ポルトガル

2006年1月4日~13日  

JALのマイレージを使う
 日本からのポルトガル行きの直行便はない。JALのマイレージを使う必要があるのでJALの提携先のブリティッシュ・エアウェイズでロンドン経由にした。JALを使うとロンドンーリスボン間の料金を別に取られそうだから。確認したわけではない。そして只のときはビジネス。
 次女の結婚式の費用の支払いをホテルや相手の親に頼んで私のクレジットカードを通したり、大学時代の友人との忘年会の支払いを幹事や会場に頼んだりして、やっとこさ貯めた8万5千マイルだった。でもBAのビジネスは椅子がフル・フラットになり身体が楽。特に帰りはありがたかった。
1月5日 シェラトン ホテル
 シェラトンには昨夜22:00頃着。リスボン空港は市街地に近く、タクシーで10分ちょっとでホテルに着くので非常に便利だ。
 6:00ロビーに降りていきビジネスセンターのパソコンを借りる。こちらの6:00は日本の15:00で株の取引が終わる時間。最近日本株を始めたのだ。数年前から中国株をやっていたのだが全然あがらず日本株に鞍替え中。中国株は1株が100円未満の物が多く小額でも取引できるのが魅力で始めた。しかし中国の経済の発展とは裏腹に全然上がらない。特に経済の中心の上海市場は下る一方。上海郵電設備などは3年ほど前から一度も買値を上回ることなく6分の1になってしまった。36万円がたったの6万円になってしまった。もうがっくり。ホントにトホホな状態。香港市場はもうちょっとましでトータル元くらいなので、中国株を整理して日本株に鞍替え中なのだ。
 6:30から朝食。地下のレストランの壁二面はアズレージョ。見事なものだ。7:30から散歩。エドゥアルド7世公園をぐるりと回りリベルターデ大通りを南下してレスタウラドレス広場まで1時間ほど。帰りはレスタウラドレスから地下鉄で戻る。
シェラトンのレストランのアズレージョ
高速道路
 レンタカー会社のヨーロッパカーを10:00頃出発。指示通りに国道A12を進みヴァスコ・ダ・ガマ・ブリッジを渡る。このヴァスコ・ダ・ガマ橋が長い。10km以上ありそう。A2に入るも車の量は相変わらず少なく快適に走れる。たまにトラックを追い抜き、たまに乗用車に追い抜かれ100km/hちょっとのスピードで走る。制限速度は最高120km/h、最低50km/h。
 昼頃パーキングで食事。ヨーグルト、ピザパン、水を購入。売り場のおばさんが向こうを指差し何か言っている。行くとオーブンがある。Three Minutes?と叫ぶが返事がない。オーブンは最大30分まで目盛がある。5分もやってみるか。ヨーグルトを食べながら待っていて、チンとなったので取りに行くと変なものが出てきた。こげてかちんかちん。こげが比較的少ない部分を2,3箇所かじったがやめにした。帰ってから奥さんに話すと、冷凍じゃなければ40秒よ。長くて1分。やっぱり男だね、と笑われてしまった。でもパーキングの食事場所に誰もいないのが救いであった。
 A2は南下してアルガルベ(Algarve)地方に入り、海岸沿いちょっと上を東西に走るA22に突き当たる。突き当たる手前に料金所がある。17ユーロ程度だと思った。A22には料金所はなくこの道路を東西に動いている分には料金はかからない。
ホテル アルガルベ&カジノ
 ポルチマン(Portimao)のホテルには14:00頃到着。旧市街を抜けてホテルのある海岸通に近づくとマンションの建設ラッシュ。こんなに建てて入る人がいるのかなと思う程。
 カジノの営業開始時間を聞くと15:00からとのこと。簡単に風呂に入り15:00過ぎカジノを覗く。カジノはホテルと同じ建物の一階にあるが入り口は異なる。一階はすべてスロットマシーン。これだけでホテルのワンフロアーの半分を占めるが、建物自体大きくないのでたいした規模ではない。目当てのテーブルゲームはどこかと聞けば、地下にあり営業開始は20:30だと言う。
 ホテル近辺を散歩する。東端に要塞跡があり大砲が1門置かれていて、一部はイタリアレストランになっている。要塞跡から西に向かって歩く。海岸沿いではあるが砂浜から10m程高くなっている崖の上に建物群はある。ホテル、マンション、土産物屋、レストランといろいろあるが、シーフードレストランがない。イタリヤレストラン(ピザ屋も含めて)が多く、中華も2軒。1時間ほど歩いたがそれにしても建設中建物の多いのにはあらためて驚いてしまう。
 車で旧市街へと行く。旧市街と言っても城壁に囲まれていたり、砦跡があったりするわけではない。狭い道がくねくねしているだけ。小さい港の駐車場に車を停め歩く。歩行者天国が結構あり両側には小さい店がびっしりと並ぶ。土産物屋だけでなく衣類、おもちゃ、コンビニやらいろいろ。
 シーフードレストランがありメニューが外に置いてあったので眺める。10ユーロからあるようだが安いのは私の知らない物ばかり。クラブやロブスターは35〜50ユーロ。一人ではもったいない。
 ホテルに戻りポルトワインでも味わうかと冷蔵庫を開けるがウイスキーやジンばかりでワインはなし。
19:00過ぎ旧市街へ向かって再出発。港のそばに酒屋を見つける。ポルトワインの白、ドライタイプというものを購入、寝酒用。6.7ユーロ。度数は20。色は薄茶。普通の白とは全然違う。ブランデーを足してあるらしい。強いせいか、ドライタイプのせいか口にスーっと入っていかない。(飲んだのはホテルに戻ってから。)
酒屋の近所にシーフードレストランがあったので入る。ツナのステーキ、イカのリング揚げを頼む。ツナのステーキは、マグロの大きい切り身を焼きケチャップ味のスープに浸してある。イカのリング揚げは唐揚げかと思ったがてんぷらであった。そういえばてんぷらはポルトガルからの外来語だったような気がする。
ツナのステーキには茹でたジャガイモ、リング揚げにはフライドポテトが添えられている。パンも付くのでどちらかひとつの注文でよかった。味はもうひとつであった。
1月6日 ポルチマン近辺観光
 8:00頃の出発でアルガルベ地方最西端の街サグレスに行く。要塞跡観光。要塞はエンリケ航海王子が世界初の航海学校を設立した場所とガイドブックに書いてある。
 要塞はぐるりと回っているわけではなく、断崖絶壁の岬を途中で遮断する形に建てられている。要塞内部は岩に低木で荒涼とした雰囲気。風がしょっちゅう強く吹いているため木が大きく育たないのかも知れない。
 次に行ったのはラゴス(Lagos)。ここの旧市街は海と城砦に囲まれている。そして旧市街にはたくさんのシーフードレストランがある。オープンテラスの店に入りビール、ベイクド・サーディン、オイスターも頼む。外のテーブルでビールを飲みながら料理を待っていると急に雨。あわてて店内に入る。今日は降ったりやんだり。今旅行中雨が降ったのは今日だけ。オイスターはやせていておいしくなさそうだったが果たしてそうであった。オイスターに反しベイクド・サーディンはおいしかった。日本語に訳せば鰯の塩焼きだが、いやおいしかった。
ベイクド・サーディン
 次に行ったのはアルジェズール(Aljezur)。雨のため要塞跡に登って町並みを眺めただけ。行く途中丸太を満載した大型トラックによくすれ違った。林業が盛んなようだ。そういえばポルチマンの港のヨットハーバーの隣は貯木場だった。
 次がモンシケ(Monchique)。フォイア山には温泉スパがあると書いてあったので行ってみるがわからず、山頂には軍事施設らしいものがあり立ち入り禁止になっていた。ガスが出て何も見えない状態だった。
 次がシルヴェス(Silves)。イスラム・アラブ時代の首都だがレコンキスタの戦い、大地震ため城砦跡しか残っていないとある。城砦跡をそのまま利用して住まいにしている。道は狭く曲がりくねっていて方向感覚が掴みにくい。また坂道も多い。迷子にならないよう必死だ。駐車した場所にたどり着けないと大変なことになるから。
 夕食はホテルそばの中華料理屋でいつものごとく焼きそば。ふかひれスープ、ビール小1杯をつけて9.2ユーロ。
昨日とは違うネクタイを締めて行くもやはりだめ。200ユーロの負け。ポルチマンはいいところだと思うけれどカジノは最悪。
1月7日 移動日-1
 レンタカーはヨーロッパカーに予約した。ハーツよりも安く、エイビスよりもさらに安かったから。インターネットで見ると殆どがマニュアル車。ベンツのCクラスにオートマチック車があったのでそれを予約する。5日の10:00に取りに行くと出てきたのはアウディー。予約車と同クラスということで出てきたと思われるがアニュアルシフト車だった。オートマティック車を強く希望するとルノーのメガーヌが出てきた。車が小さくなった分金額も80,000ユーロ代から60,000ユーロ代に下がりこちらもよかった。
 ヨーロッパカーの営業所を出てすぐに満タンではないことに気づく。が一方通行なのでぐるっと回って営業所に戻り確認させ貸し出し書類に記入してもらう。キーはカードキー。差込口に差込み、すぐ上のスタート、ストップボタンを押してエンジンをかけたり止めたりする。カードキーの開閉ボタンでドアーのロックの開け閉めをする。
 閉めた後、手で確認のためドアノブを引っ張ると開いてしまう。またカードを差し込み忘れてボタンを押すとエンジンがかかってしまった。これはまずい。車を盗まれてしまう。車は当然保険に入っているから構わないが、私の荷物が盗まれると困る。たいしたものはないが着替えや洗面道具、日常の薬など早速困るものばかりだ。
 ファロ(Faro)の町に入って駐車して観光しようにも気になって動けない。ファロの町のヨーロッパカーの事務所を探して行くが誰もいない。
 そうだ、ファロには空港があるからレンタカーの事務所があるはずだ、と思い空港へ行く。空港の事務所へ行くと整備工場を教えられた。整備工場へ行くとしばらく考えて、キーを離れた所に置いてからドアーノブを引っ張ってみろと言う。引っ張ってもドアーは開かない。キーを持った人がやるとキーから電波が出てドアーは開くし、エンジンもかかると言う。ふーんと納得。
 タヴィラ(Tavira)の町に寄る。ここも由緒ある街らしいが小さい城壁が残るのみ。川沿いを散歩しその後市場に寄る。時間も時間だから魚などはなく野菜、果物だけ営業している。みかん、オレンジ、柿を少量ずつ買う。これが昼食。でも柿には渋が残っていた。
カサブランカ・イン
 モンテゴルドの町には15:00頃着。国道から南下して町へと進むと突き当たりにカジノと公園、駐車場がある。この辺りが町の中心。その向こうは砂浜。駐車場で客待ちをしているタクシーの運転手にカサブランカ・インを尋ねる。海岸道路を50m程東に行き左折して(海と反対側)2本目の道路の右側にある。歩いても2,3分。
 海岸道路沿いには大きなホテルが何軒も建っている。インターネットで検索したときはモンテゴルドのホテルはカサブランカ・イン1軒しか出てこなかったのに。
 カサブランカ・インは木造3階建て。部屋は20ちょっとか。小さいエレベーターがある。部屋も狭いがバスタブは付いている。私のほか(含めてか)の客は年寄りばかり。日中はホテル1階のバーの前の庭でビールを飲みながら日向ぼっこ。夕食の時は隣のバーで飲んでいたワインのデカンタを持ってレストランへやってくる。
 日中の気温は10℃を超え15℃近くまで上がっているんじゃないかと思う。でも朝晩はさすがに冷えてくる。部屋には当然エアコンがあるがリモコンがない。ロビーで聞くとカーテンの裏にかくれていると言う。結構探したんだよね。
 夕食はカサブランカで摂る。スープ、フィッシュ、アイスクリームを選ぶ。これで7.9ユーロと書いてある。ワインがグラス1杯190ccで1.5ユーロ。ワインのみキャッシュで支払う。フィッシュは白身の天麩羅。きゅうり、トマト、マッシュポテト添え。メインは他にはスパゲッティ、チキンがあった。
 夕食後着替えてカジノ・モンテゴルドへ行く。まだ早くテーブルゲームは開いていない。スロットで時間をつぶそうと10ユーロ挿入。
ホテル カサブランカ・イン
 ポーカーゲームだが、もう今日の分を取られてしまったのか暇そうなおばさんがああしたほうがいい、こうしたほうがいいと言う。テーブルゲーム開始の時間になってもスロットの残は結構ある。おばさんにあとをどうぞと譲る。
 テーブルゲームには例により私が一番乗り。入場料もテーブルの構成もポルチマンと同じ。ブラックジャックで100ユーロ損して周りを見るとルーレットに客が2人いる。こちらに鞍替えるもやはりだめ。100ユーロ損して1時間ほどで終わり。
カジノ・モンテゴルド
1月8日 モンテゴルド近辺観光
 9:00頃の出発で国境の町サント・アントニオに行く。鉄道、国道125号線はここで終わり。川の向こうはスペイン。橋はないがフェリーがある。街、川沿いを散歩。川沿い政府機関の建物らしいところの外壁にあるアズレージョなど見物。
 サント・アントニオの北側6〜7kmのところにあるカストロ・マリムへ行く。要塞跡あり。要塞へ行く途中の長屋(民家)のそれぞれの入り口の上や横にアズレージョが飾ってある。図柄はどうしても宗教がらみになってしまうがポルトガルらしい。
カストロ・マリムの北側を高速A22号線が走っていてスペインにはこの道路がつながっている。
民家の入口の上のアズレージョ
 再度ファロへ行く。ガイドブックには考古学博物館の2階には15世紀からのアズレージョを展示してある、と書いてあるがなく、映画のポスターを展示してあった。
 インターネットで検索したガイドにファロの北西にあるアルマンシル(Almancil)のサン・ローレンス教会の内壁、天井のアズレージョは見ものとある。何だかアズレージョ一色の旅になってきたが他にたいしたものがないので仕方ない。町はすぐにわかったのだが教会がなかなかわからなかった。
 ここからアルマンシル、アルマンシルここで終わり、の標識の間を何回も行き来する。何人目かの人がやっと教えてくれた。ファロのほうへ戻り最初の二又を左、次の二又を右へ行ってすぐ右側にあると。紙とボールペンを渡したので図を書いてくれた。最初の二又はアルマンシルここで終わりの標識より外側だった。でも無信仰の人間が行くとこんなものだろう。案内のガラスの内側に大きくCLOSEDと書いた紙がはさんである。
 15:00頃ホテルに戻り散歩。ぽかぽかして半そで半ズボンで歩いている人もいる。かと思えばロングコートを着ているおばあさんもいる。
 民家の外壁にはやはりタイル張りが多い。絵になっていないのでアズレージョというよりタイルと言ったほうがわかりやすい。
 コンビニでポルトワインの白を購入。今度はドライでないもの。サーディンの缶詰を数個。これは家へのお土産。
カジノ ヴィラモウラ
 どういうわけかモンテゴルドのカジノのテーブルゲームが休み。スロットはやっている。ヴィラモウラ(Vilamoura)のカジノはやっていると言う。21:00だから片道1時間かかっても、1時間遊んで24:00には帰れる。場所は昨日確認してある。よし出発。でもやはり夜は昼間と違う。標識を見落としたらしく迷ってしまい10分ほどロスしてしまった。
 このカジノはポルチマン、モンテゴルドと同じ系列だがもっと庶民的。テーブルゲームがスロットと同じ部屋にある。つまり入場料は要らない。またミニマムが5ユーロだ。もう大勢の客が遊んでいる。やはり客は適度に多いほうがいい。一人でディーラーを相手にするのはしんどい。1時間遊んで手持ちは元。50ユーロかけて終わりにしよう。やはり負け。
 帰りも道に迷ってしまって24:15ホテル着。
1月9日 移動日-2
 カサブランカ・インの朝食は8:00からなので9:00頃の出発。エボラ経由でリスボンに戻るのに、遠回りになるが高速で行くのがいいか、カストロ・マリムから一般道を行くほうがいいのか、ロビーで相談すると一般道が断然いいと言う。 
チェックアウトをお願いすると66ユーロと言う。夕食も2回食べたけどと言っても66ユーロでいいと言う。私の前にチェックアウトした夫婦は来年も来たいと言っていたが、こんなに安いのなら私もまた来たい。
 交通量は少なく、信号はほとんどなくこちらで多いラウンド・アバウト(ロータリー)もそんなにない。結構なスピードで走れる。
 途中ベージャの町で2〜30分ほど散歩。エボラには12:30頃到着。ここは大きい町だ。町全体を城壁が囲っている。水道橋も残っている。城壁の外の駐車場に車を停め城壁内に入っていくも、ガイドブックの地図上のどこにいるのかわからない。女子高生らしい数人のグループに聞くも、日本のガイドブックの地図を見てもわかりづらいらしい。そのうちの一人がどこへ行きたいのかと言うので、思わずカテードラルと叫んでしまった。5分ほど団体の後に付いていきカテードラルに到着。カテードラルは12:30までの営業で中には入れなかった。
 レストランでツナサラダ、ビール、パンの昼食後ぶらぶらの散歩を続ける。広場に栗売りがいた。どこの町でもおばさんが多いのだけれど、ここでは小さい女の子を連れた男が栗を焼いている。1ユーロ分買う。10個程か、紙で逆さの三角帽を作り入れてくれる。そんなにおいしいものでもない。
 エボラ大学に18世紀のアズレージョがあるというので行ってみる。でも大学のどこにあるのかわからない。かってに中に入るわけにもいかず困った。名所名跡の観光にはツアーでガイドの後についていくほうが効率はいい。エボラは天正少年使節団ゆかりの地のせいか日本人団体2組を見かける。リスボンのホテルシェラトンには17:00頃着。
1月10日 リスボン観光-1
 まずセニョーラ・ド・モンテ展望台へ行く。その後サン・ジョルジェ城。どういうわけか馬がいるだけで実質展望台。ここまでは順調に来られたがサン・ジョルジェ城からいくらも離れていないカテードラルに行くのに往生した。だいたいあそこらだというのはわかっているのだが一方通行、左折禁止、右折禁止で思うような方向に行かない。路面電車がそっちの方向に行くので後を追っていくと、狭い道で道路の幅は路面電車の幅、路面電車の陰から車が現れこちらに来る。路面電車はよくても車は一方通行で進めないようだ。向こうの車の運転手がしきりにバックしろと手を振っている。仕方なしにバックするがなんかさっき通ったような気がする。一度通った道を逆に走っていたのだ。
 何とかカテードラルに着くが、前の道路の駐車している車にポリスが早くどくように指示している。カテードラルの入り口は開いている。ポリスにカテードラルを見てくるから5分だけ車を置かしてくれと頼むとOKが出た。なんでも言ってみるものだと思う。戻ってきてきちんとポリスにお礼を言う。
 国立アズレージョ博物館に行くも火曜日は14:00からのオープンと追い返される。
 ジェロニモス修道院。大航海時代の栄華を象徴した建物とガイドブックに書いてある。
 高校時代の日本史の教諭の言葉を思い出す。“宣教師なんてろくな者じゃない。右手に武器、左手に聖書。知らぬ土地に上陸して、住民が強そうなら聖書を出し布教に来たと言い、弱そうなら武器を出し略奪し植民地にしていく。大航海時代は大略奪時代だ。”
ベレンの塔にて
 発見のモニュメント、ベレンの塔とまわる。昼食は修道院のそばで摂ったがずいぶんとサービスのよい店だった。焼き魚(鰯ではない)と白ワインをグラスで1杯頼んだが、時間がかかって申し訳ないとチーズを持ってきたり、肉と野菜を煮込んだものを持ってきたりしてくれた。内壁もアズレージョできれいに飾ってある。11ユーロは安かった。
 カスカイスの地獄の口を見てからロカ岬へと車を海沿い西に飛ばしていく。右にカーブを切って左側に灯台があった。ここがロカ岬か、ユーラシア大陸の最西端だ、と車を停めるが様子が変。灯台への門は閉まっているし随分と狭い。周りを見回すとはるか北のほう断崖の上に灯台がある。あれがロカ岬の灯台か、と認識するが10km以上はある。Uターンする。
カジノ・エストリル
 カジノ・エストリルはマカオのカジノ王といわれる中国人が作ったもので、アルガルベ地方のカジノとは別系列。海沿いを走る国道6号線の北側にある大きな公園を越した向こうにある。公園を通りカジノの建物に近づくが静かな雰囲気。工事をしている人にカジノはオープンしているか聞くと、入り口は左手、西側だと言う。そちらに回ると車で一杯。駐車しきれない車が右往左往している。
 中に入りガードマンにブラックジャックはどこか聞くと、突き当たり右側と言う。入り口を入ってすぐは何もなく、ちょっと行ってから司会者を中心に客がゲームをしている。右側に黒い鏡の間仕切り。間仕切りの向こうはバー、レストラン。ここを過ぎ右側にスロットの大群がありその中にテーブルゲームがある。規模はヨーロッパでは大きいほう。何が何台と数える気がしなかった。入場料はなくミニマム5ユーロ。最後に50ユーロ賭けて今度は勝って元。1時間ほど遊んで17:00過ぎにカジノを出る。
 18:00前に暗くなるので何とか暗くなる前にホテルに戻りたかった。自分の運転でそれも一人だから慎重になる。18:00薄暮の中ホテルに着く。
 今回の最後の3泊はエストリルにしようかリスボンにしようかかなり迷った。マカオのごちゃごちゃの騒々しいカジノを想像してエストリルには1回行けばいいかとリスボンにしたが、カジノ・エストリルの雰囲気そのものは悪くない。
バイシャ
 地下鉄のバイシャ・シアード駅で降りる。東側がバイシャ(旧市街)。こちらは平らで道路は碁盤の目のよう。旧市街で碁盤の目なんておかしいが、リスボン大震災の後都市計画を立てそれに基づいて作られたそうだ。メインストリートはホコテン。大きく音楽を鳴らしているのはレコード屋。ポルトガルではファドが有名だが聞きには行けない。開始が23:00で実力者が出てくるのが24:00では遅すぎて行く気になれない。ファドのCDを1枚、有名な歌手と言うと、アマリア(Amalia)のものを出してくれた。
 西側はシアード。高級ブランド店やブティックが並んだところとある。こちらは高いところ。地下鉄を降りてからシアード側に出るには何回も何回もエスカレーターに乗り、かなり登らなければならない。外へ出てからも坂道ばかり。今朝行ったサン・ジョルジェ城はバイシャをはさんでシアードの反対側。バイシャだけが低いところ。 
 地下鉄でバイシャ・シアードからホテルの最寄のピコアスまで1回乗り換えの4つ目の駅。初乗り料金の0.7ユーロで行ける。ロンドン地下鉄の初乗り3ポンドは絶対高い。物価の高いロンドンはどうしても素通りになる。
 バイシャの北側ロッシオ広場の東側1本裏の道にはレストランがたくさん並んでいる。どこもウェイターがメニューを手に持ち客引きをしている。ブイヤベースが食べたくなり、あるウェイターにブイヤベース(わからないのでいろいろな魚を煮たものと説明)一人前できるか聞くとOK。出てきたのはわけのわからない物。白身の魚とエビ、イカ、カキを何か澱粉質の物で煮込んだもの。商売が上手でケーキを4種持ってきてどれか一つを、コーヒーはいかがと。テーブルの上においてあったチーズを料理が出てくるあいだにかじる。全部で23ユーロの請求が来た。修道院のそばのレストランとは大違い。
1月11日 リスボン観光―2
 バイシャのちょっと西側にあるリベイラ市場に行く。野菜、魚、肉売り場をざーと見る。大きな太刀魚が目だった程度。明日は早いので朝の食事にしようとバナナを2房購入。0.2ユーロ。
 奥さんお勧めのグルベンキアン美術館へも行く。石油で財を成したグルベンキアン氏のコレクションを展示したもの。種々雑多という印象。1枚あったレンブラントの絵は、ああこれはレンブラントの絵だ、とすぐにわかった。日本関係のものでは、印籠、すずり箱が展示してあった。
 市内北東部海沿いにヴァスコ・ダ・ガマ関連施設がある。万博跡地だそうだ。ヴァスコ・ダ・ガマ・タワーにヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンター。もうちょっと北には先日通ったヴァスコ・ダ・ガマ・ブリッジがある。
 ホテルの部屋には赤のポルトワインのハーフボトルが置いてあった。飲んでみると甘いけどおいしい。ショッピングセンターで同じ銘柄のものを1本購入。でも自分ではあまり飲まないにしよう。夏においしいからと梅酒を毎日少しずつ飲んでいたら血糖値がピンっと跳ね上がってしまった。砂糖控えめの梅酒だったのに。
 海岸沿いに長さ1kmほどのロープウェーもある。客は殆どいない。
国立アズレージョ博物館
 午後になって国立アズレージョ博物館へ行く。キンキラの祭壇が置いてある一室がある。何でと思っていたが、ガイドブックには古い教会を改装して博物館にした、とある。古いアズレージョに混ざって二人の新作も飾ってある。
新作アズレージョ(黄色、黒、ピンクのバックは布)
 15:00頃にはレンタカーを返却。車をチェックしたおばさんはNo problemの後燃料が足りないといっていたが、貸し出し書類を見てやはりNo problem。
 あとはバイシャ近辺をぶらぶら。縦に細長い建物があるので行ってみるとエレベーターだった。バイシャと同じレベルの低地からシアードなみの高地まで一気に人を運ぶ。片道1.2ユーロ。これは3本あるケーブルカーと同じ料金。そしてケーブルカーと同様に定期券もある。エレベーターの屋上は展望台にもなっている。
エレベーター屋上から 薄暮のサン・ジョルジェ城
 最後の夕食は、Sardine is the bestと思いまた鰯の塩焼きにするが、しょっぱいだけでおいしくなかった。鮮度が違うのかも知れない。
第38報終わり
ポルトガル旅行日程表
ベルテルスマン世界地図帳より拝借

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