ニース、サンレモ、モンテカルロ

1999年5月2日~11日  

パリにはカジノがない
 「フランスに行くならパリにも行けばいいじゃん。」とは友人の深海氏の弁だが、パリにはカジノがない。フランス全土で130箇所以上のカジノがあるようだが、ナポレオンの「パリの100km以内には賭博場を作ってはならない。」というのが効いているらしく、今もパリとその近郊にはカジノがない。
 会社の給料日が毎月5日なので5月はいつも2日に支払いになる。今年は2日が日曜日なので1日が支払日。社員に給料を支払ってから旅行に出かけるので、今年は5月2日の出発となった。5月6日あたりに出発すれば航空券が安いのは分かっているが、みんなと同じに休んで航空券が安くなったから旅行に行ってきます、というわけにはいかない。少しでも休みを利用しないと。
 出発日、帰国日、宿泊先すべてを指定して旅行会社に手配してもらった。移動はレンタカー。初めての私ただひとりの旅(今までは1人で旅行といっても、ツアーに参加していた)で、私にとっては大冒険だ。
5月2日 メルキュール・ノートルダム着
 予定通りにニースのコートダジュール空港に到着。20:00であったが外はまだ明るい。スーツケースを取り予約してあるハーツレンタカーに行くが混んでいて、空港を出たのは21:00過ぎだった。車はプジョーの306、オートマチック。カローラクラスか。走行距離は2,000kmで新車同様。エンジンの調子も良い。
 さすがにもう暗い。地図を見ると最初のホテル、メルキュール・ノートルダムは海岸沿いの道を右側に海を見て走り、ニースの街に入ってからル・メリディアンの角を左に曲がって、途中右左折あるが、2~3km行った右側にあるはずだ。そしてニース駅に比較的近い。
海岸通りを東に向って(ニース方面)進むが、途中ニースセンター方面という標識が出ていたので、ニース駅方面かと勝手に解釈してそちらに進むが、山の方へ行きだんだん寂しくなる。これはまずいと海岸通りへ戻る。
ネオンサインぴかぴかの中ル・メリディアンを左側に見つけるが、左折したい道路は3車線ともすべてこちらを向いている。一方通行の出口のようだ。(翌日よく見ると、3車線の横に歩道があって、その歩道とル・メリディアンの間に狭い道路がありここは左折可であった。)
 直進して左折、左折で戻ればよいと考え、左車線を走り次の交差点を左折するとトンネルの入り口だった。交通量が多く止まることも車線を代えることも出来ず、そのままトンネルに進入せざるを得なかった。このトンネルが一方通行で長く曲がっている。トンネルを抜け出たときにはどこだかさっぱり分からなくなっていた。手持ちのニース市街地図にも出ていないところだ。少し走ると人通りが多くなりビジネスマンらしきスーツ姿の人がいる。ニース駅やル・メリディアンを尋ねるが全然分からない。海なら分かるかと思い、“海はどっちだ、あっちか。”と指差すとうなずくのでまたスタートする。
しばらく走ってから、子供と犬を連れて散歩している(夜なのに散歩としか考えられない)若い男性にニース駅を尋ねると、鉄道の駅かと言う。そうだと答えると、その角を左折しまた次の交差点を左折すれば駅の前に出ると教えてくれた。私の英語を理解し、私に理解できる英語でしゃべってくれた。
 4年前の第3回ラグビーワールドカップを見に南アに行ってきてからNHKの基礎英語を聞いている。3年もやったらペラペラになってすごいんだろうな、なんて思ったが4年経っても進歩は微々たるものだ。
 さあようやく到着だと思ったが、地図に出ている大通り沿いを見るがメルキュールはない。その近辺を何回も往復するがない。車を止め歩いて探すと、大通りから東に入った路地沿いにメルキュールはあった。到着したのは22:30。1時間半もかかってしまった。
メルキュール・ノートルダムはビジネスホテルのよう。カジノ付きのル・メリディアンに泊まりたかったのだが空いていなくてこちらになってしまった。
5月3日 晴れ 市内観光
 6:30になるのを待って朝食に行く。年のせいか時差ぼけのせいか分からないが早く目がさめる。8:00前にホテルを出て旧市街にあるサレヤ広場に行く。火~土は花市場だが月曜日は骨董市だ。使い古した銀食器やネジ巻き式の柱時計など色々なものが並んでいる。
 その後城址公園へ向う。この公園は路上駐車している車でいっぱいだが人影は殆どない。車を置いてどこへ行ってしまったのだろうか。丘の上だからいっそう不思議だ。ここだけでなくどこも路上駐車の車でいっぱい。
城址公園からのニースの街 繁華街とは反対側
道幅は結構あるのだが両側に駐車している車、その内側で荷物を降ろしている車、と通行可能な道幅は狭くなっているところばかりだ。また一方通行に駐車している車の向きが反対なのも多く、一瞬一方通行を逆に入ってしまったかと錯覚することもしばしばだ。この城址公園は眺めがよいが、木が多く展望スポットは数箇所。
 他に行くところもないのでシャガール美術館へ行く。10:00前に着いて5分ほど待つ。入場料は30フラン。絵は宗教画なのか背中に羽が生えているものが多い。もともと芸術に縁がないのに宗教も絡んでくるともうお手上げ。
マチス美術館の入場料は25フラン。油絵の静物画や人物画は写実主義というのか、私が見てもまともな物が多い。デッサンなどは色々な物がある。シャガール、マチス共に1960年代の作品が多い。日本人団体客もいた。
今日の運転は土地勘が良く、地図を見ながらピタッと目的地に着く。一方通行で思った道に入れなくてもすぐ修正できる。私も皆と同じように路上駐車するが前の車ギリギリには停めない。後ろにピッタリつけられたらにっちもさっちも行かなくなるから。
昼食
 昼頃ホテルに戻り昼食に出かける。ホテルから4~5分歩いたビスカラカフェというパブ風の店。シーフードサラダとビールを貰う。フランスパン付き。51フラン。ビールが11フランだったからサラダは40フランだ。皿にトマトで縁取りをしてレタス、玉葱、ピーマンを盛りツナを乗せたものだ。かなりしょっぱい。オリーブオイルをたっぷりとかけてある。煙草も販売しているが共に客は多い。ビールはこの店が一番安かった。
夕食
 カジノは17:00からかと思い、16:30にタクシーでル・メリディアンへ行くが、テーブルゲームは20:00からだと言う。スロットマシーンはやっているので挑戦してみるが、すぐに500フラン(約1万円)負けてしまう。
18:00前少し早いが夕食にしようと思い、日本料理屋“神戸”に行くが店主は19:00からだと言う。「暇なら読むものをあげますよ。」と言って週刊の日本語新聞「フランスニュースダイジェスト」をくれた。海沿いのバー&レストランでビールを飲みながら新聞を読む。面白い広告があった。朝日新聞のもので、新聞を3ヶ月以上契約すると雑誌を2か月分ただでくれる、というものだ。日本の新聞は外国でも景品つきで拡販競争しているのだ。
もうひとつ非常に気になる記事が出ていた。
これは本当だろうか。署名記事だから嘘は書かないと思うけど。いずれロシアのサンクト・ペテルブルグにも行ってみたいと思っているがアエロフロートはやめにしておこう。
 19:00から夕食。歩きすぎて足が痛いので神戸には行かず、カジノのそばのレストランに入る。74フランのセットを頼む。サラダはトマトサラダ。ここでもオリーブオイルがたっぷりとかかっている。メインは白身魚にソースがかかった物。パスタ、インゲンが添えてある。味はいまいち。値段が安すぎたか。ここではビールは20フラン、アメリカンコーヒーは10フラン。ただコーヒーというとエスプレッソが出てくるので、日本式のコーヒーを飲むにはアメリカンコーヒーと言わなければならない。それでも濃い。カフェオーレにして丁度いいくらい。
ル・メリディアン カジノ
 20:30頃カジノに入る。テーブルゲームの部屋の入場料は75フラン。入場料を取るカジノはあちこちにあるが、料金に見合うだけのポーカーチップをくれる。がここは何もない。
 室内はルーレット6台、フレンチルーレット5台、ブラックジャック7台、バカラ3台という構成。フレンチルーレットとは、テーブルそのものが大きくディーラーが熊手でチップを動かしているもの。ルールは普通のルーレットと同じだがミニマムを高く設定している場合が多い。稼動していたのは月曜日のせいかルーレット2、フレンチルーレット1、ブラックジャック1だ。これでもフランス第4位の売り上げのカジノだ。ミニマムはルーレットが25フラン、フレンチが100、ブラックジャックも100。カジノでの両替レートは1米ドル=5.5フラン。街中では5.9フランであったが。
 米ドルのトラベラーズチェックを出すと、クレジットカードは何を持っているか聞く。VISAと答えると、それを出せと言う。2,000フランをクレジットカードで出してくれた。両替するよりも手数料がかからず得だと言う。でもお金を借りてまで賭け事をしないという私のポリシーはあっけなく崩れてしまった。
 22:30までやるが500フランの負け。スロットと合わせて今日は1,000フランの負けだ。
まだ時間は早いのだが、ミニマムの100で私を含め3人でのんびりやっているところに、大きく賭ける人が来て他人のやり方にケチをつけ始めたのでやめにした。他の2人は嫌気がさしてとうにやめている。
5月4日 雨 カンヌへ
 10:00ちょっと前の出発でカンヌへ向かう。いつの間にか有料道路に入っていた。グリーン地の道路標識はこちらでも有料道路への案内のようだ。15フラン。標識もわかりやすく1時間でカンヌへ到着。雨は上がっている。海岸沿いにホテル、ブティックが並んでいる。海岸は砂浜で濃い茶色。ニースは砂ではなく砂利、色は白に近いグレー。
 カンヌのほうがニースより良さそう。ニースのル・メリディアンはたいしたホテルではない。格式の高そうなネグレスコもあるがカンヌのほうが良いホテルが並んでいる。当初カンヌに泊まるつもりだったがコートダジュール空港に夜着くので、運転距離の短いニースに変更したのだ。
 カジノ3箇所を覗いて見る。テーブルゲームは、パレ・デ・フェスティバル内のカジノ・クロワゼットが19:30から、カールトン・インターコンチネンタルのカジノが20:00からで、ノガ・ヒルトンのカジノは閉鎖中だった。カジノは覗いただけで西へ向かう。
サンラファエルへ
 14:00前サンラファエル着。ヨットハーバーの横のレストラン ア・ラ・マリーで昼食。適当にシーフードセットプリーズとか言って頼むと、直径40cm位の大皿に牡蠣を始め生の貝3種、ゆでた巻貝2種、やはりゆでた海老が氷の上に盛られて出てきた。レモン1個も2つ割りなって乗っている。白ワインハーフボトル1本、コーヒー。(フランスパンは黙っていても出てくる。)シーフードはそんなにしょっぱくなくおいしかった。シーフードプラター170フラン、ワイン75フラン、コーヒー15フランの計260フラン。1万円位取られるかと思ったが意外と安かった。
 ワインを飲んだので車の中で昼寝をし、酔いを醒ましてからサンラファエルの街を一周する。サンラファエルの街にもカジノがあって、正面入り口横には景品の車が飾ってある。ラスベガスなみだ。外観の写真を撮っただけで中には入らずカンヌへ戻る。写真を撮るための2,3分の間でも駐車するための場所を探すのに苦労する。
 3,4月にNHKのBS2で岩窟王モンテクリスト伯をジェラール・ドパルドューの主演で放映していた。小学校低学年の頃、岩窟王や三銃士をラジオで聞いたことを思い出し、どんな内容だったかなとちょっと見るつもりだったが、面白く全4回すべて見てしまった。この主人公モンテクリスト伯ことエドモン・ダンテスの生まれ育ったところがマルセイユだ。マルセイユまで行こうと思ったが遠く日帰りできそうもないのでやめにした。次の機会にまわそう。
 カンヌ-サンラファエル間は片側がすぐ海。もう一方は山で湯河原-熱海間を走っているよう。違反をするわけにはいかない。まして事故などもっての外で、法定速度で走っていると私の後ろは数珠つなぎ。道路わきにスペースがあるとそちらに寄って後続車をやり過ごしのんびりと進む。景色がよければ写真を撮って。
カンヌ-サンラファエル間の風景
再度カンヌへ
 カンヌには18:30着。テーブルゲームが始まるまでスロットで遊ぶ。200フラン両替をしてポーカーゲームをする。ワンペアーでは配当なし。ツーペアーで1倍の配当、フォーカードだと100倍の配当と書いてある。終わりにするときには170フラン分のコインがあったから30フランの負けですんだ。
 テーブルゲームはルーレット4台、フレンチルーレット5台、バカラ1台、ブラックジャック3台。ここパレ・デ・フェスティバル内のカジノ・クロワゼットは全仏一の売り上げという割には規模が小さい。が部屋は広くスペースはたっぷりとある。入場料は70フラン。やはり見返りはなし。
 ブラックジャックをやっていて6,6が来た。ディーラーの札を見ると5。スプリットするとまた6で再度スプリット。16でステイ、15でステイ。3番目には5が来て11になったのでダブルにすると9が来て20になった。ディーラーは絵札を引いて15。次の札は、One more picture と念じるも6を引いて21になってしまった。
 最初に200フランを賭けていたから合計800フランだ。これを全部取られてしまった。これが痛かった。2,100フランの負け。
 ル・メリディアンでもそうだが皆静かにやっている。アメリカ、オーストラリア、フィリピンのように賑やかではない。24:00にメルキュールに着く。夜でももう道は間違わない。夕食を食べるのを忘れていた。ルームサービスでサンドウィッチを頼む。フランスパンのサンドウィッチを持ってきてくれて40フラン。
5月5日 晴 マントンへ
 8:00出発でサンレモに向かう。何時に出てもいいのだが早く目が覚めてしまい何もすることがないので出発となる。
 途中ニース-モナコ-マントンと書いたバスとしょっちゅうすれ違う。路線バスが頻繁に走っているようだ。結構賑やかなところに来たので、ここはマントンですかと聞くと違うと言う。もっと先のカジノがあるところがマントンだと言う。この辺りは小さな街にもカジノがある。それもその街一番の賑やかなところにあり、街の目印になっている。日本だと駅ということなのだろうがこちらではカジノだ。
 海岸沿いにジャン・コクトー美術館があったので寄る。20フラン。カメラを見てノーフラッシュというだけ。撮ってもいいようだ。コートダジュールは美術館だらけ。ニースとカンヌの間にあるアンティーブにはピカソ美術館がある。その隣のヴァロリスには国立ピカソ美術館があるようだ。共にそばを通りながら寄らなかった。頭の中にピカソのピの字もなかった。一番のビッグネームなのに。今思えば寄っておけばよかった。わからないなりにも。このコートダジュールは絵画好きにはこたえられない地域だろう。
 浜に下りて水に触ってみる。冷たくはない。曇り気味で気温がそんなに高くないので泳いでいる人はいない。小さな街でも港にはたくさんのヨットが係留されている。お金持ちでなくてもヨットが買えるのだろう。
 マントンから1km程で国境。出入国管理事務所があり道路にストップと書いてあるから止まるが誰も出てこない。遮断機も上がっているのでそのまま進む。イタリア入国のスタンプは貰えなかった。
イタリア入国
 イタリア最初の街はヴェンテミリア。銀行を見つけ両替を頼むといやそうな顔をしていたが、US$というとすぐに両替をしてくれた。こんな田舎町で日本円を貰っても困るんだろうね。200ドル=358,635リラ
ジャン・コクトー美術館の外側
ジャン・コクトー美術館の内側
 海岸沿いのレストランで昼食。スパゲッティー、サラダ、ビール2本で34,000リラ。イタリアだからまずスパゲッティーと思い注文したが味はいまいち。日本でいつも食べているほうがおいしい。
サンレモへ
 サンレモのロイヤル・ホテルには14:30着。どこにも寄っていなければ国境から1時間位か。良さそうなホテルだが私の部屋はやはり狭く眺めも悪い。内装は壁、天井、ドアーの内側、クローゼットの壁すべてピンクの花柄。“花の街サンレモ”を十分意識している。
サンレモ ロイヤル・ホテル
 ホテルの庭からサンレモの駅が見える。駅の南側は海だがその間に公営らしき駐車場がある。大型バス10台以上、乗用車数え切れないほど沢山駐車している。有数の観光地なのだろう。帰りのパリまでの飛行機の隣に座ったイタリア人が、サンレモは金持ちの行くところだと言っていた。ついでにあんたも金持ちかと聞くから、とんでもないと答える。またサンレモは音楽祭で有名なところで、その昔伊東ゆかりが入賞した。
サンレモ カジノ-1
 16:30カジノを覗くともうテーブルゲームも始まっている。すぐにホテルに戻り着替えてから出直す。14:00からやっているらしい。フランスみたいに20:00からでは遅すぎる。1時間もしたら日本での私の寝る時間になってしまう。
 テーブルゲームはルーレット8台、フレンチルーレット16台、ブラックジャック4台、他にカードを6枚ずつ2列に並べてプレーするもの3台。テーブルゲームは2階で1階にはスロットが数知れず。部屋はかなり大きい。フランスのどこよりも大きいんじゃないかと推測する。もっともフランスの130余箇所にたいしてイタリアには4箇所でしかカジノが認められていない。
 サンレモの他はベニス、サンバンサンとスイス内にあるイタリアの飛び地カンピオーネだ。このカンピオーネ、スイス内にあるがイタリア領なので当然スイス政府は税金を取りに来ない。イタリア政府も遠いから税金を取りに来ないという。本当だったら地上の楽園ということになる。
 いつものごとくブラックジャックのテーブルに座りミニマムの20,000リラで始める。18:00過ぎにお腹がすいたので食事をするところはあるかと聞くと、「まだ早い、20:00にならなければどこも開かない。バーに何かあるだろう。」と言う。カジノ内のバーでサンドウィッチとビールを頼む。14,000リラ。
バーマンはフォーティーンと言って千の単位を省略している。何をやってもすぐ何万になる。なにしろトイレチップが1,000リラだから。ポーカーチップに替える人のお札を見ていると500,000リラ札というのがあった。
 こちらの老婦人の香水はきつい。私の両隣に老婦人が着いてしばらくプレーしていた。左側のご婦人の香水は特に強く私のスーツに移り翌日まで匂っていた。
 22:00過ぎに終わりにしたときにはポーカーチップは500,000リラになっていた。元手が200,000だったので300,000の勝ちだ。30万ドルでもなく、30万円でもなく、30万リラ。2万円くらいかと思ったがもう少し少ないようだ。
 階下に降り受付で開始時間等確認していると、今来たばかりの人が人なつっこそうな顔で一緒に行こうとエレベーターのボタンを押す。終わって帰るところだと言うと、うなずいて中国人だと言う。私は日本人だ、明日会おうと言って別れる。中国人と間違えたようだ。
夕食
 私の感覚ではもう遅いので、夕食はホテルで摂ることにする。何といってもイタリアだから。ついこの間ナポリで一人旅の日本人が殺されている。
 メニューからメロンと生ハムの前菜、魚のメインを選ぶ。ワインは白のハーフボトル。生ハムは塩気が日本のものより薄い感じだが結構な量がある。魚が出る前にパスタが出てくる。これでお腹はもういっぱい。ウェイターがナイフとフォークで器用に魚の骨を取ってくれたが、まだ小骨が沢山残っていた。値段は忘れてしまった。
5月6日 曇 観光、買い物
 8:30頃から街を車で回ろうと出発。ホテルからメインストリートへ出るまでの道は狭く曲がりくねっている。うっかり左側を走ってしまった。前から来た車はすぐ止まってくれた。ボケていたのだろう。危ない危ないと右側通行に戻る。
 山のほうの住宅街でも道路は駐車している車でいっぱいだ。思うに家の車庫代わりに道路を使用しているのでは。また下へ降りて港に行くと遊覧船に人が乗り込んでいる。私も乗ろうと思い駐車できるところを探すが道路はいっぱい。1階がスーパーで地下が駐車場になっているところにもぐり込む。
 遊覧船はヴェンテミリア方面へ行って戻ってくる1時間ほどの行程。乗っているのはジイチャン、バアチャンばかりであった。18,000リラ。
 駐車場には誰もいないので1階のスーパーで駐車代を払おうとするが、無料でチケットに書いてある数字を押せば遮断機が上がると言う。言うとおりにやるが何度やっても遮断機は上がらない。そうこうしているうちに夫婦者が入ってきたので聞くと、自分でも試してからチケットを良く見て、「1時間を過ぎているから駄目だ。1階へ行って開けてもらいなさい。」と言う。
 また1階の事務所に行くが今度は誰もいない。しばらく待っているとさっきの夫婦者が買い物を終えてレジのところに来た。待っている私を見てレジの女の子にイタリア語で説明してくれた。そして私には「下で待っていな、すぐ開くから。」と言ってくれた。無事脱出できる。
 ホテルに戻り今度は徒歩で街をぶらぶら。次女がバッグを買ってきてと言っていたのでイタリアブランドのFURLAというメーカーのブティックに入り購入する。A4サイズが入らないと駄目ということなので持参してきたA4の紙を当てて確認する。240,000リラ。財布も1つ。こちらは135,000リラ。
 日本円だとこうなると言って電卓を持ってきて17で割っている。240,000÷17=14,118。(帰ってきてから新聞を見ると14.5程度だった。)日本人は全然見かけないけど結構来るのだろうか。税金還付の手続きもしてくれた。
計算してみると安いバッグだがきちんとした品物だった。帰ってきてから次女と電話で話をする。
「バッグ買ってきた?」
「買ってきたよ。それが24万もしたんだよ。」
「えっ~。24万も。そんなに高いやつ~。」
「そうだよ。リラだけど。」
「何だ、リラか。」
 昼食はピザ。買い物の帰りに店内ではなく道路に置いてあるテーブルで摂る。ビール大2杯共で22,000リラ。鳩が餌をねだりに来る。ピザをちぎってやるが少し大きいと食べられない。
サンレモ カジノ-2
 16:00丁度にカジノに入る。フレンチルーレットは始まっていたがブラックジャックは10分遅れで始まる。昨日見た顔が結構いる。昨日白っぽいジャケットに真っ赤なシャツを着ていた老紳士は、今日は薄いブルーのシャツに真っ赤なネクタイをしている。よほど赤が好きなようだ。この人は医者で名古屋と大阪に友人がいると言っていた。一人で大騒ぎをしていた中国人らしき若い(といっても30前後か)女性もいる。
 昨日少し勝ったがまた気持ちを新たにし、200,000リラをポーカーチップに換え20,000リラずつ賭けていく。調子よく少しずつ増えていく。7と7が来たときにヒットするとまた7が来た。スリー7の21だ。
 シャンパンの1杯も出るかと思っていたらディナー券をくれた。それもペアーで。あちこち行っているがここが一番高価な景品だ。シャンパン1杯のところもあるし、賭け金の3倍返してくれるところもある。もちろん何もないところもある。昨晩私を中国人と間違えた中国人が来たので軽く右手を上げて挨拶。
 21:00近くになってカジノ1階にあるレストランへ行く。ペアーでご招待といっても相手は誰もいず私1人。中国人にご馳走してあげようかと探したがどこにいるかわからなかった。
 アボガドとシュリンプの前菜。これはおいしかった。メインはビーフステーキ。ベーコンで縁取りしてある。一口食べたときはおいしく感じられたが少し味が濃い。ワインは赤のハーフボトル。
 男性シンガーがギターの弾き語りをやっている。一曲終わっても誰も手をたたかない。私がたたくと皆たたき始めた。
 リッチマンが入ってきたので、儲かっているか聞くと駄目だという返事。リッチマンとは、若いが大きく賭けて負けても負けても財布からお金を出しているので、私が勝手に名付けた。
 最後にアメリカンコーヒー。チェックアウトしてもらうとナッシング。ワイン、コーヒーくらいは払おうと思っていたのに全くのただだった。
 手持ちは800,000リラだったがご招待ディナーでつきを使ってしまったらしく、食後は落ちる一方で元の200,000リラになってしまった。でもまた持ち直し24:00には600,000リラになり今日は400,000リラの勝ち。
5月7日 晴 モナコ方面へ
 朝食のとき夫婦者に話しかけられる。ただ観光に来たではつまらないから、カジノ遊びに来たと言うと旦那のほうが乗り気になって、ラスベガスのミラージュホテルで遊んだことや、コスタリカのカジノは良い、ディーラーがすぐ21オーバーして客はオートマチックに勝つとオートマチックを盛んに強調していた。奥さんはというと、ギャンブルは大嫌いでショッピングが好き、サンレモの次はローマへ行きショッピングするのだと言う。
 モナコ方面へ出発。国境には例によって誰もいない。ただ来た時とは違って1本山側の道を走っている。ヴェンテミリアで一方通行の道を標識どおりに走ってきたらこうなった。国境を越えたところで両替をする。715,650リラ×0.0032=2,290.08フランという計算をしている。
 モナコの手前ロックブリュンヌに寄る。ここは10世紀頃イスラム教徒から身を守るため山の上に砦を築き、住まいも砦と一体化している所。道は狭く曲がりくねっていて隣同士ピッタリくっついている。今も人は住んでいて土産物など売っている。通称鷹ノ巣村のひとつ。
 ここで昼食をと思い砦の入り口広場の一角にあるレストランを覗いていると、ピレネー犬みたいなのが寄ってきて吠える。人相はそんなに悪くないはずだけど。
ロックブリュンヌ
 こちらの人は犬が大好きなようだ。公園でも海岸でも犬を散歩させている。それも綱を離して。シェパードみたいな大型犬でもそうしている。犬が店に入れてくれないので広場の反対側の店に行くもセットメニューしかない。
 坂の下の駐車場横のレストランでウェイターが2階の窓から顔を出しているので、パスタはあるかと聞くとOK。シーフードスパゲッティー、ビール2本で77フラン。
モナコ到着
 15:00前モンテカルロのグランド・ホテル着。ホテルはすぐにわかったのだが入り口がわからず2周してしまった。2周目のときには入り口はわかったのだが行き過ぎてしまった。この入り口がF1グランプリのヘアピンカーブの頂点の所にあるため、行き過ぎてしまうと後続車がまったくわからず危険でバックできない。もう1周するはめになる。
 F1グランプリは13日からだがもう準備は十分だ。道路にガードレールをやり要所にはタイヤを2列に積んでいる。仮設の観客席も出来ている。スタート地点にはポールポジション始めスタート位置が道路にプリントしてある。
 部屋はようやくまともになった。部屋の前がグランカジノの裏側。ポーターが向うはオールドカジノ、こちらはニューカジノと説明してくれる。
このホテルには日本人スタッフがいる。彼にグランカジノの地下でやっているショーの予約を取って貰った。21:00からの部で、内容はパリのクレージーホースと同じという。帽子、前バリ、靴姿で女の子8人が踊っている。
 入場料は決まっているわけではなく、中で飲み物を注文すればよい。ジンや赤ラベルのウィスキーが350フラン、コニャックや黒ラベルのウィスキーが450フラン、シャンパンは1,000フランから。シャンパンは2人でOK。
この中からどれかを注文すればよい。私はコニャックを頼んだがしばらくしてから2杯目が来た。(2杯で450フランだった。)
グランカジノ
コニャックはストレートできたのでミネラルウォーターを頼んだが、これはサービスだった。客は30人程。満員でも100人は入らない。
 ロンドンのレイモンドは客席が広くステージから遠くなる可能性はあるが、第2回ワールドカップの時は15ポンド、その2~3年後は17.5ポンド。
こちらは飲み物がつかないけれど安いし、なんと言っても前バリなしなのが良い。でも2~3年あいだをあけて見たのに同じ出し物だったのにはびっくりした。
グランカジノ
 ショー終了後グランカジノを覗いてみる。入場料50フラン。(昼間この入場料50フランを払って内部観光する客はものすごく多い。)ルーレットが圧倒的に多い。ミニマム25フランからだが25フランチップでやっている人は誰もいない。
 両替所の前で1万円札30枚数えている人がいた。こんなに大金賭けるんですかと聞くと、一勝負してみると言う。隣で奥さんはニコニコしている。
 さらに入場料50フランとる部屋の前にブラックジャックがあった。ミニマム500フラン。皆おしゃれして優雅に遊んでいるのかと思ったがそんなことはなく、最低1万円も賭けているだけに目が血走っている感じ。社交場という雰囲気はまったくない。私には合いそうもない。私も1回に2~3万円賭けるときもあるが調子の出てきたときだけで、座るテーブルのミニマムは低いものだ。
 せっかく来たのだから何かしようと思い、再度50フランの入場料を払いその部屋のバカラのテーブルに座る。やはりミニマムは500フラン。バカラはバンカー、プレイヤー、引き分けのどれかに賭ける。バンカー、プレイヤーという名前でなくてA,Bとかイ、ロでもなんら問題はない。カードを2枚ずつ配り一の位が9に近いほうが勝ち。双方とも一の位の数が小さい場合には3枚目を配る。絵札は0に数える。引き分けの場合にはバンカー、プレイヤーのどちらかに賭けたポーカーチップは戻ってくる。
だからルーレットの赤黒だけをやるならバカラの方が良い。ルーレットでは0、00が出た場合には0,00以外に賭けたチップは取られてしまうから。
 客はバンカー、プレイヤー、引き分けのどれかに賭けるだけで、それ以外の選択肢はない。一番簡単な賭け方はしばらく見ていてついている人と同じに賭けることだ。(これは他のゲームでも同じ。)ついていない人の反対に賭ける手もあるが、やられた人は気分を害するよね。(1度やられたからわかるんだけど。)
 バカラは非常に単純なゲームだけど別名悪魔のゲームと呼ばれ、
カジノで破産した人の殆どがこのゲームによるものだ。ラスベガスで3億円負けた政治家がいたがやはりこのゲーム。20回ほどやって元の時にやめにする。
 グランド・ホテル内のサンカジノはアメリカンタイプと銘打っているだけあってフランクなもの。ノージャケットでも入れる。ショー前1,000フラン、ショー後1,000フランの負け。
5月8日 曇 モナコ市内観光
 午前中は水族館と海洋博物館へ行く。海洋博物館の前からアズールエキスプレス(市内観光用の豆汽車型のバス)が出る。12:00を回っているが結構客が乗っているので、私も乗ってみるが動き出す気配がない。確か昼休みは12:00~14:00だったから14:00にならなければ動き出さないんじゃないかと考え、熱帯植物園に行くことにする。高台にあって入場料は12フラン。植物園を回り園内にある鍾乳洞の入り口へ行くと閉まっている。やはり14:00からだと言う。5分ほど待って入場。ガイド付きで20人程の客。一番後ろからついて行く。鍾乳洞は300余の階段のダウン&アップだ。
鍾乳洞の中で
 こうして回ってみるとモナコも結構広い。高低が激しいので歩いて回るのはちょっと無理。モナコは5つの地域に分かれていてモンテカルロはその内の1つ。面積は1.95平方キロで皇居の2倍というから皇居も結構広いんだなと思う。
食事
 15:00過ぎホテルに戻る。日本人スタッフが丁度受付にいたので、ラーメンか焼きそばが食べたいがどこかないかと聞くと、この時間ではどこも開いていないとの返事。中華料理屋もないような話だ。
 グランド・ホテルの前のメトロポール・ホテルの食堂街へ行くがやはりどこも開いていない。バーが開いていたのでサラダは出来るか聞くとOK。サラダとビール2本。
 夕食はやはりメトロポール内の日本料理屋フジ。寿司刺しセットとビール、コーヒーで170フラン。寿司は小さく細い。やせている感じ。まあ外国で寿司を食べるのだから高くて味はいまいちに決まっている。アルバイトの女の子は流暢なフランス語で対応している。フランス語が上手ですねと言うとカタコトですよと謙遜していた。
今日の戦果
 今日のカジノは夕食前1,500フランの勝ち。夕食後も1,500フランの勝ち。でもちょっと調子がいいからと4枚賭けたら取られてしまったのが3回あった。やはり良い時2枚でやれということだろう。
 ここサンカジノの構成はブラックジャック15台、ルーレット12台、クラップス2台とスロットマシーン。
5月9日 晴 中華料理屋
 モナコには中華料理屋がないという。ちょっとした街には必ず中華料理屋があるという私の考えは直さなければならない。マントンに行くがモナコにないものがもっと小さなマントンにあるはずがない。
 今日は天気も良く気温も上がってきた。若者5~6人が海に入っている。ビーチには日光浴をしている人がいる。トップレスを見るとああフランスにいるんだなと実感が湧く。
マントン カジノ前ビーチ
 山道を通りロックブリュンヌの横を抜けラ・テルビュへ行く。ローマ時代の戦勝記念塔に登りモナコ全景を見る。街が急斜面に出来ているのが良くわかる。
 その後エズへ行く。ここもロックブリュンヌと同じ鷹ノ巣村のひとつ。やはり要塞跡に登る。土産物屋に小さな魔女の人形があったので購入する。ほうきを持っているもの他3点。1個35フラン。
 麓のイタリアレストランで昼食。ビールの大を頼むと1L入りのジョッキを持ってくる。スパゲッティーも日本の倍はありそうな量。
 でももう飽きてきた。料理も人も。やはり話し相手がいないとつまらない。一人旅の人も結構いるが飽きないのだろうか。友人の犬石万蔵氏はアイルランドに1年半もいた。それも北西部の田舎町コングに。よく飽きなかったものだと感心する。
モナコ全景 海に浮かんでいる黒い船はモナコの軍艦
 年金生活者で一定の条件を満たせば永住を認める国が結構ある。オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン等。フィリピンでは15万円/月あればメイドを雇い、通いの運転手を雇って生活できるという。私は冬のスポーツのラグビーを見るのは好きだが基本的に寒いのは苦手。引退したら暖かい国へ行ってのんびり暮らそうと思っていたが、8泊で飽きてしまうのだから考え直さなければいけない。
 ホテルのロビーに置いてあるモナコのショッピング、レストランのガイドブックに1軒だけアジア料理というのがあった。夕食はここポルテドールへ行く。
 ベトナム風、タイ風もあるがメインは中華だった。鴨肉ラーメン(47フラン)、ビール(25フラン)2本を頼む。注文を取りに来たおかみがたったこれだけ?と言う。ラーメンのスープはかなりおいしかった。タクシー代は60フランが2回でタクシー代のほうが高かった。
最後のカジノ
 夕食前2,000フランの負け。夕食後気分転換をはかって風呂に入り着替えて出かける。フランス人の若者3人と一緒になった。意気投合して相手のところに私のチップを置いたり、向こうのチップが私のところに来たりエールを交換している。非常に楽しいのだが私のチップは減る一方。別のテーブルへ移ると言うと、まだ駄目、もっとここで遊んでいけと言う。財布からフランを出して続けるがどうにも駄目。3人のうちの1人が席を立ったのをきっかけに私も別のテーブルへ移る。
 しかしやはり駄目で持っていた6,000フラン全部なくなってしまった。最後の晩だからと別の財布から200ドル出し両替する。1:30まで粘って4,000フランは取り返したが今日は4,000フランの負けという結果。
5月10日 無事日本へ
 ニースからパリまではエアーフランス。パリから成田まではJAL。そしてターミナルが異なる。
 パリで手荷物を取る羽目になってしまった。2~30分待ってスーツケースを取り、JALの搭乗口を探すがない。あせったよね。ターミナルが違うのでバスで移動するのをすっかり忘れていた。ようやくバスで移動するのを思い出し、JALの搭乗口へとたどり着いたときには飛行機が扉を閉めていた。扉を開けてもらって何とか飛行機に乗ることが出来たが冷や汗ものだった。乗り継ぎの時間はたっぷり取っておかなければいけない。ターミナルが異なる場合はなおさらだ。
 後はただ寝るだけ。帰りの飛行機の中ではいつも良く眠れる。
第16報終わり
ベルテルスマン世界地図帳から拝借
日程表

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