰ってK760。アイスクリームは好きで子供が小さい頃一緒に食べていた。これと中華料理の油が糖尿病の原因ではないかと思っている。
 もう1度ブラックライトに挑戦。ファウスト。やはりマリオネットではない。漁師が奥さんに追い出され狂言回しにいろいろなところへ連れて行かれる。海の中だったり、魔法の絨毯時代のアラビアだったりする。アラビア衣装の女性が多少エロティックではあった。もっとたくさん行き先はあったが忘れてしまった。高いところにすっと移動するのは見事だが(黒子がまったく見えないため)、これがファウスト?ファウストの原作はもちろん読んだことがないしあらすじも知らないけれど、これがゲーテのファウストかな。もっとおどろおどろしいものを期待していたのだけれど。65分でK450。
 帰り道カジノ・ボヘミヤに寄るも駄目。今回は行く先々全部で負け。特にブルノのグランドホテルのカジノは遊ばせもしない。もう2度と来るものかと思ったほど。全敗で大金を使ってしまった。引退して年金生活に入ったら、まあ海外旅行にはなんとか行けてもカジノ遊びは無理だろうな。
第40報終了
地球の歩き方より拝借

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