アイルランド

2005年3月24日~31日  

万蔵ツアーをやろうということに…
 去年、長女の結婚式の時に犬石万蔵さんに乾杯の音頭をとって貰った。その時に久しぶりに万蔵ツアーをやろうということになった。大学時代の一等会のメンバーやいろいろな人に声をかけたが、結局参加者は長女の夫の母親とその姉、次女の夫の母親とその姉、万蔵さんと息子の健ちゃん、そして私たち夫婦の総勢8名となった。
犬石万蔵さんは元横浜市の教員。ジョンウェインの静かなる男を見て感銘し、教員を辞め映画の舞台となったアイルランドのコング村に移り住んだ。そのときにアルバイトでラグビーツアーのガイドをやり私たちと知り合った。日本に帰ってきてから昔の教え子を募りツアーを組んで、アイルランドへ何回か行っている。これが万蔵ツアー。
 飛行機は成田―ロンドン間はJAL,ロンドン―ダブリン間はエアーリンガス。すべて英国航空にすれば少し安くなったのだけれど、英国航空は帰りのロンドン発が昼頃で、この日は観光が出来ない。せいぜい散歩する程度になってしまう。ロンドンが初めての人(内の奥さん)もいるのでJALにするよう要望した。
 航空券はフレックス・インターナショナルという万蔵さんの知り合いのいるところに頼み、ダブリンの宿、ロンドンの宿の手配も頼んだ。航空券はすぐに取れたが宿はなかなか決まらない。“向こうから連絡が来ないんですよ。”というから了解を得てインターネットで申し込むとすぐに決まった。
 今回のハイライトはなんといっても古城ホテルの3泊だ。いままでの万蔵ツアーのように学生はいないのだから少しぜいたくをして古城ホテルに泊まろうと主張。万蔵さんは阪急交通社―ミキツーリストの線で、アシュフォード・キャッスル2泊、ドロモランド・キャッスル1泊を頼んでいた。
 ドロモランドはすぐに決まったが、アシュフォードが工事中だの、家具の入れ替えだの言って決まらなかった。万蔵さんの友人のレイ(アシュフォード・キャッスルのあるコング村在住)の奥さんのマリアンがアシュフォードの副支配人に頼んでくれたがそれでも決まらなかった。結局ミキがアシュフォードの替わりに取ってくれたバリナヒンチ・キャッスルに2泊することになった。
 アイルランド内での移動にはやはり阪急―ミキのルートでバスを頼んでおいたが、請求書を見てびっくり。なんと¥456,000。10人乗り程度のバスでいいんですけど、と言うと、その程度のバスだと言う。これはさすがにキャンセルして貰った。お金の事をあまり口に出さない万蔵さんも、これにはがっかりした、と言っていた。ダブリン―ゴールウェイ間は列車で、マリアンの手配してくれたミニバスがゴールウェイに迎えに来てくれることになった。ようやく安心して出発できる。
3月24日 スワン・クラブ
 20:00頃ダブリンのホテル、モント・クレアに着く。万蔵さんの発案で20:30ホテルのパブに集合。ギネスとポテト&ソーセージを少々。これが夕食。皆おなかがすいていないのでこれで充分だった。
21:30出発で私はカジノ スワン・クラブを目指す。10年程前に来た時にはカジノなどなかった。数年前、英語圏にしては賃金が安く、教育水準もいいということでIT産業がこぞってアイルランドに進出してきた。それにともない今までは移民を出す立場だったのが、その移民の子孫を始めいろいろな人がアイルランドにやってくるようになった。そのころからカジノが営業を始めたようだ。今では、インターネットで検索すると8件のカジノが表示される。
 イギリスと同じで会員制で最初の日にプレーできないと困るので、インターネットで会員の申し込みをしておいた。スワン・クラブとメリオン・クラブの2箇所に。ホテルのモント・クレアの住所はメリオンスクエアー。メリオン・クラブはモント・クレアと近いと思い申し込んだのだが返事はなかった。早くも廃業したのかもしれない。
 タクシーが連れて行ってくれた所は3階建てのアパート。そのうちの1軒を指差す。カジノの看板もネオンも出ていない。玄関ドアーの上の灯りはついている。カジノの雰囲気は全くないのでタクシーを振り返ると、“そこだ、間違いない。”と言うようにうなずく。
ドアーをノックし開けてもらい、開けてくれた男性に会員承認のメールのコピーを見せ無事入場。入ってすぐ右に受け付け(クローク兼用)、正面には階段。階段手前に右に行く廊下があり2,3mも歩くとそこがカジノ。
 カジノ入って右側(受付の裏側)は従業員の練習用のルーレット。左側には一列にルーレット、ブラックジャック、ポーカーが1台ずつある。カジノそのものは細長い。2階、3階も同じようにテーブルゲームが3台ずつ。2階にはバー、キャッシャーがある。どうも普通の住宅の1、2、3階を買うか、借りるかしてカジノに改装したようだ。
 空港にも、ホテルにもATMはなく、このカジノにもない。家に残っていたユーロを持ってきたが、空港からホテルまでのタクシー代を支払ったらいくらも残っていない。話をするとクレジットカードで食事をしたような名目にして1,000ユーロ出してくれた。キャッシュではなくポーカーチップで。
 1時間も遊んで100ユーロ負けたところで今日は終わり。キャッシャーで900ユーロ分のチップを出すと、クレジットカードに戻すかと聞くから、キャッシュにしてくれと頼む。他の客は誰もいず、また私がいる間には来なかった。
 タクシーを待つ間1階をうろうろする。受付横に経営者らしい人とオドリスコル(ラグビーのアイルランド・ナショナルチームのキャプテン)のツーショットの写真が飾ってあった。受付の人と少しラグビーの話をする。
 もう1枚経営者らしき人ときれいな女性の写真もある。この女性を知っているかというので、知らないと言うと、いろいろと女性の説明を始めた。がさっぱりとわからなかった。
3月25日 市内観光
 9:30ホテル出発で、乗り降り自由の市内観光バスの発着所へ向かう。発着所そばの土産物屋はもう開いている。濃いグリーンと黒でデザインされたアイルランドのジャンパーがあった。買おうかと思ったがSとXLしかなく私に合うサイズがない。アイルランドカラーは通常エメラルドグリーンだが私に似合いそうもなく、この濃いグリーンの物を欲しかったのだが仕方ない。それを見たうちの奥さんは私が買うと言ってSサイズを購入。これでMサイズが他の店にあっても買えなくなってしまった。ペアルックになってしまうから。
 まずダブリン城へ行くが休み。セントパトリック教会、クライストチャーチ教会へ行く。セントパトリック教会の隣の公園の花は満開できれいだった。
花満開の公園
クライストチャーチ教会にはガリバー旅行記のスイフトの墓があるのだが、床の一角にスイフトの墓、奥さんの墓と書いてあるだけ。柵で仕切っていなければ皆その墓の上を歩いて踏んでしまうだろう。
 バスに再乗車する時にギネスのショールームで降ろしてくれと頼むと、休みとのこと。ついでにジェイムソンの旧ウィスキー工場はと聞くとやはり休みだそうだ。
大統領官邸のそばの大きな公園を経由して市の中心部へ。中心部ではGPO(中央郵便局)が休み。GPO近辺を散歩。
 バスに再乗しリフィー川を渡りスティープンスグリーンで降りる。グラフトンストリートで昼食をと思ったがレストランはなかなかない。ジェームス・ジョイスが通ったパブは休みで、椅子を外に出し掃除をしていた。結局スティープンスグリーンの西側のモールの2階のバフェ式レストランで食事。
 たいした物を取ったわけではないのに9.8ユーロも取られた。高すぎだ。冷蔵ケースにビールが置いてあったので頼むと、取り出しはしたが別の者に何かを言われまた引っ込めてしまった。グッドフライデーだから出せないと言いながら。どうも今日は特別な日で昼間にアルコールは出せないようだ。それでギネスもジェイムソンもパブも休みだったのだ。
今日は天気が良く暖かく13〜15℃はあるのではないか。日本の真冬並みの支度をしてきたがそんな必要はなかった。
夕食
 18:30インターネットで検索しておいたレストランへ行くが休み。他のレストランも休み。歴史あるホテル シェルボーンのレストランはどうかと思い行くが、シェルボーン自体が改装のため長期休業中。
 結局宿泊先のモント・クレアのレストランに落ち着く。私は小海老の前菜、サーモンのメインにしたが量が多く食べきれなかった。二人がピザを頼んだが、1枚を二人で食べてちょうど良くもう1枚は余ってしまった。包んで貰って明日の昼食に。
 万蔵さんは、今日は二人の友人を訪ね私たちとは別行動。
カジノ アゲイン
 22:00出発でまた一人でシルク・クラブへ。100ユーロ負けて200ユーロ目に突入。ディーラーがサラという女性になった。風邪をひいたらしく、“Sorry I have a cold.”と言って鼻をかんでいる。“No problem.”これはチャンスかもしれない。と思ったがたいしたことはなかった。
 次の男性ディーラーの時にツキが廻ってきた。23:30に終わりにした時の手持ちは775ユーロ。差し引き575ユーロの勝ち。昨日の分を含めても475ユーロの勝ちだ。
 今日も他の客は誰もいなかった。道路には人通りがなく静まり返っている。タクシー運転手はグッドフライデーだからと言う。遅いせいばかりではないようだ。グッドフライデーは昼間だけでなく夜も外に出ないでアルコールを飲まず、祈りを捧げる日のようだ。レストランやパブも皆休みで徹底している。ホテルでは泊り客には料理、アルコールを出してもいいようだ。そして私にもグッドフライデーであった。カジノになる前は何だったのか聞こうと思っていたがゲームに夢中で聞くのを忘れてしまった。
3月26日 ゴールウェイへ
 ゴールウェイ行きの列車は11:25発。時間の余裕があるので昨日行けなかったギネスのショウルームに行くことになった。9:30オープンなので9:15ホテル出発。
 大型タクシーに全員分の荷物を積み込みギネスへ行き1時間待機してもらってから駅に行く。9:25にギネスに着くがもう数十人の人が並んでいる。入場料14ユーロ/人。子供は5ユーロ。ギネス1パイント(500cc)付きだが高すぎだと思う。7階のラウンジで1杯。朝だから1杯が精一杯。高い所から街を見るとクレーンがあちこちに立っている。万蔵さんの話では、2,3年前は街の中心部にクレーンが多かった、との事。
 10:45ヒューストン駅に到着。早目に着いたので列車の席も確保でき、スーツケースも荷物置場に置けた。それから待合室の売店に行き水など購入。万蔵さんは目ざとくラグビー選手を見つけ話し掛けている。アンダー21(19?)の若い選手たちだ。私にも話がまわってきて、私は前キャプテンのキース・ウッドがフッカー(No2)ながら80分間駆け続けなので良いというと、全員苦笑いをしていた。キース・ウッドは本人も言っているように煙たがられているようだ。
ラグビー選手と健ちゃん
 14:15ゴールウェイ着。駅にはマリアンとミニバスが迎えに来ていた。ミニバスは運転席の後が3人掛け、その後ろも3人掛けと6人でピッタリで余裕なし。万蔵さん、健ちゃんはマリアンの車でマリアンの家へ、私たちはミニバスでバリナヒンチ・キャッスルへ。
 アイルランドの東半分は土壌も豊かで農作物も取れるが、西半分は痩せこけて何も取れない、と万蔵さん。ミニバスから見ても泥炭の上に草がちょぼちょぼ。そして泥炭はいつも湿っている。
西アイルランドの風景
バリナヒンチ・キャッスル
 ゴールウェイから国道59号線を西に行き、西端の街クリフデンの手前20km辺りにある。このあたりはコネマラ地方。森と渓谷、岩山に囲まれたコネマラ国立公園もある。
 思ったより外観が貧弱。キャッスルといっているがマナーハウス(大邸宅)か。キャッスルが領主の住まいなら、こちらは庄屋さんじゃないかという外観と規模。部屋は5m×5m、浴室をいれると5m×7m程。バスタブが大きいのがいい。足も伸ばせて深さも充分だ。シャワールームは別にある。若草色のカーペット、黄緑色にクリーム色の縦縞の壁紙。カーテン、ソファーは薄い茶色。
 とりあえず皆で周りを散歩。ホテルの前を流れるバリナヒンチ川沿いを下流に向かって30分程。所要時間が20分から3時間の5種類の散歩コースを書いた小冊子がレセプションに置かれている。1.5ユーロ。
第一回目ディナー
 19:00からディナー。先客は1組だけだったが30分もすると満席。さすがイースターウィークエンド。イースターの日にちを調べてみると、春分の日の後の満月の日の次に来る日曜日がイースター。
今年は3月27日だが、去年は4月11日、来年は4月16日だそうだ。ツアーの日程を考える時にイースターの事などこれっぽっちも考えなかった。アシュフォードも多分イースターのため満室だったのではないかと思う。
 前菜は生牡蠣を選んだ。普通のオイスターとアイルランドのネイティブオイスターとがある、どちらがいいか聞くので、両方頼む。サラダが出て、メインはロブスターにした。いずれもおいしかった。アイスクリームにコーヒー。
 部屋に戻る途中レセプションで時計を1時間進めるように言われる。夏時間の始まりだそうだ。レセプションの裏側のちょっとしたスペースには長靴、合羽、釣竿が置いてある。釣り客が多いようだ。
バリナヒンチ・キャッスル
3月27日 朝の散歩
 バリナヒンチ川の上流に向かって歩く。5分も歩くとバリナヒンチ湖。山の中のひっそりとした湖だが1軒の民家が湖畔にある。その家の入口から舗装道路が上り坂となっている。歩いていくとホテルのすぐ横に出た。結構立派な家だったので、ホテルのオーナーの住まいかなどと想像する。
コネマラ地区観光
 10:00出発。前の日に、明日の出発は10:00でいいですか、なんていう調子で時間を決めているが、皆時間を守ってくれて助かる。みな時間前に集合してくれている。
 クリフデンの町から大西洋の入り江沿いのスカイロードを走る。海のすぐ横を走り、どこがスカイロードかと思っていたが、行き止まりまで行ってまた戻り、今度は崖の上を走りスカイの気分が出てきた。晴れていていい眺めだ。天気のいい日は大西洋越しにアメリカが見える、という冗談も本当の事ではないかと思うほどだ。
 キリモア修道院を1時間ほど見学してから小さい町のパブで昼食。今日はこの地方のマラソン大会らしく道路にはぱらぱらとランナーが走っている。水の入ったペットボトルを配る人、道路に捨てられたペットボトルを拾う人などが出ている。
 パブは私たちが入ったあとから込み出してきた。マラソン大会の影響ではないように思う。アイルランドのパブは昼間から客が入るし、そして今日はイースターの日曜日だから客が多いのではないかと思う。
 全員でトースト・サンドイッチ2人前。私はギネス1杯にサンドイッチを2切れ貰う。こんなもので充分だった。
 映画の1場面に登場したという落差数メートルの滝を観光してからコング村へ向かう。
 途中マアム・クロスという交差点がマラソン大会のゴールになっていたためUターンするはめになった。ここのホテルでトイレを借りた時に売店を覗いてみるとまあまあのアイルランド ジャージがあったので購入。
コング村
 万蔵さん、マリアン達と合流。ラフカディオ・ハーンのおじさんか誰か親類がやっていた粉引き所跡地や新しくなったカソリックの教会などを見学しながら川沿いをアシュフォード・キャッスルへ。ここは宿泊客以外は入場禁止だがマリアンの手配で入ることが出来た。レストランに併設されたパブへ行き、私はウィスキーのブラック・ブッシュをいただく。
 遅番の従業員の出勤を見て、レイがあれはコーリア、今度はコロンビアなどと言う。今ではアイルランドの田舎でもいろいろな国の人を雇うようになっている。
 コング村はゴールウェイの北側にある大きなコリブ湖の北の湖畔にある。アシュフォード・キャッスルの裏庭からコリブ湖の遊覧船も出ている。
夕食はダナハ―ズ
 万蔵さんがアイルランド料理の定番のアイリッシュ・シチュウ、ベーコン&キャべッジを頼んでおいてくれた。我々6人で3人分も食べられない。ベーコンは厚手のハムみたいで巨大だ。
 ダナハーズはドアー入って左手にパブ、右手がレストラン。2階はホテル。万蔵さんはこのホテルに1年半住んでいた。ここの食事のせいで痛風になったと小さい声で言っていた。そのときのパブのバーマンがレイだったそうだ。
 イースターのせいかどうかはわからないが客が次から次へと来る。パブに入りきれない客がレストランの方にも押し寄せてくる。厨房を覗く機会があったが、5,6人の人が働いている。私の想像では2,3人のはずだったが。
レイ&マリアン邸
 町外れの丘の上にあるレイとマリアンの家にお邪魔する。レイは今は大工。家は自分で建てたということだ。まだ未完成の部分もある。別棟に立派な仕事場もある。マリアンがワークショップと言っていたから、ガラス越しに仕事振りが見えるのかな、でも誰も通らないようなところでおかしいな、と思っていたが普通の仕事場だった。ワークハウスと言ってくれればすぐに理解できたのだが。
 マリアンは以前日本に来た時撮った私と奥さんの写真を出してくれた。大事に取っておいてくれたのだ。レイは私の土産、久米仙ブラックのお返しにジェイムソンをくれた。
アシュフォード・キャッスルをバックに
ゴールウェイ
 朝食の時、雨が降ってきた。散歩は中止。出発時間の10:00には雨はあがる。11:00ちょっと過ぎにはゴールウェイに到着。万蔵さんたちと合流。1時間ほど町をブラブラ。歩行者天国では大道芸人が準備を始めたところ。土産物屋を覗いてみるが何も買わない。ここで昼食。
 バレン高原を通りクリフ オブ モハーで1時間の観光。非常におだやかな天気。波もそんなに立ってはいない。以前に来た時には80mの断崖絶壁を波が昇ってきて遊歩道にしぶきを散らしていたが。
 健ちゃんが遊んでいて水溜りで足を滑らし、尻餅をついて泥だらけ。世話をしなければならない万蔵さんは大変だが、私たちには健ちゃんの存在は笑顔の素になっている。
ドロモランド・キャッスル
 17:00前ドロモランド着。アメリカ移民の利用空港として名高いシャノン空港の近く。
 入口を入って右手にゴルフ場、左手に大きな池。廊下の絨毯は真紅。部屋の床はグリーン系の絨毯。壁はクリーム系に蔦の模様の壁紙。色気はバリナヒンチと似ている。大きさもやはり5×7mほどでバスタブも大きい。
 私たちの部屋はお城部分の裏手。奥さんは後から増築したんじゃないのと言う。石作り3階建ての1階部分。窓の外はテニスコート。
 ゴルフ場は結構大きくビジターも受け入れているようで、クラブハウスがある。アシュフォードの場合は確か9ホールで泊り客専用のような気がした。
ドロモランド・キャッスル
第2回目ディナー
 19:00よりディナー。前菜はやはり牡蠣。メインはビーフにした。
 ここで失敗に気づいた。健ちゃんの分も1人前に入れ8人分頼んでいたことだ。健ちゃんにはディナーメニューは無理で別料金でパスタとオムレツを頼んだ。女だとちゃんと気づいて7人前を頼むんだよね、とはうちの奥さん。
 料理はすべておいしかったが、印象深かったのはアイリッシュ コーヒー。ディナーメニューには入っていず別料金になってしまったが、これは本当においしかった。
ドロモランドの牡蠣
バリナヒンチのネイティブの牡蠣
バリナヒンチの牡蠣
 今思えばバリナヒンチも建物の規模が小さいだけで、内装、食事はドロモランドに負けてはいない。
 ディナーが終わると21:00頃だが、もうバーへ行って飲もうなどという気はおこらずただ寝るだけ。少し外へ行ってドロモランドの夜景を撮る。
3月29日 バンラティー民俗村
 ホテルが頼んでくれた大型タクシーはベンツのミニバス。12人乗り。ゆったりしている。20万キロ走っているがきれいで快適。最初からこういうバスだったら本当によかったのに。コング村からきたバスは小さく、ゴールウェイでマリアンと別れた万蔵さんはドロモランドまで運転手の横の助手席に健ちゃんをだっこして乗る始末だった。
 飛行機を午後の便にしたので時間がありバンラティー民俗村へ行く。100年前の住宅など再現し展示してある。土産物屋も当時のものを再現し実際に営業している。
 住宅に入ると暖炉には火が入っている。泥炭を6cm角、長さ20cm程に切り、燃やしている。泥炭はほぼ無尽蔵にあるように見受けられるので暖房に困ったことはなかっただろう。
シャノン空港
 免税店でアイリッシュ・ウィスキーのブラック・ブッシュやジェイムソン、ベイリーズなどハーフボトルも含めたくさん籠に入れキャッシャーに行く。
 搭乗券を見せると、ロンドンへ行く人は免税にならないと言う。税金に関しては、飛行機と同じように、アイルランドとイギリスは同一国内扱いのようだ。
 ヒースロー空港にもアイリッシュ・ウィスキーはあるというのでここでは断念し返品する。
ロンドン
 ロンドンは雨。宿は私が前回泊まったミレニアム ホテル ナイツブリッジ。ここの部屋、廊下は狭いけれどなんてたって便がいい。地下鉄の駅も、ハロッズもすぐそば。そして前のスローン・ストリートは知る人ぞ知るブティック街。ルイヴィトン、シャネル、バリー等10軒以上のブティックが軒を連ねる。
 冬料金で税、朝食込みで130ポンド/室。この周りにはいくらでもホテルはあるが皆高い。ここの倍もするところもザラにある。
 雨なのでとりあえずハロッズへ。1時間ほど自由行動。奥さんと私はガラス製品や陶器売り場など見て廻る。いい物はロンドンにあると言うけれど、本当にいい物がたくさんある。でも高すぎで手が出ない。
 万蔵さんは、十数年前私も長女も参加したラグビーワールドカップのツアーにやはり参加して、今はロンドンに住んでいる原さんと旧交を温めている。
 夕食は地下鉄駅方向からホテルを通り越し左側にある、オイスター&リブというレストラン。シーフードプラターの大皿と店の名前の通りリブステーキがお勧めですと言うので、2人前を6皿に分けて貰った。ほかには頼みはしなかったのだが、突き出しらしくウィスキーのショットグラスにレバーペーストが入って出てきた。これもおいしかった。イギリスの料理も段々とおいしくなってきている。ワインは赤1本で我慢する。量は少ないようだがこれで充分。金額はというと185ポンドで¥37,000以上でさすがロンドン、物価が高い。
パークタワーカジノ
 パークタワーカジノへ一人で行く。8年前の第4回ワールドカップの時に会員になっていて、ロンドンに来ればいつでもプレーできるようになっている。このカジノはハイドパークのそばのシェラトン・パークタワー・ホテルの1階にある。地下鉄ナイツブリッジのそば。宿のミレニアム・ホテルもすぐそこ。シェラトン・パーク・タワーに泊まればいいのだけれど、ここは最低300ポンド。とても泊まれない。
 ATMでポンドをおろすのを忘れ、カジノ内で3万円を両替。男性ディーラーが18になるたびにアイティーンというので、オージーかと聞くが、きょとんとしている。隣の人が生まれはどこだと聞くと、イングランドと言う。オージーと間違われて気分を害したようだ。
 少しついてきたかなと思い、勝負に出たが負けてしまった。3万円分負けたところで終わり。このカジノで勝ったことはまだない。別のカジノに行こうと思っても会員制だからその日にはプレーできない。困ったものだ。
3月30日 ロンドン観光
 まず地下鉄でJALが経営しているイギリス屋へ行く。行けば誰かしらが何かを買う。次に、万蔵さんが健ちゃんを連れておもちゃ屋へ行くというので付いて行く。空気を吹き込むと直系80cm、厚さ15cmの大きなフリスビーになるホバーディスクというものを実演販売していたので購入。帰ってきてから投げてみたが、風のない日に広い場所で遊ばないとだめ。
 万蔵さんたちと別れリージェント ストリートを歩いてピカデリーサーカスへ。途中ユニクロを発見。ピカデリーサーカスから乗り降り自由の2階建て市内観光バスに乗る。
 まず訪れたのはロンドンアイ。去年の8月に来た時よりずっとすいていて10分程度の待ち時間で乗れた。ロンドンアイの下の桟橋から出ている遊覧船に乗りロンドン塔へ。こちらはずいぶんと込んでいた。宝石の展示室などものすごい行列ですぐにあきらめる。
 バッキンガム宮殿でも下車して写真撮影。ナイツブリッジの一つ手前のハイドパーク コーナーでバスを降りハイドパークを少し歩いてホテルに戻る。
 費用は飛行機代、ホテル、列車、バス、タクシー、観光地入場料、食事すべて合わせて一人30万円に押えたかったが34万円ほどかかってしまった。
第35報終わり
ベルテルスマン世界地図帳より拝借

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