マルタ

2002年1月4日~1月11日  

ヨハネ騎士団
 イタリアの長靴で蹴飛ばした石がシチリア島なら、そのかけらがマルタ島ということになる。小さい島だがひとつの共和国。
 このマルタ島を有名にしたのがヨハネ騎士団とオスマントルコとの戦い。ヨハネ騎士団はもともと聖地エルサレムへの巡礼者が病気になったときに看護をしたりする慈善団体であったが、だんだんと武力も持つようになる。団員はヨーロッパ各地(当時で8カ国)の貴族の次男坊、三男坊が多かったよう。
 ロードス島に本拠を構えたときにオスマントルコと戦い、撃退したりトルコ帝国に上陸したりもするが、やがてロードス島を追い出されてしまう。しばらくしてマルタに本拠を構える。マルタ島は入り江が多く、艦隊の充実していたヨハネ騎士団にとっては格好の軍港だった。ヨハネ騎士団の収入は、団員の家族を含めたキリスト教徒の寄付とトルコの船を襲っての略奪だった。
 1565年オスマントルコは5万人近い兵力でマルタを攻める。守るマルタ側はヨハネ騎士団とその援軍で1万2~3千。これが有名なグレート・シーズ(大包囲作戦)。これはすさまじい戦いで、捕虜の首をちょん切り大砲に頭を詰めて敵に打ち込んだこともしたという。
 2ヶ月余りの戦いの末ヨハネ騎士団は何とかオスマントルコを撃退する。これにより全ヨーロッパから、ヨーロッパをトルコから守ったとして莫大な寄付を受ける。このお金でバレッタを整備、要塞化する。
 オスマントルコの衰退とともに寄付も集まらなくなり、ヨハネ騎士団も衰退していく。1798年ナポレオンが上陸したときには何の抵抗もせずバレッタを引き渡している。ナポレオンに“ヨハネ騎士団にはもっと骨があると思ったが。”などと言わしめている。しかしヨハネ騎士団は今も細々ながらイタリアで活動しているよう。
 フランスの支配を嫌ったマルタ人はイギリスに応援を頼み、イギリスの植民地となる。1964年に独立してマルタ共和国となる。この植民地時代の遺産として狭いマルタに27の英語学校がある。
 去年の夏1月のエジプトはいいですよと聞いたので、ナイル川クルーズに行こうと奥さんと話しをしていたのだが、9月にアメリカでテロ事件があったため、奥さんがしばらくは飛行機に乗らないと言い出した。クルーズは2人でないとめちゃくちゃ高くなるので諦めて、1人で1月1日出発のネパール・ツアーに行くことにしてある旅行社に申し込んだ。
 11月に入ってネパールではマオイスト(共産党毛沢東主義者)が暴動を起こし銃撃戦が始まる。旅行社に電話をすると「なーに大丈夫ですよ、まだ外務省も危険度を上げていないし。」などとのんきなことを言っている。
数日して他のツアー客からキャンセルが入ったのでツアーそのものがなくなったと連絡が入る。
 切り抜いておいた新聞広告を見ると、マルタ1月2日出発¥219,000、1月4日出発¥169,000。と出ている。2日違いで5万円。1月4日出発に申し込む。好きではない阪急交通社のツアーだが仕方ない。家でゆっくり正月を、なんてことは全く考えなかった。
1月4日 まずローマへ
 飛行機はアリタリア。ジャンボ機の席は8割がた埋まっている。4座席独り占めを狙っていたがはずれ。最悪とまで言われているアリタリアの機内食はそれほどひどくはなかった。
 ミラノで乗り継ぎ。待合所にやはり阪急の色違いのバッジを着けている団体がいる。話をすると関空発のマルタツアーで39名。私たち成田発は42名。同じ日程だがホテルは異なる。
 久留米から来たというお婆さんは80歳。杖はついているもののサッサッと元気に歩く。旅行が大好きで年に5,6回は海外へ。その合間に温泉にも行くと連れが言っている。旅行から帰ると次はどこがいいかパンフレットをパーッと広げ、よしあそこにしようと決めるんだ。と手振りを交えて話をしてくれる。でもこういうお婆さんだと家族が助かるね。亭主元気で留守がいい、というフレーズがあったけれど、嫁にとっては「姑元気で留守がいい。」はその100万倍もいいよね。
 帰ってきてからその話をお客さんのところでしていたら、そこの年配の事務員さんは、そのまま外国でポコッて逝ってくれたらもっといいんだけれどね、と冗談交じりに言う。
 ローマのフレミング・ホテルには22:00頃着。皆いっせいに蛇口を捻ったのだろう、お湯はちょろちょろとしか出ない。
 1月1日からユーロに切り替え。今はユーロ、リラの2本立てになっている。ホテルに着いて団体のチェックインだから時間がかかるなと思い、ロビー横のバーでビールを頼み5ユーロを出すとえらい時間がかかってリラでお釣りが来る。スーパーでも有料道路でもユーロ渋滞が出来ているそうだ。
1月5日 マルタ島へ
 5時より散歩。真っ暗で寒い。キオスクや花屋はオープンの準備をしている。モーニング(イタリア語のおはようは覚えていない)と声を掛けると“おはよ。”と返ってくる。
 朝食のバフェにはパン、チーズ、ハム、飲み物しかない。ただこれだけ。私が毎日食べているヨーグルトはないしフルーツなど当然ない。今までで最悪の朝食だ。安いツアーだからしょうがないとも思うけれど、2日出発の5万円高いツアーの人も同じだろうと思う。阪急はこれだからと言われてしまう。
 11:40マルタ着。150人程の定員の飛行機は満席。半分以上は阪急だが。飛行機のタラップを降り、さあマルタ十字が描かれたエアー・マルタの飛行機を撮ろうとカメラを持つが、飛行場には私たちが乗ってきたアリタリアの飛行機以外1機もない。こんなこと初めてだがたまたま出払っていたのだろう。
 バスにてバレッタの街へ。ガイドは日本人女性。2年ほどマルタに住んでこちらの男性と結婚したという。ガイドになってまだ日は浅そう。
バレッタの繁華街
市内観光-1
 今日は土曜日で騎士団長の館は休みなのだが、私たち団体のために開けてくれたとのこと。商売熱心で「マルタ」、「騎士団長の宮殿」(共に日本語版)を売っているので、やはりマルタに行きたいという友人のために2冊とも購入。
ヨハネ騎士団長の館の廊下
 昼食はスパゲッティーと魚料理。スパゲッティーは前菜だが量は多い。日本でたまに昼食にスパゲッティーを食べるが、その量よりも多い。全部を食べずにほどほどにしておく。魚料理はおいしかったがスパゲッティーはいまひとつであった。
ワインは白を、ツアー仲間の女性と2人で1本ということで頼んだ。ハウスワインでOKと言ったらピッチでどんと出て来る。
LM2.5(マルタリラ、LM1≒¥300)。安かったのだがガイド、添乗員と同じテーブルだったせいかお金は受け取らなかった。LM1をチップとして置く。
 今回のツアーで単身参加したのは私と、昼食に同じテーブルに座った女性。私はツアー参加者全員で食事をするときには最後に座るようにしている。殆どの人がカップルで参加しているので、ひとつのテーブルに椅子が偶数の場合(殆どが偶数)に私が先に座ると、離れ離れになってしまうカップルが出来るから。今日はたまたまガイドと同じテーブルになり、それが幸いして少し得をした。
 大聖堂、アッパーバラッカ・ガーデン観光。大聖堂の外観はたいしたことはないが中がすごい。いたるところ彫刻だらけ。
木に彫ってあるのかと思ったがすべて石。石は当然自前。島の西方に石切り場がある。アッパーバラッカ・ガーデンは城砦の絶壁の上。スリーシティーなどがよく見えビューポイントだ。
アッパーバラッカ・ガーデンから
 夕食はホテルで食べたようになっているが全く思い出さない。まあたいしたものではではなかったのだろう。
カジノ-1
 18:30よりカジノ。ドナゴナラ・カジノはホテルから直線で200m位。ただ間は海なので入り江をぐるっと回って歩いていくと20分ほどかかるらしい。タクシーでLM3。タクシーは交渉制で乗る前に金額を決めないといけない。観光で生きるならばやはりメーター制にしなければいけないと思う。帰りのタクシーはLM4。
ドラゴナラ・カジノ
 パスポートを見せ、顔写真を撮りメンバーズカードを作ってもらう。次回からはメンバーズカードだけでパスポートは不要。会費も入場料もなし。
 ドラゴナラにはルーレット8台、ポーカー2台、バカラ2台、ブラックジャック5台。そしてスロットマシーンは沢山。
 ブラックジャックはミニマムがLM1とLM2とがオープンしている。9:30頃まで遊んでいたが、儲かっていた分全部賭けて取られて終わり。
 隣のおばちゃんがチェインスモーカーでまいった。私も2年前までこのように周りに迷惑をかけていたのかと思うと口に出して文句も言えない。
市内観光-2
 マルタでのホテルはラディソン・サス。
 さすが5ツ星。朝食のバフェもようやくまともになる。ヨーグルトはあるし、卵料理もスクランブル、ボイルド、フライドと何でもある。当然フルーツも。ソーセージ、ベーコン、ハム、チーズ、スモークサーモンもある。パンも頼めばトーストを持ってきてくれる。沢山は食べられないけど食べ物の種類は賑やかなほうが良い。部屋も広くローマの倍はある。お湯もいつでも出る。これで当たり前なんだけれどもね。
 9:00出発でハガール・キム神殿跡観光。エジプトのピラミッドより古い巨石遺跡というけれど規模は小さい。
神殿跡のはじっこで
天候は晴れだが気温は低い。最高気温で10℃前後。日本と同じ位か。
 次はブルーグロット。海の侵食によって出来た洞窟にボートで入っていく。さすがに水はきれい。沢山の血を吸った海だから赤ければすごいなと思ったが、当然そんなことはなく濃いブルーだった。
ブルーグロット
 次に入ったところはラバトのカタコンベ。カタコンベとは初めて聞くが地下墓地のこと。イスラム支配の時代にキリスト教徒が支配者に見つからないように地下に墓地を作る。
狭い通路の両側に死者を横たえる細長い穴がびっしり。人骨はないがそれなりの雰囲気。通路は迷路のようで案内なしでは迷ってしまうだろう。
カタコンベ内部通路
 昼食後城砦都市イムディーナ観光。その昔イムディーナとラバトはつながっていて1つの町だったが、イスラムの時代に間に堀を掘ってイムディーナを城砦にしてしまった。ヨハネ騎士団がバレッタを建設するまではイムディーナが都。今でもこの城砦都市に400人程が暮らしている。歩いてみると入り口ドアーの横に小さなマリア像の焼き物など飾ってある家が多い。小さな島だが歩いて観光となると十分広い。ラバトからずっと歩き通し。その後モスタの教会とサン・アントン・ガーデン観光。
 夕食はスリーマのレストラン。前菜はやはりスパゲッティー。ここはそんなに量が多くない。日本人なれしているのかもしれない。メインは豚肉のソテー。プリンがデザート。ワインは赤のハーフを1本(LM2)。ツアー料金に含まれている食事はそんなにまずくはない。
カジノ-2
 私のほか4人がカジノに行きたいと言い出した。無難なところで昨日行ったホテルのそばのドラゴナラに行くことにする。途中でバスを降ろしてもらう。60代男性、50前後の夫婦、20代前半の女性。60代男性はカジノの経験がありそう。
 中に入り初心者にはルーレットがいいかなと思いルーレットの賭け方など説明するが、客が一杯でなかなか席が空かない。ミニマムLM1のブラックジャックのテーブルに座る。夫婦の夫の方と若い女性が私の両隣。60代男性がそのまた隣。夫婦の婦はスロットマシーンをやりに行く。ゲームに参加しながらセオリーだともう1枚引く、もう引かないなど教えながら進んでいく。
 夫が4枚賭けて勝ち、次に8枚賭けてまた勝った。11:00近いしここらが潮時かと思い声を掛けて終わりにする。
 夫はLM20くらい勝ったかと思っていたが、翌日皆に聞かれて、オプショナルツアー代を稼いだと言っていたからもう少し多く勝ったのだろう。私はLM8の負け、若い女性はLM2の負け。60代男性は1回両替に行った後別のテーブルに着いたから良くわからないが損をしたのは確か。
1月7日 ゴゾ島観光
 8:30出発でゴゾ島へ。巨石遺跡のジュガンティーヤ神殿、城砦都市チッタデル観光。古い街は皆城砦。マルタは地中海の真ん中だから色々な人種の侵略を受けている。自然と城砦化していってしまうのだろう。そしてどこもかしこも黄土色。石が黄土色なのだ。たまに窓枠がグリーンに塗られていたりすると新鮮に見える。
 昼食は大きい海老のグリル。3匹。付け合せのポテトがおいしい。頼んだらポテトは追加してくれた。ジャガイモはマルタの特産だそうだ。輸出もしているらしい。でも見たところ畑は段々畑ばかり。石で境界を区切って。効率の良い農業には見えない。
 ゴゾの名産はレースと手編みのセーター。製造直売らしい大きな店に行ったのでセーターを見ていると、同じツアーのおばさんがここは高いと言う。セーターにはLM11などの値札が着いている。他の小さい店で見ると同じようなものがLM4.5。手編みのセーターが1,350円だ。ゴゾ島のユニクロ版だ。奥さんが着ても娘が着てもいいので1枚購入。
城砦都市
 フェリーでの帰り道に考えた。オラクル・カジノはセント・ポールズ・ベイという所にあって、ラディソンのあるサンジュリアンよりもフェリーの船着場にずっと近い。服装もヨーロッパといえどもリゾート地、観光地なだけにノータイで大丈夫。ラディソンに戻るとタクシー代も時間ももったいない、と。
 船着場のバス乗り場でガイドさんに、オラクル・カジノの前で降ろしてくれと頼むと、道路が狭く観光バスは入っていけない、途中の交差点で降ろすからあとはマルタバス(路線バス)に乗れ、と言う。
 それでもこのバス乗り場に停車しているマルタバスの運転手に聞きに行ってくれて、しばらくするとオラクル・カジノの前を通るバスが来るからそれに乗れ、48番のバスだ、と教えてくれる。
 ツアー仲間に別れを告げ観光バスを降りる。バスを待っている人4人。出発待ちのバス2台。あとは何もない。ゴゾ島の船着場には店屋もあったしタクシーも沢山停まっていて賑やかだったのに。
 寒い。これで48番のバスが来なかったらどうなるのだろうか、と弱気なことを考えていると5分ほどで48番が来る。
運転手にオラクル・カジノと告げバス代LM0.4を支払う。有名な黄色いマルタバスに乗ることになった。このバスにはドアーがない。取れてしまったのではなく最初から付けてないのだ。同じ路線バスでも観光バス並みの大きなバスにはドアーがあるが閉めない。ビュービュー風が入ってくる。
 運転手と客も顔見知りが多い。客と世間話をしながら運転している(ように見える)。運転手が時々パッパーとクラクションを鳴らすと道行く人が手を挙げて答えている。
10分ほどでオラクル・カジノを通り過ぎそばのバスターミナルに着く。雨が少し降ってきたので急ぎ足でカジノに駆け込む。17:00頃。
カジノ-3(オラクル・カジノ)
 入って正面にビッグホイール。その後ろにレストラン。左に行くとスロットマシーン。右手にバー。バーの前を通り奥がテーブルゲーム。まだ早いせいかルーレットに客が2人いるだけ。スロットには何人かいるよう。
オラクル・カジノ
 テーブルゲームの内訳はルーレット6、ポーカー4、バカラ2、ブラックジャック1。LM20をチップに換えルーレットに参加するが10分ほどでなくなってしまう。
 ブラックジャックを開けてくれと頼むと5分ほど待ってくれと言う。待っている間にマネージャーという人が来る。このカジノのホームページを日本で見て遊びに来たと言うと、日本人は初めてだと喜んでくれて、名刺をよこしビールを頼んでくれる。以降ジントニックなど頼んでもお金を取らない。もともと只なのかマネージャーの口利きで只なのかはわからないが歓迎してくれていることは確か。(ドラゴナラでは有料だった。)
メンバーズカードとマネージャーの名刺
 この話を成田発のツアー仲間に言うと、そりゃー良かったですねと言ってくれる。関空発の人にも同じ話をすると、そんなもの当たりまえでっがなー、カモがネギしょってくるんだから、という反応。
 19:30頃からカジノ内レストランで夕食。パンプキンスープと魚のグリルセット。魚はサーモン、白身魚、海老、竹のように細長い殻に入った貝(こんな貝は初めて)。付け合せのサラダ、フライドポテトはそれぞれ小皿で出てくる。ビール1本、最後にコーヒーでLM9.65。
 再度両替もして粘るが駄目でLM160の負け。しかしマルティーズ・ギャルは美人が多い。カジノで働いているギャルは皆美人だ。(犬のマルティーズはここマルタが原産。でも街に沢山いるのは犬ではなく猫。)
 フロントでタクシーを呼んでもらい待っていると、2人、3人と客はやってくる。メンバーズカードを出さず顔パスで入っていく人も多い。時計を見ると21:00頃。ヨーロッパ人はシェスタを取るせいか夜が遅い。(私が早いのかもしれない。)
タクシー代はフロントで交渉してくれてLM7。これは安い。最低でもLM10は覚悟していたから。
1月8日 ハーバー・クルーズ
 今日は1日フリー。私と同年代の夫婦3組、合計7人でハーバー・クルーズへ行く。私はヘリコプター遊覧もしたかった。5年前のガイドブックのヘリコプター遊覧のページを見せ、コンシェルジュに予約を頼むが今はやっていないと断られる。
 ハーバー・クルーズはスリーマを出発しバレッタの外周を1周し、スリーシティーのそれぞれの町の入り江にすべて入ってスリーマに戻ってくる。
 所要時間1時間半でLM6.25/人。7人なのでディスカウントしてくれと言うと、LM40に負けてくれる。本当は私も、船の前の椅子に腰掛けて切符売りをしているおじさんも、暗算がめんどくさかっただけだ。
ハーバー・クルーズのコース
 船の周りに本当に小さい船で海底を検査しているように見ているおじさんがいる。水深4mというが底は良く見える。さあこのおじさんはいったい何をしているのだろうかと話題になる。
 有力な意見は、金目の物を探しているのではないか、というものだ。ハワイの浜辺でもシドニーの公園でも金属探知機でコイン他の金目の物を探している人がいる。その人と同じだろう。ハワイなどは縄張りまであるそうだ。
スリーマの街とマルタバスと物探しおじさん
 マルタには何の産業もないように思えるが、海から見ると造船業が盛んなことがわかる。あとはやはり観光、リゾートだろう。黄土色一色だが城砦都市バレッタは壮観だ。
海から見たバレッタの街
昼食
 昼食は路地奥の10人も入ったら一杯になってしまうような小さい店。ここには5人で入る。店主は私たちを見ると「ニーハオ」と言う。日本人には「こんにちは」と言うんだよと教えるが覚えたかどうか。
 ビーフかフィッシュか聞くからフィッシュと答えると白身魚のフライが出て来る。これならビーフの方がヘルシーそう。長いことイギリスの植民地だったからフィッシュ&チップスの文化が強いのだろう。
マルタ・エクスペリエンス
 バレッタまでバスで行き皆と別れる。マルタ・エクスペリエンスを見ようとトコトコ歩いて行く。ここはバレッタの一番奥。15分かかって到着。時間は14:15。始まるのは毎正時、次は15:00から。門の前に待機している観光馬車が乗れと言う。LM10。バレッタの街の外周を回って14:50に戻る。LM10渡すと馬の餌代にあとLM2くれと言う。当然断る。
 マルタ・エクスペリエンスはマルタの歴史を簡単に紹介するフィルムで45分の上映。ヘッドホンで日本語も選択できる。
カジノ-4(カジノ・ベネチア)
 ハーバー・クルーズの時にカジノ・ベネチアの垂れ幕が見える。ネオンではなく垂れ幕だ。夜は垂れ幕をライトアップしている。
スリーシティーの中のビットリオーザにある。帰って来てからインターネットで確認すると1頁ながらホームページもある。
カジノ・ベネチア
 バレッタよりタクシーでカジノ・ベネチアへ行く。例により乗る前に金額の確認をするが、帰りはどうするんだと聞いてくる。19:00に迎えに来てくれと言うと、お金はその時でいいと言う。
 カジノ・ベネチアは1Fにスロット、2Fにテーブルゲーム。2Fの大きな部屋にはルーレット4台、ポーカー2台、ブラックジャック2台。別室にバカラ、ポーカー、ブラックジャック各1台。このカジノ・ベネチアも美人ぞろいだ。1人の美人に、あなたはずいぶん若く見えるけどと言うと、22歳との返事。
 LM20負け、そしてLM30負けたけど雰囲気は悪くない。取り返せそうな感触。19:00丁度にタクシーが迎えに来る。ホテルに戻る途中中華料理屋に寄り焼きそばを食べる。運転手に何がいいか聞くと、The same.と言って同じものを頼んでいる。
 焼きそばを食べながら運転手はマルタに投資しないかとしきりに勧める。何がいいのか聞くと、レストランがいいと言う。日本食レストランはまだないし、中華もぱっとしたのはない。
 20分で戻るからと運転手を待たせ、シャワーを浴び着替える。カジノ・ベネチアへ再出発だ。カジノに着いてからまたいくらか聞くと、さっきと同じであとでいいと言う。
 私が負けて1文無しになったらどうするんだと言うと、フィフティーくれと言う。これは安いなと思いLM15支払うと、お札をしげしげと見てフィフティーンではないフィフティーだと言う。
 LM50のことだ、15,000円もする。平均月収70,000円の国でこれは高い。「高い、負けろ。」と言うと、あっさりサーティーに下がった。2往復で、今度は24:00に迎えに来てもらうのだからそのくらいしょうがないか。
 タクシー代で財布の中のマルタリラはなくなった。円で4万あったので全部両替する。LM130。日本円は初めてだとCHANGEの女の子。このカジノ・ベネチアは出来て間もないよう。
 さっきは大きく勝っていたでっぷりした社長風の人はへこんで来ている。へこんで来てからブランデーらしきものをストレートでしきりに飲んでいる。もう今日は浮上しないだろう。
 私もビールを1杯もらう。LM1。イギリス式のパイントグラスで出て来る。24:00に約束した運転手は帰らずルーレットで遊んでいる。でも私が払ったお金はすぐに負けてしまったらしくあちこちうろうろしている。
行ったり来たりしていたが最後の30分で負けてしまった。今は1文無しで、今日はLM180の負け。
1月9日 ローマへ
 阪急提携の店ダウンタウンに連れて行かれる。次女にねだられたフェンディーの時計と財布を買わなければならない。
「お父さん、マルタって何かあるの。」
「マルタには何もないよ。でもローマにも寄るよ。」
 ローマと聞いて次女はがぜん張り切り、年末に会った時には銀座松屋に連れて行かれ、フェンディーのブティックに入る。そこで時計と財布を指定される。
 松屋にはルイ・ヴィトンのブティックもある。ここは客が多すぎて入場制限をしている。こういう光景を見ると不景気ってどこの国の話だろうって思う。
 時計はあるが財布がない。歩いて5分のフェンディーのブティックへ行くが同じで指定されたピンクの財布はない。本家本元なのに。
 ガイドブックにローマ三越の広告が出ていて何でも揃うとある。仕方ない三越まで行ってみるか。
タクシーに乗りメーターに1,830と出ているので、ちょっと高いなと思いながらも20ユーロ支払う。釣りはいらないよ、と格好つけて。
 目指すものはやはりない。他のブランドでもピンクの財布はなく薄紫の物を購入。しゃれた手袋があったので自分用に購入。イボイノシシの皮製だそうだ。
 時計はダウンタウンで買うことにする。フェンディーのブティックと同じ値段だし、免税分をその場で引いてくれるから。
 帰りのタクシーは女の人で、着いたとたんユーロかリラか聞く。ユーロと答えるとメーターの横のボタンを押す。数字が4.50に変わる。行くときはリラの金額をユーロで支払ってしまったのだ。タクシー代が高い、観光に差しさわりが出るなどと騒いでいたのに。その割にはだらしない。
ア・テストーニのブティックなどにも行ってみたかったが時間がなくなってしまった。
 夕食はツアー仲間の秋田さんご夫妻と。ダウンタウンを出てスペイン広場の反対方向へ少し行った右側のピザの店。ここに着いたときにはアルコールが少し入っていたので、メニューの小さい英語など見る気もなく、ウェイターにあなたの好きなもの3皿と頼む。赤ワインも1本つけて。
 ピザのパン生地は薄いが径が30cmはありそう。ウェイターが来てこれは何など説明してくれるがさっぱりわからない。3皿皆違うものが乗っているがどれもおいしい。今回の旅行で1番おいしい食事だった。43ユーロ。おいしかったのでチップも10ユーロと奮発する。
第24報終わり
楽天舎ブックのサビッハ・マルタから拝借
今回のスケジュール表
教会内部
城砦都市の一部
海からのバレッタ(その1)
海からのバレッタ(その2)
これも海からのバレッタ

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