
韓国・仁川(オリンポスホテル)
1996年1月4日~7日
1月4日
仁川オリンポスホテルには14:00頃着。コーヒーショップで打ち合わせ。中村さん(マレーシアも一緒)、ガイドの趙さん、私。明日のソウル市内観光をオプションで頼むと趙さんは大喜びだった。いつもはガイドに空港-ホテル間の送迎しか頼まない。趙さんは大学の日本語学科を出ていてガイドになったばかりだそうだ。でもそれほど若くは見えない。新米だといい仕事は回って来ないそうだ。多人数をガイドするのが実入りが良く、いい仕事なのだそうだ。でもそういう仕事はベテラン社員優先で、新米には少人数ばかり割り当てられると言う。まあ当然だろう。
会社へ電話したら、よくぞオプショナルツアーを獲得した、偉いとほめられたそうだ。昼食つきで¥8,000/人。中村さんが¥16,000で車を出し、昼食つけて、ガイドも付いて儲かるのかなと心配していた。趙さんは解約されるのが心配で、何度も解約しないでくれと言う。
部屋は山側で眺めは良くない。いつもの通り風呂に入りウーロン茶を飲む。湯沸かし器とティーバッグはいつも持っている。
16:00頃からカジノへ行く。カード主体のカジノだ。全体には狭い。ブラックジャックのテーブルが15台、バカラも同じくらい。あとルーレット1台、クラップス1台。1/4位の入。
17:30頃夕食に行く。タクシーに乗りガイドブックに出ている刺身センターへ行ってくれというが別のところに着く。再度刺身センターと言いガイドブックの地図を見せる。着いたところは魚市場の隣のパットはしないが27軒の刺身店が入っている平屋の建物。ガイドブックには70軒の刺身店があると記されているので別の建物もあるのだろう。
一軒の店の大きさはオンドル式の客席と調理場とで6坪位。どの店も小さいながらイケスを持っている。そしてどの店もおばさん一人で営業している。ヒラメの刺身を頼む。刺身が出来る前にカラス貝、ゆでた海老、うずらのゆで卵、生牡蠣、生にんにくのスライス、タカノツメのスライス、サニーレタス、キムチが出てくる。韓国料理ではメインを頼むとサブがどっさり付いてくる。だから酒のつまみを何にしようかと迷うことはない。
どのように食べようか考えていると通路の向こうのおかみが来て食べ方を教えてくれる。日本語は喋れないが身振り手振りで教えてくれる。ボディーランゲージならこちらも得意だ。教えてくれるついでに飲み食いもしている。隣のおかみは国民学校2年まで行ったとかで日本語を少し喋るが、こちらの言ったことはまったく理解しない。
ヒラメの刺身が出来てくるが醤油がない。からし味噌みたいなものにわさびを練り、それをつけて食べる。日本人はまず来ないのだろう。何だか物足りなく鍋物も頼む。カニと野菜の鍋だ。乗ってきたタクシーの運転手はこの辺りではタクシーを拾えないから待っていると言って外で待っていたが、いつの間にか入ってきて飲み食いしている。合計W81,000。(¥100≒W750)

刺身センターのおばさんとヒラメ
食後しばらくたってからまたカジノへ行く。今度はルーレットに客がいたのでそれに参加する。¥50,000使ってW100,000のチップが2枚残った。昼過ぎのブラックジャックでも¥50,000使ったから今日はマイナス¥100,000プラスW200,000だ。やはり才能はないようだ。カジノへ来るたびに再認識する。でも一時は元になった。その時に今日はこれまでと思わないでもなかったが時間が早いため続けてしまった。引き際が難しい。
飛行機は満席だった。JALが取れなくてKALだったが全席禁煙だ。これも世界の流れだろう。
例年正月は、1日は家族で過ごし2日にはラグビーを見てから出身地の相模原へ行く。残念ながら父親は一昨年亡くなってしまったが、母、兄、二人の姉は健在だ。一泊して3日に帰ってくるがそのあとが退屈だ。七草過ぎでないと仕事は始まらず毎年1月4日~7日は時間を持て余している。
指折り数えてみると13回目の渡韓だ。済州島が3回、釜山が1回、慶州が1回、今回の仁川が1回。残りはソウルだ。最初はキムチも辛くて食べれなかったが、最近は慣れてきて食べれるようになってきた。お勧め料理はやはり骨付きカルビ、石焼ピビンパップだ。ともに辛さは自分で調整できる。今回は冬なので、加えてフグにも挑戦してみたい。
1月5日
6:30起床。毎度のことながら枕が替わるとよく寝られない。外はまだ暗い。日本との時差はないが日の出、日没は東京より1時間ほど遅い。このオリンポスホテルは小さいが由緒あるホテルらしい。仁川は港町で19世紀後半まで鎖国状態にあった朝鮮半島はここから開国した。朝鮮戦争のときマッカーサーはここから上陸した。このとき米軍兵士の慰安のためオリンポスホテルに韓国初めてのカジノが開業した。
ドライヤーあり、ミニバーあり、スリッパあり、歯ブラシなし。最近の風潮ではどこにも歯ブラシは置いていない。一人の客の使い捨てではもったいないからいい傾向だろう。また韓国では日本の衛星放送が入るから時間の余ったときは助かる。
9:30出発。マイクロバスでソウルに向う。道路はめちゃくちゃ混んでいてロッテデパートに11:30頃着。免税店で自分用に財布を購入。地下の食料品売り場で辛ラーメンを1箱購入。土産用。30個入りでW8,200。ビニール製の袋は赤で辛という字が大きく書いてありいかにも辛そう。
昼食は石焼ピビンパップ。3年前社内旅行で来たときと同じ店。趙さんの旅行社とその時の旅行社は同じなのだろう。食後趙さんがソウルタワーと明洞に連れて行ってくれるが雨。ソウルタワーの最後の300mは車が進入禁止で歩くがアスファルトが凍っていて滑って危険だった。
かろうじてタワーに到着。雨の日にタワーに昇っても眺めがいいわけないが、趙さんが張り切っているので任せておいた。
帰るときも道路は大渋滞。また趙さんの意見に従いバスを降り、ソウル駅のひとつ手前の女子大前という駅から地下鉄に乗る。ソウル駅で乗り換え仁川行きの地下鉄に乗る。地下鉄だがソウルから少し走ると地上に出る。所要時間は1時間と3分。仁川駅はソウルから26番目の駅で終点。料金はW800。1時間以上乗っていて約¥100だ。
大競争時代に入っていてどうやって価格を下げるか皆考えているのに、日本の地下鉄やJRは値上げをしている。日本はまず公共料金を下げるべきだ。それよりも腹が立つのは銀行だ。バブルのときに暴力団のやっている地上げ屋に金を貸し、それが皆取り立て不能になっている。自業自得、身から出た錆だ。住銀の支店長みたいに殺されたらかなわないから請求もしないんじゃないのか。行儀の悪い銀行が多すぎる。イトマン程度の商社なら行儀が悪いなで済むだろうが、大銀行の行儀が悪いのは大きな社会問題を起す。困ったものだ。自業自得の銀行を助けるために政府、日銀は金利を下げている。預金金利は下っても貸し出し金利は下っていない。広く国民に助けてもらっているくせに、“銀行員の給与が高くて何が悪い。”とほざいた頭取がいた。まったく腹が立つ。
住専はもっとひどい。本来は住宅建設資金を広く一般の人に貸し出す目的で作られたのだが、親会社の銀行がこれは儲かるとばかりに自分で住宅金融を始めた。ここで初期の目的を果たした住専は解散すべきだったが、大蔵省や日銀から天下った社長のいる住専は解散などこれっぽっちも考えずに農協などから集めた資金を不動産へと振り向けてこの有様だ。
日本の銀行からお金を下ろし外国の銀行へ外貨預金しよう。アメリカのシティーバンクとブラジルのバンクブラジルが広告を出している。10万円程度から受け付けていて3.3%~5.9%の利息を付けてくれる。皆でやれば大量に円を売ることになるから円はどんどん安くなり円換算残高はどんどん増える。また円安によって国内の景気も良くなるだろう。
話はそれてしまったが20:00頃ホテル着。部屋には行かずホテル横の柳亭という日本料理、韓国料理の店に入る。フグの看板が出ていたのだ。でもメニューに出ていたフグの刺身やしゃぶしゃぶはなく、ちり鍋しかなかった。食べ物にもつきがないようだ。たしか南アでもトロにありつけなかった。趙さんも今日は大変だったでしょう、一緒にどうですかと誘い3人でちり鍋、握りずし、鯛の姿焼き、ビールを食す。W230,000。このあたりだと食べ物の値段は日本と変わらない。日本人価格というのがあるのだろうか。
趙さんは仁川に住んでいて地元の仁荷大学の日本語学科を出てしばらく塾の講師をしていてつい最近ガイドになったとのこと。今日のマイクロバスの契約は15:00までだったそうで、渋滞のためオーバーしてしまった3時間30分の請求が来たらどうしようと悩んでいると言う。やっぱり新米だ。ベテランならそんなことどうにかなるさで心配などしないだろう。
夜はまたカジノ。本格的にブラックジャック。ブラックジャックはカードを使い21に近いほうが勝ち。ディーラーが客、自身に2枚ずつカードを配る。客の札がエースと10札(絵札は全部10)ならブラックジャックとなり、ディーラーがブラックジャックでなければ賭け金の1.5倍の配当を受ける。ブラックジャックでなければ21に近くなるようにカードを引いていく。21オーバーしたらその時点で負けとなり賭け金は没収。
ディーラーがブラックジャックなら、ブラックジャックの客とは引き分けになるがそれ以外の客に対しては勝ちとなり賭け金を没収できる。ディーラーは手持ちのカードの合計が16以下ならさらにカードを引かなければならない。21を超えてしまったらディーラーは負けとなり、21オーバーしていない客に賭け金と同じだけ配当しなければならない。16超え21以下の場合は客と数の勝負になり数の多いほうが勝ちとなる。A札は1にも11にも数えることが出来る。基本は上記だが細かいところはそれぞれのカジノによって異なったりする。
つきがあったのはほんのちょっとでこてんぱにやられる。途中から岡山から来たという60歳くらいの人が同じテーブルに入ってきた。かなり慣れているようだ。岡山から直行便があり1時間15分でソウルに着くと言う。
何とかつきを呼び込もうと、顔を洗ったり水割りを飲んだりするがどうにもいけない。¥50,000とW190,000の負け。興奮しているせいか、負けた悔しさのせいか熟睡できない。
1月6日
今日は仁川市内をうろちょろする予定。10:00頃ホテル前に待機しているタクシーに乗り仁川市内を適当に回るように頼む。運転手は日本語が分かる人だった。ホテル裏の自由公園(ここにはマッカーサーの像と自由の女神がある。)、松島(米軍上陸記念館がある。)へ行く。途中あと1箇所寄ったが名前は忘れた。松島で昼食。骨付きカルビを頼む。

韓国料理の定番・骨付きカルビ
その後月尾島に行く予定だったが、行かずにホテルに戻る。運転手が言うには、刺身は刺身センターより月尾島の方が良いですよ。一昨日間違えて行ったところが月尾島だった。
やるものはブラックジャックしかない。同じカードを使ったゲームでバカラがあるが今までやったことはない。カードを引くか引かないか考えて、自分の意思が入るブラックジャックのほうが面白いと感じている。
¥30,000+W50,000負けたところで夕食の時間となる。どこのカジノでもレストランを持っている。ここではテーブルまで料理を持ってきてくれる。隣の韓国人は握り寿司を頼んでいた。このカジノはチップを要求することはないが、この人はチップとしてW1,000を渡していた。私たちはカジノでは落ち着かないというのでまた柳亭に行く。冷酒とつまみにウニ、イクラ、銀杏、トロロを頼む。中村さんがこれに追加して冷奴を頼むが、ウェイトレスは理解できなかった。豆腐といって奥に聞きに行かせると、あると言う。温かい豆腐が適当な大きさに切られて出てきた。ここには当然醤油がある。このあとウニ、トロを握ってもらうがウニの軍艦巻きはあまりよい形ではなかった。中村さんは鍋焼きうどんを頼んでいる。
さあ最後の挑戦だ。ブラックジャックのテーブルは4台使っている。私たち2人のためにもう1台オープンしてくれと頼むが、ディーラーが足りないのかどうか分からないが、他の人と一緒にやってくれと言う。
日本人2人、韓国人1人のテーブルに着く。見るとこのテーブルはミニマムがW2,000だ。これはいい。いままでやっていたテーブルはミニマムが¥10,000だったからつかないときは¥50,000位すぐになくなってしまう。ついてない時はW2,000で遊んでいてついてきたと思ったら大きく賭ければいい。
隣の日本人は名古屋から来たと言う。名古屋からはJALとKALが毎日2便ずつ飛んでいるそうだ。韓国人がいなくなり、日本人もいなくなり、別の韓国人カップルが入ってきた。この韓国人は在米のよう。韓国のカジノでは基本的に韓国人は入場禁止。外国に住んでいればOKなようだ。
中村さんのカードの引き方に文句をつけてきた。中村さんがセオリーを無視してカードを引いて21オーバーした時だ。男の方が、“何でそこでカードを引くんだ。この場合はカードを引かないで次に回すべきだ。”というようなことを言っている。“I think so,but that's his money.”と言い返したら今度は女が“テーブルは皆のもので、皆でディーラーを負かさなければならない。”と言う。それは確かにそうだ、ディーラーを21オーバーにすれば一番いい。でも自分のお金を賭けているのだからカンを働かせてセオリーを無視したっていいじゃないか。“His money”と強く言うと文句は言わなくなった。
今回は全然つかない。ギャンブルにアルコールは禁物だそうだが、酔っ払って気ままにやってみよう。香港のアクション映画にも酔拳というのがあるじゃないか。水割りを頼んでずっと呑み続けてやっていた。韓国人がいい引きをしたので“You are a good gambler.”と言うと、喜んでラスベガスには何回も行ったとラスベガスを強調していた。これからは仲良くなって話も弾んだ。住んでいるところを聞くと、女性が彼はロスアンジェルスに住んでいると言う。彼女は違うようだ。
私の英語も少しずつ進歩しているが100%聞き取れるには程遠い。私がカードを引いて21になった時“よし”と力をこめて言ったら、彼らも真似して“よし”と言いながらやっている。
ディーラーの女性は2人1組になっていて1ゲームごとに交代する。1時間たつとそっくり別のペアーに入れ替わる。顔なじみのディーラーが出てきたので、この人は強いよ、いやこっちの方が強いよなど喋りながら楽しくやっていると手持ちが大分増えてきた。
明らかにディーラーがペースを上げ客のポーカーチップを巻き上げようと動いてきた。“More slowly.”とペースを落すように何度も言う。ポーカーチップを置くときや、ヒット(もう1枚カードを引く)、ステイ(カードを引かない)の判断を遅らせたりするが、ディーラーも上からの指示でペースアップに必死だ。薄い水割りだが飲み続けているので大分酔ってきた。もう終わりにしよう。時計を見ると5:30だ。韓国人カップルがサンキューと握手を求めてきた。楽しめたのだろう。ポーカーチップを現金に替えると¥140,000になった。半分くらいは取り戻せたようだ。中村さんはとっくに引き上げている。
1月7日

オリンポスホテルのマッチ
モーニングコールはしていないのに8:00に電話が鳴った。趙さんだ。調子は最悪。今まではどこに行っても24:00までにはベッドにもぐりこんでいたから。朝食は取らず空港でうどんを食べる。飛行機の中ではずっと寝ていた。中村さんには迷惑をかけたようだ。ごめんなさい。
第4報終わり

ベルテルスマン世界地図帳より拝借