スリランカ

2005年8月13日~22日  

“スリランカ”で検索をしてみると…
 現地旅行社“ブルーロータス”に行き当たった。安東玲子という日本女性がスリランカに住み(たぶん現地の人と結婚をしていると思う。)、日本人相手に旅行会社を営みツアー客を募っている。一人から受け付けている。航空券は扱っていない。
 主な遺跡を6泊で回るツアーに参加し、その後首都コロンボで2泊する日程で申し込んだ。
料金は1名   120,000円(デラックス)   87,000円(スタンダード)
2,3名 70,000円52,000円
4名以上57,000円39,000円
(料金は6泊7日のツアーの一人当たりの料金、全食事つき)
 コロンボでの宿は、ガイドブックの地図を見ると、カジノ・リッツクラブのそばにゴール・フェイス・ホテルがあったのでホームページを覗いてみる。
 海岸沿いに建っていて、隣はゴール・フェイス・グリーンというコロンボ屈指の公園。1864年建造。スタンダード・ルームはUS$67/泊。ロイヤルスイートはUS$195/泊。200ドルではロンドンだったらろくなホテルに泊まれない。それがロイヤルスイートとは。ブルーロータスに頼んでもらうと20,000円/泊。160,000円をブルーロータスに送金する。(送料が6,000円かかった。)
8月13日 スリランカ到着
 21:30入国審査、税関を通って外に出ると、漢字で“玉庭 勝左 様”と書いた看板を持ったスリランカ青年が立っている。バスを待っている間に“スリヤンガといいます。安東玲子の夫です。”と日本語で言う。ああやっぱり。日本にはまだ行ったことがないという。日本語もいまいちだ。3時間かかるがシーギリヤへ行くという。
 スリヤンガ、運転手、そして私。ほかの客はいない。これも予想通りだ。飛行機の中も寒かったが、この車の中も寒い。冷房の効かせすぎだ。すこし緩めてもらう。
 宿のシーギリヤ・ビレッジには24:30到着。比較的大きい建物は屋根だけで壁がない。電気をつけるとレセプションとレストランになっている。レセプションから結構離れて私の部屋。まず蚊取り線香をつけてから全ては始まる。バスタブはなし。シャワーから温水は出る。
8月14日 シーギリヤ・ロック
 9:00出発でシーギリヤ・ロックへ。10分ほどで到着。ある程度の高さに螺旋階段がある。登りつくとシーギリヤ・レディーとご対面。1mほどの幅で板が敷かれている。レディーを見ながら歩いていくと高さ50cmほどの板で通行止めになっていて番人がいる。ここから先は強度がないので一人ずつだと言う。先に見ている人が戻ってきてから私の番。
螺旋階段の上黒い遮光シートの内側にシーギリヤ・レディーがいる。
 バスを降りたときからずーっと地元青年が付いてきている。階段を登るときには後ろから押してくれる。降りるときには滑っても大丈夫なように腕をかかえてくれる。
 わずらわしくはあったが、スリヤンガと話しっぱなしなのでスリヤンガの友人かと思いするにまかせていたが、思い出したことがある。階段を登るときにちょこっと手助けしてチップを要求する者がいることを。でもまあ一所懸命やっているから、R100じゃ少ないかな、R300もチップをあげようかと考えていた。でもふもとの車に着いたら、それじゃさよならとどこかに行ってしまった。
 レディーのあとは岩の斜面に取り付けられた狭い階段を登り頂上へ行き王宮跡地を見る。眺めはいいが山とジャングルばかり。階段は狭いためだろうが登り専用、降り専用と2列ある。
 ロックの下のほうに、壁がへこみ10畳程の空間ができ、人が座れるようなところがある。へこみ上部をヘリに沿って削りこみ、壁の上方からの雨水が中に伝わってこないようにしてある。修行僧の瞑想所だそうだ。壁、天井にレディーの絵が画いてあったが瞑想の邪魔だと削り取ってしまったとのこと。
 往復2時間ほどのツアーだった。
ホテル シーギリヤ・ビレッジ
 シーギリヤ・ロックのあとはポロンナルワへ行き仏教遺跡観光。日干し煉瓦を積み、仕上げに漆喰を塗ったような建物ばかり。17:30頃ホテル着。
 シーギリヤ・ビレッジはすべて平屋。2軒長屋のコッテージ風。私の部屋は171号。レセプションから遠くはなれたところに179号室があり、その前の路地を入って突き当たり。前には鯉、亀の多い池もある。またジャングルの中だから猿があちこちで見受けられる。
 部屋は4×5の20平方メートル程。エアコン、ホットシャワーあり。バスタブなし。床はタイル張り。蚊取り線香の灰をそのまま落しても問題ないので楽。
 マラリア、デング熱に注意という記事を多く目にするので、蚊には最大の注意を払って準備してきている。蚊取り線香20巻、虫除けスプレー、どこでもべープといってベルトに通したりして持ち運びする虫除け、長袖シャツ。どこでもべープは目立つらしく、どこでも“What's that?”と聞かれた。
 どこのホテルに行ってもまず蚊取り線香に火をつけバスルームに20分ほど置く。これで2匹ほど落ちている。それからベッドルームに移動する。
ベッドルームにべープマットがある場合はこれにもスイッチを入れる。なければもう1本燃やす。朝部屋から出るときや、日中シャワーを浴びたあとには必ず虫除けスプレーを吹きつけ、どこでもべープにスイッチを入れる。これで完璧。1回も蚊に刺されなかった。
 夕食は19:30から。やはりバフェ。味は全体に良い。夕食後にレストランに広告の出ていたアーユルベーダの全身トリートメント70分を申し込む。混んでいるらしく23:10から。
 老医師が血圧を計ってOKを出してから、オイルを付けて身体をこすること35分。頭にオイルを付けて揉むこと15分。カミナリ小僧のようなヘアースタイルになる。スチームバス20分。網の上にバスタオルを敷き仰向けに横になると蓋を閉める。足と首のところが丸く切り込んである。ここから蒸気が逃げないようにタオルでふさぐ。サウナと違って首から上と足首から下が常温なので結構我慢できる。
 終わったらとにかく体中油だらけ。バスタオルで拭いたくらいでは落ちない。またシャワーを浴びる。
8月15日 キャンディー・ぺラヘラ祭
 10:00出発でダンブッラの石窟寺院へ。やはり山の上で、岩をくりぬいて4つの寺院が連なっている。紀元前のものから800年程前にできたものまで。スリヤンガがこれは涅槃僧、これは涅槃僧ではないと教えるが、どうも目を半開きにしているのが涅槃僧らしい。スリヤンガはもう少し日本語の勉強をする必要がある。
 キャンディーで昼食。ここでスリヤンガ夫人の安東玲子さんたちと合流。1日遅れで着いた群馬出身の40前の男性一人を案内している。
 ホテルには15:00頃着。ホテルはキャンディーの町の東側の丘の上にある。窓から見るとキャンディーは盆地。それも狭い。覗けるほど近くはないが、向こうの丘の上の建物が見える。
ぺラヘラ祭へは18:30出発。スリヤンガ夫妻と私たち客2人。ドライバー2人の案内で。
 仏歯寺とキャンディー湖との間のメインストリートの湖側の歩道はもう地元の見物人でいっぱい。200m程歩くのに大変な時間がかかった。反対側の広場はテントに椅子。招待客用だろう。
広場を過ぎて右に曲がり100m程行った左側の小さい食堂に入る。狭い厨房を過ぎ、やはり狭い階段を登り、さらにゆるい角度に掛けた梯子を上り特設スタンドにたどり着く。この梯子が登りづらかった。2,3mの距離。勾配がゆるすぎるため四つんばいでいけばいいのだが、それではみっともないので両手を広げバランスを取って歩いていく。
 前から3番目、一番後ろの席で座ったままでは道路の半分しか見えない。立つなり何らかの工夫が必要。隣の建物のほうが見やすいというので、ベランダ越しに移るが大して変わりはしない。でも階段があって梯子で昇り降りしないだけましになった。
 皆と来る前に時間があったので一人でこの近辺に散歩に来た。そのとき数人から“椅子のチケットがある。一人$20だ。”と声がかかった。玲子さんに言うと、“今日は空きがあるんでしょうね。協定価格は$45なんですよ。”とチケットを見せてくれた。
 私たちが座っている3階のベランダには20人は入る。20×$45=$900。ぺラヘラ祭は10日間やっているというので$9,000だ。平均月収$60といわれているスリランカでは大金で、お店の1年分の収益をこの10日で上げてしまうだろう。夕食は道路反対側のピザハットからお店の人が買ってきてくれた。
 仏歯寺の方向に花火が一発上がる。(運動会を開催するよという合図の花火と同じ。)2,30分してから露払いの鞭打ち人が来る。長い鞭を振り回し、この範囲入るべからず、という感じで音をたてながら歩んでいく。10人程度の行列。
 次に来たのは火。2m位の棒の両端に火をつけくるくる回している。竹馬に乗って回している。その次が旗。国旗を先頭に4列縦隊で地方の旗らしきものが続く。そして太鼓に踊りに象さん。象さんには大きなガウンにマスク。マスクには電飾付が多い。3頭横一列に象さんが来た。真ん中の背中には仏塔が乗っている。中には仏歯が入っているつもり。このあとにコロンコロンに太った人が傘持ち従者と共に歩いてくる。仏歯寺檀家のお金持ちの人で、働いたことがないから太っています、と玲子さん。太鼓、踊り、象さん、仏塔、檀家と繰り返されるが、檀家は皆太っていてそれがステータス・シンボルみたいだ。2時間ほどか。また花火が1つ鳴って終り。
仏塔を乗せた象さん
8月16日 エッラ
 9:00出発。今日からガイドは玲子さん、群馬の人と私と運転手。仏歯寺観光。10:00からの御開帳で金色の仏塔を見る。信者の行列に混じりチラッと見ただけ。
 途中滝の見えるレストランで昼食。食事つきのツアーではあるが料理はメニューより選ぶ。料理代は玲子さんが支払いビール代は私たちが支払う。
 製茶工場にも寄る。ざーっと工場見学して直売所で紅茶を購入。OP(オレンジペコ)、BOP(ブロークンオレンジペコ)、フレーバーティーなど山ほど買っても5,000円程度。さすがに安いと思う。
 地図を見ると、キャンディー、エッラ間はたいした距離ではない。が山間の道なので時間がかかりヌワラエリヤを素通りしても、エッラのホテルには18:00ちょっと前の到着となった。コロンボでエッラのホテルに泊まったと言っても誰もエッラなど知らない。本当に山の中。それだけに眺めは良い。群馬の人は私より高地のホテル。私のホテルよりももっと眺めは良い。ドイツ人が泊まっていて、何泊するのか聞くから1泊だというと、肩をすくめられた、と言う。
 夕食はローストビーフにする。インゲン、人参、フライドポテト添え。ビールも1本。食べていると玲子さんも来た。同じものを注文。毎日カレーばかりだからたまにこういうものを食べるとおいしいわね、と言う。
 スリランカで一番有名な日本人は、やはり、おしんだそうだ。小林綾子は今、趣味悠々というテレビ番組でパソコン講座の司会をやっているよ。長女が小林綾子と同じ年だよ、と言うと、私も同じですと言う。当たり前ながら、私の親は玉庭さんと同世代ですとも言う。
 でも何が良くてスリランカ人と結婚してこちらで仕事をしているんだろうか。スリヤンガはちょっと頼りなさそうだし。当然大きなお世話なのだから聞くことは出来ないが。
 2人だけでやっている旅行社だから小回りが利く。世界遺産は行かなくて、紅茶工場めぐりだけして欲しい。紅茶の飲み比べをしたいから。などという客もいるらしい。また自然と触れ合いたいから国立公園のバンガローに泊まりたいと言う客もいるそうだ。これは現地の人も連れて行けばOKがでるそうだ。でもいろんな物を持ち込まなければならないから、結構お金がかかると言う。そしてスリランカのことならどんなことでも引き受けます、と言う。
スリヤンガ夫妻
 4:00頃目が覚める。そうだ星を見てみようと思い、2階にある部屋から下に降りていくと、ロビーのベンチに警備の若者が座っていた。うたた寝をしていたのを起してしまった。ちょっと星を見に行く、と話しているとロビーの奥で毛布に包まって寝ていた中年の人まで起きてくる。申し訳ないことをした。
 さすがに星はきれいだ。でも私の隣の部屋のベランダにあるライトが点いていて邪魔。5分ほど眺めていた。
8月17日 サファリ
 9:00出発。山を降り南下してティッサマハーラーマへ。11:30着。昼食を摂ってからホテルに入り仮眠する。
 15:00出発でヤーラ国立公園へ。年季の入った4WD。オープンエアーで道路は未舗装だから帰ってきたら身体中埃だらけ。前に車がいるとまともに埃をかぶるので抜きにかかる。飛ばす飛ばす。また余計に埃を立てる。
 水牛、孔雀、金鳥の蚊取り線香の絵のような鶏(これが国鳥)、ワニ、イノシシ、野生の雄象(単独行動)も見た。暗くなってからレパード(豹)も見る。でも運転手はよく見つける。遠くを指差しあそこに何がいると。こちらは言われてからでもなかなか見つけられないのに。
 あとは子連れの象さんを見れば満足だね、といいながら帰路につき、国立公園の門を出たところで子連れの象に遭遇。全部で7頭の群れ。道路沿いを進んでいる。道路には何台もの4WDが見物のため並んでいる。運転手は、象たちは道路の反対側に渡りたいんじゃないか、でも車がいっぱいで渡れないんだ、と言う。
 休憩中に津波に襲われ何人かの日本人観光客も亡くなった休憩所跡地にも行く。基礎だけで何も残っていない。津波のあと各国が援助の金額を公表していったが、公表通りに援助したのは日本だけだという。中国などは賞味期限の切れた缶詰を送ってきたそうだ。このことはスリランカのテレビでも放映していたという。
子連れの象(暗かったのでぶれている)
8月18日 ゴール
 9:00出発。このブルーロータスのツアーは日程がゆったりで本当に良い。でも歩く時間が少なくて運動にはならない。スリランカ南端部の海岸沿いを東へ進む。
 海の中に棒が立っている。群馬の人があれは何とか漁ですね、などと詳しい。運転手が気を利かせて車を停めると、現地の人がすぐに駆けてきた。3人いるから300ルピーくれれば実演するという。玲子さんは150ルピーでどうかと交渉しまとまった。
 長い棒を海の中に立て(深さは腰の高さ程度)、海面から1m程のところに横棒を取り付け(三角形になるように斜めの補強棒あり)、その横棒に腰掛けて、針の付いた竿を振り回し魚を引っ掛ける。餌はつけていないよう。魚は小さい鰯みたいなもの。群馬の人は、予備のズボンはないんだよな、といいながら体験したいらしく海に入っていった。
 海岸沿いの道を進んでいるが海と反対側に見えるものは建物の基礎と土間だけ。あとは仮設の住宅。仮設だから壁に打ち付けてある板もカンナをかけてはいない。余計にみすぼらしく見える。
 ゴールの要塞跡に登る。要塞跡の上をぐるっと一周したかったが、軍の施設がありだめであった。旧市街の外周道路を散歩。
オリエンタル・ホテルの前に来ると玲子さんがちょっと覗いてみましょうと言う。ロビーに入るとレセプションにいた女性が部屋を見ませんかと案内してくれる。調度品は古く由緒ありそうなものばかり。バスタブもなかなかの物。マリリン・モンローが泡を立てて入ると似合いそうな物だ。次にアーユルベーダの部屋を案内してくれる。広い廊下の右側に4室。群馬の人は広い廊下を指差して、この無駄な広さがいいね、と言う。ホテルでは今スパの施設を建設中だそうだ。
 旧市街内には今にも崩れ落ちそうな建物もある。旧市街全体が世界遺産なので勝手に修理できないし、お金もないしでそのままだそうだ。
コーラル・ガーデン・ホテル
 ヒッカドゥーワのコーラル・ガーデン・ホテルに着いたのは17:45。ヒッカドゥーワが地元の玲子さんは、ここで一番のホテルという。ロビーを見た感じは良かったが、実はそうでもない。エレベーター室から私の部屋まで10室ほどあり、全部のベッドを入れ替えたらしく廊下に古いベッドが並んでいて歩くのに邪魔であった。私がいる間はそのままだった。
 おかしいのはべープマットの器具が置いてありビスで固定されている。薬剤も置いてある。でもべープマットの差込みに合うコンセントがない。電気スタンドのコンセントがあったので差込みを引き抜いてみると3芯だ。べープは2芯。使用不能だ。
信じられないかもしれないけどと前置きしてから玲子さんに報告しておいた。
8月19日 ヒッカドゥーワ
 昨夕散歩のとき、ホテルの前にあるアーユルベーダに行き予約をしようとこちらの都合をいうが、いっぱいと断られてしまった。ホテルの同じ階のエレベーター室の裏側にもアーユルベーダの店があり、いつでもOKと言う。8:30からやってもらう。津波前はサーファーを毎日10人はこなしていたのに津波後はさっぱりだ、とこぼしていた。 
 玲子さんの話では、ヒッカドゥーワはスリランカでNo1のリゾート地。サーフィンの他にスキューバダイビングでも有名なんだそうだ。海岸沿いにはホテルがずらりと並んでいる。10月から3月頃までが波が静かでダイビングに向いていると言う。また玲子さんの家は海岸から1km程内陸にあるので津波の被害には遭わなかったと言う。
 アーユルベーダの油を全部落とし散歩に出かける。昨日は南方向へ行ったので今日は北方向。ホテルを出てすぐに洋服屋につかまる。バティックのシャツを、1,200ルピーだが今日初めての客だから800でいいと言う。600なら買ってもいいと言うと、土間だけで何もないところに立っている自分の写真を見せ、津波では大変だったと同情を引くようなことを言う。今の店はスレート葺きの屋根の簡単な作り。どこの店も同じようではある。また来るよ、と言うと引き止められ600で商談成立。ホテルで着替えて散歩続行。
象さん柄のバティック
コロンボ目指して
 12:00ホテル出発。ホテルすぐ横のレストランで食事。観光客の行くところでカレーだけでなく何でもある。またカレーも観光客が食べれるようそんなに辛くはない。魚料理を頼む。フライドポテトが付いてくるがパス。
 津波で横転した列車が線路際に置いてある。6両編成で壁はべコベコ。観光名所のようになっていて結構人がいる。こんなに重いものが引っくり返るのだから自然の力はものすごいものがある。この列車を津波博物館として残そうという話があるが、資金の面でいつになるかわからないようだ。ただ残しておくだけならばお金はかからないから、多分そうなるだろうと想像する。
 ボートサファリにも行く。クルーズではなくてサファリと名づけてある。体長1m以上のオオトカゲの横を通り、マングローブの林をくぐったりしながら川をさかのぼり湖に出る。シナモンを栽培している島に上陸。老夫婦と孫の男の子の3人暮らし。男の子の親は出稼ぎに行っているらしい。おばあさんがシナモンの幹を削ったり、縄を編んだりいろいろ実演してくれる。すぐ横に土壁に曲がったトタン板を屋根にしている建物がある。シナモンの作業場ですか、と玲子さんに聞くと、住まいですという返事。島ひとつまるまるシナモンを栽培していてもたいした収入にはならないようだ。
当然直売もあるが、群馬の人は、アジアばっかり行っているから粉はまずいんだよね、と冗談を言っている。
私はシナモンから抽出した油を買おうかと思ったが、漏れ出すような気がして買わなかった。
ゴール・フェイス・ホテル
 コロンボのゴール・フェイス・ホテルには17:30頃着。ブルーロータスのツアーはここまで。2日間は自由行動。
 ゴール・フェイス・ホテルのロイヤルスイートとはどんな部屋かと玲子さんと群馬の人が付いてきた。ドアーを開けるとまずリビングルーム。7m×7m程の部屋。床は板張り。丸いテーブルに4脚の椅子。机に椅子。テレビとその前に2脚の椅子。部屋の真ん中に柱があり1枚の写真が飾ってある。中年の男女が歓談している。
玲子さんが
“誰ですかね、これは。”
と言うので、
推測ですけどと私。
“男性はホテルのオーナー。女性は有名な人、たとえばアガサクリスティー。”
などといい加減なことを言う。
 隣の部屋が寝室。ゴッホの自画像の複製が飾ってある。床も家具もリビングと同じ濃い飴色。年代を感じさせる色だ。奥がバスルーム。全面大理石。寝室、バスルーム併せて4m×7m。
 窓から外を見ると庇が出ている。残念なことにこの庇が波型スレート製。部分的に欠けたりしている。茶色く塗装してあるがやはり安っぽく見える。注意してみていると殆どの建物の屋根は波型スレート製。(近代的ビルは異なる。)中には波型スレートの上に瓦を並べている所もある。
 日本では今、アスベストの問題で大騒ぎをしているが、この波型スレートにもアスベストは含まれている。波型スレートの日本での役割は終わりつつある。
ゴール・フェイス・グリーン
 ゴール・フェイス・ホテルの隣にゴール・フェイス・グリーンがある。木が全然ない公園だけど人気がある。一風呂浴びて公園へ行ってみると子供から大人までいっぱいの人。凧揚げがはやっているようで子供連れが夢中して凧揚げに興じている。
 段差のあるところ、高いほうを背にアベックがいっぱい。5m間隔で並んでいるよう。そして皆傘を差している。顔を見られないようにしているつもりらしい。
 インド洋に沈む夕日がすばらしいということなので現地の人に混じって眺めていたが、海に沈む前に雲に隠れてしまった。残念。
ゴール・フェイス・グリーン
カジノ・リッツ
 ゴール・フェイス・ホテルで夕食。ワインの1杯でもと頼むがポヤ・デー(満月)なのでアルコールは出せないと言う。そしてポヤ・デーは祭日でもある。食後カジノ・リッツへ行ってみるが閉まっている。
 ポヤ・デーのため休みかと思ったがその後数回訪ねても閉まっている。廃業したのかもしれない。
8月20日 コロンボ市内観光
 9:00頃出発して国立博物館方面へ歩いていく。昨夜よく眠れなかったせいか調子が悪い。自然史博物館のみ入る。カジノ・ベイリーズが途中にあったので何時からの営業かと聞くと、24時間やっているとの返事。
 ホテルに戻り休憩。1時間もたつと回復。昼食は軽く麺類でもと思い、ガイドブックを見る。ジャパンカフェ、さくら、もしもし(これも店の名前)が日本食の部に出ている。麺類が豊富なのはジャパンカフェと思えたので、そこに行くようトクトク(3輪オートバイのタクシー)に頼む。
 排気ガスを嗅ぎながら、オートバイ特有の音を聞きながらジャパンカフェに着く。ブロック塀にジャパンカフェと書いてあるが建物はない。更地になっている。運転手はブロック塀を指差してジャパンカフェだ、と言う。ほかのジャパニーズ・レストランに行ってくれと言うと、さくらの方が大きいからとそちらに行く。釜揚げうどんを頼む。スタッフに日本人はいないようだ。 
 トクトクの運転手には戻っていいと言ったのだが、待っていた。また新規の客を探すより4,50分でも待って確実に客を確保したほうが良いと判断したのだろう。
 カジノ・ベイリーズに行くように指示したのだが、着いたところはカジノ・ベラッジオ。間口は狭いが奥行きはある。大理石をふんだんに使い豪華な雰囲気を出している。外国人専用だが中国人ばかり。そして圧倒的に女性が多い。
 カジノ・ベイリーズにも行くがベラッジオと同じようなもの。従業員の話では、ベラッジオ、ベイリーズ、今回は行かなかったがMGMは同じ経営者だそうだ。
 次に行ったのがカジノ・スターダスト。スリランカ人もOK。こじんまりとしているが、やはり内装などの仕上げは落ちる。でもこういうほうが私は好き。
 16:00頃からコロンボ・フォート駅の北側を目指し散歩。フォート地区は大統領官邸や中央銀行などがある政治、経済の中心地。フォートの東側にあるぺター地区は市場街。こちらのほうが面白そう。
 ゴール・フェイス・グリーンの北の端で品のよさそうなおじいさんが話しかけてきた。日本語で。ありきたりの話をしてから“私は先生をしています。目の不自由な子供たちに教えています。”ファイルを開きいろいろな記事のコピー(英語)を見せ、“ついてはこの紙に署名をしていただけませんか。”と署名欄を開き私に差し出した。
見ると日本名がローマ字で何行も書いてある。書き始めてからチラッと見ると、行の右端には3,000とか4,000とか数字が入っている。やられた、と思っているとやはり“少しの寄付をお願いしたい。”と言う。名前に横線を引いて突き返そうかとも思ったが、本当かもしれない、いやうそでも演技代として少しあげよう。“私は貧乏だからこれしか出せません。”といいながら500ルピー渡した。
 フォート地区に入ってから今度は40代と思われる男が話しかけてきた。無視して進むもしつこく話しかけてくる。何かおかしいなと感じていたが何だかわかった。しゃべっている英語にほとんど前置詞がないのだ。私の英語と同じ。スリランカはポルトガル、オランダのあとイギリスの植民地になり長かったので皆英語をしゃべる。今でも小学校5年生から英語の授業が始まるのだそうだ。どんな田舎に行っても、どんな山奥に行っても英語をしゃべる。写真を撮らせてもらえば“Money”と。
ぺター地区メインストリートを歩く。ここがヒンドゥー寺院、イスラムのモスクと案内してくれる。追い払うのはあきらめて彼と一緒に歩く。横道に入ると同じ店だらけ。ずらーっと鞄の店、音響製品の店、服、魚、野菜とそれぞれ固まっていっぱいある。野菜は屋根付きの店で売っている方が高い。その前の露天で売っているほうが安いが、“色が違う。古くなっているから安いんだ。”と彼。
りんごも売っている。スリランカで取れるはずはない。インド北部からの輸入だと言う。
 問屋街にも行く。大型コンテナ車が何台も狭い道に入ってきて荷降ろしをしている。まっすぐは歩けない。みな輸入品だろう。市場の店の建物はぼろだけど、こんなに活気があるのになぜ貧しいんだと不思議に思う。
 彼に中華料理を食べたいから連れて行け、と頼む。私は例により焼きそば。彼はチャーハン。チャーハンはまあまあだったが焼きそばはおいしくない。スリランカで2回目の焼きそばだが2回ともおいしくない。どの国へ行っても焼きそばははずれがないのだが、スリランカだけは違うようだ。
野菜市場
8月21日 最終日
 ホテルのチェックアウトは12:00。予約してあるタクシーは20:30。午後何をしてもいいように、タクシーに乗る前に着替える場所を貸してもらえるよう玲子さんからホテルに頼んでもらってある。
 9:00になるのを待って出発。トクトクに乗って買い物。目的はティーポット。何軒目かで銀製のティーポット、砂糖ポット、ミルクポット、これらを乗せるお盆のセットが$400であった。一瞬買おうかと思ったがやめにして、結局何も買わずに国立博物館へ行く。昨日の自然史博物館とは大違いでたくさんの客。魔除けのお面、シーギリヤのフレスコ画の複製などが飾ってある。庭には立派な菩提樹の木があり、木陰で涼んでいる人も多い。
 11:30ホテルに戻り着替えてチェックアウト。荷物は預かってもらう。今日はもしもしで鍋焼きうどん。ここは日本人のおやじ。おしぼり、お茶のあと今日の新聞です、と読売新聞のちょっとサイズが小さくなったものを持ってきてくれた。いわゆるインターネット版というものか。高校野球は駒大苫小牧が優勝、ラグビーではトヨタがイギリスのニューキャッスル・ファルコンズを破ったと出ていた。麺は昨日のさくらと同じ乾麺だがもしもしの方が味はいい。
 着替えに部屋を貸してもらえるよう頼んではあるが、やはり面倒なので汗はかかないにしよう。もしもしの外で待っていた運転手にアーユルベーダに行くように頼む。本格コースは150分7,700ルピー。時間はありすぎる程あるので本格コースにする。施術してくれるのは若い女性。3回目で初めて女性。
 パンツ一丁でいるとこれに穿き替えろと、前だけ三角の紐パンツをよこす。あっちを見ていてと窓のほうを指差し穿き替える。憧れの究極のTバックではあるが穿きごごちは良くない。
 頭が油でカミナリ小僧みたくなると面倒なので、頭はやらなくていいと言うと、“Why?”と聞き返す。受付でも説明したのだけれどまた最初から説明する。この娘は何かというとすぐ”Why?”と聞き返す。
 宿はどこか聞くから、ゴール・フェイス・ホテルに泊まっていると返事をしてゴール・フェイス・グリーンのことを思い出した。年を聞くと23。“ゴール・フェイス・グリーンにはアベックがたくさんいて、みんな傘を差している。あなたもボーイフレンドと傘を差して行くのですか。”と聞くと、恥ずかしそうにうなずく。
最後にシャワールームに案内されシャンプーを手渡された。シャンプーがあるなら頭もやれば良かったか。
 トクトクの運転手は2時間半も待っていた。カジノ・スターダストへ行くように言うが、カジノ・ベイリーズの方が良いと言う。とにかくスターダストへ行けと言うのに着いたのはベイリーズ。連れて行けば小遣いでも貰えるのか。門番がいらっしゃいとばかりにドアーを開けてくれる。仕方ない入るか。
 いつものごとくブラックジャックで遊んでいて、私ともう一人の客が離れて座っていると中国人女性が間に入ってきた。この中国人女性は自分単独では賭けないで、私ともう一人の客に乗ってきた。何回か遊んでいるうちに、私の手は15、ディーラーの表札は10となった。中国人女は私を無視してサレンダーにしてしまった。(サレンダーは勝負をあきらめて賭け金の半分を返してもらう。)
“サレンダーは嫌いだ。自分の場所に賭けなさい。”と強く言う。
 周りを見ると、あいたテーブルの椅子に腰掛け化粧を直している者や、食事をしている者もいる。すべて中国人女性。観光客には見えない。かーっとなった時もあったがそんなに負けずに時間まで遊べた。
 隠れ家という言葉がいまはやっている。スリランカは私の隠れ家になるのではないかとひそかに思っていたのだが。貧しいのは仕方ない。外に出たときに多少付きまとってくるのも仕方ない。宿泊費や食事代は安い。直行便もある。でも何かしっくり来ない。
第37報終わり
地球の歩き方より拝借

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