ポーランド ワルシャワ、クラコフ

2004年8月13日~8月23日  

8月13日 ワルシャワ到着
 日本時間8月14日6:00(現地時間13日23:00)ワルシャワ空港到着。成田出発が13:30だったので16時間半かかってワルシャワに着いたことになる。BA(英国航空)852の通路を挟んで隣には若い日本女性がいる。神田外語の2年生。
「ボランティアでウッジに行くんです。」
「どんなボランティアなの。」
「学校の修繕です。」
「そうすると大工仕事などもするんですか。」
「ガーデニングが主体なんです。2週間の予定です。でもこれが初めての海外旅行なんです。」
「初めての海外旅行というと、普通ハワイとかグアムとか香港なんかが多いんじゃないの。」など話をする。
 入国審査は何もなくパスポートを見せるだけ。飛行機の中で入国カードを配らないのでスチュワードに聞くと、「あとで返事をする。」とのこと。飛行機がランディングする時にそのスチュワードは私に向かって両手で×マークを作る。
 心配なのでパスポートと一緒に帰りの航空券も見せる。
「サイトシーイング?」
「イエス。」
 これで終わり。税関にも誰もいずグリーンのライトの下を通って外へ。非常にあっけない入国である。誰かがEUの人ならパスポートも要らないよ、身分証明書だけあれば入国できるよと言う。
 空港からはタクシー。客引きするタクシーは危ないと地球の歩き方に書いてあり神田外語の彼女は非常に心配しているが、ホテル・マリオットのカウンターにも誰もいないし、写真入の身分証を首から下げてオフィシャル・タクシーと言っているので、客引きに来たタクシーに乗ることにする。
 まず彼女の予約先のメトロポールへ行ってから私の予約先のマリオットに行くように指示する。75ズオチがメーターに表示されるが100ズオチ札を出し20バックするように言う。
 空港での両替は300ドルが1,000ズオチにちょっと欠ける。シティバンク・カードでATMから引き出したレートは1ズオチ≒32.5円。
ホテル・マリオット
 マリオットは高級中の高級で料金も高くなかなか泊まれないが、ヤフーの予約サイトのホテルの部に試しに13日1泊だけ入れてみると、税込み朝食付きで96.23ユーロと安く出たので予約を入れる。19、20日も入れてみると今度は倍以上の金額が表示されたので、こちらは予定通りグランド・ホテルに予約。
 遅い時間であるがカジノを覗いてみる。15m四方の所にゲームテーブルがびっしり。全部で15台程。スロットは壁際に少々。金曜日のせいか客は結構入っている。100ズオチだけやって終わりにする。
8月14日 レンタカー
 レンタカーの予約時間は9:00。8:30頃暇だからマリオット内のエイビスのカウンターを覗くと係員はいるが、車は9:00にならないと来ないと言う。
 レンタカーは空港で借りるのが1番良いのだが、今回は夜に飛行場に着くので、翌朝市内で借りることにする。そして市内の営業所がマリオットの中なのだ。2〜3日たって慣れれば夜の運転でも構わないのだが、着いてすぐの夜の運転はきつい。
 車はボルボのS90、これが高い。1週間でフルインシュランスにして4,250ズオチ。小さい車で構わないのだけれど、小さい車は皆マニュアルシフトだ。左ハンドルでマニュアルでは大変だなと思いオートマチックにする。そうすると大きい車になり料金が跳ね上がる。アメリカの倍の料金になってしまう。
チェンストホーバ(Czestochowa)
 今夜はクラコフ(Krakow)泊まりだが、途中チェンストホーバのブラックマドンナを見ていこうと8号線を南下する。道路は片側2車線、そして1.5m幅の歩道兼自転車道がついている。郊外へ出ると信号は殆どない。制限時速70km/hのところを100km/hで走っていると120km/hで追い抜いていく。高速道路並みだ。
 途中若い女性が手を前に出し道路際に立っている。ある程度の間隔を置いて数人立っている。
 ヒッチハイクかと思ったが荷物はハンドバッグだけ。何かおかしい。そうだきっと娼婦だ、そうに違いない。
娼婦? 100km/hで撮影
 次に現われたのがダンボールの箱に何かを入れて道路際に座っている人。男も女も、年よりも若い人もいる。こちらは皆座っている。1人が紙に大きなキノコの絵を書いて立てかけているのでキノコ売りと分かる。キノコ売りはこの道路だけでなく山の中の道路のいたるところにいるが、買っている人を見たことがない。でもそれなりの需要があるから皆座って待っているのだろう。
 チェンストホーバのヤスナ・ガラ僧院には13:30頃着。ものすごい人。ポーランド中から信者が集まっている感じ。異教徒の入り込む隙間はないと思い早々に退散する。
ヤスナ・ガラ僧院
 カトビッチェ(Katowice)方面へ向かい南下する。14:30頃から雨。車の温度計は16℃を指している。結構寒い。カトビッチェ手前でようやくクラコフの文字が出てくる。94号線を東へ向かう。
ホテル・ノボテル・ブロノビチェ
 ノボテル・ブロノビチェには16:00頃着。クラコフ郊外に入るときにバス停にいる人にホテル・ノボテルと聞くと、先を指差しノボテル、ノボテルと教えてくれる。バス停から5分もしないうちに着く。ノボテルはもうひとつバベル城の下にもある。
 雨は一度やむがまた降り出している。外へは行かずにカジノ。マリオットと同じカジノ・ポーランドの経営。マリオットより少し狭く15m×10m。ディーラーは女性であるが名札もつけていず、勝たせてもくれないので話は弾まない。800ズオチも負けてしまう。
 夕食はカジノの横のレストラン、といってもレストランはここ1箇所しかない。朝食もここ。ビーフと書いてあるので頼むと生肉のたたきが出てくる。パン、サラダはサラダバーから自由に持ってくるスタイル。
ワインは赤をグラスで1杯。この1杯がみそ。今回は体重減と共にグリコヘモグロビンも減らす積もり。いつも旅行へ行くと体重は減るのだが、ワインの飲みすぎでグリコヘモグロビンは増えてしまう。
 生肉でも体調に変化はない。料理は35、ワインは14。食べ物は安いと思うし、このノボテルも安いと思う。予約時の価格は3泊で186ユーロ。
 3泊と夕食1回、ランドリー、ミネラルウォーター、税金を足してチェックアウト時の請求は1,045ズオチ。33倍すると34,485円。含まれている朝食がまたデラックス。そんなに沢山は食べられないがソーセージ、ハム、チーズは皆3〜4種類。ニシンなどの魚もある。1番気に入ったのはヨーグルトの横にレーズンや胡桃、杏などのナッツ類があることだ。ナッツを少しずつ入れヨーグルトをたっぷりかけておいしくいただく。
8月15日 アウシュビッツ
 今日は午後2時からアウシュビッツ(ポーランド名オシフィエンチム)。ポーランド旅行を決めたときに、地球の歩き方に出ている日本人ガイド中谷さんにメールを送る。15日午後2時から3名の予約が入っていますが一緒でよければどうぞ、と返事が来る。16日は団体の予約があるそう。
 6:20から朝食。日本人団体がいる。ワールド航空の団体で20名程。昨日アウシュビッツで今日ビエリチカ、ザコパネだそうだ。
 7:30出発。まずバベル城、旧市街を目指す。歩道の所々に駐車可の表示がある。有料駐車場も結構あるし安い。5ズオチも出せばかなりの時間を停められる。駐車違反の車にはタイヤを固定して動かなくしてしまうと聞いているが、駐車場があちこちにあるので大丈夫そう。
 暇つぶし兼トイレ借用でフランス系スーパーのカルフールへ行く。道路の案内どおりに進んでいくと途中オシフィエンチム方面の表示板を見つける。とりあえず一安心。
フードコートでチャーハンを食べ12:00頃アウシュビッツを目指して出発。
途中道端のお墓はお参りする人でいっぱい。お墓の周りは献花でいっぱい。
 お墓の入り口には花屋さんが軽トラで売りに来ている。やはり昨日、今日はキリスト教徒にとって特別な日なのだろう。
 アウシュビッツ博物館入口前に13:40着。(こちらではアウシュビッツの遺跡全体を博物館としている。)14:00のスタート時の客は予定より増えて6人となっているが、スタート直後にさらに3人増えて9人となる。
 博物館は入場無料だがガイドを頼むと1回に付き192ズオチを博物館に支払う必要がある。日本語以外のガイドでも同じ。今回の私の支払うガイド料は192÷9≒22ズオチ。中谷さんは博物館から給料を貰っている。
 以下博物館にある絵を5枚表示します。
 アウシュビッツでの見学は1時間半。「ビルケナウにも行きますか?」と中谷さん。全員が行くという返事。車で5分ほど。敷地はアウシュビッツの20倍以上。目に付くのはレンガ造りの煙突の残骸。戦後木材が足りなかったので収容所の板や柱をはがして他の建物に使ってしまい、そして煙突だけが残る。
 ビルケナウも後世に伝えなければいけないとして、何棟かを復旧し保存するがその建物は隙間だらけ。残っている煙突は暖房用だというがやはり寒かっただろう。
 ビルケナウでは1時間程歩く。30歳前後の奥さんに「健脚ですね。」と言われてしまう。すっかり年寄り扱いされている。
 左大きいところはビルケナウ、中央やや下がアウシュビッツ。面積はこれだけ違います。(当然収容者もこの分だけ違ったのでしょう。)
 別れる時、中谷さんに日本から持ってきた泡盛「久米仙ブラック」を渡す。「日本では今ものすごい焼酎ブームです。これは焼酎ではありませんがお薦めの1本です。」別の人がキムチをやはりお土産として中谷さんに渡す。
たいへん喜んでいる。ポーランドに来て13年経つそうだ。
ホテル・オルビス・クラコビア
 ノボテルのカジノ・ポーランドでは全然芽が出ない(200負け)ので、街に行く途中にあるオルビス・クラコビアのカジノへ行く。このカジノはカジノ・ポーランドとは別系統のオルビス・カジノ系。
 シンボルカラーはグリーン。ゲームテーブルのラシャは淡いグリーンに濃いグリーンの縁取り。床も天井もグリーン系。1時間遊んで元。
 オルビス・クラコフの前を通り駐車場に入ろうとして左折する時にぶつかりそうになる。反対側から来る車は直進、私は左折。
 夜になって暗く対向車のライトを見ているだけだから、日本にいると勘違いして、対向車は私の車の右側を走り抜けていくと思い左へハンドルを切ってしまう。
対向車が右にハンドルを切ってくれて難を避けてくれる。
瞬間的に「あっ、やっちゃった。」と思ったくらいだから本当に危なかった。
 今日のアルコールはノボテルに帰ってからのビール1本だけ。街には酒屋が多い。ALKOHOLUの看板をあちこちで見かける。1軒覗いてみるがズブロッカ始めポーランド産のウォッカが主体。気温は23℃まで上がる。
8月16日 ビエリチカ塩鉱山
 今日はビエリチカ。4号線を東へ30分程走ると斜め右に入る道があり、入った所にWieliczkaの看板が立っている。看板の位置が悪い。もっと手前に立てなければ。何てたって世界遺産なのだから。片側2車線の道路の内側を走っていたので曲がって入っていけず、ひとつ先の信号を右折するようになってしまう。また右折するも分からなくなりガソリンスタンドで聞く。
「ビエリチカはどこですか?」
「ここがビエリチカだ。」
「・・・・・」
「ソルトマインか?」
「そうです。」
「そこの交差点を左に曲がり2〜3分行った右側だ。」
 なんとかビエリチカ塩鉱山の入口に到着、8:00。早すぎると思うもチケットは7:30から発売しておりツアーは8:00から始まっている。英語のツアーは10:00からと言うので8:15からのポ語ツアーに紛れ込む。1グループ20人前後。単独では入れない。入ったとしても迷子になりそう。
 木製の階段を10段程降りると踊り場があり、180°ターンして10段降りるとまた踊り場がある。この繰り返しで80〜90m降りる。私たちのガイドは喋りに強弱をつけたり歌を歌ったりする。多分名物ガイドなのだろう。
 坑道の横には岩塩の彫像が置いてあったりする。小人、コペルニクス他。
坑道の狭い箇所
 地底湖の横を通ったり、馬を地上から降ろす装置を見たりして最後は礼拝堂。15×30m程の広さか。天井も高い。ぶら下がっているシャンデリアにも岩塩が使われている。壁にはキリスト像、最後の晩餐の絵も彫ってある。
 帰りは一気にエレベーターで地上に出る。すごいエレベーターだ。1×2mの狭いところにオペレーターを含め10人乗る。身動きできずに真っ暗な中すごいスピードで上がっていく。
ツアーは10:30には終了。
王の像の前で
ザコパネ(Zakopane)
 ワールド航空のツアーに倣ってザコパネまで足を延ばしてみよう。比較的平坦なポーランドにあっては貴重な山岳地帯。ケーブルカーがあるはずだ。そしてカジノもあるような気がする。
 クラコフから7号線を南下。途中から7号線は西に向きを変えるので49号線に乗り換え南下しザコパネを目指す。
 道路際レストランで昼食。当然英語メニューなどなくポ語メニューだけ。眺めているとSTEKという文字がある。ステーキかと聞くとそうだと言う。これを頼む。
 出てきたのは豚肉の片面に薄く衣を付け焼いた物。炒めた玉葱が乗っている。トマト、きゅうりが横に。別途サラダバーがある。ミネラルウォーターは別料金だがそれでも合計30程。味は悪くはないが蝿が多いのには参る。
 ケーブルカーのあるところは車の乗り入れ禁止。歩いて10分程手前の駐車場に置く。ケーブルカーの列の最後に並ぶが、階段の下でケーブルカーそのものは良く見えない。1時間近くかかってようやく階段の上に出る。ケーブルカーのゴンドラは2台だけ。
 1台に乗れる人数は10人程。ゴンドラは10分に1回出発する。これではあと1時間待っても乗れない。前に並んでいる人の数が増える場合もある。どういうことかというと家族全員で並んでいると子供が飽きてしまい、父親だけ並んで母親と子供はよそで遊んでいる。順番が来ると母親と子供が戻ってくるというわけだ。
 ケーブルカーはあきらめてカジノを捜してみよう。駐車場にタクシーがいるので運転手に聞く。紙に書いて教えてくれる。教えてもらったとおりに行くがない。また聞くとその角を曲がってすぐだと言う。
 ザコパネの繁華街らしく歩行者天国になっている。車を駐車場に停め私も歩く。上を見てビルの看板を丁寧に見て歩く。
「あ、あった。」でもカジノの看板の割には小さい。よく見るとCASIOとなっている。Nが抜けている。カシオの看板だ。
肩をたたく人がいる。「日本の方ですか?」
「そうですよ。」
「いやー、こんな所で日本の方に会えるとは思わなかった。私は山登りでここに来たんです。もう1週間になります。」
「あの高い山はもうスロバキアですか?」
「いやまだポーランドです。タトラ山脈です。」
「私はカジノ遊びが好きで、ザコパネにもあると聞いたもんですから捜しているんですよ。」
「こっちで知り合いになった者がいるから聞いてみましょう。」と言って道端で衣類など売っている人の所へ連れて行ってくれる。
「ほら、まず日本人に会ったら、こんにちは、と言うんだろ。」
私に向かって、こんにちはとありがとう、さよならを教えたんですよ、と言う。
結局結論は、ザコパネにはカジノはない、ということだ。
 この日本人は私と同年輩の男性。気をつけて、そして楽しんで下さいと言って別れる。
 でも地図まで書いて教えてくれたのは何だったんだろう。
 道路には手製の看板を持った人が点々といる。皆同じ字を書いている。想像するに民宿というような意味だろう。この辺りの建物は、雪が積もらないように、滑り落ちるように屋根を急勾配にしてある。
民宿? 急勾配の屋根
オルビス・クラコビア カジノ再挑戦
 ノボテルには戻らずにオルビス・クラコビアに直行。18:00。
夕食もここのレストランで。魚を注文。白身魚にジャガイモ、トマト、きゅうり、サニーレタス添え。パン、サラダは別の皿。結構おいしい。
 テーブルゲームを数えるとルーレットが5台、ポーカー2台、ブラックジャック3台。この10テーブルが楕円を描くように配置されている。スロットは壁際に30台程度。
 ブラックジャックのディーラーはDOROTA。ドロタ。失礼ながら今までで一番面白い名前だ。
「ミス ドロタ。あなたはずいぶん若く見えるけど。」
「21。」
「そうか、それで21ばかり出して私のお金を巻き上げるんだね。」
聞いていたスーパーバイザーが、私の名前を読んでみて、と胸を指す。JOASIA。
「・・・・ジョージア。」と言うと、大笑いして「ヨアシア」と言う。
「ジョージアではアメリカ人みたいだよね。」
 ドロタと交代したディーラーは名札がない。カードを切る手つきもおぼつかない。ニューフェイスかと聞くと、そうだと言う。
 新人だからドロタより若いのかと思い、20歳かと聞くと、恥ずかしそうに27歳と言う。
400も負けてしまったが結構楽しむ。
 ノボテルに戻ったのは22:00頃。以前は24:00までには部屋に戻ろう、だったが今は22:00。やはり年を取ったのか。
8月17日 ルブリン(Lublin)へ
 7:15ホテル出発。4号線を東へ向かう。ジェシェフからは19号線を北上しルブリンを目指す。4号線は片側1車線、4m幅。外側に1.5mの歩道兼自転車道がある。反対車線で大きな車が追い越しをかけている。対向車線を殆ど気にしていない。
 追い越される方が歩道側に寄っても当然ながらセンターラインを大きくはみ出している。
 こちらも必然的に歩道側に逃げるようになる。どうもこれがポーランドの通常の走り方のよう。慣れなければいけない。バックミラーも良く見て、後ろの車が追い越しをかけてきたら、右側歩道に車を半分入れる。でもたまに歩行者、自転車がいるので十分注意しなければならない。もっとまれに農耕用馬車が走っている。
ルブリン
 昼食、休憩を取りルブリンのホテル・メルキュール・ウニアに着いたのは14:00頃。早速カジノはどこかと聞くと、1年前に閉鎖したという返事。ルブリンと郊外で結構な人口がありそうだが(30万人はいると思う)、それでもやっていけないのだ。ただカジノを作ればいいというものでもないらしい。
 部屋に行くとシャワーだけでバスタブがない。またレセプションに行き、バスタブのある部屋と交換してくれと頼むと、パソコンをいじってから空いていないと言う。
 ルブリン旧市街、ルブリン城を1時間程散歩。
16:00頃ホテルに戻りベッドに横になると19:00まで動けない。やはり疲れが溜まっているのだろう。
ルブリンに2泊予約してあるので明日はゆっくりするつもりでいた。でもカジノもないしバスタブもない。考えた末1泊に変更して明日ワルシャワに入ろう。ホテル内レストランでパスタを食べ早々に寝る。
ルブリン城前広場
8月18日 ザモシチ(Zamosc)
 7:00出発でザモシチへ。メルキュールの前の駐車場はメルキュールとは別経営。2日分前払いしてある。駄目元で説明すると1日分の料金を返してくれる。17号線をワルシャワとは反対方向の南東へ向かう。9:00前ザモシチに到着。
 市庁舎隣のホテル・ザモイスキーでトイレを借りる。宿泊者以外使用禁止と書いてあるが無視。20人程の日本人団体が泊まっているのでとがめられることはない。近ツーだそうだ。
 ザモシチの旧市街は非常に狭い。1時間程うろうろ。車に戻ると駐車料金の請求。請求に来たおじさんと一緒に小学生らしい女の子3人が来る。車の窓拭きをやらしてくれと。3ズオチ。フロントガラスを拭いて終わり。
ザモシチ市庁舎
カジミエーシュ・ドルニィ(Kazimierz Dln.)
 17号線をワルシャワ(Warszawa)方面へ。北西方向だ。ルブリンを通り越し4〜50km行った西にカジミエーシュ・ドルニィという村があって非常に人気があるという。80万分の1のポーランド地図を見ながら17号線から左に入ると、道はだんだん狭くなり農道みたくなってしまう。反対側から来る自転車を止め地図を見せながらカジミエーシュ・ドルニィへの道を聞く。
 自転車の青年は英語を喋らないが、私がカジミエーシュ・ドルニィへの道を聞いているのは理解する。この道では駄目だ、また17号線に戻ってもっと先の道を左に曲がれ、というようなことをポ語で言っている。
 17号線に戻り、それから西に向かっている12号線に入りプワビという街に入ってから、休憩しているタクシーの運転手に聞くと、2つ先の信号を左折すればよいと教えてくれる。
カジミエーシュ・ドルニィの広場
 カジミエーシュ・ドルニィはヴィスワ川のほとりの村。(このヴィスワ川の下流にはワルシャワもある。)板葺きの屋根を持つ小さな家が並んでいる。童話に出てくる家のよう。人気があるのもうなずける。
グランド・ホテル
 ワルシャワのグランド・ホテルには17:00頃到着。ワルシャワに入ってからどっちに行っていいのかさっぱり分からない。
 とにかくCENTRA方面へ行く。ようやく見えてきました、尖塔とその下の時計が。文化科学宮殿に違いない。文化科学宮殿はスターリンの贈り物として不人気だが、大きいので迷ったときの目印としては最高だ。とにかく文化科学宮殿方向へ進んでいくと見覚えのある建物が目に入る。神田外語の彼女の泊まったホテル・メトロポールだ。グランド・ホテルはすぐそば。
大きな文化科学宮殿
 グランドのレセプションで、明日から2泊の予約をしてあるが今日からの3泊に変更したいと言うと、予約をした時のエージェントを通してくれ、などと共産主義時代を思わせるような対応をする。インターネットで予約をしたからパソコンを貸してくれと言うと、奥にいる人がアドバイスをしてくれて宿泊カードに記入するだけで泊まれるようになる。ただ予約のコピーは明日また出してくれと言う。
グランド・ホテル
 グランドのカジノはオルビス系。オルビスは元国営の旅行社。外資系ホテル以外のすべてに絡んでいる。今も100%国営かどうかは分からない。
 ブラックジャックのテーブルなどクラコフのクラコビアと全く同じ。床も天井もグリーン。天井はカラーステンレスをパネルにして貼ってあるよう。
 19:00〜22:00まで遊んで100の負け。ディーラーは男で話は弾まないが結構遊べる。夕食はホテルのレストランでサーモン。ジャガイモ、アスパラガスの付け合せ。気温は30℃まで上がる。
8月19日 ワジェンキ公園
 起きてまずワジェンキ公園へ行く。グランドの前の通りの1本東側の通りを南に3〜4km行った左側。駐車場を探しながら走っていると一番南側まで行ってしまう。駐車スペースを見つけ南門より入る。散歩してくたびれたのでベンチに座ると、蚊がわーっと寄ってきてとても座っていられない。これが自然がいっぱいということなのだろうと思う。水を撒いたり草をむしったり手入れをする人たちは大変だなと思う。
 公園はかなり広いので車で移動することにする。大通りを戻ると中程の入口に大型バス2台が停まっている。バスの横に停めると、乗用車は駄目と言う。どこか駐車できるところはないか捜すと、道路の向こうにバス停がありその裏が駐車場になっている。
 公園の中に入ると花壇があり、花壇の奥にショパンの像がある。ショパン像の方に行くと見覚えのある顔がいる。ザモシチで会った近ツーのグループだ。記念撮影をするのに私にも入れと言う。端っこを汚す。現地人のカメラマンは1(イチ)、2(ニ)、3(サン)、4(シ)、5(ゴ)ドルと言って笑わせて写真を撮る。1枚5ドルだそうだ。
ちょっと見づらいけどショパン像
ヴィラヌフ宮殿
 大通りを南下してヴィラヌフ宮殿へ。足場を架け外壁補修中。足場の上の職人は誰一人としてヘルメットを被っていない。こんなことではいけませんねえ。
裏庭では遺跡の発掘作業中。教授と学生のように見える6人。女学生らしき2人は水着姿。
庭はやはりきれい。背の低い木を30cm程に均一に刈り込み、そして平面的には曲線で模様を描き、その緑色の中に赤い花(厳密には葉か)を浮き上がらせ、周りには白い玉砂利。その外側を芝が囲み、芝の中には黄色い花が咲いている。
ヴィラヌフ宮殿の庭
ゴミはひとつも落ちていない。
旧市街
 一転して大通りを北上。ワジェンキ公園を通り過ぎ、新世界通りと名前を替えた道を走り抜け、そしてこの道はクラコフ郊外通りに名を替える。名前が替わった所右側にコペルニクス像がある。(たいしたもんだよねコペルニクスは。私など迫害されたら、いや迫害されそうになったら、ごめんなさい私が悪うございましたと引っ込んじゃうけど。)
コペルニクス像
 ワルシャワ大学、エウロペイスキー・ホテルなど通り越し旧市街へ。車を駐車場に入れ、まずは旧市街を通り抜けキューリー博物館へ行く。ガイドブックを持っていないとちょっと分からない。そこらにあるアパートと変わりないから。入口横にキューリー博物館の銘版はある。
 旧市街にあるワルシャワ歴史博物館。外から見ると小さそうだが中に入ると結構歩く。先の大戦の写真が多いように思う。
 旧市街反対側にある旧王宮。タペストリーが立派だったと思う。館内扉に金無垢が貼ってあるように見える。指でこすってみる。本物の金だが、係員に触っては駄目と怒られる。
もうくたびれて途中の扉から出ようとすると、やはり係員にここから出ては駄目、矢印の方向へ進めと言われ途中退場は果たせない。
 この近辺(東欧、中欧)の旧市街はどこも世界遺産になっているが、やはり一番はプラハか。プラハと較べるとちょっと見劣りするような気がする。
ワルシャワ旧市街
8月20日 新世界通り
 新世界通りはワジェンキ公園前の通りを北上し、Jerozolimskie通り(ワルシャワを南北に分ける大通り。この通り沿いにワルシャワ中央駅やマリオット、メトロポール、フォーラムなどのホテルがある。)を越えた所からクラコフ郊外通りに名前を替えるまでのほんの1km程度。歩行者天国ではないが歩道が広く色々な店がある。
 新世界通りをぶらつこうとホテルを出ると近ツーのご婦人方3人にばったり出会う。今日が帰国日で朝の散歩を終えホテルに戻り出発するところと言う。暇な私は見送りますよと後を付いていく。ホテルはシェラトン(グランドより数段上)でワジェンキ公園前の通りに面していてJerozolimskie通りの少し南側にある。グランドの東側数百メートル。ご婦人の1人がジュースをおごってくれる。
 近ツー御一行を帽子を振りながら見送った後、シェラトンの前の道をそのまま北へ向かい新世界通りへと行く。
 前を歩いている女性は白いぴったりとしたスカート。下着の線が見えず白い布地からお尻が透けて見える。あれ下着を穿いていないのかなと一瞬思ったが、そんなことはなくベルトラインの少し下にレースが透けて見える。Tバックだ。Tの字の横の棒の下にレースが付いていてそれが透けて見えているのだ。縦の棒はファスナーや縫い目と重なり見えない。かっこいいよね。Tバックもやはり需要があって発明されたものなのだ。
カジノツアー
 ホテルで昼寝後カジノツアーに出発。まずはメトロポール。外語大の彼女を送っていった時にカジノがあることを確認している。
 スロットが1階。テーブルゲームは2階。テーブルは全部で5台。ルーレットに客が1人着いている。ブラックジャックを開けてもらう。
 1人で2箇所に賭けたり3箇所に賭けたりしていると地元の青年が1人加わってくる。
 彼のチップはだんだん減るが私のは減らない。彼はついに自分でプレーするのは諦めて私に乗ってくる。彼はチューインガムを取り出し1つ口に入れ、そして私にも1つくれる。ガムは入れ歯にくっつくんだよね。普段は食べないようにしているが、せっかくだから口に入れる。なるべく噛まないようにして。
 ディーラーが若い女性に替わる。髪の毛が金、茶、黒と3色になっている。髪を染めているのと聞くとうなずく。きれいだねと言うとうれしそうにしている。この後もっと気の効いた言葉が出てくればたいしたものなのだが続かない。18:00まで遊んで190ズオチの勝ち。
 夕食は昼間見つけておいた、新世界通りから少し奥に入った日本料理屋KOTO。握りとビールとで42ズオチ。量が少ないけれど我慢しておく。新世界通り、クラコフ郊外通りをのんびり歩いてホテル・エウロペイスキーのカジノ・ロイヤルに行く。エウロペイスキーは石造りの3階建て。由緒ありそう。クラコフ郊外通りをはさんだ反対側にはホテル・ル・ロイヤル・メリディアン・ブリストルがある。こちらはガイドブックによるとヨーロッパ有数、ワルシャワでは最高級とある。
ル・ロイヤル・メリディアン・ブリストルのそばの公園
 何がロイヤルだ。先客は4人。うち1人は子供だ。どう見ても14〜5歳。年の離れた兄か従兄弟と来ている。100ズオチチップを持ってブラックジャックとルーレットの間を駆けずり回っている。
 数日間の感覚では平均的な日給は100ズオチ以下ではないかと思う。その100をどんどん賭けている。
 まあ金持ちのどら息子が親の稼いだ金を使い、富の再配分をしていると思えばどうと言うことはないのだが。
 まだウォッカを飲んでいない。ポーランド人は本物のウォッカはロシア製ではなくポーランドの物だと言っているらしい。
 バーのウェイトレスを呼んでもらい、ウォッカ&トニックwithアイスと頼む。ジントニック?とウェイトレスがつぶやくから、Noウォッカトニック プリーズと言い直す。結構いける。2杯飲んでしまう。200負け。
 来るときは歩くが帰りはタクシー。メーターを倒していないのに気が付いた時にはもう結構走っている。グランドに着いて12ズオチの請求。メーターを倒していても8程度だからそのまま支払う。
 グランドで時計を見ると22:00までには15分ある。昨日も100の負けだったが長時間遊んでおりオルビス・カジノに悪い印象はない。よし15分だけ勝負しよう。ポーランド最後のカジノだ。
 200ズオチを25チップに替える。おじさんディーラーを相手に1人で勝負。打つ手打つ手全てがうまく行き15分で1,500ズオチになる。1,300の勝ち。
 途中負けていても最後に勝てばポーランドはいい所だった、ということになる。
8月21日 ミレニアム・ホテル・ナイツブリッジ
 6:00前にワルシャワ空港に着くが沢山の人。パリ、フランクフルト、チューリッヒ、ロンドン行きに人が並んでいる。
 ロンドンのミレニアム・ナイツブリッジには11:00前に到着。レセプションに日本人女性サトコさんがいる。シングルの部屋でよければチェックイン出来ますと言うので頼む。
 ホテルそのものは大きくない。部屋も廊下も狭い。でも場所が良い。地下鉄ナイツブリッジには2〜3分。デパートのハロッズにも2〜3分。ハイドパークには3〜4分。そして私には縁はないが、ホテルの前の通りはボンドストリートに次ぐ買い物通りのスローンストリート。ホテルの両隣はグッチにフェンディー。真ん前はカルチェ、ルイヴィトンへも1分もかからない。
 ロンドン1泊の目的はまずロンドン・アイに乗ること。ミレニアムに泊まる目的は、歩いて3〜4分の所にあるタワーカジノだ。5年前に来たときに会員になっているのだ。
 タワーカジノはホテル・シェラトン・パークタワーの1階にある。シェラトン・パークタワーに泊まればいいのだが、ここは300ポンド/泊もする。6万円だ、とても泊まれない。タワーカジノのそばのホテルを探し、ようやくミレニアムを見つけたのだ。
 140ポンド/泊。(冬のオフシーズンだと100ポンドを割る値段を出している。)5年前に泊まったレンブラントよりずっと良い。
でも消費税みたいなVATが17.5%付いて、140が164.5になり3万円を超えてしまう。
ロンドン・アイ
 簡単に汗を流しロンドン・アイへ行く。ロンドン・アイは1999年末に出来た直系135mの世界一の大きさの観覧車。地下鉄ウォータールー駅から7〜8分ほどのテムズ川沿いにある。
Now on boardingとなっているが、土曜日のせいかFlightまで1時間半待ちとも書いてある。
 ブリティッシュ・エアウェイズの経営なので飛行機の用語が使われている。でも1つのカプセルに30人乗れるし、カプセルが32個あるので1時間待ちで乗れる。11.5ポンドで25分のフライト。
ロンドン・アイ(右上は国会議事堂)
ミレニアム・ブリッジ
 テムズ川沿いを東へ行きミレニアム・ブリッジを目指す。ミレニアム・ブリッジは2,000年を記念してテムズ川に架けられた歩行者専用の橋。セントポール大聖堂と美術館のテートモダンとを結んでいる。架けた直後に人の歩行と共鳴して揺れるのが分かり補強工事をしている。
 テムズ川沿いには大道芸人が多く出ている。中でも多かったのはじっとして動かない芸。カジミエーシュ・ドルニィの広場にも白装束(顔まで布で覆っている)の芸人がいるが今はやりのよう。お金をあげると機械のようにお辞儀したり、握手をしたりする。
ミレニアム・ブリッジまで結構な距離がある。渡り終わったらもうくたびれてタクシーにて戻る。
ミレニアム・ブリッジ
タワーカジノ
 再度汗を流し着替えてタワーカジノへ。5年前に作ってもらった会員証を出すとパソコンに入力する。何の問題もなくプリーズと言われる。
 イギリスのカジノは他の国のカジノとは少し違っていて会員でなければ入場できない。そして申し込んでから24時間たたないと会員になれない。抜け道としては、会員に付いていくとゲストとして迎えられその時からプレーできる。まあ観光客には向かないシステムだ。5年前よりフロントを前に出し少し広くなっている。
 バリーの靴にバーバリーのブレザー、ネクタイを締めて颯爽?と入って行く。がネクタイなど締めている人は誰もいない。東洋人1人、白人1人、あとは全てアラブ系。東洋人に電話がかかってくる。日本語で喋っていて外へ出て行く。こちらで仕事をしている人で家族か会社の人からの呼び出しだろう。
 例によりブラックジャックのテーブルに座る。1番目の席。次は空席、その次はサファリジャケットを着ているまだ若いアラブ人。次はサファリジャケットの従者と思われる年配のアラブ人。私の隣の空席にユニクロのフリースで出来たジャンパーみたいな物を着ているアラブ人が座る。彼は自分の所には賭けず私とサファリに乗ってくる。
そして私には何も言わないがサファリにはああしろ、こうしろと言っている。人に指図するくらいなら自分で賭けろと言いたいが、サファリはまだ初心者らしく指図を受け入れている。サファリは金持ちらしく25ポンドチップを常に複数枚賭けている。チップがなくなると従者にお金を渡し両替に行かせている。従者と私はミニマムの10ポンド。
 夕食はカジノ2階のレストラン。5年前に食べたオイスターはおいしかったが、夏の今オイスターはメニューにない。メニューには通常の肉、魚のページの他に中東のページ、極東のページというのがある。せっかくあるのだから極東のページから魚料理を選んで注文。客は私1人なのにずいぶんと時間がかかる。
 ガラス越しにカジノのルーレットが良く見える。唯一の白人はおじいさん。杖を突いているがよたよたしている。3〜4m歩くのも大変。ルーレットに座り上着の内ポケットから透明のビニール袋を出し、中から50ポンド札を2〜3枚出しチップに替える。
 それを全部ルーレットのテーブルの上に5〜6箇所に分けて置く。外れる。また50ポンド札を出し全部置く。外れる。5回続けて外れると隣のルーレットへ移って行く。そこは2階からは良く見えない。
 レストランに客が来る。サファリだ。若い白人女性を連れている。従者はいない。単純にいいなと思う。
 魚は白身を蒸した物でまあまあ。ウェイターがライスを付けてくれるが、これはいまひとつ。魚料理は19ポンド。2本飲んだビールは計算に入っていない。カジノでもただなのでここでもただなのかもしれない。忘れたわけではなさそう。
 テーブルに戻るとユニクロは自分で賭けている。負けが込んでいるよう。でも出て来る出て来る、50ポンド札が。恐るべしアラブパワー。きっと熱くなるタイプで、気持ちを抑えるため人に乗っているのかもしれない。
 このカジノの改装はアラブのおかげで出来たに違いない。
 よたよたおじいさんが隣に来る。エクスキューズミー、セニョールと言う。スペイン系だ。ブリティッシュ系は1人もいない勘定になる。
私の結果はというと250の負け。
8月22日 帰国日
 今日は日曜日。お店はどこも休み。ハイドパークへ行き散歩。タワーカジノの前から入り、サーペンタイン湖の北側を歩き橋を渡り公園外へ出て、ロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックの前を歩き、ヴィクトリア&アルバート博物館を通り越してから左折し、ブロンプトン通りを進みハロッズの前を歩き戻ってくる。所要時間1時間半。持っている地図にはハイドパーク内にダイアナ・メモリアルウォークと書いて点線が引かれている。かなりの距離で全部歩けば4〜5時間はかかるだろう。数回に分けてでも歩けばそれなりの記念にはなるだろう。
第33報終わり
ベルテルスマン世界地図帳より拝借
今回の日程表

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