
アメリカ アラスカ
1997年8月10日~19日
今回は次女とアラスカへ
“親孝行したいときには親はなしといってね、あんたが親孝行したいなと思ったときには、もうお父さんは死んでいるんだよ。今のうちに親孝行しておきな。あんたに今出来る親孝行は一緒に旅行することだよ。”
と次女に言って今回の旅行が決定した。行き先はアラスカ。デナリ国立公園までは列車、その後クルージング。娘は大学3年生。
8月10日
成田―シアトルの実飛行は8時間30分。シアトルの郊外の山頂にはまだ雪が残っている。シアトルからアンカレッジまで3時間。昔ヨーロッパ行きの飛行機は全て給油のためアンカレッジに寄ったそうだが、今はシベリア上空を飛べるようになったため直行だ。そのため日本からアンカレッジ行きの直行便は出ていない。
16:00頃アンカレッジのホテルキャプテンクックに着く。当地1番のホテルだそうだ。指定された部屋はダブルのワンベッドルーム。いくら我が子とはいえ20歳の娘と同じベッドというわけにはいかない。プリンセスツアーの人に頼んでツーベッドルームと交換してもらう。
いつもは日本旅行にセットしてもらうのだが、今回はアメリカのプリンセスツアーの主催で、日本旅行は航空券の手配のみ。だから空港にガイドはいない。搭乗券の手配や乗り継ぎは全て自分でやらなければならない。つたない英語とボディーランゲージで何とかこちらの意思は相手につながるが、相手の言っていることが分からない。アンカレッジ空港に着いて、いつもの旅行だと“玉庭様”と書いたプラカードを持ったガイドが迎えてくれるのだが今回はいない。プリンセスのジャンパーを着た人に名前を告げ乗るバスを教えてもらった。
娘がサングラスを忘れたので(サングラスは氷河では必需品)郊外のダイアモンドセンターに出かける。アンカレッジ1番の大型モールだそうだ。この中のドラッグストアーには日本の大型スーパーと同じで何でもある。驚いたことにはガンコーナーもあって、ピストルはガラスケースに入っていたがライフルやショットガンはただ棚に並べてあるだけ。店員は誰もいずすぐねこばば出来そうだ。さすがアメリカと二人で感心していた。
夕食はホテルから5分程歩いたところにあるシーフード店、サイモン&シーフォーツヘ行く。すごく混んでいて待たされたがおいしかった。キングサーモン主体の料理をひとつずつ。ワイン1本。前菜に牡蠣1ダース。アラスカでは夏に普通の牡蠣が食べられるのだ。(ちなみに飯岡、銚子近辺では磯牡蠣といって夏に食べる大きな牡蠣が取れる。)牡蠣はもともと大好きでアイルランドでは1人で1ダース食べたことがある。生が一番だ。合計$101。20:30なのに日が少しかげってきた程度。いつまでも明るい。
8月11日
ホテルを7:15出発予定だが少し遅れ気味。雨。6:00頃には晴れていたが降ってきたので急遽帽子を買う。カウボーイハットをと思ったがなく、野球帽で我慢する。
8:15列車出発。2階が通常の座席。窓ガラスがアクリル板か何かで出来ているのだろう、壁から屋根までつながって見晴らしがいい。1階はレストランと厨房。レストランは出発してすぐに満員になった。朝食を摂らなかった人が多いのだろう。座席は4人掛けで真ん中にテーブルがある。同席したのは群馬から来た鈴木さんというお医者さん御夫妻。
鈴木さんは昨日大変な思いをしたそうだ。近畿ツーリストからもらった日程表にはアンカレッジ空港に迎えが来ると書いてあるのに誰も来ず、宿泊予定のホテルへ連絡したら予約が入っていず、本当に困ったと言っていた。ずっと椅子に腰掛けていたら土産物屋の人がみかねていろいろ調べてくれてやっと泊まれたとも言う。そういえばホテルから駅までのバスで私たちと会った時ほっとしたような顔をしていた。あまり頼りにはならないけどね。

ゆっくりと走る列車
14:30頃まで小雨が続いている。長袖シャツにセーターでも寒い。昼食は下のレストランで食べる。メニューはハンバーガー、サンドィッチの類ばかり。チリ何とかと書いてあるものを頼む。大きなパンをくりぬいてカレーが入っている。まずい。でも貧乏性だから全部食べてしまう。アラスカビールもおいしくなかった。一時はやったアイスビールのよう。
15:30デナリ到着。宿はデナリ・プリンセス・ロッジ。17:30になってもスーツケースが届かない。プリンセスツアーの受付でスーツケースは何時に到着するのか聞くと、どこかに電話してからスーツケースはフェアバンクスに行ってしまっている、ここには来ないと言う。寒いし歯ブラシも着替えもない。プリンセスの人が自分の着ていた防寒着を脱いで貸してくれた。また隣にある土産物屋のコンビニコーナーへ連れて行ってくれて、歯ブラシ、パンツをくれた。また必要な物があったらいつでもおいでと言ってくれた。
何で私たちのスーツケースだけ来ないのだと一人文句を言いながら部屋に戻る。鈴木さんのスーツケースは大丈夫かなと思い隣の鈴木さんの部屋に行くと、“皆そうですよ。荷物はフェアバンクスに行くので必要なものは手荷物にするように言ってました。”と言う。
部屋に戻って英文の日程表を見るとそれらしきことが書いてある。出発2日前に日程表が届き、なおかつ英文だったので読んでいなかった。娘は出発前日に家に来たから何も見ていない。それにしてもプリンセスツアーの人たちは非難がましいことは言わずに本当に親切にしてくれた。普通なら日程表に書いてあるでしょと怒られても仕方ない。でも鈴木さんの語学力は私よりはるかに上だ。それなのに何でもう少しでアラスカ無宿になってしまいそうだったのか。不思議だ。
夕食はロッジ内のレストランヘ行く。メニューを見ると前菜から始まってスープ、サラダ、メイン、デザートまで色々書いてある。昼にまずいものを食べ過ぎてしまったのでそれほどおなかはすいてない。メインのみひとつ貰おうと思ったが最後尾にスペシャルディナーが載っていた。その中からリブを頼む。めちゃくちゃ大きな皿に大きなリブ、アスパラガス、マッシュポテトが乗っていた。アメリカ人は大きいから(特に横に大きい)たくさん食べるのか、たくさん食べるから大きいのか。やはり私も全部食べる。ワインとも$62.9。チップを書く欄があるから$7.1と記入して合計$70支払う。
ロッジには露天のジャグジー(泡風呂)がありアメリカ人が入りながら本を読んでいる。私も入りたかったが水着がないのであきらめる。ロッジのフェンス沿いにへんな棒が立っている。よく見るとスプリンクラーだ。辺ぴな雨の多いアラスカにスプリンクラーだなんて。お金の使い道は他にもあるだろうに。
8月12日
5:50集合、出発のデナリ国立公園へのバスツアー。バスは満員。行きかうバスも皆満員。景色は雄大すぎていつも同じよう。熊、ムース、カリブー、雷鳥がたまに見える。動物が現れて大騒ぎしなければ皆寝入ってしまうだろう。

熊 バスの中から
水は豊富。雪解け水だろうが幾条にも小さな流れがある。まとまった大きな流れもある。当然緑も豊か。ところどころに置いてあるトイレは全て水洗。ただ足で強くペダルを踏む必要がある。
15:00頃ロッジ着。雨は今日はなし、曇り時々晴れ。晴れると少し暖かくなる。
16:00出発の列車でフェアバンクスへ向う。夕食は車内で17:00から。まだ早いからあとでと言うと、今食べないとフェアバンクスに着いてからになってしまうと言う。
スモークサーモンとパスタ。スープかサラダが付いて$20。アメリカ製にしてはおいしい。昨日の昼食のパンとは大違い。
フェアバンクスには21:15の到着。バスの中でホテルのキーと明日の予定表を貰う。なんとスーツケースは今日の22:00までに部屋の外に出せと書いてある。明日は5:00ホテル出発で6:15のフライト。これからやっと巡り会うスーツケースを22:00までに出すのは無理なので30分延長してもらう。昨日のプリンセスロッジの方が時間的に余裕があったのにスーツケースが来なかったのはやはりおかしい。シャンプーをして髭もきちんと剃る。
このホテルはフェアバンクス・プリンセス。木造3階建てだが洒落た造りだ。ゆっくりしてみたい。日程の都合でちょこっと寝るだけなのは惜しい。最初広告を見たときはのんびりとしたアラスカ旅行というイメージだったがだんだんハードになってくる。
8月13日
4:20起床の5:00出発。6:15フライトのアンカレッジ経由ジュノー行き。アンカレッジで3時間ほど停まっていたが出発。しばらくして着陸態勢に入ったと思ったがまたスピードを上げ水平飛行に移る。30~40分してから着陸。飛行場にはケチカンと書いてある。ここはジュノーかとスチュワーデスに聞くと、ジュノーは天候が悪く降りられずケチカンに着陸したと言う。このとき12:00頃。
これは困った。アラスカ航空のカウンターに行き、我々の予定はジュノーから軽飛行機でスキャグウェイへ行きそこでリーガル・プリンセス号に乗るのだと説明。ジュノーにすぐ戻れないなら、ここケチカンにも軽飛行機がありそうだからそれをチャーターしてスキャグウェイに行きたいと言うと、返事はスキャグウェイも悪天候だから無理だと言う。それでは車でスキャグウェイまで行きたいが何時間かかるかと聞くと、道路がないと言う。アラスカの南東部は島ばかりで橋がない。このケチカン飛行場も小さな島にあるようだ。とにかく日本語を喋れる人を出して欲しいと言うと、電話をしてアラスカ航空の通訳が出てきた。今プリンセスツアーと連絡を取っているのでしばらく待って欲しいと。
仕方ないので空港ロビーで軽食を摂りながら待つことにする。連絡待ちを鈴木さんに頼み空港周辺を歩いてみようと外に出るが、フェリー乗り場と水上飛行機乗り場しかない。
15:00になっても何の連絡もない。またアラスカ航空のカウンターへ行くが、カウンター内の人は全て入れ替わっている。また最初から説明しなおして通訳の人に出てもらう。
プリンセスツアーと連絡が取れた。20:39発のジュノー経由シトカ行きに乗れ。シトカでプリンセスツアーの人が待っており宿も取れたと言う。あきらめて20:39発の搭乗券を貰う。
まだ時間が早いので4人でダウンタウンへ行くことにする。この間私たちがケチカン空港にいることをプリンセスは知っているのに何の連絡も来なかった。エアポーターという小型バスに乗りフェリーで向こう岸へ渡りダウンタウンへ行く。市庁舎も郵便局も全て空港とは陸続きではなくフェリーに乗らなければならない。
少し早いが夕食を摂ろうということになり運転手においしい店を尋ねる。教えてもらった店はアナベルスと言う西部劇に出てくるバーのような店構え。私たちは海老カクテル、オイスターチャウダー、シーフードスチーマー、それにやけくそでシャンパン。鈴木さんは蟹を食べに来たといって常に蟹を頼んでいる。この店はおいしかった。全員でおいしいを連発して全部平らげる。チップ込み4人分で$90。これは安い。今までの半分だ。

行く予定でなかったケチカンの町の入り口
食事前にワンアワーフォトというのが通り道にあったので、撮り終わったフィルム3本を出しておいた。食後出来上がり予定の17:45を30分過ぎていたので、もうとっくに出来上がっているだろうと思いながら取りに行ったら店が閉まっていた。18:00で営業終了らしい。それでも中に人がいたのでドアーをどんどんたたいて開けてもらった。マネージャーらしい人がいて対応してくれた。危うく3本分の写真がパーになるところだった。
エアポーターの時間まで少し余裕があるので土産物屋に入る。アラスカの包丁ウルを長女に、ワイルドフラワーの壁飾りを奥さんに。あと石のコースターがあったので購入。女店員がこのコースター20個をわしづかみにして包装紙の上に乗せ“Heavy”と独り言を言う。私が“You are powerful.”と言うと笑っていた。
19:00のエアポーターで空港へ戻る。フライトは20:39から21:22に変更になっていた。目的地のシトカ(リーガル・プリンセスの寄港地になっている。)はケチカンとジュノーの間にある。ジュノーに着陸したときに、シトカに直行すればもうとっくに着いているのにと思っていると、飛行機に日本女性が入ってきた。玉庭さんですかと尋ねる。そうだと答える。
“プリンセスツアーから頼まれて来ました。ここで降りてください。宿はここジュノーに取ってあります。シトカではありません。”と言う。鈴木さんにも連絡して全員で降りる。ああそうだスーツケースを預けてあるので降ろして欲しいと頼むがなかなか出てこない。やっと出てきたのは娘と鈴木さんの奥さんの分2つだけ。私は自分で探すから飛行機の荷物置場に入れさせてくれと頼むが断られる。最後には、たぶん飛行機に積み忘れたのだということになり、また着た切り雀だ。
結局ホテルに着いたのは24:00。ああくたびれた。
バラノフとロシア名の付いたこのホテルは、アラスカ州の州都ジュノーで一番というが狭くたいしたことはない。でもバーやレストランにはそれなりの雰囲気がある。
8月14日
今旅行中初めてのモーニングコールなしだが7:30には目が覚める。娘は8:30。9:00より朝食。エレベーター内で私達の方を見ている日本人らしき夫婦がいる。“おはようございます。”と声をかけると、アラスカに来て5日ぶりに日本人に会ったと言っていた。他に比べれば少ないことは少ない。
10:00前昨日飛行機に迎えに来てくれたミドリさんと連絡を取り、11:00にホテル待ち合わせで氷河見物に行こうということになった。14:00から水上飛行機で氷河見物(サーモンのバーベキュー付)、17:30よりヘリコプターで氷河に降り立つツアーと2つ行くことにする。
鈴木さんは水上飛行機のみ。ノルウェー、スイス、カナダでも氷河は見たから今日は1回でいいと言う。なにせ私達は初めての氷河だからがつがつしている。リーガル・プリンセスのクルージングでの氷河見物も今日やっているはずだ。
14:00までは鈴木さんの希望でスーパーへ行く。鈴木さんは紅茶を買う。私はまたスーツケースがないので靴下、パンツを探すが靴下だけ見つける。ホテルのそばのメンズストアーでパンツを見つけるが$15。高かったけれど背に腹は変えられず購入。あとで見ると3枚組だった。ハンカチは夜洗えば朝には乾いている。

水上飛行機からの氷河
にごった川に着水しタクハウスというサーモンバーベキューの店に行く。私達が降りると今までいた人達が水上飛行機に乗り込む。他にも3機の飛行機が停泊している。私達が乗ってきた飛行機が一番小さく機長ともで7人乗り。水上飛行機はフロートの下に車輪も付いていて滑走路からも離着陸できとても便利だ。アラスカでは必需品だろう。料金はミドリさんの分の半分を負担して娘ともで$300。
17:30からのヘリコプターツアーも素晴らしかった。ホテルや道路からは緑の山しか見えない。この緑豊かな山を越えるともう氷河だらけ。360度氷河だ。水上飛行機で行ったところは緑があったがここは緑のかわりに岩肌。着陸地点に星条旗が立ててある。ヘリコプターは6機、4~5秒づつずらし飛び立つ。着陸も同様だ。遊覧場所はそれぞれ異なりかなり岩肌近くも行く。着陸地点には6人以上の係員がいて客の面倒を見てくれる。着いたヘリコプターは今までいた客を乗せ戻っていく。
係員の中に日本語を喋れる人がいて私達を案内、説明してくれる。サッポロに2年いたそうだ。寒いところが好きなようだ。最近は日本人が少なく日本語を忘れそうだと言う。行きの飛行は遊覧があるから20分、帰りの飛行は5分。料金はちょっと高くて2人で$300。

汚れているけど氷 防寒靴は貸してくれる
氷河尽くしの1日であった。天気も良くそれなりに楽しめた。これで天気が悪く何も出来ないでいたらプッツンしていたかもしれない。
夕食はホテル内のレストラン。私がキングクラブレッグスで娘はハリバット(白身魚でカレイの1種らしい。ミドリさんのお勧め。)ビールを2本。ここの蟹の足は包丁を入れてあるので食べやすいが、水分が少なくなっていていまいち。
値段はうっかりレシートを捨ててしまって定かでない。夕食1回、朝食2回、バー1回で$140。ルームチャージはプリンセス負担。ミドリさんにガイド料$40/人で$160支払う。しかしミドリさんがここジュノーに住んでいて助かった。
8月15日
7:20ホテル出発で空港に向うはずなのだがプリンセスツアーの迎えが来ない。私はいらいらしていたが鈴木さんは泰然としておられる。82歳だそうだ。奥さんは70台後半か。奥さんが海外旅行はあと2~3年かなと言うと、鈴木さんはまだまだとおっしゃる。地元では海外旅行好きの先生として有名らしい。留守の間お医者さんをしている娘さんが代診するとのこと。3人娘で上2人がお医者さん。奥さんに“3人とも女性では鈴木さんは機嫌が悪かったでしょう。”と言うと、“そうなんですよ、2人目から名前も付けないで。”と言う。それを聞いた我が娘は“うちもそうなんです。”と余計なことを言う。
8:30に空港に着くが今度は飛行機が遅れている。このアラスカ航空はバスのようにあちこち経由して最終目的地まで行くので時間どおりには発着しない。10:30ジュノー発、11:00過ぎシトカ着。
シトカ空港ロビーで日本女性に玉庭さんですかと声をかけられた。今回は大変ご迷惑をおかけし誠に申し訳ありません、と挨拶された。武田さんという笑顔のかわいい人だ。さんざん文句を言おうかと思っていたのにどこかに消えてしまった。娘は英語でどう文句を言うか考えていたらしい。
シトカの港は浅いらしくリーガル・プリンセスは沖に停泊している。ジュノーでは桟橋に大型船が4隻も停泊していたのに。リーガル・プリンセスに通う小型船は12:30が最終だそうだ。武田さんは飛行機が遅れて12:30を過ぎたらどうしようとハラハラしていたそうだ。ヘリコプターなど飛ばしてくれない。おとといの夜もすぐにヘリコプターを飛ばせとさんざん交渉したが駄目だった。
少し時間があるのでトーテムポールを見に行く。またトーテムポールから5分ほど歩くと鮭の川登りが見られると言う。無数の鮭がいる。皆上流に頭を向けているじっとしている。たまに1,2匹がばしゃばしゃやるだけ。飛行場のある島はヤポンスキーアイランドという。帝政ロシア時代に日本人が橋を架けたのだそうだ。アラスカでは貴重な橋だ。ここシトカは帝政ロシア時代の州都。
13:00頃乗船。スーツケースは無事に部屋に届いていた。14:00から昼食。ビュッフェスタイルへ行く。船では食事は全て料金に含まれている。レストランは3箇所。ここビュッフェスタイルとピザレストラン。あとディナーもするパームコートだ。どこでも好きなところで食べてよい。ジュースはただ。コーラ、アルコールは別料金。ちなみにバーは8箇所。乗船時にIDカードを作ってくれる。このIDで船内全てのツケが利く。カジノではお金も貸してくれるそうだ。

リーガル・プリンセス号
昼食後武田さんが船内を大雑把案内してくれる。映画館、劇場、図書館、スポーツジム、etc。勿論医務室もある。動く高級ホテルだ。乗客定員は1,590人。船の大きさは長さ247m、幅32.2m。アラスカのクルーズは短い夏だけなので人気があり満員だそうだ。今日は天気が良くプールで泳いでいる人も、日光浴している人もいる。プール、ジャグジーは温水だそうだ。
私達の部屋は11階のミニスイート。スイートもあるがワンベッドになってしまう。しかし飛行機は相変わらずエコノミー。部屋の大きさは4.5m×7.2m位、バルコニーは4.5m×1.2m。今まで泊まったどのホテルよりも良い。当然セイフティーボックス、冷蔵庫もある。びっくりしたのはクローゼットにハンガーが24本もあったことだ。私達にはこんなにたくさんは必要ないが需要はあるのだろう。
部屋にはシャンパン、フルーツ、チョコレート、ミネラルウォーターが置いてある。武田さんが言うには普通シャンパンまで置いてない、乗船が遅れたお詫びの印ではないか。
今バルコニーで日光浴をしている。ついさっきまでセーターを着ていたのが信じられないくらいのぽかぽか陽気だ。昨日、今日と快晴で何故おととい濃霧だったのか非常に残念。しかしこの大型客船のクルージングは最高の贅沢だ。引退後100日かけて世界一周しても飽きることはない。もっとも飲み代50万、カジノの負け100万は覚悟しなければならないだろう。
17:30より私達4人のウェルカムパーティー(といっても単なる日本人の顔合わせ)を武田さん主催で開いてくれる。部屋にあったシャンパンを寄付。日本人は全部で15人。中学男子1人は欠席。
濃霧のためジュノーに降りられなかったこと、スーツケースが出てこなかったことなど説明させられた。陸路でアンカレッジからスキャグウェイまで大変な思いをした人もいる。3日間毎日バスで7~10時間移動したそうだ。
18:00よりフォーマルディナーなのでウェルカムパーティーにもタキシードで出かけた。早めに行こうと17:00より着替え始めたが、何しろ初めてのタキシードなのでスムーズにいかず時間ぎりぎりになってしまった。

初めてのタキシード
ディナーは当然フルコースで前菜、スープ、サラダ、メイン、アイスクリーム、コーヒーとなっている。前菜はキャビア、メインは蟹を選ぶ。蟹は昨日も食べたが武田さんのお勧めだ。蟹は1皿食べるとすぐまた1皿持ってくる。それも食べ終わるとまだ大丈夫でしょうとまた1皿持ってくる。さすがにそんなには食べられない。味は昨日よりずっとまし。ディナーを摂るこのレストラン、パームコートはかなり広い。乗客定員1,590人の半分の800人が1度に食事するのだから壮観だ。テーブルの席は船に乗った瞬間から決まっている。
食後ショーを見てからカジノへ行く。1,590人の客だからカジノも混んでいるだろうと思ったがそうでもなかった。かなりの数のスロットマシーン、そしてルーレット、クラップス、ポーカー、ブラックジャックがある。バーも併設されていて歌手が生演奏で歌っている。
8月16日
もうクルージング最終日。10:15より下船の説明。その後娘はプール、私はジャグジー。昼食はピザ。混んでいて食べ終わるまでに1時間かかる。その後武田さんに会社に報告するため飛行機が遅れてからどうしたか説明して欲しいと言われ、再度詳細に説明する。1時間もかかってしまった。武田さんはフリーで、今回はプリンセスツアーの日本総代理店のクルーズ・ヴァケイションから依頼されて乗船していると言っていた。
2日間船に乗れなかったため返金があります。大金です。$1,830です。この倍くらいの金額を考えていましたと言っておいた。円に換えて振り込みますかと聞くので、旅行はしょっちゅうするのでドルのキャッシュで下さいと頼む。
15:00よりカジノ。17:00より荷物の整理。夕食前にスーツケースを出すことになっている。カジノもだんだん飽きてきた。ということは負け続けているということだ。
18:00より夕食。荷物をまとめてしまっているので今日の服装はカジュアル。メインはロブスターにした。昨日と同じで食べ終わるとすぐまた出てくるがやはり2皿どまりだ。鈴木さんは3皿食べていた。娘が太るのではないかと心配していたが、旅行はくたびれて痩せるから大丈夫だよと言っておく。
デザートが出る前にアラスカパレードがあった。デザートの中のベイクトアラスカ(焼きアイスクリーム)に火をつけてウェイター全員が一列に並びパレードするものだ。一言で言えばただベイクトアラスカを運ぶだけなのだが、音楽に合わせ、客も手拍子を取り陽気なパレードにしてしまう。日本人ではこういうノリにはならないだろう。エンターテイメントはこちらのほうが上だ。武田さんが飛鳥にも同じようなものがありますけどノリが全然違うんですよね、乗るならやはり外国船ですよね、と言っていた。

アラスカパレード
このベイクトアラスカは焼きアイスクリームと注釈してあるが、アイスクリームにスポンジを被せメレンゲを塗り焼いたものだ。1個の大きさは直径30cm、高さ15cmほどで16人分だそうだ。
20:00より最後のカジノ。ショーは見ない。ディーラーの名札には出身地まで書いてある。USA、イングランド、スコットランド、南アフリカ、ハンガリーetcと多彩だ。レストランのウェイターにはフィリピンが多い。南アフリカの男性にラグビーの第3回ワールドカップを見に南アまで行った。No15のジュベール、No6キャプテンのピナールを知っているかと尋ねたところ、知らないという返事。南アが優勝したことも知らなかった。ラグビー人口はやる人も見る人も少ない。
ハンガリー出身の女性はちょっと年増だが美人。私からそんなにたくさんは取らない。たまに勝たせてくれる。ハンガリーがドイツへの扉を開けた、偉大なことだ。と話したり、1回勝たせてくれると“Oh,thank you,I like you.”と言い、続けて勝たせてくれると“Oh,thank you,I love you.”と言った。これには彼女も苦笑いをしていた。カジノは小さく賭けて楽しくやるのがいい。最後別れ際握手をしようと手を出すと、彼女も手を出しかけたが引っ込めて、規則で客と握手は出来ないと言う。そして“I don't forget you.”と言った。
ディーラーはしょっちゅう替わる。相性のいい人もいれば悪い人もいる。相性のいい人を見つけてなるべくその人とやることだ。その人が他のテーブルへ移っていったらくっついて行くことだ。努力の甲斐あって今までの負けを取り戻しおまけも付いた。トータル$700両替したのが$1,300になった。$600の勝ち。
8月17日
9:00下船。鈴木さんにはようやく迎えが来ていた。最後になってようやくほっとしたようだ。バンクーバーでのホテルは私たちとは別。
タクシーでウェスティン・ベイショアーへ行く。チェックインは15:00からだから荷物を預ってもらわなければならない。英語で何と言うんだったかなと考えていると、“おはようございます”と挨拶された。そして空いている部屋を探し、入れてくれた。やはり部屋に入ってくつろげるのはありがたい。
10:30頃よりダウンタウンのロブソンストリートへ出かける。アラスカでは日本人は少なかったがここは大変多い。日本語の看板も結構目に付く。土産物屋に入る。メイプルキャンデーはないがメイプルヨーグルトならあると言うので購入。それとやはりスモークサーモン。日本人店員が2人いた。
12:00過ぎ日本食屋で昼食。カレーライスを頼むがなくラーメンとスーパードライ。娘はチャーハンセット。チャーハン、サラダに味噌汁も付いていた。
ホテルに戻り昼寝をし、14:00頃からスタンレー公園一周のサイクリング。ホテルのすぐ横に貸し自転車屋があったのだ。途中水族館に寄り白イルカ、ラッコ、シャチの曲芸などを見る。
天気も良く上半身裸の人や色々な人がサイクリング、ローラーブレード、ウォーキングをしている。サイクリング、ローラーブレードは一方通行だ。途中海水浴場などもある。貸し自転車は3時間借りて2台でカナダ$30。
18:00今朝降りたリーガル・プリンセス出港。見送ってから夕食に出かける。娘がガイドブックで見つけた“まさる寿司”を捜すが見つからない。時々こういうことがある。ガイドブックに出た後廃業というのが。ロブソンストリートを歩いていて御子寿司(みこずし)というところに入る。板前、従業員全て日本人で入ったとたん“いらっしゃいませ”の声が飛ぶ。オーナーらしき女性は、顔立ちは日本人だが言葉が少し変。3世あたりか。テーブルは満席でカウンターに座る。板さんが私たちを見て一呼吸置いてから言う。
“お嬢さんと一緒ですか。”
“よそでは若い愛人と一緒で良いですねと言われるよ。”
“見えない、見えない。全然見えない。”
“よそでは若い愛人と一緒で良いですねと言われるよ。”
“見えない、見えない。全然見えない。”
ビール、冷酒、ぎんなん、特上2つ、その他握り4種、味噌汁2つでカナダ$132。日本より少し安いか。カリフォルニアロールも入っていたがおいしかった。違和感は全くない。
8月18日
7:30起床の11:00バンクーバー発のシアトル行きに乗る。搭乗券はアラスカ航空だが乗ったのはホライゾン航空のプロペラ機。37人乗り、満席。小さい水上飛行機にも乗ったからどうということはないが、国際線がプロペラ機ということに驚いた。もっとも飛行時間は40分。
ノースウェスト航空が遅れている。出発予定の14:15になってもまだ搭乗券発券の行列が続いている。結局16:00出発。あと9時間で成田だ。
カナディアン航空ならバンクーバーから直行便になるだろうがノースウェストを指定した。私がノースウェストのワールドパークスの会員になっているからだ。シティーバンクと提携していて飛行機に乗っても買い物をしてもマイルが貯まるというものだ。日航や全日空は安売り切符をマイル数にカウントしてくれないがノースウェストはカウントしてくれる。しかしこれは失敗だった。何故かというと年会費が非常に高く¥18,000もする。3年たったら¥54,000になりハワイあたりの安売り往復チケットが買えてしまうだろうから。
第10報終わり

クルーズ最後のディナー

クルーズ最後のディナー(続き)


出所不明