
ロシア・バルト3国
2003年8月16日~8月26日
8月16日 アエロフロートで
お盆も終わりの16日出発というのは気が引ける。周りは好意的な目をしていない(特に内の奥さん)。
12日出発のロンドン経由でバルト3国というのがあって申し込んだのだが、参加人員が足りず不催行になってしまった。個人で行くことも考えたのだが、レンタカーではせいぜい2カ国、3カ国は難しい。そしてスキンヘッドのネオナチの東洋人に対する暴行も心配なのでツアーにもぐり込む。
旅行会社はロシア旅行社で3年前にも利用した。ツアー参加者は直前に大量キャンセルが発生したとかで7人。私より1廻り以上年配と思われる男3人に女1人の4人組。60歳近い女性、私と同年輩の男性、そして私。なんと56歳の私が最年少。
ロシア経由なのでサンクト・ペテルブルグに2泊、エストニアのタリンに1泊、ラトビアのリガに2泊、ロシアの飛び地カリーニングラードに2泊、リトアニアのビリニュスに2泊の合計9泊11日のツアーだ。
まずアエロフロートでモスクワへ。ボーイング767。飛行機は新しいし足元がJALより10cm程広い気がする。機内誌を見ると国際線はボーイングかエアバスに切り替わっている。旧ソ連製のツポレフ、イリューシンは国内線、CIS諸国、貨物に使っている模様。とりあえず一安心。
隣に座っている女性は30歳前後の日本人。3年前フランス人と結婚しパリに住み、里帰りで日本に来た帰りだそうだ。成田-モスクワはアエロフロート、モスクワ-パリはエールフランス、そしてモスクワでの待ち時間は2時間。これで往復600ユーロ、夏休みでなければ500ユーロ。JALやエールフランスの直行便より300~400ユーロ安いと言う。
そのまた隣は日本人とイギリス人のハーフの女性。やはりロンドンへ戻るところ。そういえばこの飛行機はモスクワ経由ロンドン行きだ。
飛行機がボーイングやエアバスならばヨーロッパへはアエロフロートでも良いと思う。旧ソ連製の飛行機だから落ちるのが心配なわけだから。食事前のアルコールは1杯しかくれないが、300~400ユーロ安ければそんなの物の数ではない。
私たちはモスクワで5時間待ち。ツポレフでペテルブルグへ。心配していたツポレフは全然揺れない。シートやテーブルはお粗末だが性能は案外良いのかもしれない。街はずれのプリバルチスカヤ・ホテルに着いたのは24:00。
8月17日 目標 その1
ロシア経由と決まってからロシアでの目標を2つ持つ。1つはエカテリーナ宮殿の琥珀の間を見学すること。今回のツアーの予定には入っていない。NHKではBSと1チャンネルで「消えたロシアの秘宝」と題して複数回放映している。それによると、琥珀の間はピョートル大帝がプロイセンから兵士50人と引き換えに貰って来た琥珀の壁飾りを、エカテリーナ二世が拡張し壁全体を琥珀で覆ったところから琥珀の間と呼ばれる。
ナチスドイツがソ連に侵攻したときに琥珀を持ち去る。7人が36時間できれいさっぱり解体してしまったそうだ。これがどこへ行ったか分からない。いろんな人が何十年かけて捜しても見つからない。写真も残っていないが、ロシアの職人が想像してペテルブルグ300年祭を目指して完成させる。(今年の5月に盛大に300年祭が執り行われた。)
「見つかったらすぐ隣に展示しますから、ロシアの職人とプロイセンの職人の技を見比べて下さい。」と館長さんは言う。
3年前に来た時には、エカテリーナ宮殿はコースに入っていたが当然琥珀の間はからっぽだった。今回のツアーの予定では午前中はエルミタージュ美術館見学、午後は市内観光となっている。午後の市内観光の時に1人でエカテリーナ宮殿へ行くと添乗員に言ってある。
ホテル10:00出発でエルミタージュ美術館へ行くが結構混んでいる。エカテリーナ宮殿も混んでいるかもしれないと思い、すぐ出発することにする。ロシア人ガイドが、待ち時間も含めて往復2,000ルーブルでタクシーに話を付けてくれる。
エカテリーナ宮殿には11:00到着。列の後ろに並ぶ。少しずつ少しずつ前へ。
隣のおばさんが英語で話しかけてくる。コーサスに住んでいると聞こえるからコーカサスか。下の娘がドイツ人と結婚していて夫婦で来ている、ほれあそこに。上の娘も結婚してコーサスに住んでいる。自分はコーサスで英語とスペイン語の教師をしている。

エカテリーナ宮殿
後ろもずいぶん並んだだろうな、と振り返ると「こんにちは」と青年が挨拶してくれる。関西に住んでいてサラリーマンをしている。夏休みと年休を取って個人で来ている。ペテルブルグから電車とバスを乗り継いで来た。たいしたものだ。ロシア文字は独特でローマ字のように読むのさえ大変なのだから。日本語でしゃべれる相手が出来て助かる。
「デジカメを盗まれちゃいましてね。買い物をしていて身を乗り出したときにポケットからすられたようです。」と青年。
「それは大変だったですね。私の場合はモスクワの国内線の金属チェックの所でデジカメを忘れちゃったんですよ。でもチェックの係員が私を捜して持ってきてくれましたよ。」と私。
列の進行は少しずつだが進みあと20mという所まで来る。
制服姿のおじさんが2人出てきて何かしゃべっている。隣のおばさんに尋ねるとSold Outと言う。みんなばらばらと散っていく。並んでから1時間半たっている
「こちらの人はすごいですね。今日はおしまいと言うと誰一人文句を言わず解散するんですね。」と青年。
「せっかくお会いしたのですからお昼でもご一緒しましょう。ご馳走しますよ。」と私。
「貧乏旅行というわけでありませんから割り勘で良いですよ。」
「ひとまず私のホテルへご一緒に。」
タクシーにはエカテリーナ宮殿に着いた時に1,000ルーブル渡してある。ホテルに着いた時に残りの1,000と人数も増えたので200をチップとして渡す。
ホテル内レストランで青年はスパゲッティー、私はピザ。青年は明日早起きしてまたエカテリーナ宮殿に挑戦しますと言う。
下の娘にロシア製の世界地図を買って来てと頼まれていると言うと、大きな本屋を知っています、ネフスキー大通りは何回も往復していますからと。タクシーに私はBook Shopと言ったが青年はクニーガと言う。クニーガとはロシア語で本のこと。
大きな本屋に入ると地図売り場はこちらですと看板を見ながら案内してくれる。ロシア語を習ったことはないと言うがかなり勉強しているはずだ。私も第2外国語がロシア語だった片鱗を見せなくてはと、店員のおばさんに壁に貼ってある世界地図を指差し「エータ アジーン。」(This one)と注文する。
地図を買ってから別れ、私はカジノのタレオン・クラブへ行く。初めてかどうか聞くので、2回目だが最初に来たのは3年前だよと言う。$200の負け。でも2時間くらいねばる。次のアストリアではあっという間に$200負け。予定を$100オーバーしてしまう。

プーチン人形(撮影は有料) ネフスキー大通りで
目標 その2
ロシア第2の目標はウォッカとブランデーの混合物のスタルカを買うことだ。前回のロシア旅行の時アエロフロートの機内販売にウォッカ3本セットの宅配があり購入した。この中の1本がスタルカでおいしかったことを思い出す。
思い出したきっかけは「百年の孤独」だ。百年の孤独は宮崎県産の焼酎。友人が1本持って訪ねて来てご馳走になる。これが本当においしい。自分でも購入しようと捜すが手に入らない。
ある時うちの奥さんが「たいへんたいへん、百年の孤独がビッグリカーに置いてあるよ。値段を見てまたまたびっくり。1本10,800円と書いてあるよ。」定価は3,000円程度のはずだ。翌日私が見に行くともう売れていて現物はない。価格表のみ残っている。
小見川町の酒屋で色々な焼酎や泡盛を置いてある店がある、と聞いたので行ってみる。百年の孤独の箱が置いてあり、「当店は百年の孤独の正規販売店ですが平成22年7月まで予約がいっぱいです。」と書いてある。おいしい焼酎や泡盛がないかと思っている時にスタルカのことを思い出したのだ。
スタルカも捜すが手に入らない。酒の量販店にはズブロッカ(ウォッカに薬草を入れた物)やレモンを入れたウォッカはあるがスタルカはない。インターネットで検索して見ると1本いくらとか出てくるが、実際に注文すると「在庫切れ、いつ入荷するかは不明。」と返ってくる。
タレオン・クラブでスタルカを1杯と言うと、ディーラーもマネージャーも知らないと言う。別室から来たバーウーマンも知らないと言う。ウォッカとブランデーをミックスした物だと言うと、バーへ行きすぐに戻ってくる。右手にウォッカ左手にブランデーを持って。両方の瓶を同時に内側に傾けるからうなずく。「With ice」と付け加えて。おいしくない、でも強いからすぐ酔ってしまう。なぜ誰も知らないのだろうか。あんなにおいしいのに。
ぶらぶら歩いていると中華がある。前回ロシア料理はおいしくないという印象だったのでここに入る。麺はヌードル・ウィズ・ビーフしかない。醤油で味付けしたようなビーフンの上に牛のひき肉が乗っている。おいしくない。
8月18日 エストニアへ
8:30ホテル出発。3時間程で国境。ロシア出国手続きに1時間かかる。これでも早いほうらしい。前に観光バスなどいたら大変らしい。今回は乗用車数台だったので1時間ですんだよう。もっとも後ろの車は私たちのことをうらめしく思っているだろう。
国境になっている川を渡ってエストニアのナルバ(Narva)。古い要塞がある。川向こうのロシア領にも要塞がある。同じ人が作ったのか敵が作ったのかは不明。はっきりしているのは現在の国境が1991年に決められたということだ。
要塞内にあるレストランで昼食のはずだが、30分待って12:00になるとロシア旅行社がこのレストランをキャンセルしてあると言う。食事抜きでガイドの到着を待って13:00に出発。
年寄りは色々な物を持って来ている。柿の種、酢昆布、ポッキーなど。ご馳走になりながらタリンへ向かう。途中添乗員が揚げパンを買って配る。
タリンのオリンピア・ホテルに着いたのは16:00。昼食が終わったのが17:00。この時ペテルブルグのプリバルチスカヤ・ホテルで朝食の時にウェイターが売りに来たキャビアを買っておいたので皆さんに毒見をして貰う。粒は小さく色は黒く高級品ではなさそうだが(何てたって$10)、ちぎったパンに目いっぱい乗せて贅沢に食べる。
タリン市内観光
すぐに市内観光。ガイドの話ではエストニアの人口は145万人程、面積は九州位。1/4はタリン周辺に住む。フィンランド系も多い。ヘルシンキとは海でさえぎられているが85kmと近い。ソ連の植民地になる時にフィンランドへ逃げていった人も多く、その人たちが独立後大挙して観光に訪れているそうだ。街はずれの大統領官邸の庭や旧市街の石畳の上を歩く。太っちょマルガリータは車窓からちょっと見るだけ。
21:00から夕食というが、それではカロリーの取り過ぎになってしまう。夕食はパスしてホテルへタクシーで戻る。

タリン旧市街 海はバルト海
風呂に入り着替えて早速カジノ・オリンピックへ。泊まっているホテルはオリンピアだがカジノ・オリンピックはここにはない。このカジノ・オリンピックはチェーン店らしく市内観光の時にあちこちで見かける。In your pocket Tallinnには4軒出ている。In your pocket city guidesはドイツと東ヨーロッパの各都市のガイド冊子。結構良く出ている。有料だったり無料だったりするが各都市のホテルなどに置いてある。インターネット版もあり私はこちらを利用。表紙を開いてBy nightをクリックしてCasinosを再クリックして調べるのだが、殆どの都市でCasinosと一緒にGay Barsという字が出て来る。添乗員にこちらにはゲイが多いんですかねと聞くと、そういう趣味があるんですかと逆に聞かれてしまう。
カジノ-1

カジノ・オリンピック
入るとすぐに受付の男性がこちらへどうぞと両替所に案内してくれる。パスポートチェックはなし。座るとすぐに飲み物は何か聞いてくれる。ミネラルウォーター。旅行に出るといつもアルコール漬けになってグリコヘモグロビンが2ポイントも上がってしまうので、今回はアルコールを減らそうと必至の覚悟で出てきたのだ。
雰囲気は良い。しかしミニマムレートが高い。ブラックジャックは3台あるが、1台はトーナメント用で休止。1台はミニマム100クローネ、もう1台はなんと250クローネだ。$100の両替が1,290クローネだから100クローネは$7.8。1,000円近い。50クローネで遊びたいと言うが駄目。
テーブルゲームは他にルーレット3、ポーカー4。あとはスロットやビデオゲーム。客は結構入っている。が私の戦果はさっぱりで2,000クローネの負け。最高に浮いた時が500クローネでは勝ち逃げも出来ない。
8月19日 散歩
朝食は7:00から。レストランは2階にあるのだが7:00にならないとエレベーターは2階に止まらない。階段のシャッターも7:00にならないと開かない。徹底している。おなかが空いて15分前からウロウロしているのに。料理の種類は豊富で結構おいしい。
出発は9:30と遅いので市街地図を片手に散歩。ホテル北側に公園が2つある。公園にはすぐに着いてしまったので更に北に進むと旧市街。民族模様のセーター屋さんは木製の台を組み開店準備。絵葉書やカレンダーを売っているお姉さんは道端に台を組みもう営業している。8:30頃だが観光客もぽつぽつ歩いている。

絵葉書、カレンダー屋のお姉さん
通勤時間帯と思うがそんなに沢山の人がせわしなく歩いているわけではない。でも路面電車、トロリーバス、バスはかなりの頻度で行き来している。
ラトビアへ
ラトビアへ向かい出発するが途中屋外木造建築博物館に寄る。
昔の教会や農家などそのまま移設した公園みたいなもの。かなり広く子供たちは貸し自転車を利用している。
林の中にぽつんとある農園で昼食。スープ、川マスのフライ、にんじん、キャベツ、きゅうり添え。クレープのイチゴソースかけ。
ガイドの話では宿泊施設やサウナ風呂もあるそうだ。そしてサウナは今風の物と昔風のスモークサウナというのもあると言う。食事が終わってバスで出発した後に言うから見学は出来ない。
道路は舗装され平面交差ながらも信号がなく、こちらが優先道路なので高速道路並みに100km/hで走れる。
パルヌ(Parnu、エストニア第3の都市)で少しの間市内観光。カジノの看板があるので覗いてみるが、ビデオポーカーが20台程あるだけ。歩いている間にあと2軒のカジノを見かけるが時間がないので中には入らない。日本の街中のパチンコ屋みたいなものか。
国境越えは15分もかからず。ゲートは1つでエストニアの出国とラトビアの入国を処理し非常に効率的だ。
ホテル・リガには19:30着。6階建て。格式ありそうな古いホテル。エアコンなし、窓を開けてある。道路はさんで前は公園、オペラ座がその一角にありホテルのまん前になる。裏側は旧市街、ホテルも旧市街に属する。このように立地は抜群。
カジノ-2
夕食後3日分の洗濯をし、カジノへ行くのは22:00頃。バスから何箇所かのカジノが見えたがこのホテルにもカジノ・トバゴがあるのでここにする。パスポートチェックあり、顔写真も撮る。
23:00までやって30ラッツ(6,000円)の勝ち。この金額では勝ったうちに入らないけれど。
ルーレット2、ポーカー5、ブラックジャック2という構成。スロット、ビデオはなし。トバゴの内装、ディーラーの衣装は海賊をイメージしたものとなっている。受付嬢はワインレッドのビロードのロングワンピースを着て暑苦しい感じ。皆美人ではある。
8月20日 リガ市内観光
早朝散歩するも小雨がぱらついてきたので30分ほどで切り上げる。今日からガイドはリトアニア人の青年。交換留学生として1年間早稲田で勉強してリトアニアに帰ってきたばかりと言う。25歳、名前はオリユ。(略称、本名は長たらしく覚えられない。)

早朝のリガ旧市街
ソ連時代のバルト3国のガイドは、ロシア経由で来る場合にはロシア人ガイドが最初から最後までやっていたが、独立後はロシアのガイドはバルト3国で働けなくなり、バルト3国のガイドは仕事が増えましたと言う。
旧市街観光後市場へ。物は豊富にある。でもお金がないんですとも言う。平均月収$300。これはモスクワ、ペテルブルグと同じ位。市場の中では魚は魚売り場に、野菜は野菜売り場に、肉は肉売り場にとはっきり分かれている。大きな建物(ドイツ占領時代の飛行船格納庫)の中には入りきらず、外に大きなパラソルを立てその下でも販売している。

市場の中で
市場ではイクラとオイルサーディンの缶詰を購入。残念ながら値段を忘れてしまったが結構おいしい。

リガ市街
「ソ連時代にもバルト3国にはスーパーが2軒あったんですよ。ロシア人が沢山見に来て買い物をしていきました。」と日本語でオリユさんは説明してくれる。
昼食は農家。リンゴなど沢山の果樹を植え、養蜂もし、なるべく自給自足できるようにしている。家も手作りだそうで屋根には木片を並べてある。
ポークの塩味が程よくおいしかった。食堂は30人なら座れるようになっている。観光客を意識し、ここから現金収入を得ているのだろう。
ペンライトの先にファイバーの束を付け、スイッチを入れるとファイバーが色々な色に輝くおもちゃを買い持っていった。この農家に土産として渡すと非常に喜んでくれる。
チャッカマンという100円ライターを大きくした、ガスコンロやごみに火を点ける物も買って持っていたのだけれど、成田空港の最初のX線でひっかかり没収されてしまう。
昼食後はチェーシス(Cesis)へ。ここはドイツ騎士団の本拠地。先住民はリーブ人というがドイツ騎士団により絶滅。(プロイセンも名前は残るがプロイセン人はやはりドイツ騎士団により絶滅。)それからドイツ商人がやってきてハンザ同盟の一員になったそうだ。オリユさんの話だと、ドイツ人の最初の目的は木材だったそうだ。ここの木材でローテンブルグはじめあちこちで木造5階建て、6階建てなど作ったのだろう。このようにラトビアとドイツとは関係が深い。
リトアニアはポーランドと隣同士で、ポーランドの影響を色濃く受けている。3国では唯一のカソリック。
バルト3国とまとめて呼んでいるが、民族も言葉も全て違っていて、簡単に言うと上記のようになるが、実際にはそんな単純なものではないとオリユさんは言う。
それはそうだと思う。長い歴史の中で、ロシアの侵略、植民地、ドイツの侵略、スエーデンやポーランドの侵略もあった。常に周りから圧迫を受けてきた歴史だ。共通しているのは3国ともロシア嫌い。ドイツの侵略は昔の事と思っているかどうかは分からないが口には出さない。
カジノ-3
今日の夕食はツアーに含まれていない。夕食前にカジノ・トバコへ行く。昨日のテーブルには先客がいて大きく賭けている。別のテーブルへ行くがいまひとつ調子が出ない。昨日稼いだ30ラッツを負けると財布を出す気になれず、別のカジノへ行く事にする。
100m程離れた所にあるカジノ・ラビリンツ。ビルの地下1階にある。階段降りていった所がテーブルゲーム。壁際にルーレット1台、ポーカー3台、ブラックジャック1台と並んでいる。テーブルゲームを過ぎると突き当たり、右に曲がったところにスロットがある。全体にこぢんまりとしている。スペースに余裕はなく内装もシンプルでゲームセンターぽい。
こちらの人はポーカーが好きらしく、どのカジノでもポーカーには客が着いている。ブラックジャックにはいたりいなかったり。
このカジノ・ラビリンツの良い所はミニマムが1ラッツ(200円)と遊びやすい事だ。1時間程遊び最後の1枚から盛り返し元になったところで夕食に行く。
ホテル・リガ内の中華。再度焼きそばに挑戦するもソース焼きそばみたいなものが出てきてやはり不満足。
またラビリンツへ。23:30までねばるが$200の負け。今回唯一メンバーズカードを作ってくれる。飲み物はフリー。
8月21日 リエパヤ(Liepaja)
昨晩遅かったのと慣れてきたせいか、モーニングコールの6:00まで寝ている。朝の散歩はなし。

リエパヤ軍港

中は立派
工場跡地の横を通りバスは郊外へと進む。どこへ行くのかと思ったらソ連時代に作られた集合住宅の見学だ(車窓から)。
やはり外観はぼろぼろ。ソ連海軍が引き上げてからは仕事を探すのが大変なそうだ。でもどの家の窓にもきれいに刺繍されたカーテンが掛かっている。独立後の心意気みたいなものを感じる。教会への寄付が少しになってしまうのは致し方ないことだ。
リエパヤの市場にも寄る。やはり物はふんだんにある。このあたりから琥珀の土産物が目立ってくる。額に入った絵が沢山並べられている。殆ど風景画。木の葉が茶色い。葉の所に琥珀のかけらを糊付けしてあるのだ。
「琥珀はリトアニアのほうが安いですから。」とオリユさん。
リトアニア入国
リトアニア入国。ここでオリユさんに質問する。
「リトアニアでは、ロシア産でもポーランド産でもいいんですけど、スタルカを売っていますか。」
「スタルカは元々リトアニアのものです。どこででも売っています。」
ガソリンスタンドでトイレ休憩。併設されている売店ではお酒も売っていて(ちょっと怖いけど)スタルカも置いてある。1本購入。14.5リタス(約600円)。
夕食の時にやはり皆さんに毒見をして貰う。でも皆あまりお酒を飲まない。だんだん身元が分かってくる。
同年輩の男性は三重県の高校の地理の先生。お酒は飲まない。趣味は俳句、短歌、旅行記。農業の合間に学校へ行くと言う。地下水の研究で県民栄誉賞を貰ったと言う。×イチ。
60歳近い女性もアルコールは駄目。注射の時の消毒アルコールでもアレルギーが出ると言う。独身。ある程度の年齢の時に縁談もあったのだけれど、「いまさら苦労しなくたっていいじゃないか。食っていけるんだし。俺と一緒に暮らそうよ。」と男親が言ったから、結婚しなかったと言う。でも男親の面倒を見ているのは弟の嫁。非常に感謝しているとも言う。
年寄り4人組は少しずつ飲んでおいしいと言う。4人組は弁護士とそのお客。弁護士は単身参加、もう一人の単身参加はコンビニチェーンの元役員。あとは夫婦で会社経営者。旅行好き。去年は夫婦で4回も旅行に行ったと弁護士が言う。すると、奥さんは去年だけで合計7回も行ったと旦那は言う。
煙草を吸う人は誰もいない。バスの中で皆結構居眠りをしているがホテルでは何をしているのだろうか。出かけている様子もない。私がバスの中で居眠りをするのは、朝の散歩と、皆と一緒の日中の観光、夜のカジノで疲れるから。弁護士に夜は良く眠れますかと聞くと、睡眠導入剤を飲むから良く眠れると言う。
クライペダ(Klaipeda)でフェリーに乗り対岸へ渡る。渡った所から細く、長く(地図で図ると100km)、緩やかに弧を描き南南西の方向に伸び、ロシアの飛び地カリーニングラードにつながっている。西側は外海でバルト海、東側は内海。京都府の天の橋立のよう。ここにヨーロッパ唯一の砂丘があり世界遺産になっている。リトアニアにはここと旧市街の2箇所の世界遺産がある事になる。
しかしたいした砂丘ではないな、これなら鳥取砂丘の方が立派だな、とは弁護士さん。
またロシア領へ
天の橋立の中ほどに国境がある。1時間かけてロシア領カリーニングラード(Kaliningrad)に入国。
予定よりだいぶ遅れて21:00頃ホテル・モスクワ着。カリーニングラードで一番いいホテルというけど本当かな。古く入り口は昔のヨーロッパ映画に出て来るアパートの入り口みたい。
蚊がいるので早速蚊取り線香の出番。夕食が終わったのは22:00であったが明日の出発は遅いので出動。

ホテル・モスクワの入り口
カジノ-4
うっかり着替えるのを忘れ、スニーカー、綿パン、ジャンパーで出てしまう。ホテル前で腕を前に出し流しのタクシーを拾う。
外からカッジーノと言うと、カッジーノ・バンダ?と聞くからダー。(カジノ・バンダはIn your pocketに出ている。)
How much?と聞いても返事がない。How muchが通じないのは初めて。まあいいや、と取り敢えず乗り込む。
初めての所で長く感じるが5~6分か。着くとストークと言う。こちらもさっぱりと分からない。数字は1,2,3のアジーン、ドバー、トリしか覚えていない。1,000ルーブルの4,000円では多過ぎるな。100ルーブル札を見せるとダーとうなずく。400円程だ。
ドアボーイのじいちゃんが、ジャンパーだけ脱いでくれと仕草で示す。カジノは2階。真ん中に丸いステージがある。入り口から見て右側にバーとキャッシャー。それ以外の所はステージを囲んでレストラン用のテーブル。テーブルの外側を布の衝立で仕切りカジノのテーブルゲームが弧を描くように並んでいる。
ルーレット1、ポーカー2、ブラックジャック1。客は2人。ポーカーで遊んでいる。ブラックジャックを開けてもらう。
$100両替し3,000ルーブル。1時間程遊んで100ルーブルチップが8枚になってしまう。4枚ずつ2箇所に賭けて取られたら終わりにしよう。
ここでディーラーが替わる。女性から男性になる。1回勝ち、1回負ける。そのあとどういうわけか連勝。10分もしないうちに10,000ルーブルを突破。でもその後が続かない。負けて手持ちが10,000ルーブル丁度で終わりにする。キャッシャーに行くと先程両替をした$100と7,000ルーブルを払ってくれる。
8月22日 カリーニングラード市内観光
朝ホテルのレストランはドイツ人でいっぱい。
ドイツ人は第2次世界大戦後殺されたり、シベリア送りになったり、ドイツ本国へ逃げ帰ったりしてケーニヒスベルクから1人もいなくなる。そしてケーニヒスベルクはカリーニングラードと名前を変える(ケーニヒスベルクの前はプロイセン)。
観光客の殆どはドイツ人だそうだ。お金を出し合い古いドイツ時代の建物の復旧などしているということだ。
レストランの混雑のため時間調整に30分程メインストリートを散歩。公共の乗り物は路面電車、トロリーバス、バスと他都市と同じ。
午前中市内観光。カントの墓のある教会など。この教会ではボランティアの歌う賛美歌など聴かされる。前回のロシア旅行でも同様なことがあった。ロシア人はこういうスタイルが好きなよう。
土産物屋にも行く。圧倒的に琥珀。琥珀の全世界の生産量の90%がカリーニングラード、リトアニアの海岸で取れるそうだ。300円位の物から色々。万を越える物はない。全てガラスケースに入れられている。部屋の隅にはガードマンが客の邪魔にならないように立っている。腰に皮ケースに入れられた拳銃を着けて。でも武装したガードマンを見たのはここだけ。
カリーニングラードの平均月収は$100。琥珀は多分リトアニアより安いだろう。数個しか買う予定のない私は後輩のオリユさんに義理立てしてリトアニアで買うつもり。他の人たちは買うこと買うこと。特に年寄り連中はものすごい勢いで買っている。
昼食はホテルのそばのカジノで。カジノでの昼食は初めて。でもカジノのレストランはどこも水準以上。サラダ、スープ、チキン、デザート、コーヒー。他にも3人が食事をしている。レストランは2階、カジノは1階。料理を待っている間カジノを眺めている。客は誰もいずルーレット2、ポーカー3、ブラックジャック1。食後の空き時間がなくプレーは出来ない。
ガイドのマリアンさん(ロシアなのでガイドはオリユさんから替わっている)に、カリーニングラードには何軒のカジノがあるのですかと聞くと、8箇所という返事。

琥珀にシートをさっと被せる
リゾート地にはドイツ時代の木造建築もあるが高級一戸建て住宅が並んでいる。昔なら共産党幹部の住宅か別荘かというところ。今では政府幹部やロシアン・マフィアの住まいか。
カジノ-5
夕食前、昼食を摂ったカジノへ行く。15分程たった頃ロシア人が隣に座る。チップ交換に出したお金は1,000ルーブル札100枚、500ルーブル札100枚。100ルーブルチップをちまちま賭けている私は即退散。
夕食後昨日と同じカジノ・バンダへ行く。20:00前。入り口に若いボーイがいるので「カッジーノ」と言い、2階へ上がろうとすると何か騒いでいる。ドアーを指差しているので見ると、21:00オープンと書いてある。
少しホテル側に戻った所にもカジノがあるのを、昨日タクシーの中からチェックしておいた。歩いて行くとやはり21:00から。ここはホテル・カリーニングラードの1階。
ホテルの前の広場で男女2人組が歌を歌っている。ビール1杯(30ルーブル)買って歌を聴くが、1杯では30分持たせるのがやっと。ホテル内のバーへ移動。ジントニック1杯。225ルーブル。22.5と勘違いして30ルーブル出すと「ノー!」。That’s expensive。200ルーブルを追加する。
ホテルの売店に琥珀の小さい置物がある。大きさ2~3cm。ウサギとフクロウを購入。2個で510ルーブル。
ようやく21:00を過ぎる。カジノに入って驚いた。ブラックジャックのミニマムが2,000ルーブル。バンダの20倍。座りもせずに出る。
バンダへ移動。でもどんどん負ける。昨日勝った7,000ルーブルもあっという間に負け、$100追加。昨日勝たせてくれた男性ディーラーはいない。23:00過ぎようやく挽回できて10,000ルーブルになったところで終了する。何とか元になる。
外に出るとじいちゃんドアボーイが寄ってきてタクシーを呼んでくれる。ホテルに着いてからストークと言って100ルーブル札を渡すと非常に喜んで握手を求めてくる。どうも最初の運転手がぼったよう。でも400円程度でこんなに喜んでもらえるならぼられても良いか。じいちゃんにも100ルーブルをチップとして渡したから驚いているかもしれない。あとで簡易辞書を調べると100はCTO(ストー)と書いてある。最後のクは何なんだろう。
8月23日 カウナスへ
朝の散歩はホテルの裏の方へ行ってみる。大通りからホテルの横を左に曲がり、ソ連時代の集合住宅の前を通り、突き当たって右に曲がりまた右に曲がって大通りに戻ってくるコースだ。
大通りに戻る少し手前に高級マンションが建っている。完成したばかりでまだ未入居のよう。その奥にも工事中の高級マンションがある。マフィアは一戸建てというから、カリーニングラードにもニューリッチが続々誕生しているのだろう。

完成したばかりの高級マンション
8:10出発でリトアニアへ向かうが、なんとロシア出国に4時間かかってしまう。リトアニアの入国手続きは15分。カウナスに着いたのは16:00。昼食が終わったのは17:00。ここでオリユさんと合流。
カウナスはオリユさんの住んでいる所で、大張り切りで市内案内。
やはり日本人にとっては旧日本領事館が最大のものだろう。
朝起きると領事館の前に沢山の人が行列を作っている。何の行列だろうか。まさか自分に用があって行列を作っているとは思わなかったよう。ポーランドから逃げてきたユダヤ人がビザを発給して欲しいと並んでいるのだ。
日本本国へ相談するも、ナチスドイツと同盟を結んでいる日本政府は許可しない。何日もやりあい埒が明かなかったが、杉原さんは決断する。人の命は大事だと。6,000枚ものビザを発給する(通過ビザだがそれでも大変なこと)。ユダヤ人たちはこのビザを持ちシベリア鉄道でソ連を通過。日本経由でアメリカや南米に渡って行ったという。

旧日本領事館
旧日本領事館にはウィダウタス・マヌグス大学の日本語センターがある。オリユさんはここで日本語を学んだと言う。
カジノ-6
ビリニュスまで1時間半。今日の宿ホテル・ナウヤシスの続きにカジノ・オリンピックの看板あり。行ってみるとスロットだけ。
従業員にテーブルゲームはないのか聞くと、100m程離れた隣のホテル・リエトゥーバにあると言う。
ここもカジノ・オリンピック。中は広く、明るく、きれい。クリームホワイトのサンドストーンを基調にした内装。従業員の笑顔がすばらしい。ゴリラ(私服のガードマン)まで顔を合わせると笑顔でハローと言う。ロシア、バルトの中では最高のカジノだ。当然ヨーロッパの中でも上質の部類に入る。
ここはブラックジャックが多く7台。ポーカー5、ルーレット4、バカラ2、それにスロットという構成。テーブルに座るとすぐに飲み物を聞きに来る。ジントニック。最初の1杯無料、2杯目から有料。やはり多少アルコールが入っている方が調子が出る。500リタスを使って1,300リタスの戻り。800リタス(24,000円程)の勝ち。
バスの中や食事の時、どうしたらリトアニアをもっと発展させられるかという話が出る。日本の大企業の工場建設などは東欧でもチェコやハンガリー止まりだろう。バルト3国がEUに加盟しても難しいかもしれない。
弁護士さんはもっと農業の規模を大きくしろと言う。バスから見ていて、小麦畑にしても酪農にしても規模が小さいと言う。
私は温泉はどうだろうかと提案する。山もないし地震もないからお湯は出ないだろうが、地下水の水質検査をすれば何かしら含まれているだろう。沸かして温泉にし、保養施設を併設したらどうだろうか。金持ちの国の年寄りを狙って世界遺産と抱き合わせで売り込んだらどうだろうか。
それとスキンヘッドのネオナチを何とかしなければと言うと、オリユさんはネオナチのことを知らなかった。
日本外務省の危険情報やガイドブックに、スキンヘッドのネオナチが東洋人に対していきなり殴りつけるから注意、と出ている。
「それは初耳です。そんな人いないですよ。」
8月24日 ビリニュス市内観光
ビリニュス旧市街を徒歩にて廻る。大聖堂や、ナポレオンが持って帰りたいと言った聖アンナ教会など。琥珀博物館へも行く。
博物館といっても琥珀屋がやっているもの。白い琥珀が最高級品だそうだ。ちょっと見は象牙のよう。
ペンダント・トップを3個購入。あともうちょっと地中に埋もれていればきれいな琥珀になれただろうなキーホルダーも。
最初は分かりづらいと思った旧市街も、大通りを往復すると頭の中に入ってくる。

大通り 琥珀売りのおばちゃん
昼食はフリー。焼きそばの禁断症状の出ている私は、路地奥に中華料理屋を見つけて入るが、麺類はやっていないと断られる。大通りに戻りスパゲッティーにする。道路沿いパラソルの下で食べ、道行く人を見ているがスキンヘッドはいない。ぶらぶら歩いている時も見かけない。お昼ではまだ寝ているのかもしれないが。
大聖堂横の丘の上に砦がある。皆で歩いて登りビリニュスの街を一望する。丘の登りと階段の登りで結構きついが、年寄り4人組は「なーにこれくらい大丈夫ですよ。」と上がってくる。帰りはロープウェイ。ロープウェイの発着場は徒歩の登り口の反対側にあり登る時には気付かなかった。出来てまだ1週間たたないと言う。最初の1週間は無料ということで運よく只で乗れる。

砦から見たビリニュスの街
午後はトラカイ、テレビ塔、杉原通りの予定。トラカイに行く前にスーパーに寄ってもらう。スタルカを購入。前回買ったスタルカの標準品の他にプレミアム品、エストニア産のスタルカも置いてある。標準品3本、プレミアム品1本、エストニア産1本購入。ツアー全員のアルコールの土産はスタルカになる。
トラカイ城は湖の中の小島に建てられている。城主はトルコ系の人を傭兵として雇う。その子孫200人程が独特の文化を守りまだこの近辺に住んでいるという。でも200人では血が濃くなってしまうので同化せざるを得ず、独自文化を守るのは難しいだろう。

トラカイ城
テレビ塔はビリニュス郊外の住宅地にある。1991年独立を宣言した時に、ソ連がテレビ塔を占拠するというので、それを阻止するために住民が手をつなぎテレビ塔を守ったそうだ。しかし不幸にもソ連の戦車に轢かれて亡くなった人もいる。十字架が建ててあり亡くなった人達の写真がある。
「その時の様子がテレビで全世界に放映されたんですよ。それでソ連はあきらめて独立を認めたんですよ。テレビの力はすごいですなー。」と弁護士さん。
でもやはりすごいのは住民の方だ。オリユさん一家もこの時ビリニュスに住んでいて、お母さんはこの輪に加わったそうだ。仕事が終わってから夜加わったと言う。オリユさんは12歳。お父さんは病気で亡くなっていて、お姉さんと2人で留守番というから心細かっただろう。
杉原千畝を記念してリトアニア政府が通りに名を付ける。そのものずばり杉原千畝通り。通り沿いにはまだ建物は少ない。1軒の会社の前の住所表示は漢字で杉原千畝3となっており、社用車のボディーにはリトアニア語でスギハラドオリ3と書いてある。(多分)
カジノ-7
夕食後昨日と同じカジノへ。今日は年寄り4人組のうち社長夫妻が着いてくる。彼らはルーレット。私も少し付き合うがやはりブラックジャックへ。昨日のテーブルには先客がいて1人でやりたいというので他のテーブルへ行く。
全然駄目、アルコールを飲んでも駄目。最後に2箇所に賭けてカリーニングラードのように挽回を、と思ってもあっけなく負け。22:00には昨日勝った800リタス全てなくなってしまう。
明日は4:00起き。これで終わりにする。社長夫妻は旦那さんが負け、奥さんが勝ちでトータルとんとんとの事。
8月25日 モスクワへ
4:45発でモスクワへ。モスクワ発は19:10なので日中モスクワ市内観光の予定。でも入国を拒否されてしまう。モスクワ、カリーニングラード、モスクワと3回ロシアに入国できるようにビザを取ってあるのだが、カリーニングラード入国の時にロシアの係員が間違えて判を押したために有効なビザがないという話だ。
間違えたのが同僚であってもニェト(ノー)。添乗員とロシア人ガイドがイミグレーションの仕切り1枚はさんで打ち合わせをしながら2時間粘ったがやはりニェト。もうロシアには来ないにしよう。
でもロシアも少しずつ変わってきている。空港の免税店に入ると、“May I help you.”と店員が寄ってくる。これだけでもたいした進歩だ。
最後の夕食の時にオリユさんに頼みごとをする。スタルカはじめリトアニアのお酒を20本送って欲しいと。費用として$250渡す。帰ってきてから家で話をすると上の娘が「ババされちゃうんじゃないの。」と言う。可能性ゼロではない。
「彼もお金がはっきりしてからでいい、と言っていたんだけれど、それではなかなかやらないだろうから先にお金を置いてきた。多分大丈夫だろう。」

左からプレミアムスタルカ、スタルカ、エストニアのスタルカ
第29報終わり

ベルテルスマン世界地図帳より拝借

日程表