テニアン

2003年5月6日~5月9日  

テニアンに決定
 5月はヨーロッパ、と思いポーランドへ行くことにする。インターネットで色々調べるとレンタカーが異常に高い。アメリカの倍以上する。これでは個人旅行は無理と判断し(列車やバスは私には向かない)、阪急交通社のツアーに申し込む。しばらくして人数が集まらないので中止との連絡が来る。イラク戦争の影響か。
 JALよりタイミングよくメールが来る。マイレージのディスカウントの案内だ。5月6日以降の出発だがサイパンに12,000マイルで行ける。通常だと20,000マイル必要。1月のオーストラリアのタウンズビル往きでもJALのマイレージを使い、14,000しか残っていないから、渡りに船とばかりに申し込む。
 5月6日出発の9日帰国。10日はお客様への集金日なので9日の帰国にするが、カレンダーをよく見ると10日は土曜日。集金日は12日の月曜日にずれ込む。しまったこれなら11日の帰国でもよかった。
 JALは只券のディスカウントだから変更は認めないと言う。
「あんたはカレンダーも見ないで旅行の計画を立てるのか。」と奥さんに言われてしまう。
 「テニアン」とインプットしインターネットで検索してみる。
 ネイティブ以外では初めてマゼランがテニアンを見つける。スペイン領を宣言。その後ドイツ領となる。第一次大戦後日本がドイツより譲り受ける。このとき日本は戦勝国側、ドイツは敗戦国。日本はジャングルを開拓しサトウキビを栽培。台湾に次ぐ砂糖生産地になる。人口の一番多いときで軍民合わせて1万5千余。
 太平洋戦争が始まり日本軍は飛行場の建設を始めるが、完成前に米軍の猛攻を受けほぼ全滅。生き残った軍人2名。そのうち1人がインターネットで手記を公開している。
 米軍は飛行場を完成し、滑走路も2,500m級を4本作る。一番忙しいときには45秒おきにB-29が飛び立ったそうだ。東京大空襲そして広島、長崎への原爆投下も皆ここから飛び立っている。
 唯一の近代的ホテル ダイナスティーにカジノがある。ここは1998年に建設されるが、さあオープンというときに従業員のストライキにあい1年半程営業が遅れている。
 通常の部屋で$260/泊と出ている。レストランは和食、洋食、中華とあるが何人もの人が味はいまひとつと書いている。
 おいしいのはJCカフェ、名鉄フレミング・レストランとも出ている。名鉄フレミングは名鉄の子会社の経営でホテル、ストアーも営業している。ホームページを覗くと$60/泊だがネット割引で50%オフの$30/泊。レストランも20%オフ。このところ景気が悪く私の給料もダウンに次ぐダウンだから名鉄フレミング・ホテルに申し込む。
5月6日 出発からホテルまで
 成田空港では半数以上の人がマスクをしている。SARSのせいだ。私も奥さんから手渡されているので着けてみる。マスクなど子供のときもしたことはない。出国検査のときに「あのー、マスクをはずしていただけますか。」と言われる。帽子をかぶってメガネをかけ、マスクをしているのだからチェックできなかったのだろう。
 飛行機の席は03G 。グレードアップしている。ディスカウントの只券なのに、感謝。
 サイパン空港外に出て、やっとのこらさでテニアン行きカウンターに到着。いくらの距離でもないが分かりづらい。
 フリーダムエアー。$55で往復申し込む。フリーダムエアーは6:45から18:00まで13便をテニアンへ飛ばしている。ロタ、グアムにも2便設定してあるが今日は2便ともキャンセルになっている。30分ほどして出発。客は3人、日本人は私だけ。単発7人乗り(操縦士含む)。ふわりと浮かぶとテニアン島はすぐ目の前。10分もかからずにテニアン空港に着陸。
 ダイナスティーは$260も取るだけあって直通電話が空港に置いてある。受話器を取るだけでつながる。
 教わったとおりに25セント玉を入れ番号をプッシュするがフレミング・ホテルにつながらない。何度やっても駄目。見かねて空港関係者がフレミングに連絡してくれる。後で聞くと35セントに値上がりしているとのこと。
 部屋は105号室。3ベッドルーム。幸いなことにバスタブがある。早速風呂だと蛇口をひねるがお湯はちょろちょろとしか出ない。鏡の上の注意書きが目に入る。
「テニアンでは水は貴重品です。なるべくシャワーのみお使いください。」
 $30では仕方ない。シャワーを浴びる。
 18:00から夕食。いきなりだがステーキを頼む。サラダとご飯付き。ご飯は長粒米。味はまあまあ良い。$18。
名鉄フレミング・ホテル、ストアー、レストラン
カジノ-1
 フレミングのスタッフの杉本さんがダイナスティーまで乗せて行ってくれると言っていたが、用ができ遅くなりそうなのでダイナスティーの車を呼びました、と言いに来てくれる。
 カジノはがらがらで客は多く見積もっても30人。数人の韓国人らしき人以外は日本人。大きさは30m×70m位か。
 入って右側1/4はスロットマシーン。左端に競馬ゲームコーナー。真ん中大きくテーブルゲーム。ルーレット4台、ポーカー8台、バカラ4台、ミニバカラ8台、大小3台。いつも私が遊ぶブラックジャックは8台。この他ドアーの向こうにVIPルーム。
 ここは中国資本というから中国人が好きな大小、バカラのテーブルが多いのだろう。しかしSARSのせいで、中国で出国禁止かサイパンの空港で入国を拒否しているのか分からないが、中国人らしきプレイヤーはいない。
ダイナスティー・ホテル&カジノ
 客の何倍もいそうな従業員は殆ど中国人。SARS騒ぎで帰れないとこぼしている。
 21:00頃杉本さんが迎えに来てくれるがまだ早いのでパス。フレミングの日本人スタッフは21:00で業務終了のよう。
 この後ついてきてそして落ち目になったのは22:00頃。$200使って$700になったから$500の勝ち。
 7,7と来たときにディーラーの手持ちの札が5だったのでスプリットにするとまた7が来た。全部同じマーク。ここにもスリーセブンがあって同じマークの7が3枚来ると$1,000ゲットとのこと。でもそれように$1を賭けていなければならないのに、$1を置く場所がラシャには描かれていない。
 ホテル受付に行きタクシーを頼むとないと言う。テニアンにはタクシーがないのだ。泊まっているフレミングへ電話して迎えに来てもらえと言う。受付の反対側にいるベルボーイの所へ行き頼むと、もうじきホテルの車が帰ってくるから5分程待てと言う。
 来るときはチップとして$1を渡したが、今回ははずんで$5を渡す。
5月7日 ストアー
 島内観光ツアーを頼んであるが10:00出発とのこと。フレミング・ストアーを覗いてみる。
 米はタイ産の長粒米、オーストラリア産の短粒米が10kg袋、25kg袋で通路に積んである。醤油はもちろんワサビ、和からし、生にんにくのチューブ入り、鰹節も置いてある。野菜、アルコール類、ビーチサンダル、化粧品と何でも売っている。
 真っ赤に日焼けしたおじさんが「今日もいい天気だねえ。」と入って来る。きっと日本人だろう。
 日本の8倍は辛いテニアン唐辛子というのを売っている。テニアン土産に最適とも書いてある。何個か購入。
 「あっ、これ私が作っているんです。」と日本語で女性の声。
 この大きさでは1年以上持ってしまうから半分の大きさにしたらどうですか、買いやすくもなるし。とアドバイスをする。が意味を取り違えてか3年は持ちます、と言う。やはり朝鮮系の人か。このストアーは結構はやっている。
ストアーの陳列棚
散歩
 ストアー見学をしてもまだ早いので近所を散歩。警察、消防署、医院とかたまってある。医院には医者は常駐しておらず看護婦がいるだけだそうだ。患者が来るとサイパンの病院に電話をし、医者の指示を仰ぐのだそうだ。
 このちょっと先にKim’s Marketというストアーがある。入ってみると規模、商品構成はフレミングと同じ。朝鮮系の人たちも結構いるが、戦前戦中に日本軍が強制的に連れてきた人たちとその係累。こういう人は樺太にもいる。日本人は引き上げられたが、彼らは誰の援助もなく引き上げられなかった。
 拉致問題で突っ込まれると、金正日はそれじゃ日本は昔何をしたんだと開き直るのはこういうことを言っている。でもそれは違うと思う。拉致、覚醒剤、偽札など現代国家のやることではない。北朝鮮とは国交がないからまだ賠償していないが、韓国には謝罪し、そして当時の日本が持っていた外貨の半分以上を賠償金として支払っている。莫大な金額だがそのお金は個人に渡っていない。今も従軍慰安婦として連れて行かれた人たちや、鉱山や建設現場で強制的に働かされた人たちが、賠償金や未払い給与を払うよう訴訟を起こしている。これは解決済みだ、時効だといわずに払ってあげればいいと思う。
島内観光
 10:15出発。ホテルからバスに乗ったのは私と中年夫婦。この夫婦は今朝飛行機でサイパンから着いて、日帰りのテニアン観光だそうだ。1分で港に着く。10:30着のフェリー待ち。ここで新婚さんらしいカップル、若い女性2人が合流。こちらもサイパンからの日帰り観光。
 港前の公園内のタガ・ストーン。大きな直方体の石の上に丸い石を乗せた物。この石は家の柱とか高床式住居の土台の石とか言われているがはっきりしたことは分からない。
 日本人慰霊団が作った慰霊碑。出身県別にある。長野、愛知、岐阜と中部地方が多い。
 酋長専用といわれているタガ・ビーチ。非常に狭い。幅10m、奥行き3~4mか。狭くても酋長1人なら問題ない。
タガ・ビーチ
 ブロードウェイを北上。テニアンがマンハッタン島に形が似ているというので、ほぼ真ん中を南北に走る道をブロードウェイと名付けたという。ブロードウェイは9kmまっすぐ。南端の西側にタガ・ビーチがある。北の端にはB-29が飛び立った飛行場。飛行場手前の旧日本軍通信局、日の出神社鳥居は車窓見学。
 旧日本軍通信局は最近までテニアン牛の処理場として使われていたという。外観は銃撃の穴だらけだが中には最新式のアメリカ製冷蔵庫があったという。今ではテニアン牛そのものが減ってしまって使われていないという。
 鳥居はコンクリート製で道路端にあるので残っているが、奥の二の鳥居、神社はジャングルに埋もれてしまったそうだ。
 次は潮吹き海岸。テニアン島は珊瑚礁が隆起してできた島でいたる所に洞窟がある。洞窟のひとつに波の浸食で天井に穴の開いたものがある。波が来るたびに潮をブオーっと噴き上げる。
潮を噴き上げたとこ
 飛行場の4本ある滑走路のうち一番北にある滑走路にはエーブル滑走路と名前が付けられている。エーブル滑走路とすぐ南側のもう1本は空からもよく見えるが、残り2本はジャングルに覆われてはっきりとは分からない。
 エーブル滑走路中央北側に広場があり原爆搭載所がある。100m程離れて2箇所に。1m程ピットを掘って原爆を置き、そこへB-29がピットを跨ぐように入ってきて原爆を吊り上げ搭載したとのこと。
原爆搭載地点 No1
 日本空軍司令部跡。鉄筋コンクリート製2階建て。がっしりした骨組みが残っている。トイレ、流し、風呂場が残っている。外には丸いコンクリート製の貯水槽3箇所。天水といって雨水を貯める物。
日本空軍司令部跡
 チュル・ビーチ。砂に星型の珊瑚のかけらが混ざっている。米軍が上陸した所。このころには日本本国からの補給物資は殆どなく45分程の戦闘で日本軍は全滅だったそうだ。対する米軍は日本軍が作った飛行場を手に入れるべく大艦隊で攻撃してきたのだからたまらない。
 ビーチ見物の合間に現地人のバスの運転手はジャングルの中から野生の唐辛子を見つけてくる。真っ赤で長さ2cm、太さ4〜5mmでぷっくりしており見るからに辛そう。これを粉にするのは大変な作業だ。目なんか開いていられるのだろうか。
 12:30ホテル着。中年夫婦はフレミング・レストランで食事後ビーチへ行く予定。他の人はどうもダイナスティーで食事をしてからカジノ見物のよう。
 私はと聞くとこれで終わりですと言う。午後ビーチへ連れて行ってくださいと頼む。
 昼食はチャロモ風カレーライス、ココナツミルク入り。カレーとご飯が別々に出て来る。結構おいしい。$8.5。
タチョンガ・ビーチ
 酋長専用のタガ・ビーチから南へ歩いて5分程の所にタチョンガ・ビーチがある。唯一ビーチパラソルのある所。
 名鉄系の所の管理人は日本人。ジェットスキー、バナナボート他海の遊びも営業している。変わったものでは海がめ見物ツアーというのがある。
 日帰りツアーの夫婦者はずいぶんと用意がよく、クーラーボックスにビールを入れ、シュノーケルも持参。魚の餌も持ってきている。そして私に言う。海の中の色の濃いところに岩があり魚が沢山います。そこのそばで餌を撒くと魚が寄ってきます。
 名鉄ストアーで売っていた魚の餌缶詰から1本取り出し海に入ってみる。(見た目はウィンナソーセージ。)
 胸の高さまで入り、親指、人差し指、中指の3本でこすって細かくすると寄ってくる寄ってくる。浅い所だから大きくても全長20cmまでだが数種類の魚が寄ってくる。シュノーケルなしで立って見ているわけだが、良く見える。さよりみたいな魚はぱっと現れ、餌を取りさっとUターンして消える。
タチョンガ・ビーチ
 魚も慣れていますからと言うから、触れるかと思い試して見るが駄目だった。
カジノ-2
 部屋に戻ってシャワーを浴び、ストアーで買って冷やしておいたワインを飲んでもまだ17:30。ダイナスティーまで歩いて行く。
 途中おいしいレストランとインターネットに出ていたJCカフェを発見。カフェの裏にポーカーの看板あり。テニアンにはこのポーカーの看板が至る所にある。狭く汚い建物の中にポーカーゲーム機が2,3台置いてあるそうだ。観光客向けではない。地元民用だ。
 「こっちの人は働かないで一攫千金ばかり狙ってね。」とは今朝港で会った名鉄ではない観光業の日本人。
 丁度30分でダイナスティー到着。結構大きく賭ける日本人女性と同席。
 「遊ぶのはここかラスベガスのどちらかなんです。ここは良いベビーシッターがいるんです。あっ私、子供がいるんです。ベビーシッターがいい人だと安心して遊べますから。」
 2人とも上昇気流に乗り結構稼いだが急速に下降。女性の旦那さんが来る。
 「あんたが来るからつきが落ちちゃったじゃないの。ねえ。」と、最後のねえは私に向かって。結局今日は元。
 カジノの途中夕食にホテル内の中華レストランへ。
 日本語で「いらっしゃいませ。何にいたしましょうか。」
 「焼きそばはありますか。」
 「どんな焼きそばが良いですか。肉焼きそばなどいかがですか。」
 「シーフード焼きそば。」
 $14。いろんな人がインターネットに書いているようにたいした味ではない。半値なら、こんなものだろうなと思える味。
5月8日 朝からカジノ
 今日の予定は何もなし。島内観光もしたし、ビーチにも行った。ダイビングが趣味ならまた海に、というところだろう。
 またカジノへ歩いていく。この歩くことが体に良い。邱永漢さんご推奨の漢方薬愈消散を月3万円程かけて1年余り飲んだが、グリコヘモグロビンは全然下らない。私には向かないよう。毎日4~50分の散歩に切り替えたら下ること下ること、どんどん下る。7.5あったのが7.0になり、6.5、6.0となり5.5まで下る。薬を飲んでいなければ5.5は健康体の人の数値だ。でも中性脂肪はそんなに下らない。あと邱永漢さんは天仙液という癌に効く漢方薬も推奨している。
 仲良くなったディーラーのDoraちゃんが休憩でブラックジャックのテーブルを離れ、戻って来た時にはポーカーのテーブルに着く。客は誰もいない。暇な私はドラちゃんのテーブルに行き教わりながらポーカーを始める。
やはりやり慣れたブラックジャックのほうが面白いので、2人でブラックジャックのテーブルに移ろうと言うと、ドラちゃんは“私はブラックジャックが強いわよ”と言う。でも2人で勝手に決められない。ポーカーもまたディーラー交代になったので昼食にする。
JCカフェ
 ホテル内レストランは和食、中華ともまだ開いていない。ブロードウェイという洋食レストランのみ営業。朝食と同じようなバフェスタイルなのでやめにする。そうだJCカフェに行ってみよう。こんなに沢山食べて$4、しかもおいしかった、というインターネットの記事を思い出す。暑い中また歩いて行く。
 中は薄暗い。テーブルは9台か、記憶が定かでない。左手にカウンター、その奥が調理場。正面奥に小さいステージ。右奥にビデオゲーム機1台。ステージの向こうがポーカールーム。
 13:00頃のせいか客は私だけ。料理は無国籍というか多国籍というか何でもある感じ。スパゲッティーを頼む。
 肉たっぷりのミートソースが出て来る。味はいまひとつ。$7。この$7は良く見る。フレミング・レストランでも$7の料理は多い。
JCカフェ
午後もカジノ
 5分ほど歩いてフレミング・ホテル。昼寝後ホテルの車がダイナスティーまで送ってくれる。
 客が少なく、ディーラーと1対1で2箇所賭けたり、3箇所賭けたりするがどうも気分が乗らない。ドラちゃんはもういない。
 15:00頃からサウナに行く。カジノと同じ1階。ジャグジーが目当て。
 フレミング・ホテルではバスタブを使わずシャワーのみだが、気候が良いせいか、どうということはない。これなら欧米でも暖かい時期ならシャワーのみの安宿でも大丈夫そう。でもたまには湯船に浸かりたい。
 サウナだけだと$15だがマッサージもやれと、受付のおばさんはしつこく誘う。何回も言われると妥協してしまうのが悪い癖。$60。案の定他の客はおらず貸切状態。浴槽は熱い(42℃?)ジャグジー、ぬるい(38℃?)ジャグジー、水と3箇所ある。ぬるいジャグジーに入りのんびり過ごす。
 45分のマッサージが終わるともう45分やってくれと言う。今度は顔もマッサージすると言う。若い女性に頼まれればいやと言うわけにはいかない。でも56年たって初めて手入れをしても何も変わらない。追加$40。
 夕食はやはり1階にある和食レストラン。寿司コーナー、鉄板焼きコーナーもあるがテーブル席に座る。メニューを貰うと揚げ物ばかり。旅に出るとどうしてもアルコールが多くなるのでヘルシーそうな野菜雑炊を頼む。これがなかなか出てこないでアルコールをお代わりしてしまう。
 最初の晩に7が来たので、二日目の晩にスリー7に賭けてみる。2回来て$50と$125になる。今日もまたスリー7に賭けているが全然来ない。ついてない時には来ないもんだよな、とやめたとたんに7,7と来る。くそっとテーブルを叩くとベビーシッターの彼女の旦那に笑われてしまった。もう1枚貰うと絵札でドボン。ディーラーの持ち札は6だからスプリットするのがセオリーだ。
 結局今日は$100の負け、通算で$400の勝ち。
5月9日 帰国
 朝食はフレミング・レストランでガーリックライスを頼む。
 最初の朝食はAセット。トーストにソーセージ、ベーコン、サラダ、グレープフルーツ。
 二日目はBセットその1。ゼリーカップのチャーハンにハムたっぷりのオムレツ、サラダ、グレープフルーツ。
 Bセットその2はチャーハンの代わりにガーリックライス。
 今朝はその2を頼んだつもりだけれど来たのは皿いっぱいのガーリックライス。価格はいつのも半分の$3。
 3泊して朝食3回、昼食1回、夕食1回含めての合計が$132.20だ。安いよね、よその1泊分だ。あとから気がついたのだが島内観光代が抜けている。忘れたのか、宿泊客は只なのか分からない。
 フレミングの車で送ってもらいテニアン空港には9:00前着。
 サイパン行きは9:00。定刻になっても動く気配はない。
 軍人らしい若いがっしりした人、サイパンにちょっと用足しに行くようなおばあさん、中年の現地人とぽつぽつやってくる。
 9:30頃飛行機に乗れと指示がある。乗ってみて驚いた。
 さっきのおばあさんが操縦席に座っている。うそでしょ。
 席に着いて後ろから良く見ると、おばあさんの着ているシャツにはFreedom Airと小さく沢山プリントしてある。それが模様になっている。
第28報終わり
テニアン全体図

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