ギリシャ(エーゲ海クルーズ)

2000年8月12日~8月20日  

またまたクルーズ
 またクルーズに行きたくなり色々調べ、8月14日~18日のエーゲ海クルーズのエーゲアン・スピリット号を見つける。旅行社のツアー広告なども見るがいまいちなので、前々日の12日にアテネに入り2泊してからクルーズ、そしてクルーズ後にアテネにもう1泊、という日程でいつもの日本旅行に組んで貰う。次女に声を掛けるとOKの返事。
8月12日空港 カジノ
 オランダ、アムステルダムのスキポール空港には世界で唯一空港内カジノがある。アメリカ、ラスベガスのマッカラン空港にはスロットマシーンが沢山置いてあるがスロットマシーンだけなのでカジノとはいえない。
 カジノ・バーと銘打ったバーのフロアーの奥にこぢんまりとそのカジノはある。特別な部屋になっているわけではなく、かなり広いフロアー越しに通路からも良く見えオープンな雰囲気。JALを降りKLMのアテネ行きの方向を確認してからカジノに入る。
 カジノの床はバーより1段高くなっていて、そこに受付の人がいて搭乗券を確認している。構成はルーレット1台にブラックジャック3台。それにスロットが70台程。繁盛という感じではなくブラックジャック2台とスロットに少々客が着いているだけ。1時間ほどの待ち時間を遊んで$50が$140になった。もちろんここの通貨はオランダ・ギルダー、米ドルから両替しまた再両替したものだ。
 実はこのスキポール空港にカジノがあるというのでアムステルダム経由にしたのだ。バーのカウンターの前には何個かのストールがあるが、バーと通路の間には10以上のテーブルと付随したソファーがある。明るさも充分で次女は私が遊んでいる間読書をしている。
スキポール空港内カジノの看板
KLM
 KLMには初めて乗るが、座席はほんのちょっとだが広く感じる。横幅も前の座席との空間も。オランダ人は世界で一番大きい人種というからそれで少し広いのかもしれない。
 飛行機の中は冷房が効きすぎて寒い。次女が寒がっているのでスチュワーデスに毛布を頼むが積んでないと言う。しばらくたってスチュワードに頼むと、OKと言って毛布を持って来てくれる。あのスチュワーデスは何なのだ。
アテネ着
 夜中の12時頃アテネ着。フライトは3時間くらい。夜中というのに空港は到着客でいっぱい。チューリッヒ、フランクフルトからの便も今着いたのだ。
 出入国カード、税関の申告書の記入など一切なし。飛行機の中で書類を配らないので心配していたのだが。迎えに来てくれた国武さんの話では、EU内から来た飛行機は協定によりフリーパスとの事。出発国で手続きをしているからと。アムステルダムで手荷物検査、パスポートと搭乗券のチェックはしているが書類は書いていない。非常にいいシステムだ。日本では先日、チュニジア人を入国拒否しておまけに暴行を加えお金まで取っていたと報じられた。事実とすれば悲しい出来事だ。
 ホテルはグランド・ブルターニュ。国会議事堂前、シンタグマ広場横とロケーションは抜群。由緒あるホテルだそうだ。床はギシギシと、入口ドアーは左手で強く手前に引っ張りながら右手で鍵を回さないと開かない。トイレのドアーは枠にぶつかりきちんと閉まらない。
8月13日 市内観光 アクロポリス
 朝食後アクロポリスへ行く。アクロは丘でポリスは都市という意味だそうだ。丘だからビルの間からちらほら見え方向は間違いないのだが、標識が少なく20分位と言われていたのに40分程かかって入口に到着。
 パルテノン神殿までの歩行路はところどころ大理石が露出していて滑りやすくなっている。柱は全て1本の物ではなく短い物を積み重ねてある。達磨落しのような物。
雲一つない快晴。(とにかく最後までずっと快晴。)丘の上という事に加え石ばかりで木がないから日陰がない。帽子、サングラス、水は必需品。入場料はたしか2,000ドラクマ。(1ドラクマ≒0.3円)
リカベトスの丘
 11:00過ぎ下へ降りタクシーでリカベトスの丘へ行く。
 運転手はケーブルカーの入口前に車を着け、入口を指差して教えてくれる。ケーブルカーはトンネルの中の急勾配をケーブルで引っ張る物で、当然景色という物はない。しかし頂上に立つとさすがに景色は良い。360度全て見渡せる。
 ここにオープンエアーのレストランがある。屋根はテント製。昼食はここにする。ハイネケン500cc2本(私)、アイスコーヒー(次女)、シュリンプ・サラダ、スパゲッティー。合計10,200ドラクマ。ケーブルカーは1,000/人。これは往復。降りるときにも見せる必要あり。買う時になくさないよう注意してくれる。
月並みですがパルテノン神殿(修復中)
国立考古学博物館
 ホテルで少し休憩した後国立考古学博物館へ行く。歩いて20分位。この博物館では展示物の写真を撮っても良いのだが、像などの横に立って記念撮影するのは禁じられている。理由はなぜだか分からない。入場料は2,000/人。ぐるっと回った後カフェテリアでオレンジジュースを頼む。1,400/杯。400円ちょっとだがすごく高い気がする。
国立考古学博物館
 博物館前で待機しているタクシーはものすごく営業熱心でリカベトスの丘に行かないかと誘う。もう行ったと言うと、オリンピックスタジアムへ案内すると言う。2004年に行われるオリンピックのスタジアムではなく、1896年の第1回のオリンピックが行われたスタジアム。
 時間もあるのでOKして乗り込むがメーターを倒さない。市内ぐるっと回って8,000と言ったように聞こえた。高すぎると文句を言うと4,800になる。カモられたようだが1,500円程度だからまあいいか。
 運転手はスタジアムの他アテネ大学や戦争博物館を回り、しきりに写真を撮ることを勧める。
モンパルナス ホテル カジノ
 18:00出発でパルニス山の山頂にあるモンパルナス ホテルへ行く。チャーターしたタクシーは空港まで国武さんと迎えに来てくれたニコルさん。車はベンツのディーゼルターボ。まだ買ったばかりの新車だと威張っている。ギリシャのタクシーは全て個人タクシーで車は個人の物だそうだ。そして皆黄色い塗装をしている。このモンパルナス ホテルにカジノがある。ホテルのレストランで夕食を摂ってからカジノ遊びをするつもりなのだ。
 北側正面玄関は2階。1階南側の庭からアテネの街が良く見える。右側がエーゲ海、正面にイミトス山、左側にもペンデリコン山。アテネは海と山に囲まれているのが良くわかる。夜景はさすがに綺麗だ。
 ホテルの1階の掃除が行き届いていない。庭に出るドアーの建てつけもおかしい。2階のレストランへ行くが誰も出てこない。普通ならウェイトレスやウェイターがさっと出てくるはずなのに。1番先に私たちのところへ来たのはニコルさん。ここは高いばかりでサービスが悪いんですよと言いながら。後で国武さんに話すと、地震の後修復しないし国営なんですよあそこは、という話。
 もうホテルとしての機能は諦めたみたいだ。カジノ内にはレストランがあるはずだとカジノへ入って行くが、レストランのオープンは22:30から。カジノへの入場料は2,000/人。領収書と引き換えに1ドリンクとツマミのナッツをくれる。カジノフロアーの手前でかなりの人が待っている。まだオープン時間の19:00までには5分ほどある。
 カジノそのものは結構広くバカラ2台、ポーカー2台、ルーレット28台、ブラックジャック9台という構成。ギリシャ人はルーレットが好きらしい。ブラックジャックのミニマムは2,000と5,000。室内を1周してからブラックジャックのテーブルに着く。ドリンクが無料なのは1杯だけで後は1,500必要(ジントニックの場合)。1時間半ほど遊んで200ドルの負け。両隣の人は勝っているが私はだめだった。
 次女は今年から小学校の先生。読むべき本が沢山あってと6,7冊の本を持って来てソファーで読んでいる。
夕食
 パルニス山の麓には道路両側いっぱいにTABERNA(タベルナと読んでレストランの意味)が並んでいる。ニコルさんの話だと全部バーベキュー屋だそうだ。どの店も客が入っていない。日曜日だとこんな物らしい。このうちの1軒に入ってもらう。バーベキューといっても自分たちで焼くのではなく、好みの肉を指定して焼いてもらうのだ。
 3人でばら肉のバーベキュー、トマトサラダ、ビール、ミネラルウォーター。計10,000ドラクマ、約3,000円でディナーとしては安すぎるかな。
 以前愛読者の方に、玉庭さんはろくな物食べてないですね、と言われてしまった。それからは夕食には最低5,000円/人、たまには10,000円/人かけようと思っているのだが。
 22:30頃ホテル着。ニコルさんには50,000支払う。
8月14日 エーゲアン・スピリット号 1
 ピレウス港には沢山のクルーズ船が停泊している。ガイドがいなかったら乗る船を探し搭乗手続きをするのに大変苦労しただろうと思われる。
 エーゲアン・スピリット号乗船。案内された部屋は502号室。思っていたよりずっと狭い。バスタブはあるがバルコニーはない。スイートを頼んだつもりだが。飛行機のビジネスクラスには高くてとても乗れない。せめて船だけでもちょっと贅沢にと良い部屋を頼んだのに。アラスカや西カリブ海の時には部屋も広くバルコニーも付いていた。
 船そのものも古く小さい。17,900トンしかない。船を良く見るとバルコニー付きの部屋はどこにもない。帰ってからクルーズ会社のゴールデン・サンクルーズのパンフレットで確認すると、客室としては最上階の1番前で良い部屋の1つになっている。6室並んでいるうちの右端。
すぐ横にはデッキに出るドアーがある。このドアーがバタンバタンと大きな音をたてる。真上にはラウンジのバンド。そしてバンドの前にはダンスフロアーがある。私はカジノ遊びを24:00には終わらせるのにダンスは延々とやっている。今までで最悪の船だ。
 乗船後しばらくたってから非常時のための訓練がある。ブザーの音に合わせて救命胴衣を着けラウンジに集まる。救命胴衣にはホイッスルや自動的に光る豆電球も付いている。
 非常訓練後カジノへ行ってみる。客は誰もいない。ルーレット1、ブラックジャック2、スロット30数台と当然ながら小さい。男2人、女1人で打ち合わせをしていたのでブラックジャックのテーブルを開けてもらう。200ドルの負け。(カジノはドル建て)
船窓からの風景
ミコノス島上陸
 18:00近くミコノス島着。風が非常に強い。トレードマークのカウボーイハットが飛ばされそう。街の道路は狭く両側には店がひしめいている。中には階段の下だけを利用した1畳位の非常に小さい店もある。金、銀細工のジュエリーの店が数多い。土産物屋で木製のブックマーカーを購入。
 ペリカンも2羽いる。羽を切られているらしく2羽とも歩いている。人間には大変慣れていて、水飲み場の蛇口をひねってやると一所懸命その水を飲んでいる。しばらくたってから民家の扉の前にじっと立っているのを見かける。いつもここで餌を貰っているのだろう。年老いたペリカンは車の下で涼みながら寝ているところをその車に轢かれ、ちょっと前まで動物病院に入院していたそうだ。
水飲み場でのペリカン
 くたびれたので私がもう帰ろうと言っても、次女はまだまだともっと歩かされる。
 風車が5台並んでいる。帆は張っていない。風車があるのだから、今日たまたま風が強いわけではなく、いつも強い風が吹いているのだろう。20:10日没。全員が西側を見ている。西側海岸沿いのレストランは満員。殆どの家の壁は白、窓枠や扉は青。これがギリシャカラーだそうだ。たまに茶色の窓枠などあるとかえって目立つ。21:00頃船に戻る。
ミコノス島 風車
8月15日 エフェソス
 トルコのクサダシに上陸。桟橋の横にバスがずらりと並んでいる。AEGEAN SPIRIT JAPANESE ASTと張り紙をしてあるバスに乗っていたら、後から来た日本人のおねえさんに私たち専用のバスだから、と追い出されてしまった。隣のバスにはJAPANESE JTBと貼ってある。JTBの添乗員も不満そうであったが、船会社の人の指示で乗せてくれる。ASTとは朝日サン・ツアーの略だそうだ。こういう会社とは付き合わないようにしよう。
これとJTB、そしてもう一つ阪神航空の3グループの日本人がエーゲアン・スピリットに乗船しているようだ。私たちは日本旅行に手配してもらっているが実際には個人旅行。
 エフェソスの遺跡をJTBグループと一緒に回る。添乗員さんの説明もただで聞く。今日も快晴。途中売店があるので水を購入。いくらか分からないので1ドルを出すと、2本で1ドルと言って2本よこす。トルコ・リラでお釣りを貰うよりずっと良い。
 乗船前バザールに寄る。絨毯屋、ジュエリー屋、革ジャン屋、土産物屋が多い。香辛料数種と粉引き器がパックされたお土産があるので、お姉ちゃんのお土産にどう、と次女に言うと、「お父さん、こんな物買うから部屋が汚れるんだよ。」と反対されてしまう。次女は現在長女と一緒に住んでいる。しかし次女が掃除をしているという話は聞いていない。
 経営者が日本人の絨毯屋にも行く。絹の手織りの物は見る角度によって色が異なって見える。さすがにすばらしい物だ。でも日本に届けて150万円などと言っている。JTBの人たちより早く店を出てしまったが、後で聞くと小さい物を買った人はいたようだ。
エフェソス遺跡
エーゲアン・スピリット号 2
 昨日の夜からランドリーサービスを頼んでいるが全然取りに来ない。ランドリー袋はないが料金表と数量を記入する用紙はある。用紙に数量を記入し自前のビニール袋に洗濯物を入れ、目立つところに置いておくのに持っていかない。ルームサービスにも日本人クルー(日本人女性がクルーズ会社の1員で乗り込んでいる。)にも頼んでおいたのに。
 比較的近くにシーツ置き場がある。そこにルームサービスのボーイがたまにいるので呼びに行こうと部屋を出るとすぐそこにいる。引っ張って連れて来て洗濯物を渡す。日本人女性クルーは客の日本人が色々頼んでも何もしない。する事は船会社の通訳だけ。
 なぜだろうか考えた結果は、ギリシャ人クルーに日本人客の要望を告げて、その結果ギリシャ人クルーの仕事を増やして嫌われてしまうのを恐れている、と言う事だ。外国で生きていくための知恵なのだろうけれど?
カジノ 1
 昼食後カジノへ行く。例よって誰もいないが私が席に着くと、10歳位の白人の男の子が現れずっと見ている。
 ディーラーはぽっちゃりした女性から背の高い女性に替わる。このカジノのメンバーはこの女性2人にほっそりとした男性、髭を生やして棒ネクタイをしている男性の4人がオールメンバーだ。棒ネクタイの男性がボスのよう。ネクタイの柄は星条旗をデザインした物だったり、アニメの主人公だったりする。
 背の高い女性のカードの配り方が早い。パッパッパ、パッパッパと配っていく。だいぶ昔韓国で、こちらの調子が良いとペースの早いディーラーが出てきて調子を狂わされた事があった。今までだと相手のペースを崩す事だけを考えていたが、今回は相手のペースに乗る事にする。なんてたって客は私1人だ。
 ディーラーのカードを配るペースに合わせ、パッパッパ、1,2,3、パッパッパ、1,2,3、とリズムを取って声に出した。見ている男の子にもLet's say Pa,Pa,Pa,1,2,3、と促すが、照れて唱和してくれない。
 ぽっちゃり女性の時に1箇所に賭けていて駄目。2箇所に賭けても駄目。今3箇所に賭けてパッパッパ、1,2,3、のおかげで盛り返してきている。
 パトモス島に近づいて来て終わりにするが、400ドルつぎ込んで300ドルと55ドル分のチップとで元に近くなって来ている。
パトモス島に停泊中のエーゲアン・スピリット号
パトモス島
 15:30からパトモス島上陸。修道院見学。ヨハネが黙示録を書いたという洞窟にも行く。洞窟というから穴の奥深い所で蝋燭を立ててと考えていたが、岩に少し横穴がある大昔の横穴式住居とはこういう物かと思わせるような浅い所。次女もイメージとはだいぶ違うなという感想。
エーゲアン・スピリット号 3
 この船は本当に不思議な船だ。エクスカーションから戻ってくると風呂の栓がない。お湯を張って風呂につかりたいのに。そのためのスイートでもあるのに。昨日はあったんだよ。
 風呂の栓を英語で何と言うのか分からない。バスタブズ・ドレイン・キャップと言ってみるが通じない。ルームサービスのデスクまで行って説明しても分からないから、連れて来て見せる。OK、OKと言って戻って行くと替わりに水道屋さんが来る。蛇口やシャワーのホースをいじくっている。戻ろうとするから見ると栓はない。栓はどうしたと言っても私の管轄外だという顔をして戻ってしまう。
 シーツ置き場に行くと洗濯物を渡したボーイがいるので連れて来てバスタブを見せ、このレベルにお湯を張りバスタブにつかりたい、でも栓がないと身振り手振りで説明する。やっと通じたらしくディナー後に見ると栓が付いている。
 やはり風呂がらみだが、最初の日にはタオルが小さい物1枚しかなかった。バスタオル2枚、フェイスタオル2枚必要だと言っても通じない。ビッグタオル、スモールタオルと言わないと駄目であった。次の日もやはり1枚のタオルしかない。同じ事の繰り返し。さすがに3日目からは2枚ずつ置いてある。一緒に旅行していても同じバスタオルは絶対に使わない。
グリーク・ナイト
 今日のディナーはグリーク・ナイト。ギリシャのシンボルカラーは青と白。青と白を身に着けてディナーに出席してくださいとある。
 ピシっとした白いスーツではお色直しをした花婿さんみたいで似合いそうにないから、「麻混の白いスーツに白いシャツ、青いネクタイなどハンフリー・ボガードには似合いそうだけど、あっしにはどうかね。」と奥さんに相談すると、「顔だけで充分おかしいのだから服装くらいまともにしなさい。」と言われてしまった。「青と白は小物で良いんじゃない。」とも。
 手持ちのグレーのスーツに白いワイシャツ、青地に小さい白い水玉のネクタイ、青いポケットチーフ、青地に白の格子のハンカチ、ついこの間買ったフィラの青いバンドの時計という格好になる。
 ディナーに出ると、グリークカラーを全く無視した人が多くいる。でもこういう提案にはなるべく従った方が船旅という感じが出て楽しいものなのだが。このための私の新たな出費はポケットチーフとハンカチの3,000円だった。
カジノ 2
 カジノも私が遊んでいるとポツポツ客が来る。でも皆上手で両替したチップを最後まで使わずに引き上げていく。例えば100ドルを両替ししばらく遊んで110ドルを再両替して引き上げるという具合だ。昨日3箇所にチップを置いてうまくいったので今日も3箇所。最後に5ドルチップ1枚。その前に2枚、またその前に2枚置く。
 最後の場所の合計は14。ディーラーは絵札。次のカードはどうも絵札のような気がする。私が引くとすると14+10で21オーバー。ステイしてディーラーが引くと10+10で20になって全員負けてしまう。
 I think next is a picture,so~hit!と言ってもう1枚貰う。(間違いだらけの英語だが意味は充分通じている。私の英語力はこんなもの。)やはり絵札であった。私の最後の場所は24となって5ドルチップ1枚は没収。
 ディーラーの引いた札は4。ディーラーは14なのでもう1枚引かなければならない。その次は絵札を引いてディーラーは21オーバーとなってしまい、残っている全箇所は勝ちとなった。1枚を犠牲にして4枚を助けたのだ。他の人もブラボーと言ってほめてくれる。
 ディーラーのカードの引き方には2通りある。まず客に1枚ずつ表にして配る。ディーラーも表で1枚引く。次に客に2枚目をやはり表で配る。 この後がカジノのある場所によって異なる。
(1) 客に2枚目を配った後ディーラーが自分の分を裏返しで引いて、客にヒットするかステイするか聞いてゲームを進める。客のプレイが終わってからディーラーは裏返しのカードをおもむろに開ける。
(2) 客に2枚目を配った後客の最初に戻りヒットするかステイするか聞いてゲームを進める。客のプレイが全て終わってからディーラーは2枚目を表で引く。
この船は (2) の方式で最後の客の引き方が結構勝負を左右する。
今日の結果は100ドル+55ドル(チップ)が400+55になった。
8月16日 ロードス島
 8:00出発でロードス島観光。ロードスは城砦都市。砦の中が旧市街。この砦はヨハネ騎士団が作った物。ヨハネ騎士団はキリスト教の聖地エルサレムをイスラム教徒から守るために結成された。多民族団体で英語、フランス語、南部フランス語、スペイン語、イタリア語、その他をしゃべる人たちで構成されている。よくなに人が侵略して来た、とか言うがなに人とは特定できないので騎士団と名づけたと思われる。エルサレムではなくここロードス島にいたのだからエルサレムは守り切れなかったのだろう。後にここも追われマルタ島に移っている。詳しくは塩野七生さんの「ロードス島攻防記」を読むと面白いですよ、と言われたがまだ読んではいない。
 今日は大きいバス1台に日本人全員が乗る。ロードスのあと島の南側にあるリンドスへ1時間かけて行く。リンドスにもアクロポリスがある。丘の上の入場券売り場まではロードス・タクシーと呼んでいるロバが人を乗せている。1,000ドラクマ。私はロープでつながれた2頭1組のロバの前の方、後ろは日本人のおばさん。次女はだいぶ前に出発している。私の乗ったロバは馬子というか御者というか人が誰も引かないのにさっさと歩いて行く。
 途中狭い道では、足が鞍と家の壁に挟まれてしまうのではないかと心配だった。またロバは石畳の上を歩きたがらず、石畳と崖の間狭い土の上を歩くのでスリルがあった。
今まで1度も事故がないといっても少しは心配だった。後ろのおばさんは大騒ぎしているし。終点に着くとロバは馬子がくるまでじっとして動かない。良くしつけてあるものだ。
 眺めはとても良く海も綺麗だ。でも地中海が海の中で一番血を吸っているだろう。ヨーロッパ、アジア、アフリカに囲まれ、周囲の国の数を数えると10をはるかに超える。地中海の歴史にはすさまじいものがあるだろう。
 船に戻ったのは14:00。船の昼食は14:30までだからまだ間に合うが、次女に外で食べないかと提案するとすぐにOKになる。
 旧市街のレストラン シーフード・タベルナに入る。シーフード・ミックス、シェフズ・サラダ、ビール2本、ミネラルウォーターで9,450。シーフード・ミックスにはアジより一回り大きい魚の蒸し焼き、イカのリング揚げ、ゆでた蛸のオリーブオイルかけがある。船の食事に飽きてきたせいもあるだろうが大変おいしく感じられる。
 食後ビーチへ行く。船が停泊しているすぐそばに砂浜がある。何人かの人はそこで海水浴をしている。でも横に船が停泊して無粋だし、パラソルもないので15分程歩いて行く。
 本格的な海水浴場で沢山の人。1km以上先までずっと人、人、人。海は遠浅ではない。背の立つところから5mも泳ぐともう背が立たないのであせってしまう。これはまずいとあわてて引き返す。もともとたいして泳げないうえ右肩が50肩でよく回らないからなおさら進まない。それ以降は水浴び程度でやめておく。浜は砂ではなく小石。直径2,3cmか。次女は児童への土産にと40個ばかり集めている。(1年生担任)
ロードスの海水浴場 ずっと先まで人
 パラソルの下の長いすに寝そべっているとすぐに集金人が来る。1,000/人。このロードスにもカジノはあるが20:00オープンとガイドブックに出ている。遅すぎるオープンだ、残念。
ディナー
 17:00過ぎ船に戻る。今日のディナーはフォーマル。昨日は4人掛けテーブルに次女と2人だけだったが、今日は台湾人だという女性が来る。友人と2人で来ているようだがディナーには1人。中国人がかなり多い。
 クルーズ最初の晩には香港人夫妻と同席だった。香港の中国への返還が決まった時にカナダへ移住したそうだ。何人かのグループで来ていて皆ダンスが好きと言っていたから、部屋の上の騒音の犯人は彼らだったのだ。
朝日サン・ツアーの同年輩の奥さんは、「ギリシャは3回目だけれど今までは韓国人が多かったのよ。今回は全然見かけないけど経済危機はそんなにひどかったのかしら。」と言っている。
私がカジノ遊びに来たと言うと、「宝くじも買っているほうですか。」と聞く。すかさず次女が言う。「もう30年も買っているんです。でも3,000円しか当ったことがないんです。」
 今日のカジノは手持ち500までいったのだけれど最後にはなくなってしまう。200+55の負け。
 この船には子供が多く乗っている。毎晩カジノを見に来る子供。阪神航空には親子3代6人で来ている家族がいて子供は8歳と5歳だ。
 カジノで知り合ったアメリカ人は孫が日本人と友達になったと喜んでいる。共に中学生位。本人は横須賀に駐留していたという。
やはりカジノで知り合った、なに人だか分からないが、映画俳優で女の子を連れて歩くはめになった殺し屋役で人気を得た、そうそうレオンのジャン・レノに似た人は赤ん坊を乳母車に入れ押している。See you after dinner.と声を掛ける。
8月17日 クレタ島
 クレタ島上陸。今回はエクスカーションには参加せず街を少しぶらぶら。長女の土産にオリーブオイル(小)を買う。600ドラクマ。次女が天然の海綿を見つけ顔用の物を(店主が顔をこするまねをする。)3個購入。1,000/個。店主が名刺をくれる。もう多分来ないであろう私に。Spongeと大きく書かれた字と海底へ向かう小さいダイバーの絵柄。
サントリーニ島
 16:00頃最後の寄港地サントリーニ島に到着。テンダーボートで上陸。大きい船が桟橋に直接着けられない場合には、沖でテンダーボートと呼ばれる小さい船(それでも100人は乗れる)に乗り換えて桟橋へ向かう。
 この島は海底火山の外輪山で殆ど断崖絶壁。上の方に道路と街がある。つづら折の道を上へ上へと向かう。上から見ると桟橋の反対側は結構なだらかで砂浜などもある。
 イア村の入口では店が名産のピスタチオのサンプルを無料で配っている。このため店から2,30m先まではピスタチオの殻だらけ。イア村も狭い道の両側にジュエリー屋さんをはじめ沢山の店が並んでいる。住居は崖の勾配のところにうまく建てている。
ワインも有名だそうだ。次女はフルボトル1本、ハーフボトル1本購入。もちろんピスタチオも。私は最近アルコールを減らしている。血糖値を下げるため月~金は飲まないことにしている。(原則として、です。)5月のロシアでの余りのウォッカも残っているのでワインは買わなかった。
サントリーニ島 イア村
 クルーズの割には良く歩いた。ちょっと動くともう次の島に着いてしまう。1日に2回もエクスカーションがあるのだから。それでも寄らない島は沢山ある。クルーズ船が寄るのと寄らないとでは大きな違いがあるだろう。
カジノ 3
 クルーズ最後の晩ということもあってカジノにも結構客が来る。今まで見かけなかった30歳前後のグループが来る。このグループのおかげで帰りやすくなる。250ドル使って400ドルになる。
 このカジノは総勢4人で運営している。個人商店みたいなものだ。当然バンクなどない。チップからキャッシュに両替を求めると、机の下から手提げ金庫を出しお金をくれる。お金はいくらも入っていず100ドル札は2枚しかない。残りの200ドルは50ドル札、20ドル札、10ドル札でくれる。もう少し頑張れば手提げ金庫を空にしてあげられたかもしれない。
8月19日 アテネへ帰着
 船着場はごった返しているが国武さんが迎えに来てくれる。車は最初の日と同じニコルさん。車の中で、アテネから1時間半のところにルットラーキという街があってカジノがオープンしていると言う。最近オープンしたようだ。
 結構良いカジノで近くには良いビーチもある。プライベートビーチのセキュリティーの人を知っているから安全に泳げる、とも言う。国武さんの話では、そこはエーゲ海ではなくイオニア海とのこと。カジノの営業時間を聞くと、いつでもと言う。24時間ノンストップで営業しているようだ。14:30に迎えに来てくれるように頼む。
 朝食は船中で摂るが、ホテルでコーヒーなど飲んでから街へ出かける。有名ブランドの多い何とか通りや、女性通りといわれるエルム通りなどを歩く。やはり目立つのはジュエリー屋さん。ウィンドウを覗いて、すごいネックレスだねなどと話していると、中から出てきて日本語で話しかけてきたりもする。もう出てこなくてもいいのに。
 昼食はシンタグマ広場からちょっと奥まったところにある風林火山。現地人経営で日本人は板前1人。種々雑多な物がある。寿司、刺身、焼きそば、チャーハン、カレー、キジ焼き丼、野菜炒め、ラーメンはないけど冷やし中華。焼きそばだけで5種類ある。私は焼きそばの一番高い物を注文する。と言っても2,500ドラクマ、750円程度。それにビール。次女はキジ焼き丼。焼きそばは一番高いだけあって肉や野菜の具が多く、ソース焼きそばにしてはおいしかった。
ルットラーキ カジノ
 昼寝後14:30出発でルットラーキへ。ニコルさんのベンツはエアコンを使わず窓を開けたまま100km以上でぶっ飛ばす。
 途中財布を忘れた事に気が付く。ドラクマとドルを入れた財布はジーンズに入れたままホテルの部屋だ。着替えた時にそのままにしてしまったのだ。一瞬青くなるが、ウェストポーチにパスポートと一緒に日本円、100ドル札を入れてあるのを思い出し一安心する。
 有料道路も使って1時間15分で到着。さあカジノの外観を1枚とカメラを構えると、セキュリティーが飛んできて駄目だと言う。外観の写真を断られたのは初めて。次女はそのままニコルさんの車でビーチへ。
 カジノの入場料は3,000ドラクマ。でも万札と100ドル札しかないから入場料も払えない。カジノ内のBANKへ行き100ドル札を両替してもらい受付へ戻って来る。この間セキュリティーは付きっ切り。顔写真を撮って書類に必要事項を記入して会員カードを発行してもらう。書類には父親の名前を記入する欄があり書かされる。父親の名前を書くのは何年ぶりだろうか。
 中は結構広い。入ったところがテーブルゲーム。その右側にテーブルゲームの半分のスペースでスロットマシーン。奥の1段高いところにバーとレストラン。例により一回りしてテーブルゲームを数えてみる。ルーレット22、ポーカー5、ブラックジャック13。ブラックジャックのミニマムが2,000ドラクマのテーブルはもう人がいっぱいで手を伸ばす隙がない。まあゆっくりと、と考えバーへ行きジントニックを頼む。アテネでは入場料の領収書で1ドリンクくれたから、領収書が良く見えるようにしていたが何の反応も示さない。1,500支払う。
 ミニマム2,000のテーブルの客はいっこうに減らない。16:00過ぎだから客の増える事はあっても減る事はないだろうと思い、5,000のテーブルに入れてもらう。私が自分のチップを置く場所に5,000チップを置くと、右隣の人がその人の置く場所にはおかずに私の所に乗ってくる。全体のチップの箇所を増やしたくないのだ。つまり私は歓迎されていないのだ。早々にそのテーブルを離れ、ディーラーがいるけど客がいないテーブルに行き、オープンしてくれるように頼む。1人の場合には2箇所に賭けてくれと言うので当然OKする。でもディーラーがシャッフルを始めると3人の客が新たにテーブルに着き私1人ということはなくなる。
 プレイ中ウェイトレスが来たのでジントニックを頼むと無料であった。こちらからバーへ行くと有料で、持って来てもらうと無料ということだ。
 レストランとバーの下、半地下にまだテーブルゲームがある。さっき数えた数字を訂正しなければならない
 19:00になったら様子を見に外へ行こうかと考えていると、5分ほど前に受付の女性が迎えに来る。娘さんが待っていると。
 これで終わりにする。手持ちは160,000ドラクマ。300ドル両替したから100ドルちょっとの勝ちか。BANKを覗くと外貨からドラクマへ両替するレートは表示されているが逆はない。再両替はしないようだ。
 次女の話ではホテル ポセイドンのプライベートビーチへ行ったそうだ。すごくきれいで泳いでいるのは子供が数人だけ。大人は日光浴。ホテルの建物は高層ではなく、コッテージ風でいわゆるビーチリゾートだそうだ。岩場にも行ったらしく右足の親指を切ってしまいバンドエイドを貼っている。
 カジノで私を呼ぶのも大変だったようだ。中に入ろうにもパスポートも持たないし、最終的にはTamaniwaと字を書いてみせコンピューターから顔写真を出して貰ったそうだ。
「私が23歳と言っても誰も信じてくれないんだよ。」とも。
ニコルさんには100,000ドラクマ支払う。
 アムステルダムのスキポール空港で本当に最後のカジノ。たった1時間遊んでいただけだが色々な人が来る。搭乗待ちの時間に遊ぶだけなのに1,000ギルダー札を両替する人。この時まだ1ギルダーが幾らか知らなかったが高額だなとは感じた。
 また自分で独自にチップを置かないで人に乗っかっているのに、ヒット、ステイを指図する人。ヒット、ステイの権利はないと言っても守らない。チップを置く場所はいっぱい空いているのだから、独自にチップを置いて誰にも文句を言わさずヒット、ステイすればいいのに。本当に不思議だ。
 出発45分前に終了する。100ドルが723ギルダーになる。再両替を頼むと100ドルと490ギルダーくれる。往きのときは140ドル全てドルでくれたけど今回は最初に両替した100だけドルでよこし、儲けの部分はギルダーでということらしい。50m先のEXCHANGEで両替してもらい、197ドルになる。
 スキポール空港では退屈しないですむ。これからは日本から直行便のないヨーロッパの国へ行くのにはこのアムステルダム・スキポール空港経由にしよう。
 ツアー費用は66万円/人でした。ちなみに阪神航空は1日遅い出発で、船の部屋は多分シャワー付きで、便は違うが同じ帰国日で419,000円/人で広告していました。
第21報終わり
ベルテルスマン世界地図帳より拝借

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