南アフリカ ジンバブエ(ビクトリアフォールズ)

1995年5月23日~6月3日  

5月23日
予定通り成田を18:00出発。このキャセイCX505はガラガラで1/4程度の客。食後4座席独り占めで横になる。今回のJTBラグビー・ワールドカップ観戦ツアーAコースは東京発40人程度と成田の受付の岩永さんに聞いて、ずいぶん集まったなーと驚く。岩永さんは3年前の香港セブンス・ラグビーに添乗してくれた人。お名前は忘れてしまいましたがお顔は覚えていますとお世辞を言ってくれた。今回は成田のカウンター受付だけだそうだ。あとで聞いた正確な人数は大阪組の3人を入れて合計37人だそうだ。
 香港より南アフリカ航空(SAA)のSA297に乗り換えるが移動のバスの中で阪急交通社の添乗員の大貫氏、客のキンキラのおばさん、その息子、山口さんに会う。キンキラのおばさんは前回のアジア大会で一緒だったときに名前が分からないので、長女と二人で勝手につけたあだ名。大貫氏に、なぜ阪急は香港に行くのに台北経由なの?と聞くと、ホテルはうちのほうが良いとの返事。
 海外でラグビーを見るのは1991年の第2回ワールドカップからだ。このときは長女と一緒。
1992年 香港 セブンス 友人と2人
1993年 ニュージーランド ブリティッシュ・ライオンズ対オールブラックス 1人で参加
1994年 マレーシア アジア大会(ワールドカップ予選)長女と一緒
1992年の香港はJTBのツアー、それ以外は阪急のツアーで行っているので阪急グループには知り合いが多い。
 今回のJTBのAコースは日程的に厳しかったが喜望峰に行くのがこのAコースだけであった。喜望峰には行きたかったし、阪急のAコースは成田―台北―香港というルートでなおかつ台北で4時間待ちというのでJTBのAコースに参加した。
 SA297もガラガラ。やはり4座席独り占め。機内にRUGBY WORLD CUPの雑誌が置いてある。断って1冊貰う。長女への土産にしよう。途中バンコクにより団体が乗り込んできて3座席独り占めになったが、風邪気味だったので助かった。機内は非常に寒く毛布2枚を掛けずっと寝ていた。
 ヨハネスブルグには14:30(日本時間)着。阪急グループはここで降りた模様。五井在住の西山さん母娘もいた。本を読んでいるうちにケープタウンに到着。18:00。成田を出発してから丁度24時間だ。やはり長い。現地時間は-7だから午前11時。時計を合わせる。
 現地ガイドはシュタインさんという白人。25年前日本に住んだことがあるという。ピンキーとキラーズの恋の季節を上手に歌いだした。
天候は快晴。気温は高く暑いくらい。前日までの3日間は雨が降っていたそうだ。
バスでそのまま半日市内観光へ。景色はすばらしくカメラに収まりきれない。有名な刑務所のロベン島は逆光で撮ったのでうまく写っているかどうか。
シグナルヒルから見たロベン島
シグナルヒルからの眺めは海、埠頭、テーブルマウンテンからその先の山へと続く。
ウォーターフロント・ショッピングセンターにバスが寄る。日程表を見ると買い物できる日は今日とブルームフォンテンしかなさそう。ブルームフォンテンは田舎町で買い物は期待しないでくださいとJTBの添乗員の都築さんは言う。ガイドブックにも何も出ていない。子供とラグビー仲間の娘さんたちに早いとこ土産を買っておかなければ。
 ジュエリーショップのターナーに入る。南アの特産物は何といってもダイヤモンドと金。イアリングはピアスしかないので次女にだけ。他の人はブレスレットにしよう。あと奥さん用にオーストリッチの財布。財布、ダイヤのピアスを選んでいるうちに集合時間。財布はかなり高く日本でも買えるのではないかというような金額。
 ホテルにチェックインしたが、ブルームフォンテンは期待できない、ヨハネスブルグは危険が一杯。もう一度タクシーで先ほどのターナーへ行く。金のブレスレットを4本買うが、デザイン、価格どちらも香港やマレーシアのほうが上のような気がする。エイティーンキャラット、エイティーンキャラットと店員が言うので、18キャラットのダイヤモンドは頼んでないけどと思っていたら、紙に18Kと書いた。
18金のことと理解し、“Yes,eighteen carat please”と返事する。店員が適当なものを捜している横にデザインのよさそうなものがあったので、“How about this one?”と指差すと“Not eighteen carat.”と返ってきた。南アに来る前にNHKのマイクの一口英会話を買って何回も聞いたのが役に立ったようだ。
 夕食はホテルのレストランに18:00から予約してある。このレストランからの日没の眺めは最高とのこと。シュタインさんは18:00~18:30がいいですよと言う。風呂に入り、髪にドライヤーをあてながら外を見ると日没が近い。あわててレストランへ行く。このとき17:40。17:50には完全に没した。食事はシーフードの盛り合わせを頼む。For two と書いてあったので隣のおじさんと割り勘で。R125。(1ランド≒25円)このおじさんは和田さんといって某市医師会の事務局長。ワインが750ccでR32.5。食後バーに行き水割りを頼むとR4。飲み物は安いように感じる。
5月25日 南アフリカ対オーストラリア
 朝食後周りを歩いてみる。こざっぱりした小さなホテル。ケープタウンのはずれに位置している。JTBAコースの37人全員がここに泊まっているわけではない。一人参加の者だけのような気がする。断崖絶壁に建っている。1階が道路に面しているのは当たり前だが、2階は1階の下にある。以下同じで6階まであり6階が岩の上にあり、ちょっと行くともうすぐ海になる。1階はグランドフロアーとは呼ばずにストリートフロアーと呼んでいる。1階の上は屋上で駐車場。前は片側1車線の道路でその向こうは山の崖。崖に穴をあけ駐車場にしているところが結構ある。おそるおそる町のほうに行くが銀行はない。ホテルで両替をしてもらう。US$300=R1.000。
 今日はオープニングゲーム。ホテルを10:00出発。11:30頃 Big Pub(仮設の大きなテント。売店、軽食堂などがある。)に到着。途中植物園に寄ったが殆ど花は咲いていない。9~10月が花の最盛期だそうだ。ヨーロッパ中の花の種類より南ア一国の花の種類のほうが多いらしい。
 ビッグパブでウィスキーダブル、ライオンビール、ギネスを飲みホットドッグを食べる。(ビールはR4、ホットドッグはR15もした。)ラグビーボールも購入。R99。
 スタジアムには13:30頃到着。24番入り口のDD105という席。Aから始まりZで終わり、またAA,BB,CC,DDといく。最上段より3段下の日当たりの悪いところ。
南アフリカ対オーストラリア戦のチケット
オープニングセレモニーが始まる。民族衣装、抗夫など作業衣装、南アゆかりの衣装で次から次へと出てくる。マンデラ大統領の挨拶もあった。国全体でラグビーワールドカップ開催に力を入れているのがわかる。国際社会に復帰して初めてのビッグイベントか。マンデラさんはセーター姿とラフな格好であったが演説には力がこもっていた。でも私の英語力では意味不明。
オープニングゲームは開催国の南アと前回優勝のオーストラリアの対戦。試合前はオーストラリアのウイングのキャンピージー、南アのフルバックのジュベールの動きだけを見ていようと思ったが、試合が始まるとどうしてもボールの動きに目が行ってしまう。結果は 南ア 27-18 オーストラリアだった。南アのディフェンスは光っていた。オーストラリアのライナーのドロップアウトからのキックが22mラインに達せず、結果ペナルティーになり3点取られた。キャンピージーも狙ったタッチキックをノータッチにしてしまったのが2本あった。こういうミスがオーストラリアにとって痛かった。キャンピージー衰えたという意見もあるし、なにオーストラリアは決勝戦に照準を合わせているんだよという意見もあった。
 帰りにビッグパブでオーストリッチの卵を買う。R120。これはオーストリッチの卵の殻に小さい穴を開け中身を取り出し、殻に絵付けをしたもの。あとで聞いた話だが、同行のみんなは誰もオーストリッチの卵など買う気はなく、私は卵を買った人とあだ名が付いたそうだ。和田さんには、ラグビーボールといい卵といいかさばるものばかり買うね、と冷やかされてしまった。
 帰ってきてホテルの支配人に“Congratulations”と言うとサンキューと返ってきた。こんな些細なことでも勉強してきてよかったと思う。
5月26日
風、雨の音で6:00に目が覚める。カーテンをあけ外を見る。雨の音と思ったのは波の音だった。今日も晴れ。
 8:30出発。初めて見るインド洋。太平洋はいつでも見れる。(千葉に住んでます。)大西洋はアメリカの東海岸ではなくアイルランドのクリフ・オブ・モハーで見た。このあたりは9月、10月にはホエールウォッチングに最適だそうだ。レストラン ブラックマリーンで昼食。佐倉在住の鳥井さんを見かける。みんな都合をつけて来ているようだ。
 14:00ケープポイント到着。
ケープポイント 右が大西洋 左がインド洋島
バスを降りて5分ほど急な坂道を登る。明日筋肉痛になりそう。大西洋、インド洋の交わるところ色でも違っていればと思ったが、何の変哲もない一つの海だった。シュタインさんは善良な人には大西洋、インド洋の間に1本の線が見えたはずですと冗談を言っていた。ケープポイントには殆ど人はいない。来ても何もないからすぐ帰ってしまう。少し離れた喜望峰は人がいっぱい。喜望峰も風が強い。風が強いため背の低い木ばかりだ。このあたりはケープ国立公園。車窓から野生のオーストリッチ、ヒヒ、鹿が数は少ないが見受けられる。
バスはケープポイントへの往きは東側(インド洋側)を通り、帰りは西側(大西洋側)を通った。
 16:45ケープタウン空港着。18:00発。19:45ブルームフォンテン空港着。20:45ホテル着。ガイドの話ではブルームフォンテンの人口は36万人。オレンジ自由州の州都。
ホテル・ブルームフォンテンのセイフティーボックスにパスポート、T/C、現金を紙袋に入れて預けるが、ただ箱に入れ封印してカウンターの下に置くだけ。都築さんに相談するも心配ないと言う。
 一風呂浴びてからバーへ行く。ウィスキーダブルを注文し、“Ash tray please.”と言うが通じない。がっくりしながらもボディーランゲージで灰皿を貰う。バーのテレビでフランス対トンガ戦を放映中。フランスの選手の顔を見て驚いた。全員坊主頭で口の周りは髭だらけ。いつも見ている顔と全然違う。フランス 38-10 トンガ とフランスの勝ち。トンガ前半でPG(ペナルティーゴール)の失敗が多すぎる。1/6だ。強豪相手にこれでは勝てない。
5月27日 日本対ウェールズ
 6:30起床。今日もいい天気のよう。だんだん明るくなってきた。ケープタウンより1時間近く夜明けが早い。ベッドのスプリングのせいか、やわらかすぎる枕のせいか熟睡とまではいかない。昨晩はフランス対トンガ戦を見ていたので寝たのは23:30頃だった。モーニングコールの7:30まで寝ていられると思ったが目が覚めてしまう。
 10:00ホテル出発。私設ラグビー博物館見学。写真、ジャージが殆ど。自然公園ネーバルヒルに行く。ブッシュの間に鹿、オーストリッチ、キリンを見る。ただバスからは皆遠い。
 ラグビー会場のフリーステート・スタジアムに11:30頃着。全員でパブに入る。飲み物はすぐに出たが食べ物は1時間ほど後になってから。ハンバーガー、ビーフロール、チップスのメニュー。チップスを頼む。日本で言うフライドポテト。R3。
 ウェールズ 57-10 日本 で日本は負けた。開始早々ジェンキンスに2PGを決められた。日本もPGで挽回するチャンスがあったがキッカー増保が失敗。ここで入れておけば気分が違っていただろうに。比較的簡単な位置からであったが増保を責められない。日本でゴールキックなどしたことないのだから。平尾の代わりにキックの上手な人を出しておけばよかったのにと思う。監督小藪さんの失敗だろう。
でも最後まで切れることなくファイトあふれる試合をし、後半に1トライ返したのが救いになっている。ケープタウンと違って席は前のほうだった。観客も満員にはほど遠かったが。
 18:30よりホテルのレストランで夕食。またバイキング。土曜の夜なのでバイキングしかないらしい。明日の朝もまた同じバイキングだ。参った参った。
 20:00から放映予定のニュージーランド対アイルランド戦は遅れている。都築さんは危険だからホテルの外に出ないでくれとしか言わない。守っていると退屈で困る。
5月28日
 6:30起床。今日も天気は良好。昨晩は結局21:30からニュージーランド対アイルランド戦が放映された。でもコマーシャルが長く試合が始まったのは22:00頃。終わったのは23:30。でも試合途中のコマーシャルは画面を小さくし、下のスペースにテロップを流すだけで、試合そのものを中断することはなかった。
 テレビ東京や千葉テレビは見習って欲しい。以前千葉テレビで夜ラグビーの試合を放映していたので見ていた。3分から5分でコマーシャル。そして一番最後に時間となりましたから放送を終わりますといって試合途中なのに終わってしまった。録画放送ですよ、信じられなかった。テレビ東京もやはり3分から5分でコマーシャルが入る。だからこの2局は見ないことにしている。
試合は ニュージーランド 43-19 アイルランド。アイルランドは闘志激しく先制トライ、ゴールしたが反則が多かった。またエルウッド(No10)、ブラッドリー(No9)のミスが多かった。エルウッドは簡単なPGを3本はずし、ブラッドリーはスクラム横からのタッチキックが3本ノータッチになった。ニュージーランドではNo7,No11の動きがよく、マイケルジョーンズやツイガマラが抜けてもすぐに同レベルの選手を補充できる層の厚さを感じさせる。(No7はクロンフェルドでNo11はロムー。この二人を初めて見たのがこの試合。)
ニュージーランドを相手にミスが多くては勝てない。アイルランド期待のウイング、ゲーゲンにもボールは回ったが流れるような人の動き、ボールの動きではなく、立ったままパスを受けているからどうにもならない。ゲーゲンが一度ボールを持ちかなりの距離を走って2人にタックルをされながらもうまくパス。そしてトライ。これはなかなかいいパスだった。日本はこのアイルランドに勝てないだろう。私の予想は45-18でアイルランドの勝ち。
 今朝ホテルのレセプションでちょっと騒々しかった。何事かと思ったらセーフティーボックスに預けていた袋から現金がなくなっているとのこと。私もすぐに預けていた袋を返してもらい中身をチェックしたが大丈夫であった。盗まれた人にはホテルが弁償した模様。
 11:30ブルームフォンテン空港発。13:30ビクトリア空港着。(ブルームフォンテン空港発の初めての国際線だそうだ。)やはりかなり暑い。バスに乗る前に時間があったので売店に行く。象牙のアクセサリーがあったので買いたかったが、買う人がいるから密猟する人がいるんだと思いやめにする。ビクトリアフォールズはジンバブエだが今晩泊まるモワナロッジはボツワナとのこと。またすぐに出入国。
高速道路をボツワナに向かう。高速道路といっても片側1車線のあまり舗装のよくない道路。もちろん高架ではない。国立公園に入ってからだと思うが左側に鹿らしきものがいた。都築さんが“何か見つけたら大声を出してください。
自分ひとりで楽しまないでみんなにも教えてあげてください。”と言う。しばらくたって左側林の向こうにキリンが見えた。“ストップ”と声を上げバスに止まってもらう。“キリンがいました。バックして。”キリンは黄色くなく薄茶色と灰色の縞模様でかなりわかりにくい。右側にも1頭いた。
後続のバス(37人の団体だが小型バス3台に分乗)の人は道を間違えてUターンしてきたのかと思ったと言っていた。その後注意してみていると猿、猪などを見かけた。
 ボツワナ領に入り17:00頃モワナロッジ到着。夕刻にはチョベ川サンセットクルーズの予定であるが、阪急グループが一足先にクルーズに出かけていってボートがない模様。(JTB、阪急ともに現地旅行社は同じでアフリカ到着から出発まで同一行動。ホテルは異なったりする。)
我々はサファリに出発。チョベ国立公園に入り象、バッファロー、インパラなどを見る。ライオンがいると無線が入りジープはそちらへ向かう。何台ものジープが集まっている。雌ライオンが2頭。カメラのシャッターを押すと、薄暗いせいかフラッシュがたかれる。それにあわせライオンの目が赤く光る。距離は20mくらい。襲ってこないかと一瞬心配したがライオンは全く反応しない。人を見慣れているようだ。
 夕食はホテルのレストラン。同席してくれたのは和田さん、中村さん、小林さんご夫妻。中村さんは某自動車メーカーを定年退職されて悠々自適の人。日本のロックのファーガソンはこの自動車メーカーの所属。小林さんも石油会社を定年退職された方。仲良くなったのは大先輩ばかり。
 料理にはバッファローの肉、ワニの肉があった。バッファローの肉はサイコロ状に切り煮てあってまあまあだった。ワニの肉は衣をつけて天麩羅のように揚げてあったがおいしくなかった。
 モワナロッジはわざと藁葺き屋根にしてあるが中はホテルと同じ。ポットやミニバーが有る。でも心配なので蚊取り線香を焚いている。
5月29日
 5:30起床。朝食前の出発なので、持参の人参茶を飲み機内食の余りのチーズをかじった。
 7:00頃よりサンライズクルーズ。カバ、ワニ(小さく大きいトカゲ程度)、バッファロー他を見る。水中に暮らす動物は陸上に暮らす動物に比べ臆病なようだ。カバなどは双眼鏡で見るくらいの距離だと陸の上にいるが、ボートが近づくと水中にもぐってしまい鼻だけ出している。寒い、早朝は寒い。日中との差は激しい。象がどこにも見えない。ガイドに聞くと象は朝には水浴びしないとのこと。
9:30頃ロッジに戻り朝食。ボツワナは物価が高い。缶ビールがZ$25(ジンバブエドル25でZ$1≒¥10)もする。土産物も安くなく何も買わない。13:00モワナロッジ出発。
 16:30ジンバブエのエレファントヒルズ・ホテルを出発しビクトリアフォールズへ。
ビクトリアフォールズ(ほんの一部)
水しぶきがすごく雨のようで、合羽を用意しろ、というのがうなずける。想像以上でとにかくすごい。滝の巾1,700mというから端から端まで歩く気がしない。うまくしたもので1,000m程のところに谷がありそれから先には行けない。谷の向こうはザンビアだ。
1時間ちょっとの徒歩見学。石製のバッファローを買う。US$25と言いながら付きまとっていた少年がジープ出発間際にUS$20に下げてきたので購入。
 夕食は日本から持ってきたお粥にしよう。持参したイギリス型のコンセントプラグも合い電気鍋も活躍。でもこのエレファントヒルズ・ホテルにはコーヒー、紅茶のサービスがなくスプーンもない。
 外にベッドメーキングのボーイがいたので“Give me a spoon please.”と言うが通じない。Spoonと書いてもわからない。絵を描いたらやっとわかったらしく駆けていった。戻ってきたときにはスプーンを2本持っていた。US$1をチップに渡したらすごく喜びたくさんのチョコレート(当然ホテルのチョコ)をくれた。
 風呂に入り20:00。このホテルにカジノがあったので出かけていく。ルーレットはまだ始まらないようなのでスロットマシーンをやる。$とマシーンに書いてあったのでUS$50を両替すると大量のZ$1のコインが来た。やはり儲からないようになっている。1時間近く遊んでから、始まっているルーレットに参加。US$200を両替するがミニマムはZ$5でマキシマムがZ$25。US$200も両替して多すぎたかと反省。24:00にポーカーチップを現金に換えたところZ$1,800あった。¥18,000程だから元に近い。このカジノではZ$からUS$に再両替はしてくれない。カジノ発行の証明書を持ってナショナルバンクへ行かねばならない。(カジノに入ってすぐ両替するときに言われた。深沢さんがそばにいて通訳してくれた。)それもめんどくさいので土産物で使い切ってしまうつもり。このカジノのルーレットは変わっていて0しかない。韓国は0、00とありカジノ側が有利になっている。また赤、黒のところに賭けていて0が出た場合には半分返してくれる。韓国ではみな取ってしまう。良心的(?)だ。
 ここで大失敗をしてしまった。水割りを飲んでしまったのだ。南アは大丈夫だがジンバブエ、ボツワナでは注意するように都築さんにも言われていた。本にも良く書いてある。氷に注意するようにと。1杯飲み、2杯目の途中で気がついた。正露丸を飲みはしたが心配だ。
5月30日
 6:30起床。腹は今のところなんでもない。午前中フリーなのでゆっくり寝ていたかったがいつものように目が覚める。ホテルの庭を散歩。今日もまたいい天気でビクトリアフォールズの水煙が良く見える。
 荷物を整理し8:30から朝食。9:00過ぎゲストサービスに行きヘリコプター・ツアーに申し込むが、あいているのは15:00からと言われる。その時はもうここにはいない。残念。乗った人は8:00から並んで申し込んだと言っていた。
 深沢さんご夫妻がビクトリアフォールズ近くのリビングストンブリッジを見に行くというので付いて行く。深沢さんは某製鉄所の橋梁部長で定年退職して今はコンサルタントをしている。タクシーでジンバブエの出入国管理事務所に行き出国の手続きをする。パスポートには判を押さず小さな紙に出国の判を押しただけ。同じものを2枚くれる。再入国のときに必要とのこと。
 管理事務所から10分ほど歩いたところにリビングストンブリッジはあった。橋の真ん中にこれよりザンビアの立札あり。ザンビアの出入国管理事務所はやはり10分ほど歩いたところにあるのだろうと推測される。橋のザンビア側よりビクトリアフォールズを見る。
橋の途中にBANZIと書いた立札がおいてあり何人かの人がたむろしている。覗いてみるとバンジージャンプの写真が貼ってある。BANZIとはバンジージャンプのことだったのだ。誘われたがNo,Noと言って逃げてきた。
橋からの帰りはタクシーに乗る。タクシーの運転手はなぜザンビアに行かないんだと不満そうであったが時間がないのでしょうがない。
ジンバブエの管理事務所前には入国を希望するザンビア人でいっぱい。末尾に並んだが1時間以上かかりそう。幸い並んでいるザンビア人の一人が前に行けと手振りで合図してくれた。タクシーで5分でビクトリアフォールズの繁華街に着く。石製のカバや腕輪などの土産物を買う。またタクシーでホテルには11:30頃着。タクシー代Z$125。100は深沢さんが出してくれたので、私は残りの25とチップに15を渡したら大変喜んでくれた。中村さんの話では、今はチップと言わずにFor youと言って渡すのがはやりなんですよと。15渡すときに早速実行した。
 ホテルのロビーの土産物屋へ行く。残っているZ$1,500を使い切ってしまわなければならない。バッファローのリュック、部分的にオーストリッチの皮のついた巾着バッグを購入。バッファローZ$860、オーストリッチZ$1,055。足りない部分はUS$で支払う。
昼食はサンドウィッチとビール2本。深沢さんご夫妻と一緒。深沢さんはケープタウンでは日本料理屋に行きトロのいいところを食べたそうだ。ケープタウンは日本の南洋漁業の拠点になっているところだ。日本料理屋を捜すのに現地の電話帳でJapanを引いたり、Tokyoを引いたりして捜したそうだ。こういうまめな人と一緒にいるときっとおいしい物にありつけるなと思った。ケープタウンではホテルは異なっていた。
 12:30集合で空港へ向かう。飛行機の中で軽食が出る。ウィスキーを2杯貰う。アルコールを複数杯貰うようになったのは万蔵さんと一緒に旅行してからだと思う。
 万蔵さんはもと横浜市の教員。ジョン・ウェイン主演の“静かなる男”を見て何を思ったか、教員をやめアイルランドのコング村へ引っ越した。私と長女が第2回ラグビーワールドカップでイギリス、アイルランドへ行ったときに、アルバイトで私たちのグループのガイドをしてくれた。それ以来の付き合い。アルコール好きの痛風もちだがアイルランドの権威になっている。今は東京住まい。
 1時間40分程で着陸したが他国の飛行機がたくさん停まっている。“Where am I ?”と聞くとヨハネスブルグと言う。ブルームフォンテンではなかった。また国内線に乗らなければならない。
 深沢さんがブルームフォンテンの中華料理屋でラーメン、マーボ豆腐を食べたと言っていたので、中村さん、小林さん、和田さんに夕食はラーメンにしましょうと誘っておいたがキャンセルになってしまった。中村さんがインスタントラーメンを持ってきていて、あげますよと言うのでありがたく頂戴した。サッポロ一番味噌ラーメン2個、餅4個、割り箸1膳。割り箸はあと1膳欲しかったが、ずうずうしいので洗ってまた使おう。コンセントプラグをレセプションで借りて(マイクの一口英会話には出ていないシチュエーションだったのでボディーランゲージで頼む)、ラーメン1個に餅2個入れて食べた。洋食続きだったのでおいしく感じられた。
 今日もラグビーの試合の放映がある。21:30からの予定。部屋でお湯割りを飲みたい気分なので、バーへ行き部屋で飲むからウィスキーだけWでくれと言うと快く応じてくれた。ジンバブエで水割りを飲んでしまったが、心配した腹痛は起こらなかった。
今テレビにテロップが流れ、今日のラグビーの試合放送は22:20からとのこと。コマーシャルを入れると22:50からになってしまう。もう寝よう。
5月31日 日本対アイルランド
話は戻るがビクトリアフォールズ発ヨハネスブルグ行きの飛行機は離陸後滝の上空を一周してくれた。サービス精神旺盛だ。天気もよく良い眺めだった。何人かは拍手をしていた。
 7:00起床。朝食後ショッピングセンターへ行く。泊まっているホテル・ブルームフォンテンと同じ建物。ホテル部分は7階建てだがショッピングセンターは2階建て。道路を挟んで北側にもう一つ3階建てのショッピングセンターある。そこのスポーツ用品売り場で南アのジャンパーを買う。南アカラーのグリーンに襟、袖口は黄色。また帰りの空港でワインを買うつもりなので、それようのカートも買う。ジャンパーR295.95。カートR127.74。このショッピングセンターのさらに北側に中華料理屋があった。昼食はここへ来よう。
 スーツを着た白人がアタッシェケースを持って歩いている。その後ろ5mくらいのところをカービン銃を担いだ黒人が迷彩色の軍服を着て歩いている。アタッシェケースを持った人の護衛のようだ。不思議そうに見ているのは私くらいで普通の光景のようだ。
 ケープタウンのウォーターフロント・ショッピングセンターよりここのショッピングセンターのほうが充実している。もっともケープタウンの街中には行っていないが。ブレスレットもこちらのほうが品数が多い。しかしJTBもこういう情報を持っていなかったので仕方のないことだ。
 先ほどの中華料理屋へ行く。小林さんご夫妻、中村さんと一緒。ヌードルスープのポークを頼む。ただヌードルというとツユなしの焼きそばの類になってしまうようだ。ポークはチャーシューかと思ったが、ひき肉を丸めたものが入っていた。味はまあまあ、といいながらツユまで全部平らげた。ビール2本ともでR22。
 13:30出発がバスの故障で14:00近くになった。我々の乗るバスは古いものばかりだ。窓ガラスにヒビが入っている車でも平気で客を乗せる。
 14:15頃スタジアムに着く。アイルランドの旗を買う。万蔵さんの関係でアイルランドには縁があるのだ。特設パブに行きビールを2本購入。1本はその場で飲む。日本のサポーター、アイルランドのサポーターが入り乱れてワイワイ、ガヤガヤやっている。同じグループの新婚さんの女性2人は頬に日の丸を描き、アイルランドのおじさんたちと仲良く踊っている。写真をたくさん撮られなかなか開放されない。皆楽しそうにやっている。深沢さんが皆さん陽気ですねと言う。向こうではけちなスコットランド人、陽気なアイルランド人と言うそうですよと私。
 キックオフ30分前。残ったビールをバッグへ入れ入場口へと向かう。
日本対アイルランドチケット
入場口でボディーチェック、バッグのチェック。ビールは持ち込み禁止と言われる。あわててビッグパブへ戻り胃の中へしまいなおし再入場。席の2、3列後ろには10人ほどのアイルランドサポーターがいる。先ほど買ったアイルランドの旗を振ると皆大喜びで私の写真を撮る人も出てきた。そこでLet's sing“Alive,alive,oh, Alive,alive,oh”とアイルランドの民族歌MOLLY MALONEの一節を口にすると皆で歌いだした。残念ながら私が知っているのはこのフレーズだけ。
 日本は大健闘だ。アイルランド 50-28 日本 と思った。日本は4トライしたはずだ。
トライした井沢
プレースキックもウイングの吉田が蹴りよく決まっていた。スクラムで押され認定トライ2本取られたのが残念だ。
ゲーゲン
写真をたくさん撮ろうと思って一番前に行ったがうまくいかない。(その程度の客のいり。)私のカメラは一番大きいズームでも肉眼より小さいのだから。その上ボタンを押してもすぐにはシャッターが作動しない。一呼吸置いてから作動する。このコンタックスは値段ばかり高くてあまり良くない。アイルランドはエルウッドはじめ主力何人かは休ませていたようだ。
 アイルランドとウェールズの試合は面白そうだ。負けたほうは次回シードされずに予選から戦うようになる。エルウッドの調子があまりよくないのでウェールズ有利か。私の予想は ウェールズ 20-15 アイルランド
 日本対アイルランド戦のあとすぐ移動で20:00頃ヨハネスブルグのホテル着。空港前のホリディーイン。市街地まで25km。やはり危険だと言う。今までの比ではないと言う。チェックイン前にロビーの売店を覗く。オーストリッチの卵がR25。ケープタウンで買ったR120は何だったのか。あとでよく見るとR25は卵の台の値段で卵はR90だった。
 ホテルのガイドをする。ケープタウンのアンバサダーが2泊、ブルームフォンテンのホテル・ブルームフォンテンも2泊、ボツワナのモワナロッジが1泊、ジンバブエのビクトリアフォールズのエレファントヒルズも1泊、ホテル・ブルームフォンテンに戻って1泊、ここヨハネスブルグのホリディーインが今日と明日の2泊だ。どのホテルにも歯ブラシ、スリッパはない。持参のコンセントプラグ(英国型)があったのはエレファントヒルズのみ。でもどのホテルも言えばアダプターを貸してくれる。湯沸しポットはどのホテルにもあった。ドライヤーがなかったのはモワナロッジだけ。部屋にミニバーがあったのはモワナロッジだけ。テレビはモワナロッジ以外あり。
 ここホリディーインは隣の部屋との間にドアーがあり鍵がない。隣の若夫婦のうち旦那さんが心配して私の部屋に来た。部屋の間のドアーを開けてくださいと言うので開けると、奥さんが立っていた。他国の人だったら安心して寝てられないですよね。
いつホールドアップされるかわかりませんからね、と言う。私も心配になり反対側のドアーの前に荷物を置き、ドアーが開いたら音がするようにしておいた。(でもこれは間違いで、ドアーは2枚ありそれぞれの部屋から開けなければ通れない。片方の部屋から2枚のドアーは開けられないようになっている。家族で来て2部屋取った人たちに便利なようになっている。)
6月1日
ヨハネスブルグ半日市内観光。今まで大して歩いていないのに足(特に踵)が痛くなってきている。夜明けは6:30。今日もいい天気だ。旅行中ずっと快晴。
 9:00ホテル出発。ガイドの話。人口4,300万人。黒人70%、白人15%、あとは混血、インド人、アジア人。アジア人の中でも台湾人が多いとのこと。国連に入れてもらえない同士で仲がいいとのこと。日本人駐在員3~400人。全員郊外に住み、オフィスも郊外に移り終わったそうだ。
 9:45エリスパーク着。63,000人収容のラグビー場がある。エリスの名はラグビー発祥時のエリス少年から取ったものだろう。ヨハネスブルグ市内をバスの窓から見て、ゴールドリーフシティーへ行く。金の溶解ショー、マインダンス、坑道へもぐる等する。
 14:00まで自由行動。昼食はツナサラダ、チーズとハムのサンドウィッチ、ビール2本。合計R30.5。チーズとハムのサンドウィッチはトーストにはさんであっておいしかった。
安かったのでまたオーストリッチの卵を買う。台ともでR49。アルミタラの洞窟の絵柄だ。
ラグビーボールとオーストリッチの卵
ここでも阪急グループと一緒。阪急グループの中で今回初めてお会いして時々話すようになったのは佐藤さんという人。カジノで結構勝っていたじゃないですか、と話しかけてくれた。負けなかったので勝っている様に見えたのだろう。体つきを見て、今もラグビーをしているのですかと聞くと、関東公認で笛を吹いていますと言う。レフリーをしているのだ。またひとつラグビーを見る楽しみが増えたような気がする。
 顔見知りの西山さんは母、娘2人、嫁さんと女性ばかり4人で来たそうだ。お父さんが留守番で私の家と反対ですねと言う。阪急は帰りの便のうち台北―成田間の飛行機が取れずに台北で1泊する羽目になったと言う。困る人もいれば、おいしいものを食べれると喜ぶ人もいるかもしれない。
 サントンサンショッピングセンターへ行く。ここで降りる人は以後自由行動。そのままバスでホテルに戻った人も6人いた。このショッピングセンターに18:00までいて、その後深沢さんご夫妻と日本食レストラン“ダルマ”に行く約束をする。タクシーでドアーツードアなら大丈夫とのこと。ガイドのチエミさんに予約を入れてもらう。ここに着いたのが15:00。長い暇つぶしだ。
 ジュエリーショップには石だけUS$55,000なんてダイヤもある。かなり大きなショッピングセンターでホテルも併設されている。こういうところへ来るとわかっていれば土産物を買うのを待っていたのに。ぶらぶらしてから通路にあるベンチに腰掛けている。掃除も行き届いてきれいだ。腰に警棒を下げたガードマンが結構な数いる。ここは安全そうだ。
ツアー旅行に一人で参加するとフリータイムのときが困る。特にこのような場所ではどこにも行けない。ドアーツードアなら大丈夫と言われても、一人でタクシーに乗ってどこへ行けというのか。危ないという以外の情報があまりにも少ない。
 下の階にBARの文字が見える。歩いていくと途中皆さんとお会いする。深沢さんご夫妻、石川さんご夫妻、新婚さん2組。石川さんは新聞社の編集委員で早稲田卒。早稲田ラグビー部出身の今泉と仲がよいらしくキヨシ、キヨシと呼んでいる。お会いしたところは通路にテーブル、椅子を出している喫茶店。椅子に座りTeaを注文する。皆さんで食べていたチョコレートがひとつ余っている。深沢婦人が私に勧めてくれたのでご馳走になる。おいしいですねと言うと、石川さんがひとつ300円もするんですよと言う。えっと声が出てあとは絶句。直径3cmほど。
深沢さんがビールの3倍もするチョコレートだねと笑って言った。銘柄品らしく東京だと500円するそうだ。そういえば以前長女がひとつ500円するチョコレートがありまた人気もあるよ、と言っていたのを思い出す。
18:00タクシーに乗ってダルマへ行く。このときの運転手は無愛想で、深沢夫人はどこへ連れて行かれるのか心配したらしい。ダルマの入り口前に車をつけてくれる。
6月2日
 昨晩ダルマで燗酒(300cc入)を結局4本深沢さんと飲む。つまみはSashimi Deluxe(R41)をやはり深沢さんとつまむ。それから握りを頼むが目当ての大トロはない。中トロもない。It's not my day. 鯛、マグロ、ハマチ、他1種2巻ずつ頼む。1つR12程度。出発前食べ物は何でも大丈夫なんだよね、と言っていたがやはり毎日同じでは飽きる。ホテルが代わっても出てくるものは同じ。和田さんはもう少し我慢すれば毎日日本食ですよと言ってくれるが。ウェイター、ウェイトレスに日本人はいない。予約なしで来た人は断られていた。石川さんご夫妻も後から来た。新婚さん1組も現地駐在員と思しき人に連れられて来た。
 20:00頃ダルマを出る。今度のタクシー運転手は陽気な人だ。ラグビーを見に来たのかと言うからそうだと答え、着ているジャンパーの左胸のスプリングボクのエンブレムを見せ、そして背中のSOUTH AFRICAの大きな文字を見せ、I am a supporter of South Africaと言うと大喜びであった。JOUBERT(No15) and PIENAAR(No6、キャプテン) are good players.と言うとまたまた大喜びだ。ラグビーの話からマンデラさん、子供の話まで出てきて笑いっぱなしでホテルまで来た。この運転手は笑うとき両手をハンドルから離して手をたたいて上を向いて笑う。そのたびに隣の私はひじで運転手を突っついて前を指差し、Watch! Watch! と言わねばならなかった。
 部屋に戻るとなんと洗濯物がそのままだ。数をしてLaundry Bag に入れたのに。ばかたれと一人悪態つきながら、明日着る分だけ洗濯して寝た。朝になって気がつくと、洗濯物ありという札があり朝8:00までドアのノブに掛けておけと書いてある。これは私の不注意だ。
 今日帰国日だ。荷物の整理をしていると、ビクトリアフォールズで買ったバッファローの石の置物の足が折れている。アロンアルファでくっつけようかと思ったが角も1本折れている。2箇所も折れているのではしょうがない、捨てよう。石でも簡単に折れるものだ。よく包んでおけばよかった。
 10:30ホテル出発。10分もかからずに空港に着いたが、荷物のチェック、Tax Invoice の判を貰うのに時間がかかった。消費税は14%だ。返してもらわないわけにはいかない。免税店で買い物する時間が残っているか心配だ。出国後Tax Invoice を受付に持って行き払い戻し金額を書いた紙を貰う。それを持って銀行へ行き現金を貰う。US$142戻ってきた。免税店でワインを買う。赤白12本ずつ。ワインにはワールドカップ参加国の全エンブレムが貼ってある。US$144。
 ロイボスティーも買おうと思い捜すが飛行機の最終案内を始めている。時間切れでロイボスティーをあきらめ搭乗するが、なかなか動き出さず30分ほど遅れて飛んだ。もっと買い物をしていればよかった。
 ここから香港まで13時間くらい。満員に近いが幸い隣の席は空いている。14:45インド洋に入る。半島がきれいに見える。15:30より食事。16:00頃山脈が見える。時間的にマダガスカル島だろう。食事が終わってから写真を撮ろうとしたらもうマダガスカル島は過ぎていた。
 この飛行機には台湾人が多い。機内の新聞を見て台湾人と判断する。カップヌードルを食べている人が多くいる。飛行機に積んであり根達さんも貰って食べたが味はいまいちと言っていた。根達さんとはバスの中で時々隣同士になり話すようになった。神奈川県の某市の水道局勤務でY高出身。私の出身の相模原市には某市の水道局の貯水池があり、子供の頃歩き遠足で行ったりしたなど思い出話をした。ところでネダツとはどういう字を書くんですか、と聞き根達と教わった。添乗員の都築さんが根達さんを呼ぶときに“ゲダツ”さんと聞こえるんですよね。すごいなー、この人は生まれたときから解脱していたんだ、と思いましたよ。と言ったら後ろの席の藤間婦人が大笑いをした。
 食後しばらくしてから機内を散歩。深沢さんご夫妻はエグゼクティブに座っていた。たいしたものだ。小林さんご夫妻と和田さんが並んで座っていた。前後は白人の酔っ払いばかりでうるさく和田さんが困っていた。和田さんに私の席は静かですから代わりましょうと言い、小林さんの隣に座る。小林さんは身体も大きいが酒にも強い。ウィスキーを4杯ずつ飲む。2:30香港着。4:10香港発、7:45成田着。まだ南ア時間。日本時間14:45。
 ワイン24本をカートに乗せひっぱっているが入国審査が終わると階段しかない。困っていると石川さんがカートの反対側を持ってくれた。また香港での乗り換えのとき根達さんがバッグを一つ持ってくれた。成田の歩行路では新婚さんの奥さんが持ってくれた。預けた荷物を待っている時に皆さんに挨拶しようと思ったがしそびれてしまった。
Thanks to you. I had a nice trip.
皆さんどうもありがとう。
South Africaのジャンパーを着てアイルランドと日の丸と日野自動車の旗を振っています。
ベルテルスマン世界地図帳から拝借

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