
エジプト
2005年1月5日~12日
月並みだがエジプトへ…
行くことにした。治安や国土の広さを考えてJTBのツアーに参加する。1月5日出発は¥219,800。
このツアーにはいいところがあって、一人参加の追加料金が一万円なのだ。これには助かった。46人の参加があり、多すぎるため半分に分けAグループ、Bグループと二班にした。私の所属したBグループ23名のうち夫婦、友人などのカップルで参加した人は6組12名。あと11名は一人参加。男性5名、女性6名だ。
1月5日
成田を定刻の14:30出発。14時間ちょっとでカイロ着。飛行機はエジプト航空で直行便。エジプト航空ではアルコール飲料が出ないとガイドブックに出ていたので、免税店で日本酒‘玉の光’の紙パックを買い一パック(300cc)を飲む。アルコール持参の人が多いかと思っていたがそんなにはいなかった。
カイロのイミグレは大混雑。私は日本人のいない、人の少ない列に並んだがこれが大失敗。皆が並んだ列は日本人の番になるとただスタンプを押すだけでどんどん進むが、私の前に並んでいる人はエジプト人でもなく一人一人にめちゃくちゃ時間がかかっている。皆が出た後も私ともう二人はまだ列のずうっと後。現地のガイドが“JTB,JTB”と迎えにきた。クルーが通るような横道から抜け出て皆と合流。
ホテル‘ル・メリディアン’には24:00近くに到着。皆がいっせいに蛇口をひねったせいかお湯が出ない。まあ明日にしよう。
1月6日
蛇口をひねるとお湯が出てきたがぬるい。茶色い砂が混ざっている。さすがエジプトという気もするし、これでもル・メリディアンか、という気もする。
カーテンを開けると目の前にピラミッドが二つ。そうここはギザ地区のル・メリディアン・ピラミッズなのだ。朝食に行くと、飛行機で隣だった人が3番目のピラミッドが小さく見えるはずと言う。言う通りであった。クフ王、子供のカフラー王、孫のメンカウラー王のピラミッドだ。

朝日の中のピラミッド
バスはまずダハシュールへ行く。赤のピラミッド、屈折ピラミッドを見学。現地ガイドはアーメド・ハッサン。なぜかハマちゃんと呼んでくれと言う。ハマちゃんの話だと、エジプト全土に残るピラミッドは100以上。程度のいいのは35。
赤のピラミッドに入場。盗掘路というのか、巾1200mm、高さ1500mm程の通路が30度程の下り勾配で続いている。板を敷いてあり600mm程度の間隔で細い角材を打ちつけてあり歩きやすくしてある。5,6分歩いて水平な通路に出たときに停電になってしまった。真っ暗。これはまずいと戻る。
次に行ったのはメンフィス。地震か何かで倒れたラムセス2世の像が建物の中に横たわっている。2階部分の通路は四方にありラムセス2世の像を360度見ることが出来る。このラムセス2世はこの後どこにでも出て来る。現代エジプト観光の立役者だ。またハマちゃんの話であるが(今後の話の出典は殆どハマちゃん)、エジプトの収入の最大の物は観光、次がスエズ運河の通行料、次が天然ガスだそうだ。
次がサッカーラ。ピラミッド初期の階段状ピラミッド。最初は1段だけで農民の腰掛けと同じ名前だったが、さすが農民の腰掛と同じではまずいらしく段々を重ねていって今の6段に落ち着いたという。これから四角錐のピラミッドに発展していったらしい。
カーペットスクールと書いた建物があちこちにある。そのうちの1軒に寄る。10歳前後の子供二人に15,6歳の子供が一組になってカーペットを編んでいる。10歳前後が生徒で15,6歳が先生だそうだ。子供をこき使っているとまずいのでカーペットスクールと呼んでいるだけのように思える。
昼食はケバブ、チャーハン、パン。あまりおいしくない。レストラン入口にかまどがあり女性がパンを焼いている。写真を撮れというので撮ると、お金をよこせと言って手を出すので慌てて逃げてきた。後から考えると、いくらでもないからあげればよかった。トイレに入るのにもチップが必要なのだから。(50ピアストル=10円)
コーランの教えの一つに喜捨があるという。収入の2.5%を喜捨しなさいと。お金持ちが収入の2.5%を寄付するとエジプトには貧しい人がいなくなりもっと豊かになるはずだと。
午後の観光はホテルから見えたギザのピラミッド。ここは人が多い。そして警官も多い。Tourism Policeと書いた腕章を付け自動小銃を担いでいる。ラクダに乗った警官もたくさんいる。数年前のルクソールの乱射事件のあと警備がきびしくなったとの事。事件の後1年3ヶ月日本人観光客は一人も来なかったという。
カフラー王のピラミッドに入る。午前と同じような通路を下り、水平路を通り、今度は昇って玄室に出る。からっぽの石棺を見る。これはきっと筋肉痛になるだろう。
帰ってきてから友人が写真を見て“マクドナルドはあった。”と聞く。
“なんですか、それは。”と私。
“スフィンクスは何を見ているか、それはマクドナルドです。というCMがあるじゃない。“

スフィンクスとピラミッド
ホテルの横の通路にバスを停め、ホテルとは反対側のパピルス屋に行く。パピルスの茎は三角形。外皮を剥き中の白い所を裂き井桁状に隙間なく並べ重石を乗せ一週間。パピルス紙の出来上がり。自らの糖分でくっつくそうだ。安いのはバナナの皮で出来ていますという。数枚購入。
ホテルのそばのレストランで夕食。パン、チャーハン、イカのフライ、えびのから揚げ。チャーハンはどこでも出てくる。前に座った30代の横浜から来た男性は、“ホテルのレストランで夕食にすればいいのに。安く上げるため外のレストランに来るんだ。”と散々文句を言っていた。おいしければ文句はないのだろうが。隣に座った女性に“でも楽しそうにしゃべっている。”と言われていた。
18:00にはホテルに戻って来た。シャワーを浴び、着替えて、さっそくカジノへ。日本語ガイドを目指している青年にカジノはどこにあるか聞くと、隣のホテル、メナ・ハウス・オベロイにあると言う。タクシーでL5。(エジプトポンドL1=20円)2,3分で着く。玄関周辺にはカジノらしき看板はない。レセプションでカジノはどこか聞くと、クローズドと言う。“What?”“Closed”なんと閉鎖してしまっているのだ。
ドアボーイにル・メリディアンに行くのでタクシーを呼んでくれと頼むと、ル・メリディアン何とかと聞きなれないことを言う。ル・メリディアンは他にもあるらしい。ル・メリディアン・ピラミッズと言い直す。まてよ、他にカジノがあるか聞いてみよう。シェラトンにあると言う。行き先変更。今度はなかなか着かない。30分以上走っている。車の量も増え、高層ビルも建っている。カイロシティーに入ったようだ。人も車もごっちゃごちゃ。信号がないから走っている車の間をぬって人が道路を横断している。
シェラトンの玄関にもカジノを思わせるものは何もない。レセプションで聞くと3階にあるという。3階の一角にひっそりとあった。19:30頃だったが客は一人だけいて、ブラックジャックのテーブルに腰掛けてはいたがゲームはしていなかった。私が座ると先客もゲームを始める気になったようだ。US$建て。ミニマムは$5。テーブルゲームは12台。スロットマシーンは奥の方に数台程度。
寒い。半袖の丸首シャツにワイシャツ、夏用ブレザーで来たが寒い。エジプトは砂漠だから暑いイメージがあるが、冬の最高気温は平均20℃、最低気温の平均は9℃。朝晩は寒い時もある。夏の日中は40℃を越えるときもあるので、エジプト観光は冬の今の時期がいいようだ。
乗ってきたタクシーは白タクでまだ新しい。(正規タクシーはぼろいプジョーが多い。)運転手と帰りも乗る約束をしてある。20:30降りていくと待ってはいなかったが一分ほどで迎えに来た。L150。
ル・メリディアン・ピラミッズに着くとゲートがあり、係員が2名いる。車内を見て、トランクを見て、車の下を照明つき鏡で見てようやくゲートが上がる。観光バスで入ってきたときには気が付かなかった。ホテルはどこのホテルにも入口に金属探知機が設置されている。でも日本人の団体観光客はピーッと鳴っても行け行けで通してくれる。ただ飛行場はそうはいかない。手荷物全部預けてもピーッと鳴ればベルトをはずす。また鳴れば靴を脱ぐなどだんだん裸に近くなっていく。
1月7日
モーニングコール2:15。これではミッドナイトコールだ。コールがあるのはわかっているがちょこちょこ目がさめる。時差ぼけと遅れたらまずいという気持ちと両方が絡んでいるのだろう。カイロ発5:45の飛行機でルクソールへ行く。これで飛行機の出発が遅れたら怒るよね、などと皆言っていたが定刻に出発した。霧が出たりその他の理由でエジプト航空はよく遅れるそうだ。5:00前にトイレに行くがもう番人はちゃんといてトイレチップを徴収している。有料だからきれいなんだとわかっているし、10円程度だから文句もないんだけれど、常にこの細かいお金を用意しておくというのも気を使う。
メムノンの巨像、王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿観光。王家の谷ではラムセス4世、ツタンカーメンの墓にも入る。ラムセス4世の墓の通路は両面レリーフだらけだが、ツタンカーメンの墓はシンプルで小さい。ラムセス9世の墓の下に作られたためわかりにくく盗掘をまぬがれたという。小さいところに沢山の品物が入っていたがすべてカイロの博物館に展示してある。やはり筋肉痛だ。平らなところや上り坂はなんとかなるが下りがどうしようもない。おそるおそるおりていく状態。
昼食はエジプト名物ハト料理。ハトの骨付き唐揚げ他。あまりおいしいものではない。ハマちゃんは、日本に行った時おいしそうなハトが沢山飛んでいたと、皆を笑わせていた。
午後カルナック神殿観光。ここは何代もの王が造営に参加したためエジプト最大級の神殿になっているという。やはりラムセス2世もかかわっていて第二塔門の両側に巨像を建てている。
ここには大きなスカラベの石像があり、まわりを何周かすると願いがかなうといわれている。スカラベを日本名“ふんころがし”と言うとなんだかありがたみが薄れてしまう。でもエジプトでは結構重要なものらしく、土産物屋には石で出来たスカラベが大小さまざま売られている。私も小さいものを一つ購入。
ホテルには16:00過ぎに一度入るが17:30再出発でルクソール神殿に行く。ライトアップされた神殿を見るためだ。カルナック神殿の付属棟だという。ここもラムセス2世がからんでいる。ラムセスと名の付く王様は全部で11人。でもこの2世が観光にとって抜群の功労者だ。また超人でもある。93歳まで生き、5000年以上も前ですよ、180人の子供を作ったという。

ルクソール神殿。大きな坐像は2体ともラムセス2世
エジプトは大きく三つの時代に分けられるという。古代エジプト時代、グレコローマン時代、イスラム時代。今もイスラム時代が続いている。
ルクソール神殿の上にモスクがあり、地面から6mのところに入口がある。何故かというとモスクを建てた時は6mのところが地面だったからという。スフィンクスも埋もれていたそうだ。神殿のあるところだけ、スフィンクスのあるところだけ低いわけではない。町全体を6m掘り下げたとすると気の遠くなるような砂を掘らなければならない。何年かけたのか、掘った砂をどうしたのか(多分砂漠に捨てたと思うが)ハマちゃんに聞けばよかった。
ホテルはニュー・ウインター。隣はオールド・ウインター。アガサクリスティーゆかりのホテル。オールドの方に行きはしなかったが、庭はさすがにきれいだ。夕食はバイキング。皆朝食の方がましだと言っている。残念ながらここルクソールにはカジノがない。
1月8日
5:00モーニングコール。飛行機でアスワンへ。アスワン・ハイ・ダム、イシス神殿、石切場観光。
アスワン・ハイ・ダムは旧アスワン・ダムの上流に作ったからハイ・ダムというのだそうだ。これにより造られたナセル湖は長さ500km、巾平均10kmと長大だ。
イシス神殿はナセル湖の中にありボートで行く。まわりは岩で出来た小島ばかりが目に付く。神殿や石像の材料には事欠かない。空港からアスワンの街へ行く途中の砂漠も岩だらけ。イメージしていた砂漠とは大違いだった。
イシス神殿の船着場の上方にポリスのたむろするところがある。棒を立てて日除けのシートを張っただけのものだが。シートの裏側でAグループの女性が、鼠か何かに驚いてキャッと声をあげたところ、ポリスはすごい勢いで現場に駆けつけた。本当にすばやい動きであった。
神殿の横にローマ皇帝が来た時の休憩所というのが建っている。(ガイドブックの説明と違うがハマちゃんはこう説明していた。)観光というのは遠い昔からあったのね。
石切場には作りかけのオベリスクがある。オベリスクは石で出来たペンシルロケットみたいな物。四角形で上部が尖がっている。この作りかけの物は長さ41.75mという。作っている途中にひび割れてそのまま中断したと考えられている。オベリスクの作り方は決めた大きさに合わせて溝を掘る。上面と、横2面は何とかなる。問題は下面をどう岩から切り離すかだ。ガイドブックには木製のくさびを打ち込み、水をかけて膨張させ切り離すと推測されている、と書いてあるが、誰かが実験したらうまく行かなかったという。なぞのままだ。
筋肉痛は今日が最悪。
ホテル・クレオパトラで昼食。モロヘイヤのスープにチキン。モロヘイヤのスープはおいしくないというよりまずい。
ホテル・クレオパトラはスークに面している。ここで自由時間。少し歩く。香辛料屋はじめ色々な店があるが行けども行けども同じ。途中で引き返してくる。
ハマちゃんともう一人のガイドはお茶屋で水煙草を吸っている。ニコチンは水溶性だから水に通すと軽くなっておいしくないんじゃないかと思うがどうなのだろう。煙草を吸っていた時代なら試しただろうが、やめて6年にもなるので試す気もなくなっている。
15:00からナイル川帆掛け舟。風もほとんどなく穏やかな気候。ヌビア人のあやつる帆掛け舟でのんびりと。ヌビアはエジプト北部とスーダン南部の一帯。村がナセル湖に水没してしまったためアスワンに移住してきたとのこと。歌、踊り(客参加)のあと土産物販売。小さい袋から出てくる出てくる。$1から$3までの品物ばかり。たいしたものは当然ないが出せば誰かが買う。また買わないといつまでも岸に着けてくれない。
帆掛け舟乗り場のすぐ上が今日の宿、ニュー・カタラクト。夕食はここでバイキング。夕食後5人で隣のオールド・カタラクトへ。ここもやはりアガサクリスティーゆかりの宿。裏庭から入りぐるっと回って正面玄関へ。警備の者が、ホテルの宿泊客かたずねる。いや、ニュー・カタラクトに泊まっていると言うとすぐに入れてくれた。
ロビーを通ってバーへ行く。私は例によりジントニックだがご婦人が何かカクテルを頼んだ。目分量で金属製グラスに注ぎ攪拌機にかける。シェーカーにかけるのかと思っていたから、ちょっと驚いた。量も目分量でいい加減だが陽気なバーテンだ。カクテルが少なくなるとテキーラなどの強いお酒を注ぐまねをしたりする。私のジントニックがなくなり、トニックウォーターが残っているのを見るとテキーラを少しグラスに入れてくれた。
残念ながらここアスワンにもカジノはない。

オールド・カタラクト裏側
1月9日
飛行機でアブシンベルへ。
飛行場に行く途中にふんころがしのいい観察場がある。そしてそこはいい砂も取れる、とハマちゃんが言っていたが、街から飛行場までの道路の両側に警官がびっしり。3,40m間隔で立っている。ムバラク大統領がアスワンに来るのだそうだ。
道路際のその場所に着いたがやはり警官だらけ。ハマちゃんはバスから降り、責任者らしい警官を見つけて話をしていた。その警官が上司に相談し出た結論は、代表者が一人だけバスを降りて砂を取っても良い、というものだった。ハマちゃんはバス備え付けの屑篭にいっぱいの砂を取ってきた。
アブシンベル神殿もラムセス2世。このアブシンベル神殿はナセル湖に水没してしまうためユネスコなどの協力で移設したもの。大神殿入口にはラムセス2世の巨大な坐像が4体ある。左から若い順になっていて一番右は60代のラムセス2世というが、私にはどれも同じに見える。小神殿はラムセス2世が奥さんのために作ったというが、入口を飾っている立像は、奥さんが2体でラムセス2世は4体ある。

アブシンベル大神殿の前で
アスワン空港から街へ向かう途中ムバラク大統領の車列が通るため、一般車両は通行止めになってしまった。30分ほどロス。ムバラク大統領が何時に来るかは秘密事項のため、警備の人たちは朝早くからかり出されていたそうだ。
15:00頃の昼食。ナイル川中洲のレストランで。チャーハンと魚の煮込み。煮込みは香辛料が効いている。それぞれ単独で食べるとおいしくないが、煮込みのスープをチャーハンにかけると何とか食べられるようになった。
ニュー・カタラクトに寄り預けてある荷物を取ってアスワン駅に。街ではまだ警備が続いている。間じかで警官や軍人の制服を見たがすごい布地だ。昔の南京袋に毛が生えたくらいの物だ。帰ってきてから話をすると家の奥さんは、暑いからそういう生地になっているんじゃないの、と言う。違うような気がする。建物の屋上には必ず私服の警官がいる。大統領は今日オールド・カタラクトのワンフロアーを借り切って泊まるらしい。
アスワン駅に停車している列車の外観はひどい。‘えっ、こんなぼろい列車に乗るの。’という感じ。でも中はそんなにひどくはなかった。外をきれいにする習慣がないのかもしれない。私たちの乗っているバスの運転手もフロントガラスが汚れているのに拭こうともしない。列車からの景色を写真に撮ろうと思っても、窓ガラスが汚れていてうまく撮れない。
列車も定刻の17:00出発。やはりすごいことらしい。列車はナイル川沿いを走る。道路も緑もナイル川沿い。当然人もナイル川沿い。エジプトで川はナイル川1本だけ。ナイル川沿い以外は砂漠。(オアシスは例外になるけれど。)この列車は寝台車だから全部の駅には停まらないが、駅は結構短い間隔である。あたりまえだけど人もちらほらいる。少年がロバに乗り牛を引いて線路沿いの畦を歩いている。カイロ以外では馬車も結構見かける。
夕食は車掌が個室に持って来てくれる。ホテルと同じに一人で個室。隣の人と一緒に食べる。隣の人は26年生まれで相模大野に住んでいる。私も生まれ育ったところは相模原。年齢も近いし話がはずむ。ビールを1本ずつ。
個室は1.8m×2m位。2段ベッド。簡単な洗面台がある。荷物置場は通路の上にあるが、スーツケースなどは荷物専用車両に入っている。歯ブラシ、髭剃り、パンツ1枚を手荷物に入れてきた。
そうだ、成田空港で添乗員がホッカイロを買っていった方がいいですよ、エジプトでは暑い場合はクーラーが効きますが、寒い場合は暖房が効きません、列車は特に寒いです、と言うのでホッカイロも手荷物にしてある。添乗員のいうとおり毛布一枚で寒かったのでホッカイロを使った。
1月10日
朝食時の飲み物は紅茶にした。コーヒーというとトルココーヒー。あとはネスカフェだから。隣の分まで置いていくので朝も一緒に食べる。紅茶のお代わりをし、チップに二人分でL10渡した。車掌は皆から貰った$1札を10枚持ってきて両替してくれと言う。(添乗員から、ベッドを作ったら$1、ベッドをたたんだら$1をチップとして車掌に渡すように言われていた。)両替してあげると、あとで誰もいない時をみはらかって、あまり使っていない5ピアストル紙幣を記念にとくれた。小さくてかわいい紙幣だがすかしもある。
アレキサンドリアには30分ほど遅れて9:40頃到着。ポンペイの柱、コム・エル・シユカファのカタコンベを見てからグレコ・ローマン博物館へ。グレコとはギリシャのこと。トルコに占領されていた時にギリシャからアレキサンダー大王が来てトルコ人を追い払ってくれたという。街の名前は大王から来ている。
博物館には3つの頭部像が並んでいる。すべてクレオパトラ像といわれている。ハマちゃんは、80%の確率でこれがクレオパトラです、と一番右の像を指差した。あとで同じところを通ると、別のガイドは真中の像を、これがクレオパトラです、と指差していた。
アレキサンドリアの街は地中海に面している。海岸線はきれいだ。今の市長が力を入れて美化に取り組んでいるという。数年で街全体もきれいになるだろう。
カイトベイの要塞が改装されたらしく外観が新しくなっている。ここは入場せずに外から見るだけ。黄土色というか、薄茶色というか、こちらの岩の色は地中海の青に良くマッチしている。
魚釣りをしているひとがいる。目が合ったときに、両手を胸の前で40cm程度に広げ、“このくらい”と目で合図すると、違うと首を横に振る。もう少し広げ、“このくらい”。やはり首を横に振る。ぐっと狭くして20cm位にして、“このくらい”。そうだと首を縦に振った。
昼食後カイロへ。210km、3時間。ホテルはラムセス・ヒルトン。ナイル川沿いに建っている。カイロ最高級との話。
18:00出発でナイル川クルーズ。ベリーダンスを見ながらの夕食。バイキング。思い切ってワインを1本。相模大野の人が1/3,私が2/3程度。前回のポーランド旅行では、あまりアルコールを飲まずにたくさん歩いたら、くたびれたけれどもグリコヘモグロビンが6.1から5.7に急減した。二匹目のどじょうを狙って今回もアルコールはひかえている。
ベリーダンサーはもと放送局のアナウンサー。こちらの方が実入りがいいから転向したという。ベリーダンサーもトップクラスになると、金持ちの結婚式に呼ばれ30分も踊って祝儀が$2,000だそうだ。そして金持ちは結婚式には必ず呼ぶそうだ。

ベリーダンス
ラムセス・ヒルトンにはカジノがある。入口のネオンはやはりシンプルだ。受け付けを過ぎると左側がレストラン。右側に少しだけスロットがあったか。その先がテーブルゲーム。うすい青が基調色。テーブルゲームは15台。やはりUS$建て。
カジノがUS$建てなのでエジプトポンドは殆ど使わない。食事は全部付いているし、パピルスはクレジットカードで買ったから。今になってハマちゃんは買い物にはクレジットカードは使わないでくれと言う。特にスークでは絶対だめと言う。
女性ディーラーに、“今日アレキサンドリアでクレオパトラの像を見た。あなたはクレオパトラに似て美人だ。”と言ったが通じない。特に‘クレオパトラ’の発音が悪く通じなかったようだ。隣のスーパーバイザーが“クレオパトラ?”と聞き返していたから。
ブラックジャックがだめで、ルーレットで少し巻き返したがトータル$300の負け。シェラトンでもやはり$300負けているのだ。
1月11日
今朝はゆっくり。モーニングコールが8:00で出発は9:45。朝食後ホテルの前のナイル川を歩いて渡る。橋に行くまでに道路を2回横断しなければならない。信号も横断歩道も何もないので、車が途切れるのを待っているが全然途切れない。そばに立っているポリスは車に行け行けと手を振っているだけ。少し車の量が減ったところで手を肩の高さに上げ手のひらを運転手の方に向け、“停まれ、この野郎。”と心の中でつぶやき、一歩足を踏み出した。そのまま何とか渡りきった。
霧がかかっているし、車の排気ガスがひどい。いわゆるスモッグというやつだ。橋を渡って少し川沿いを歩いて戻ってくる。健康のための散歩だが不健康になってしまいそう。
まだ時間があるのでカジノへ行ってみる。24H営業で開いている。入るとすぐ、“朝食はどうですかと。”勧められた。もうすませた。客は私だけだったがしばらくするともう一人来た。ディーラー、スーパーバイザーすべて男で全員黒いスーツ。なんか変な雰囲気。
ブラックジャックで少しついてきたが、ディーラーを替えられ上昇機運がしぼんでしまった。$200使ったが手持ちの$100を現金に両替して終わりにする。時間もほどよくなってきた。
エジプト考古学博物館へ行く。博物館はホテルのすぐ隣だけれど道路を横断できないのでバスで行く。やはりツタンカーメン。黄金のマスク、黄金の柩が展示してある部屋は入場制限をしていた。ツタンカーメンのお墓は大きくないけれど展示品はいっぱいある。金箔をほどこした木の箱が四つ。箱の中に箱、そしてまた箱と四重になっていてその中に、金箔を貼った木製の人型柩、その中に純金製の人型柩、そしてその中に純金製のマスクをつけたツタンカーメンのミイラ。純金製のマスクは11kg、純金製の人型柩は110kg。凡人はすぐグラムいくらだからと考えてしまう。
L70別に払ってミイラ室へ。ミイラだけ12体。ラムセス2世もいる。ラムセス2世には髪の毛まで残っている。ハマちゃんの話だと、ラムセス2世の墓はまだ見つかっていない。少年王のツタンカーメンでさえあんなにすごい物が見つかったのだから、93歳まで王様をしていたラムセス2世の墓には何が入っているか楽しみだ、吉村作治先生に期待しています、と言う。でもミイラはお墓から見つかったはずだし、ガイドブックには王家の谷にラムセス2世に墓も載っている。質問してみればよかった。
時間調整の意味もあるのだろうがスークに寄る。場所はよくわからないが大きなモスクの横の路地。300m程両側に店がびっしり。さらにたくさんの横道もあるのだが迷子になってもいけないので、入らないにことにする。
何人かのご婦人が香水瓶の店に行くというので付いて行く。$5の物を一つ購入。ポンドとドルとで支払う。エジプトポンドはトイレチップを残して使い切る。皆の買ったものは香水瓶、太鼓、民族衣装とさまざまだ。
18:00カイロ出発。時間はいい加減で待つことが多いですよ、といわれていたが、殆ど時間どおりの旅であった。
水に砂が混ざっていたのはル・メリディアンだけで他のホテルではそんな事はなかった。
第34報終わり

ベルテルスマン世界地図帳から拝借